問題一覧
1
( )が交通の要所や寺社の門前に開かれる
定期市
2
月に3度開かれる定期市である( )も開かれる 例⋯( )(現在の岡山県) 地元の特産品や米などが売られる
三斎市, 福岡市
3
商品を常に置く棚がある常設の店が京都・奈良・鎌倉に置かれるようになる
見世棚
4
中央と地方間の物流を担う
行商人
5
港・河川の要所には、船による水上輸送業者 荘園から徴収した年貢の輸送や保管にもあたる
問(問丸)
6
( ):手工業者(商人)の同業組合、お互いの活動範囲を決めあった →神社・朝廷に奉仕することで特権を得た座も存在 神社と結んだ座を( )、朝廷と結んだ座を( )と呼んだ
座, 神人, 供御人
7
鉄製農具や耕作に牛馬を用いる( )の普及
牛馬耕
8
秋から春にかけて米を秋から春にかけて麦を育てる( )が畿内や西国で普及
二毛作
9
消耗した地方の回復のために肥料の普及 ⋯刈った草を田に敷く( )や草木を焼いて灰にした( )という肥料が用いられる
刈敷, 草木灰
10
多収穫米である( )が輸入される
大唐米
11
油(灯油)の原料になる( )などを栽培
荏胡麻
12
物の取引が盛んになると、地方にも( )が浸透 →貨幣を大量に必要とする経済
貨幣経済
13
( )の鋳造以来、日本で貨幣鋳造はなし
乾元大宝
14
日宋貿易で輸入した( )を日本の貨幣のように利用
宋銭
15
①( )という高利貸し業者が登場 ②現金を手形(割符)で代用する( )を利用
借上, 為替
16
( )による田地の細分化 →対策として( )⋯一台に限り所有を認め、死後は惣領に返す田地
分割相続, 一期分
17
借金までして奮闘した蒙古襲来での奉公に対する御恩がない 貨幣経済の発展 →荘園領主が年貢などの負担を銅銭で納める( )を要求するようになる しかし…御家人の収入は田地からの現物収入 →御家人貨幣調達のために、田地を売買、質入れ →少しずつ、御家人は自分の収入源である土地(田地)が消滅していき、窮乏になった
代銭納
18
1297年 ( )を発布 ⋯買い手は売却後20年未満の田地を御家人に返却 9代執権( )の時に出された法令
永仁の徳政令, 北条貞時
19
土地を失った武士や蒙古襲来で恩賞を得られなかった御家人の1部 →幕府や荘園領主の支配に武力で抵抗し、( )と呼ばれた
悪党
20
旧仏教の求める困難な修行を必要としない (おこないが簡単!庶民でも武士でも理解できる!)
易行
21
( ):ただ1つの救いの方法を選ぶ→( )( )( ) (あれこれ仏教について学ばない!ある一点に絞る!)
選択, 念仏, 題目, 座禅
22
選び取った方法にひたすら打ち込む (選んだことを徹底的にやる!)
専修
23
( ) ①開祖:( ) ②教義:( )⋯ひたすら「南無阿弥陀仏」と唱えなさい ③著作物:( )(九条兼実の求めに応じ著したもの) ④中心寺院:( )(京都)
浄土宗, 法然, 専修念仏, 選択本願念仏集, 知恩院
24
( )(一向宗) ①開祖:( )⋯法然の子 ②教義:( )⋯一念で良い ( )→悪人(煩悩の多い人)こそが阿弥陀仏が救おうとしている対象だ! ③著作物:教行信証 →弟子の唯円が教行信証を分かりやすくした歎異抄を著す ④中心寺院:( )(京都)
浄土真宗, 親鸞, 専修念仏, 悪人正機説, 本願寺
25
( ) ①開祖:( ) ②教義:遊行、( ) →信心・努力の有無に関わりなく、踊りながら念仏を唱えれば全ての人が救われると説く ③著作物:死ぬ間際に著書を全部焼却してしまった →門弟たちが( )を編集 ④中心寺院:清浄光寺(相模国) ⑤その他:一遍は全国を遊行したため( )と呼ばれ、一遍に従った人々は( )と呼ばれた
時宗, 一遍, 踊念仏, 一遍上人語録, 遊行上人, 時衆
26
