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日本史
  • 川﨑巧磨

  • 問題数 51 • 7/12/2024

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    問題一覧

  • 1

    後嵯峨法皇の死後、天皇家は( 1 )〔後深草天皇の子孫、後の( 2 )につながる〕と、( 3 )〔亀山天皇の子孫、のちの( 4 )に繋がる〕に分裂。そこで鎌倉幕府が調停を行い、その結果、両統が交代で皇位につく方式( 5 )がとられるようになった。

    持明院統, 北朝, 大覚寺統, 南朝, 両統迭立

  • 2

    (  1  )〔亀山天皇の孫〕が即位し、討幕を計画、( 2 )、( 3 )、( 4 )らの活躍により、( 5 )鎌倉幕府滅亡

    後醍醐天皇, 楠木正成, 足利尊氏, 新田義貞, 1333年

  • 3

    ( 1 )が京都に帰り、( 2 )を始めた。この政治は、天皇へ権力を集中させて、摂関・院政・幕府を否定するものであった

    後醍醐天皇, 建武の新政

  • 4

    ( 1 )が反旗を翻し、( 2 )に京都を制圧、のち( 3 )を擁立( 4 )。一方、後醍醐天皇は、( 5 )を奉じて吉野の山中にこもった( 6 )。

    足利尊氏, 1336年, 光明天皇, 北朝, 神器, 南朝

  • 5

    南北朝の動乱が3代将軍( 1 )の時代まで続いたのは、武家社会の変化により、土地相続が子供に全員に分け与えられる( 2 )から嫡子がすべての所領を相続する( 3 )に変化した。また、今までの宗家と分家のつながりが弱まり遠方に住む一族との( 4 )よりも、近隣に住む武士同士の(  5 )が重要視されるようになったことなどの変化が各地の武士団の内部に分裂と対立を引き起こしたことが原因である

    足利義満, 分割相続, 単独相続, 血縁的結合, 地縁的結合

  • 6

    軍費のために( 1 )に一国内の荘園や公領の( 2 )の半分を兵糧米として徴発する権限を認めたもので、やがて( 2 )だけでなく、( 3 )も分割するようになった条例( 4 )という。

    守護, 年貢, 土地, 半済令

  • 7

    荘園・公領の領主が年貢徴収を( 1 )に請け負わせる( 2 )も盛んにおこなわれた。

    守護, 守護請

  • 8

    一方、国内では自立した( 1 )が各地を支配し、( 2 )と主従関係を結んだり、( 1 )同士で( 3 )を結んで( 2 )に対抗したりした。

    国人, 守護大名, 国人一揆

  • 9

    ( 1 )は将軍を補佐する中心的な職〔足利氏一門の( 2  )、( 3 )、( 4 )氏( 5 )が就任〕

    管領, 細川, 畠山, 斯波, 三管領

  • 10

    ( 1 )は京都内外の警備・刑事裁判を行うとともに、諸国の( 2 )に対して将軍の命令を伝達した。長官には( 3 )、( 4 )、( 5 )、( 6 )氏〔( 7 )〕が就任した。

    侍所, 守護, 山名, 赤松, 一色, 京極, 四職

  • 11

    ( 1 )は関東8ヵ国と伊豆・甲斐統轄、尊氏の子( 2 )が初代( 3 )となり、以後( 2 )の子孫が受け継ぎ、( 3 )を補佐をする( 4 )は( 5 )が世襲した。

    鎌倉府, 足利基氏, 鎌倉公方, 関東管領, 上杉氏

  • 12

    幕府は、将軍健両区を支える軍事力の育成に努め、古くからの足利氏の家臣、守護の一族、有力な地方武士などを集めて( 1 )を編成した。

    奉公衆

  • 13

    幕府の財源は、御料所からの収入、守護の分担金の他、京都で高利貸を営む土倉や酒屋に( 1 )・( 2 )を課したり、天皇の即位や内裏の造営など国家的行事のさいには、守護を通して全国的に( 3 )・( 4 )を賦課することもあった。

    土倉役, 酒屋役, 段銭, 棟別銭

  • 14

    1368年明が建国され、足利義満が明の呼びかけを知り( 1 )〔( 2 )貿易〕が始まった。( 1 )は、各国の国王が明の皇帝へ朝貢し、その返礼として品物を受け取るという形式であった。( 3 )

    日明貿易, 勘合, 朝貢貿易

  • 15

    1392年、倭寇を撃退して名声を上げた武将の( 1 )が高句麗を倒し、( 2 )を建国した。朝鮮は通行と倭寇の禁止を求め、( 3 )がこれに応じたため、両国の間に国交が開かれた。これを( 4 )という。

