問題一覧
1
貴族やジェントリが活躍する中、スチュアート朝が成立し(1)が即位した。彼は大商人への独占件付与など専制政治を強行し、ピューリタンは不満を募らせた。 その後(2)が即位し、国王の専制に対して議会が『権利の請願』を可決した。
(1)ジェームズ一世/(2)チャールズ一世
2
(1)派のクロムウェルは、鉄騎隊を編成しチャールズ一世を処刑した。これを(2)革命といい、イギリス史上唯一の(3)政を樹立した。
(1)議会/(2)ピューリタン/(3)共和
3
クロムウェルは、議会派の中でも地主や富裕層の立場を代表した(1)派の立場を取り、農民や小市民の(2)派を弾圧した。
(1)独立/(2)水平
4
1670年代イギリスには、王権を尊重するトーリ党(後の保守党)と、議会の権利を主張するホイッグ党(後の自由党)が存在した。
○
5
17世紀後半、チャールズ二世は公務就任者を国教徒に限る『審査法』を制定した。
✕
6
名誉革命後、ジョージ一世の即位とともにウォルポール内閣が成立すると、責任内閣制が形成され「王は君臨すれども統治せず」という言葉が主張された。
○
7
ルイ13世は、王権神授説を信奉し王権に対する貴族の反乱である「フロンドの乱」を鎮圧した。
✕
8
三十年戦争では、カトリック派のスペイン・フランスと、プロテスタント派のイギリス、スウェーデン、オランダなどが対立した。
✕
9
三十年戦争の後に結ばれたウェストファリア条約では、皇帝の力の強化により神聖ローマ帝国の権力が増大した。
✕
10
三十年戦争後、プロイセンとオーストリアの台頭が進み、プロイセンのフリードリヒ二世とオーストリアのマリア=テレジアが権力を握っていた。
○
11
プロイセンのフリードリヒ二世は、「王は君臨すれども統治せず」と唱え内閣に青磁を任せた。
✕
12
ロシアのエカチェリーナ二世は、税制改革や軍備強化に努め、清とネルチンスク条約を結んで国境を定めたほか、北方戦争でスウェーデンを破った。「西欧への窓」であるペテルブルクを造営した。 ピョートル一世は、経済活動の促進をしたほか、農民の反乱であるプガチョフの乱やフランス革命に関わり、後に自由主義弾圧などを行った。
✕
13
エカチェリーナ二世は、プガチョフの乱やフランス革命後、農奴制の緩和や自由主義に基づいた政治を行った。
✕
14
1701年に起きたスペイン継承戦争では、スペインとフランスvsイギリス、オランダ、プロイセンの構図となった。
✕
15
(1)は1602年に東インド会社を設立し、ジャワ島を拠点に交易した。一方(2)も東南アジアに進出したが、アンボイナ事件により撤退した。
(1)オランダ/(2)イギリス
16
イギリス産業革命では、綿工業が発達しジョン=ケイが飛び杼という織り機、クロンプトンがミュール紡績機を開発した。
○
17
イギリス産業革命では動力にも革命が起こった。(1)は蒸気機関車を製作し、アメリカの(2)は蒸気船を試作した。
(1)スティーブンソン/(2)フルトン
18
イギリス産業革命で、ミュール紡績機を開発した人物は誰か
クロンプトン
19
イギリスに次いで、ドイツやアメリカでも産業革命が進行した。国家の○○政策により、重工業が発展した。
保護関税
20
産業革命の結果、工場制機械工業が中心となったため、家内工業や手工業は没落し、資本主義社会が成立した。
○
21
イギリス産業革命により繊維工業の生産力が高まり、北アメリカの植民地獲得が本格化した。
✕
22
イギリスでは、七年戦争後に財政難が深刻化したことを受け、1765年には「印紙法」が成立し 書類などへの印紙貼り付けを義務付けたが、「代表なくして課税なし」と反発された。
○
23
アメリカ独立戦争では、(1)が出版した『コモン=センス』によって独立の必要が訴えられた。また、ロックの思想的影響を受け反抗の正当性を主張した(2)は、1776年に独立宣言を発表した。
(1)トマス・ペイン/(2)トマス・ジェファーソン
24
独立戦争後、世界最初の近代的成文憲法であるアメリカ合衆国憲法が成立し、これまで奴隷とされてきたインディアンや黒人の権利も保証された。
✕
25
独立革命後は連邦政府が発足し、連邦派のハミルトンが財務長官、半連邦派のジェファーソンが国務長官に就任した。ワシントンは初代大統領に就任した。
○
26
フランスの旧制度アンシャン・レジームでは、第一身分が聖職者と貴族、第二身分が商工業者、第三身分がその他民衆や農民であった。
✕
27
戦争により財政難となったフランスでは、ルイ16世が特権身分への課税を試みたものの特権身分が抵抗したことにより、三部会の制度が崩壊した。
✕
28
ルイ16世による三部会の開催で、特権身分と第三身分が議決方法で対立し、第三身分が離脱して○○が成立した。
国民議会
29
国民議会が封建的特権の廃止を宣言して人権宣言を採択すると、ルイ16世は国民議会を武力で弾圧しようとしたため、パリの民衆がバスティーユ牢獄を襲撃した。
✕
30
フランス革命では、国民議会が球戯場の誓いによって憲法制定議会に改称し、国王や保守的貴族による武力弾圧に対してパリ民衆が反発したバスティーユ牢獄襲撃事件が起こった。これにより、封建的特権の廃止が決議された。
○
31
1791年にフランスでは憲法が発布され、普通選挙が実現し国民議会は解散した。
✕
32
フランスでは国民議会の解散後に立法議会が成立し、立憲君主派の(1)派と、穏健共和派の(2)派が対立した。最終的には(2)が政権を握り、後に(3)に宣戦した。
(1)フイヤン/(2)ジロンド/(3)オーストリア
33
1792年に国民公会が成立すると、ジャコバン派のロベスピエールが独裁を行い、後に○○で逮捕・処刑された。
テルミドールのクーデター
34
1795年にはフランスで総裁政府が成立し、新憲法によって普通選挙が規定された。
✕
35
1799年、ナポレオンがブリュメール18日のクーデターを起こし、総裁政府は崩壊して統領政府が成立した。ナポレオンが実質的独裁権を握り、フランス革命は終結した。
○
36
統領政府の時代、ナポレオンはアミアンの和約によってイギリスと講和し、法の前の平等などを定めた民法典も制定した。
○
37
オーストリアではシュタインやハルデンベルクにより農民解放が行われた。
✕
38
ナポレオンはロシア遠征を行ったが失敗し、退位してセントヘレナ島へ流された。その後一旦皇帝に復位したが、ワーテルローの戦いでエルバ島に流された。
✕
39
フランス革命では、国民議会▶︎立法議会▶︎国民公会▶︎総裁政府▶︎統領政府の順に政権が移った。
○