( )(幕府に保護) ①開祖:( ) ②教義:( ) →座禅を組み、師から与えられるクイズ(公案)を弟子が解くことにより悟りに至る ③著作物:( )(喫茶養生記) ④中心寺院:建仁寺 ⑤臨済宗の渡来僧 ・( )⋯宋より来日後、5代執権( )が招き、鎌倉に( )を開山 ・( )⋯宋から8代執権( )が招き、鎌倉に( )を開山
臨済宗, 栄西, 公案問答, 興禅護国論, 蘭渓道隆, 北条時頼, 建長寺, 無学祖元, 北条時宗, 円覚寺
27
( ) ①開祖:( ) ②教義:( ) →ひたすら坐禅をすることで悟りに達する ③著作物:正法眼蔵 ④中心寺院:永平寺(越前国)
曹洞宗, 道元, 只管打坐
28
( )(法華宗) ①開祖:( ) ②教義:唱題( )を唱え続けること( )になることができる 法華経至上主義に基づく( )および( ) ④著作物:( )⋯国難が訪れる(外敵が攻めてくるぞ!) →北条時頼に提出、政治批判の罪で伊豆に配流 ⑤中心寺院:久遠寺(甲斐国)
日蓮宗, 日蓮, 南無妙法蓮華経, 仏, 他宗批判, 政治批判, 立正安国論
29
旧仏教の革新 ( )を批判、戒律の尊重を唱え、( )も実施
新仏教, 社会事業
30
法相宗 ( )=(解脱) 山城国笠置寺を中興、興福寺奏状を著し( )を否定
貞慶, 法然の専修念仏
31
華厳宗 ( )=(高弁) 京都に高山寺を開山、催邪輪を著し、( )を否定
明恵, 法然の専修念仏
32
( ) ①叡尊(思円〕 奈良の西大寺(再興し、蒙古襲来に際し異国調状の祈禱を行った ②( )(良観) 奈良に( )を立て、らい病患者を救済
律宗, 忍性, 北山十八間戸
33
原始的山岳信仰と仏教の密教的信仰が融合、天台宗・真言宗の下に組織され発展
修験道
34
( ):①伊勢神宮外宮の神官( )が( )を唱える ②( )を著す
伊勢神道, 度会家行, 反本地垂迹説, 類聚神祇本源
35
( ):日本的な柔らかさ美しさ、平安時代以来の伝統的儀式 ・蓮華王院本堂( ) ・石山寺多宝塔
和様, 三十三間堂
36
( ):大陸的な雄大さ・力強さ、( )の様式を改良 ・( ) 3度に渡り入宋した東大寺再建の勧進上人( )が宋人( )の協力を得て再建
大仏様, 南宋, 東大寺南大門, 重源, 陳和卿
37
( ):細やかな部材の組み合わせによる整然とした美、そうから伝来 ・( )
禅宗様, 円覚寺舎利殿
38
( ):和様に大仏様・禅宗様を取り入れる ・観心寺金堂
折衷様
39
仏像彫刻 ・( ):運慶・快慶ら ・東大寺僧形八幡神像( ) ・興福寺天灯鬼・竜灯鬼像( )ら ・高徳院阿弥陀如来像(鎌倉大仏)
東大寺南大門金剛力士像, 快慶, 康弁
40
肖像彫刻 ・興福寺無著・世親像:( )ら ・六波羅蜜寺空也上人像:( ) ・東大寺重源上人像 ・明月院上杉重房像
運慶, 康勝
41
法性寺流 藤原忠通を祖とする書流 青蓮院流:( )が創始 藤原行成の世尊時流に宋・元の書風を加味、江戸時代に御家流に発展 ・鷹巣帖 (尊円入道親王)
尊円入道親王
42
武器・武具 ・( )・( )(京都)、岡崎正宗(鎌倉)、長船長光(装前国)など ・•甲冑⋯明珍(京都)
刀剣, 藤四郎吉光
43
陶器 道元に従い入宋した( )が( )を創始 →その他に常滑焼(尾張国)、備前焼(備前国)などが隆盛
加藤景正, 瀬戸焼
44
合戦物 ・( ):肥後国の御家人( )が描かせる ・( ):東国の地方武士の生活を描く ・その他、後三年合戦絵巻、平治物語絵巻など
蒙古襲来絵巻, 竹崎李長, 男衾三郎絵巻
45
縁起物 ・( ):菅原道真の伝記 ・春日観現験記:高階降兼が描く ・石山寺縁起絵巻
北野天神縁起絵巻
46
伝記物 ・( ):円伊が描く ・その他、法然上人絵伝、西行物語絵巻、鑑真和上東征絵伝、紫式部日記絵巻など
一遍上人絵伝
47
( )(個人の記録的肖像画) ・後鳥羽上皇像 (藤原信実):水無瀬神宮が所蔵 ・( )、伝平重盛像 (藤原降信):ともに神護寺が所蔵
似絵, 伝源頼朝像
48
肖像画 ・親鸞上人像(鏡御影) (専阿弥):西本願寺が所蔵 ・明恵上人樹上坐禅図(成忍):高山寺ガ所蔵 ( ):禅宗の肖像画
