問題一覧
1
平家が東大寺と興福寺を焼き落とした南都焼き討ち以降、東大寺の再建を担当した僧侶が「〇〇」であり、その東大寺再建で用いられた講法・様式を「〇〇様」というが、再建時の現存遺構は「〇〇〇〇〇〇」である。
重源, 大仏, 東大寺南大門
2
慈照寺銀閣や鹿苑寺金閣は庭園を眺めることがてきる「〇〇建築」であり、室町将軍の別荘地に建設された
楼閣
3
岡山県に所在する吉備津神社本殿は、屋根を連ねる「〇〇〇〇〇造」の建物で、平面の大きい中世における大型の神社建築である。
比翼入母屋
4
薬師寺東塔の三手先組物は「〇〇〇〇〇〇」に比べて古代の形態であることから「〇〇」文化の建築と考えられており、裳階をつけることで「〇〇」に見える三重の層塔建築である
唐招提寺金堂, 白鴎, 六重
5
現在の出雲大社本殿は、大社造の形式で、心御柱があり、平面を「〇〇〇」とし、屋根は檜皮葺、柱を「〇〇建て」とする神社建築である。
妻入り, 礎石
6
姫路城大天守は、単なる防御の櫓ではなく、象徴として独特な造形をもつ近世城郭の完成を示す事例であり、曲線の「〇〇〇」などを組み合わせた美しい外観を見せ、複数の小天守が櫓で繋がれた「〇〇天守」である。
唐破風, 連立
7
円覚寺舎利殿は「〇〇〇〇」の禅宗寺院の一つで、その平面形式は「〇〇〇〇〇〇〇付」仏殿の「〇〇様」の建築として知られる。
鎌倉五山, 方三間一重裳階, 禅宗
8
伊勢神宮正殿は、「〇〇〇」の建物であり、その平面は「〇〇〇〇〇〇〇〇」の規模としている。
平入り, 桁行三間梁間二間
9
平安京における古代の貴族の住宅形式を「〇〇造」という。
寝殿
10
神社建築の形式にある流造と春日造には「〇〇」がある点に共通し、春日造は「〇入り」の正面に庇を伸ばした形態をもち、流造は「〇入り」の屋根に庇を伸ばした形とする点で対象的である。
土台, 妻, 平
11
法隆寺金堂は、「〇〇時代」を代表する最古の木造建築であり、その組物は「〇〇〇〇」として、以降の建築にはない特徴的な様式である。
飛鳥, 雲形斗栱
12
平等院鳳凰堂の平面は、中心に中堂を配して、それが「〇〇〇堂」建築の形式を示しており、さらに翼廊を伸ばしており鳳凰が羽を広げているように見える。
阿弥陀
13
室町将軍の足利義政は、隠居して別荘の東山殿を築いたが、その持仏堂として「〇〇堂」を設け、その中の書斎である「〇〇〇」では造り付けの家具が登場した。
東求, 同仁斎
14
大勢の参拝者を収容するための、大空間をもつ近世本堂の代表的な現存遺構は、「〇〇〇〇〇堂」であり、京都市に所在する。
本願寺御影
15
権現造とは本殿と拝殿を「〇〇〇」が繋いだ平面のことで、その代表例は、「〇〇〇〇〇〇〇」で、故人の徳川家康を祀る「〇〇」建築である。
石の間, 日光東照宮本殿, 霊廟
16
中国大陸から伝わった古代の都市計画は、「〇〇」と呼ばれ、その代表的な平城京は、現存の「〇〇県」に存在した古代都市であり、鎮護国家として世を治めるため、その中心の寺院として、「〇〇〇」がおかれた
都城, 奈良, 東大寺
17
鳥取県の三仏寺投入堂は平安時代の遺構で、「〇造」の建築として知られ、山岳地帯に設けられた修験道の建築である。
懸
18
禅宗は、鎌倉時代に大陸から伝えられた宗教で、その建築様式を「〇〇様」と言い、和様建築に大きな影響を与えたが、その様式における組物は柱間の中間にも並べる「〇〇」とし、窓には「〇〇窓」を用いる。
禅宗, 詰組, 花頭
19
書院造が完成したのは近世で、その代表的な現存遺構は、「〇〇〇〇〇〇〇〇」であり、その平面は大広間のある建築群を「〇〇」に配置する。
二条城二の丸御殿, 雁行
20
住吉大社本殿は、「〇〇〇」によく似た「〇〇〇〇」の平面であり、古代の形式を伝えている。
大嘗宮, 前後2室
21
浄土寺浄土堂は、「〇〇〇再建」に用いられた様式と同じくし、屋根の構造に「〇〇〇〇〇」を用いる点、「〇〇〇〇」とする点は、和様の仏堂にはない特徴がある。
東大寺, 遊離尾垂木, 隅扇垂木
22
唐招提寺金堂は、「〇〇」文化を代表する建築で、和様の原点とされ、正面の梁間一間を吹き放ちとし、その柱間は「〇に」行くほど狭くなる。
天平, 端
23
本願寺飛雲閣は秀吉の聚楽第を伝える書院系建築で、「〇〇〇〇」の自由な造形をもつ楼閣建築である。
三層構成
24
中国より渡来した僧侶・隠元は「〇〇宗」を伝え、近世の日本に新しい禅宗様をもたらしたが、その代表的寺院は、京都市にある「〇〇〇」である。
黄檗, 萬福寺
25
石山寺多宝塔は、現存最古の「〇〇〇」で密教伽藍を構成する象徴的な建物である。根来寺大塔は現存最大級のもの。