    李成桂, 朝鮮, 足利義満, 日朝貿易

  • 16

    1429年、中山王の( 1 )が三山〔山北・中山・山南〕を統一して( 2 )を建国した。首里に王府をおき、外港の那覇を拠点に( 3 )で繁栄した。

    尚巴志, 琉球王国, 中継貿易

  • 17

    荘園や公領の内部にできた農民による自治的な村を( 1 )という。

  • 18

    8代将軍( 1 )の後継争い、管領家である畠山・斯波氏の家督争いが原因の戦いを( 2 )という。結果、( 3 )が在京し幕政に参加する体制が崩壊して、幕府権威が失墜した。また、( 4 )や( 5 )が勢力を拡大し、守護大名が衰退したことで、( 6 )の風潮が高まった。そして、( 7 )の解体も進んだ。

    足利義政, 応仁の乱, 有力守護, 守護代, 国人, 下剋上, 荘園制

  • 19

    室町時代の農業では、水車などによる灌漑や排水設備の整備・改善により、二毛作に加え、( 1 )〔米、そば、麦〕も行われた。

    三毛作

  • 20

    室町時代の商工業は、農民の需要にも支えられ地方の産業が発達し、月に3回開く三度の市から、応仁の乱後は6回開く(   )が一般化した。

    六斎市

  • 21

    室町時代の貨幣は、従来の宋銭とともに、新たに( 1 )が使用されたが、需要の増加に伴い、粗悪なものも流通するようになり、それをきらい、良質なものを選ぶ( 2 )が行われた。しかし、円滑な流通が阻害されたため、幕府は、一定の悪銭以外の銭の流通を強制する( 3 )をしばしば発布していた。

    明銭, 撰銭, 撰銭令

  • 22

    家臣に組み込んだ国人・地侍の収入額を銭に換算した貫高で把握し、収入に見合う( 1 )を負担させる制度を( 2 )という。

    軍役, 貫高制度

  • 23

    ( 1 )が分国〔領国〕統治のために定められた法令を( 2 )という。

    戦国大名, 分国法

  • 24

    戦国時代には、領国経済の復興を目指す( 1 )の政策もあり、大寺社だけでなく、地方の中小寺院の門前町も繫栄した。特に浄土真宗の勢力の強い地域では、その寺院や道場を中心に( 2 )が建設された。

    戦国大名, 寺内町

  • 25

    戦国時代の市場は、自由な商業取引を原則とし、販売座席や市場税などを設けない(   )として存在するものが多かった。

    楽市

  • 26

    戦国時代の自治は、裕福な商工業者たちが自治組織を作り市政を運営していた。( 1 )〔36人の( 2 )〕、( 3 )〔12人の( 4 )〕は、ともに日明貿易で繁栄した。

    堺, 会合衆, 博多, 年行司

  • 27

    キリスト教の布教、海外貿易の拡大のため各国が海外進出をした。これを( 1 )という。スペインは( 2 )〔フィリピン〕を拠点にアジア進出、ポルトガルは( 3 )〔インド〕、( 4 )〔中国〕を拠点にアジア進出した。また、明が( 5 )をとっていたので、日本は( 6 )に参入した。

    大航海時代, マニラ, ゴア, マカオ, 海禁政策, 中継貿易

  • 28

    1543年、ポルトガル人を乗せた中国船が( 1 )に漂着し、( 2 )が伝来したことで( 3 )が開始した。輸入品は主に( 4 )、( 2 )、( 5 )で、輸出品は、( 6 )であった。

    種子島, 鉄砲, 南蛮貿易, 中国産生糸, 火薬, 銀

  • 29

    1543年、( 1 )が( 2 )宣教師として( 3 )に上陸した。1582年には、( 4 )たちにより( 5 )が派遣された。

    フランシスコ=ザビエル, イエズス会, 鹿児島, キリシタン大名, 天正遣欧使節

  • 30

    11582年以来、惣村の自治や農業の生産力が発達したことを理由に( 1 )は、服従させた地域に、( 2 )を単位として新しい検地をおこなった。これを( 3 )という。

    豊臣秀吉, 村, 太閤検地

  • 31

    ( 1 )とは、田畑・屋敷地の生産高や年貢高を米の収穫量で表す制度で、戦国時代の銭に換算される( 2 )から転換された。

    石高制, 貫高制

  • 32

    ( 1 )とは、田畑1段当たりの収穫量を基準に土地の生産力を米の量で示すもので、( 1 )×面積〔段数〕=( 2 )となる。

    石盛, 石高

  • 33

    ( 1 )が1588年に公布し、農民から武器を没収して武士と農民の身分を確定させた〔( 2 )〕法令を( 3 )という。

    豊臣秀吉, 兵農分離, 刀狩令

  • 34

    1587年に発布し、キリスト教の宣教師に国外退去を命じたが、貿易そのものを禁じなかったため、不徹底に終わった法令を(   )という。

    バテレン追放令

  • 35

    対馬の宗氏を通して朝鮮に( 1 )と明への出兵の先導を要求したが、朝鮮はそれを拒否したため、1592年に( 2 )拠点に16を拠点に16万の軍政が挑戦に出勢が朝鮮に出兵したが、( 3 )の水軍、明の援軍により撤退した。これを( 4 )という。また、1597年に14万の軍勢を朝鮮に出兵させたが、( 5 )の死により撤退した。これを( 6 )という。