頂相
49
( )が没すると、( )(長男)と( )(次男)のどちらが皇位を継承するか争いが発生
後嵯峨上皇, 後深草上皇, 亀山天皇
50
鎌倉幕府に判断を依頼し、幕府は後嵯峨上皇の意志を組んで( )を支持 →その後、子に譲位 一方願いが叶わなかった( )は( )を宣言
亀山天皇, 後深草上皇, 出家
51
遂に幕府は朝廷を決意し、それぞれの子孫が交互に即位する( )を採用 ・( ):後深草上皇の皇統 基盤:長講堂領 ・( ):亀山天皇の皇統 基盤:八条院領
両統迭立, 持明院統, 大覚寺統
52
1318年 大覚寺統から( )が即位 →朱子学の大義名分論に影響を受け、幕府の存在自体に批判的 朝廷の権限回復のため、意欲的に諸改革に取り組む 天皇が親政をおこなった( )を理想とする
後醍醐天皇, 延喜・天暦の治
53
得宗( )、内管領( )が権勢を握っていた →この状況に加え、窮乏などで御家人の不満は高まっていた
北条高時, 長崎高資
54
1324年 ( ) ⋯討幕計画が事前に漏れ、後醍醐の近臣の( )らが配流される
正中の変, 日野資朝
55
1331年 ( ) ⋯再度討幕計画が漏れる 近臣の日野資朝らは殺害される 後醍醐は挙兵→失敗し( )に配流されるその後( )から( )が即位
元弘の変, 隠岐, 持明院統, 光厳天皇
56
元弘の変以降、後醍醐側・天皇側の戦いが続く ・後醍醐の息子( )、河内の悪党( )らが奮闘 ・後醍醐も( )を脱出し、挙兵に加わる
護良親王, 楠木正成, 隠岐
57
幕府側では、軍の指揮官であった( )や( )が奮闘 しかし、得宗専制への不満などもあり幕府に離反
足利高氏, 新田義貞
58
足利高氏は京都の( )を攻め落とし、新田義貞は( )を攻めて得宗北条高時ら北条氏と内管領の( )を滅ぼす
六波羅探題, 鎌倉, 長崎高資
59
1333年 ( )は滅亡
鎌倉幕府
60
鎌倉幕府討幕にかかわった人物
後醍醐天皇, 足利尊氏, 新田義貞, 楠木正成, 護良親王
61
1334年 後醍醐天皇は元号を( )と改元
建武
62
後醍醐天皇の行った政治を( )という
建武の新政
63
建武の新政の機構 ○中央 ・重要政務:( ) ・所領関係の裁判:( ) ・恩賞事務:( ) ・京都の警備:( ) ○地方 ・関東の統治機関:( )(成良親王・足利直義) ・奥州の統治機関:( )(義良親王・北畠顕家) ・諸国には( )と( )を設置
記録所, 雑訴決断所, 恩賞方, 武者所, 鎌倉将軍府, 陸奥将軍府, 国司, 守護
64
後醍醐天皇が理想とした政治
天皇親政が行われた延喜・天暦の治を理想とし、天皇が主導する政治
65
当時の人々は建武の新政をどのように思っていたか
これまで武家社会にあった慣習を全く無視し、全ての土地所有は天皇の綸旨によるという法令を出したため、多くの武士は不満を感じた
66
1335年 ( )の発生 ⋯北条高時(最後の執権)の子( )が鎌倉を占領した事件 →この乱の鎮圧を( )が任され、鎌倉へ出陣
中先代の乱, 北条時行, 足利尊氏
67
尊氏は鎌倉にとどまり、武家政権の組織化を進め、( )(建武政権)に反旗を翻す ( )らを破る(伊豆・駿河)
後醍醐天皇, 新田義貞
68
1336年 京都へ入るも、北畠顕家らに敗れ( )へ逃れる
九州
69
1336年 軍勢を整え、再度、九州より東上し、摂津湊川で( )らを破る 足利尊氏は( )を制圧し、持明院統から( )を即位させる →他方、後醍醐天皇は奈良の( )へ逃れる
楠木正成, 京都, 光明天皇, 吉野
70
持明院統による京都の朝廷( )と大覚寺統による吉野の朝廷( )が並び立つ 以後、2つの朝廷が対立する南北朝の動乱が約( )年続く( )となる
北朝, 南朝, 60, 南北朝時代
71
1336年 足利尊氏は持明院統の( )を立てた 幕府の政治方針を明らかにする( )を発表 →室町幕府の基本法典は( )で、新たに追加した条文を( )と呼称