多宝塔
26
滋賀県に所在する園城寺光浄院客殿は、書院の特徴である「〇〇〇」の定型が整ったことを確認できる貴重な遺構である。
座敷飾
27
桂離宮は書院造を基本として民家建築系の要素を取り入れた、「〇〇〇風」書院の代表的な遺構で、建物を雁行に配置する。
数寄屋
28
鹿苑寺金閣は室町将軍の足利義満が建設した別荘地・山北殿にある3階建ての建物で、2階を「〇〇〇〇風」に、最上階を「〇〇〇〇風」とする。
和様仏堂, 禅宗仏堂
29
書院造を民家建築の方法を取り入れた茶室は、書院と異なり壁を「〇〇」として、窓には下地が現しになる「〇〇〇」、柱には「〇〇〇」を用い、こうした形式を特に「〇〇〇」茶室という。
土壁, 下地窓, 面皮柱, 草庵風
30
出雲大社本殿は、田の字形の平面に神座を「〇〇〇〇〇としない」配置として、建物の中央に配置される柱を「〇〇〇」という。
左右対称形, 心御柱
31
長野県松本市にある松本城天守は、「〇〇〇」への移行的な形態とされる。
層塔型
32
近世城郭の象徴となる建物は「〇〇」とよばれ、耐火性を高めるために厚く塗り込んだ「〇〇」とすることが多い
天守, 土壁
33
禅宗様建築の垂木の配置は「〇〇〇〇〇」とし、構造では「〇〇〇」のよって大スパンの梁間空間を作る。
全面扇垂木, 大虹梁
34
現存する最古の茶室は「〇〇〇〇〇」であり、茶の湯を大成させた茶人である「〇〇〇」が関与したとされる。
妙喜庵待庵, 千利休
35
栄螺堂と呼ばれる近世社寺建築は、内部を貝殻のようにした「〇〇〇〇〇〇」とした参拝空間で、正式には三匝堂と称する建物である。
二重螺旋階段
36
慈照寺銀閣は東山殿に営まれた二階建ての観音殿であり、1階を「〇〇〇〇風」とし、2階を「〇〇〇〇〇風」とした宝形造の建物である。
書院住宅, 禅宗様仏堂
37
中世・鎌倉時代における仏堂は、内外陣の平面を持つようになり、モヤヒサシの架構形式が崩壊して、「〇〇〇」が発生し、奥行きの深い建物が作られるようになり、軒の出は挺子の原理によった「〇〇」が支えるようになったが、その代表遺構は「〇〇〇〇〇〇〇」である。
小屋裏, 桔木, 当麻寺曼荼羅堂
38
中世以降の武士や僧侶の住宅建築である書院では、建具に「〇〇〇」を多用し、組み物には「〇〇〇」を用い、壁は「〇〇〇〇」仕上げとする。
明障子, 舟肘木, 漆喰塗り
39
中世における東大寺の再建では、和様の構法とは異なり「〇」を多用ひ、組み物は通し柱に貫通ささた「〇〇〇」を用いる簡明な構法によって大規模建築を建立することが可能となった。
貫, 挿肘木
40
法隆寺夢殿は、東院伽藍に位置し、「〇〇」の求心的な平面としており、宝珠を屋根に載せていることでしられる「〇〇時代」の建築である。
円形, 奈良
41
滋賀県彦根市にある彦根城天守は、「〇〇〇造」の屋根の上に物見櫓を乗せた「〇〇型」天守の一つで、千鳥破風をつけ、最上階には高欄を周りしている。
入母屋, 望楼
42
日本古代の寺院建築では、屋根の構法を「〇〇〇」とし、軸組は柱を固めるために水平方向に「〇〇」を用い、基壇は「〇〇」とし、礎石の上に柱を立てるもので、これらの構法は中国大陸から伝わった。
本瓦葺, 長押, 版築
43
古代の住宅では建具として上下に開閉する「〇〇」を配置し、移動式の仕切りとして「〇〇」を配置し、必要な箇所に畳を敷いていたが、こうしたレイアウトによって場を作ることを「〇〇」という
蔀戸, 几帳, 室礼
44
中尊寺金色堂は、岩手県平泉にあり、平面を「〇〇〇」とする阿弥陀堂建築で、宝形の屋根に、「〇〇〇〇」としている極めて装飾的な仏堂である。
方三間, 金箔貼り
45
伊勢神宮の建築形式は、床の持ち上げられた高欄式の倉庫建築が転化した形態と考えられており、「〇〇〇」に一度、建て替えを繰り返してきたが、これを「〇〇〇〇」という。
20年, 式年遷宮
46
厳島神社本殿は「〇〇〇」の屋根とした大きな平面とし、全体は拝殿や能舞台などいくつもの建物が、回廊によって繋がれ、海に浮かんでいるように見える中世の神社建築である。
両流造
47
広島県に所在している明王院本堂は、和様をベースとしているが、禅宗様の台輪や桟唐戸を設けるなど、選択的な様式の混在が確認される「〇〇〇」の代表例である。
折衷様
48
伊勢神宮正殿は、「〇〇造」の神社建築として知られ、柱を全て「〇〇〇」とし、建物の両側に棟持柱を立て、屋根は「〇〇」として反りがない。
神明, 掘立て, 茅葺
49
小堀遠州は広間の茶室とする「〇〇〇〇〇」の設計で知られ、その入り口は舟入の構成と呼ばれ、躙口や下地窓がない書院風茶室である。
孤蓬庵忘筌