    入貢, 名護屋, 李舜臣, 文禄の役, 豊臣秀吉, 慶長の役

  • 36

    ( 1 )は、1人で豊臣政権を存続させようとする( 2 )と( 3 )の対立が表面化して、1600年に両者が激突した戦いである。

    関ヶ原の戦い, 石田三成, 徳川家康

  • 37

    1603年、( 1 )が( 2 )の戦いに勝利し、( 3 )に就任して、江戸幕府が成立した。

    徳川家康, 関ヶ原, 征夷大将軍

  • 38

    1614~1615年に起こった( 1 )によって( 2 )氏は滅亡した。

    大坂冬の陣・夏の陣, 豊臣

  • 39

    2代将軍( 1 )は、1615年、( 2 )を発布した。これにより、( 3 )の居城は一つに限定された。3代将軍( 4 )は、1635年、( 5 )を発布し、( 6 )を義務化した。

    徳川秀忠, 一国一城令, 大名, 徳川家光, 武家諸法度, 参勤交代

  • 40

    江戸時代の大名とは、( 1 )以上の武士で、( 2 )〔徳川氏一門〕、( 3 )〔以前からの家臣〕、( 4 )〔最近家臣になった大名〕に分けられる。

    1万石, 親藩, 譜代, 外様

  • 41

    江戸幕府の財源は、400万石にも及ぶ直轄領〔( 1 )〕から上がる年貢のほか、佐渡や伊豆などの( 2 )からの収入であった。

    幕領, 鉱山

  • 42

    江戸時代の軍事は、( 1 )という将軍にお目見えできる直属の家臣と、( 2 )という将軍にお目見えできない直属の家臣が行っていた。( 1 )、( 2 )はともに( 3 )未満の武士である

    旗本, 御家人, 1万石

  • 43

    江戸時代の機構は、( 1 )が幕政の統轄を行い、譜代大名から任命される。( 2 )は、( 1 )の補佐、( 3 )〔寺社・勘定・町〕は、( 1 )とともに、評定所で合議する。

    老中, 若年寄, 三奉行

  • 44

    ( 1 )とは、大名の領地とその支配機構のことである。17世紀半ばに( 2 )〔=家臣に一定の領地を与え、その支配権を認めること〕から( 3 )〔=( 1 )の直轄領から年貢を蔵米として支給すること〕へ移行した。

    藩, 地方知行制, 俸禄制度

  • 45

    幕府は、初め( 1 )を黙認していたが、スペイン・ポルトガルの侵略を招く恐れを強く感じ、1612年、( 2 )を発布した。1637年には、キリシタンを含む土豪・百姓の一揆、( 3 )が起こるが、翌年に鎮圧し、その後、( 4 )を行い、寺院がキリシタンでないことの証明、( 5 )を実施した。

    キリスト教, 禁教令, 島原の乱, 寺請制度, 宗門改め

  • 46

    江戸時代初期、マニラ・ホイアン・アユタヤなどの東南アジア地域への渡航する商人が多かったことから幕府は、彼らに海外渡航を許可する( 1 )を与えた。( 1 〕を携えた貿易船を( 2 )といい、この貿易を( 2 )貿易という。

    朱印状, 朱印船

  • 47

    江戸幕府は、キリスト教を禁教にすることと、幕府が貿易を独占することを理由に、( 1 )を行った。その結果、イギリスは1623年に撤退、続いてスペインが1624年に来航禁止に、そしてポルトガルも1639年に来航禁止に、オランダは、1641年に商館を平戸から長崎の( 2 )に移したことで、( 3 )が完成した。

    鎖国政策, 出島, 鎖国

  • 48

    鎖国後、日本に来航する貿易船は( 1 )と( 2 )だけになり、幕府は、( 1 )船が来航するたびに( 1 )商館長が提出する( 3 )で海外の事情を知ることができた。

    オランダ, 中国, オランダ風説書

  • 49

    ( 1 )は、豊臣政権が行った朝鮮侵略と違い、対馬藩主( 2 )を通して朝鮮との講和を実現させ、1609年に( 2 )と朝鮮の間に( 3 )が結ばれた。

    徳川家康, 宗氏, 己酉約条

  • 50

    ( 1 )は、1609年に家康の許可を得た( 2 )の島津家久の軍に征服され、( 2 )藩の支配下に入った。( 1 )は、国王が代がわりをするごとに( 3 )を、将軍の代がわりごとに( 4 )を幕府に派遣した。

    琉球王国, 薩摩, 謝恩使, 慶賀使

  • 51

    渡島半島に勢力を持っていた( 1 )は、1604年、家康からアイヌとの交易独占権を保証され、藩制を敷いた。アイヌ集団との交易対象地域は、( 2 )あるいは( 3 )と呼ばれた。

    松前氏, 商場, 場所