光明天皇, 建武式目, 御成敗式目, 建武以来追加
72
( )の制定により室町幕府が事実上成立
建武式目
73
幕府・北朝側(持明院統・足利) ・1338年 足利尊氏が( )に就任 ・尊氏は弟の( )と幕府の政務を分担 →尊氏は( )を担当、直義は( )を担当 やがて尊氏の執事の( )と直義が対立 ・1350~52年 ( )が発生 高師直と直義との対立が幕府内部に留まらず南朝・北朝の対立も巻き込んだ大きな争乱となる
征夷大将軍, 足利直義, 軍事, 裁判, 高師直, 観応の擾乱
74
尊氏の補佐、足利氏の家政を担当する役所
執事
75
南朝側(大覚寺統・後醍醐) ・楠木正成・新田義貞の戦死後、( )を中心に抗戦 →( )で南北の正統性を主張 →しかし、常に劣勢で壊滅寸前まで追い込まれる 南朝は( )で当初( )に協力することで息を吹き返す
北畠親房, 神皇正統記, 観応の擾乱, 足利直義
76
擾乱後も、( )・( )・( )が離合衆参を繰り返し、抗争は( )年余り継続
尊氏派(幕府), 南朝の者, 直義派
77
動乱が長引いた背景2つ
全国的に対立が増加, 相続のあり方が変化
78
分割相続による( )的結合
血縁
79
単独相続により、( )的結合
地縁
80
南北朝の動乱は足利尊氏の孫で3代将軍の( )の頃に収束に向かう
足利義満
81
1392年 南朝の( )が皇位を放棄し、天皇が北朝の( )1人となったことで、南北朝の合体が実現した
後亀山天皇, 後小松天皇
82
( )は、鎌倉幕府が各地におき、治安維持などを担当
守護
83
南北朝の動乱で各地の武士が力を伸ばすの、武士を統括、動員するために新たに権限を獲得 ・( )(京都大番役の催促・謀反人の逮捕・殺害人の逮捕をする権限) ・( )を取り締まる権限 →田地をめぐる紛争時、所有権を主張して稲を一方的に刈り取る行為を取り締まる ・( )の顕現 →幕府の裁判の判決を強制施行 ・( )1352年で認められた国内の荘園・公領の年貢を半分徴発する権限 →発布当時( )・( )・( )の3カ国のみ有効、期限は( )年限り →後に全国に広がり、期限もなくなり永久に認められる権限となった
大犯3カ条, 刈田狼藉, 使節遵行, 半済令, 近江国, 美濃国, 尾張国, 1
84
鎌倉時代以降、地頭が荘園・公領の年貢の納収を怠り始めていた →守護後力増大に合わせ、年貢徴収を守護に請け負わせる( )が始まる
守護請
85
室町時代の守護は受領の権限を奪って国全体の支配権を握るなど、鎌倉時代と異なる →次第に力をつけていった守護は( )と呼ばれるようになる
守護大名
86
地頭だった武士は守護に役割を奪われ( )と呼ばれる存在に変化 →国人は守護の家臣になるか、国人同士で( )を結んで守護に抵抗した
国人, 一揆
87
一味同心(神仏に契約して一致団結した状態)となり強い結合を持つ
一揆
88
( ):1980首を20巻に収める勅撰和歌集で八代集の最後→( ) ・藤原定家、藤原家隆らが編纂
新古今和歌集, 後鳥羽上皇
89
新古今和歌集 ( )(西行) ( )(源実朝) ( )(藤原定家)
山家集, 金槐和歌集, 拾遺愚草
90
説話集 ( )→今昔物語集の補完 十訓抄 古今著聞集(橘成李) 抄石集
宇治拾遺物語
91
随筆 ( ):鎌倉初期の作、鴨長明は無名抄も著す→( ) ( ):鎌倉末期〜南北朝期の作→( )
方丈記, 鴨長明, 徒然草, 兼好法師
92
( ):幕府開設に伴う京・鎌倉間の往来 海道記 東関紀行(源親行)
紀行文
93
日記 ( ):実子と継子の所領裁判のため、京から鎌倉へ赴く旅日記→( ) 玉葉(九条兼実)
十六夜日記, 阿仏尼
94
軍記物語→和漢混淆文の隆盛 保元物語 平治物語 ( )(信濃前司行長):( )たちにより平曲として語られる 源平盛衰記:平家物語の異本
平家物語, 琵琶法師