問題一覧
1
アリストテレスは使用価値と交換価値の区別を認識していた
○
2
ギリシア語の「オイコノミア」は都市国家(ポリス)の経済を意味する言葉であった
×
3
“重商主義”という呼称はアダム・スミスによって造語された
×
4
ステュアートは、価格は需給の関係で決まると主張した点で、ミクロ理論の先駆と言うことができる
○
5
コルベールは、イギリス重商主義とほぼ同時代に、フランスにおいて重商主義的な政策を推進した
○
6
日本では明治維新以前に徳川幕府によって先行的蓄積のための諸政策が本格的に実施された
×
7
ドイツ歴史学派は帝国政府による上からのインフラ整備を重視し、鉄道の国有化を主張した
○
8
シュンペーターが経済学成立の前史の重要項目として挙げているものをすべて選びなさい
スコラ学者と自然法の哲学者, ギリシア=ローマの経済学, 行政顧問官と時事問題小冊子論客
9
アメリカ合衆国は、トランプ政権以来、中国との貿易の赤字額が突出していることから、中国からの輸入に対して高関税をかけているが、この政策は重商主義時代のどの考え方に最も近いと言えるか
個別貿易差額説
10
中世末期以来、イギリスの代表的な製造品であり、重商主義時代には国内製造業保護の主たる対象となったものは何か
毛織物
11
キリスト教(『聖書』)は利子を禁じていた。
○
12
トマス・アケィナスはイエズス会士であった。
×
13
ロックは自己労働を所有権の基礎とし、労働価値論の形成に大きく寄与した。
○
14
アリストテレスは独占価格を不正義として批判した。
○
15
近代自然法の父と呼ばれるオランダの法学者は誰か。
グロティウス
16
重商主義は自由貿易によって外国貿易を拡大することを目指した。
×
17
"重商主義"という呼称はドイツのロッシャーによって造語された。
○
18
航海法はオランダの国力を削ぐことを主眼としていた。
○
19
イギリスがインド産綿布の輸入を制限したのは、自国の綿業を保護するためであった。
×
20
第二次回い込みが最も盛んに行われたのは19世紀前半である。
○
21
アダム・スミスは資本主義成立の準備段階での資本蕃積のことを"先行的蓄積"と呼んだ。
○
22
重商主義時代の穀物法は輸出奨励制度と輸入制限制度の2種類が併存していた。
×
23
18世紀イギリスの人口動態についての説明として正しい文を次の1〜5の中から3つ選びなさい。
全人口に占める比率が最も増えたのは人口2万人〜5万人の都市である。, 人口が10万人を超えていた都市はロンドンだけである。, 人口2千5百人以上の都市の人口は18世紀の1世紀間に3倍近く増加した。
24
マンは取引差額説に基づいて東インド会社の貿易を擁護した。
×
25
ヒュームはブリオニズムを肯定した。
×
26
ステュアートは、価格は需給の関係で決まると主張した点で、ミクロ理論の先駆と言うことができる。
○
27
ペティの主張は労働価値説の源泉の一つである。
○
28
重商主義の時代に自由貿易を主張した経済理論家はいなかった。
×
29
マンデヴィルは、個人の利己心に発する奢侈(贅沢)は、結果的に需要増につながり、社会のためになると主張した。
○
30
ドイツ歴史学派の先駆者、リストはすべての国が保護主義を採用すべきと主張した。
×
31
重農主義は、コルベルティスムによって農業が衰退したことに対する反発としてフランスで発生した、フランス発祥の経済学派である。
○
32
ケネーは経済循環という概念を発見したことにより経済学の始祖の一人として評価されている。
○
33
重農主義は言語では「自然の統治」 という意味である。
○
34
ケネーは社会を3つの階級で構成されているものと解択した。そのうち、「生産階級」という言葉で表しているのは具体的にはどういう人々か。
農業
35
ケネーは租税は生産に用いられる資本を滅じてはいけないので、すべての産業の中で唯一新価値を生み出す農業に、すなわち土地(地主)の地代に対して課されるべきであると言った。
○
36
地代が発生するのは土地の私有の結果である。
○
37
スミスは、重商主義を批判し、外国貿易は価値を生まないと見なした。
×
38
機械化は分業の発達によって促進された。
○
39
経済発展とともに資本蓄積が進み、利潤は高くなる。
×
40
工場(作業場)内分業は歴史的に社会的分業よりも早く始まった。
×
41
交換価値と使用価値の大きさは比例する。
×
42
スミスは資本をできるだけ国内で使用するべきだと考えていた。
○
43
スミスの言う生産的労働とは商品生産に携わる労働を意味する。
○
44
次の中でスミスの考える産業別の投資効率の高低を表す式として正しくないものが1つ含まれている。それはどれか、答えなさい。
中継貿易>直接外国貿易
45
アダム・スミスの貨幣観に最も近い貨幣観を持っていたのは誰か。前回までの授業で言及した哲学者、経済学者の中から1人選び、空欄に記して答えなさい。なお、記入するのはフルネームではなく、姓だけで良い。
ヒューム
46
スミスは重商主義を批判したが、批判の主な対象はステュアートであった。
×
47
スミスが政府の役割として重視したのは軍事、司法、その他公共事業の3つである。
○
48
スミスが就業前の若者に教育を受けさせることを提言したのは、分業で仕事が単純化し、人間的成長の機会が失われていると考えたからである。
○