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後期中間日本史
  • たく

  • 問題数 20 • 11/1/2024

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  • 1

    ・ペリー来航と対外方針の模索 [ 1]で勝利したイギリスは[ 2]で香港を奪う→幕府は異国船打払令を緩和し、[ 3]を出す(1842) アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが[ 4]に再来航 →[ 5]を締結(1854)=鎖国体制崩壊⇒開国 →老中首座阿部正弘による[ 6](開明的大名の協力を得る)

    アヘン戦争, 南京条約, 天保の薪水給与令, 浦賀, 日米和親条約, 安政の改革

  • 2

    ・開港とその影響 初代アメリカ総領事ハリスは大老[ 1]に通商条約の調印をせまる→勅許を得ずに[ 2]に調印(1858)⇒開港 内容:アメリカ側に[ 3]を認め、日本側の[ 4]が欠如している、不平等なもの 幕府はついで、類似の条約を蘭、露、英、仏とも結んだ([ 5])

    井伊直弼, 日米修好通商条約, 領事裁判権, 関税自主権, 安政の五カ国条約

  • 3

    ・経済の混乱と幕府の対応 ①[ 1]の発令※五品の中心は[ 2] 背景:輸出商品を取り扱う[ 3]が江戸を通さず開港場に運び、貿易商人と直接取引→江戸で生活物資が不足し、物価が高騰する ②金貨の海外流出 金銀比価の相違…日本は金:銀=1:5、外国は金:銀=1:15 →外国銀貨を持ち込み、日本の金貨と交換、10万石以上が海外に流出 幕府は金貨の質を大幅に下げた[ 4]を改鋳して対応(万延貨幣改鋳)→貨幣価値の下落は物価上昇に拍車をかける

    五品江戸廻送令, 生糸, 在郷商人, 万延小判

  • 4

    ・攘夷運動の発生 [ 1](1862) 内容:島津久光一行の行列を横切ったイギリス人を薩摩藩士が殺傷 →[ 2](1863)の原因となる

    生麦事件, 薩英戦争

  • 5

    ・村と百姓 [ 1]:検地帳に登録、年貢・諸役を負担、村政に参加 [ 2]:(名主・組頭・百姓代):村政の指導者

    本百姓, 村方三役

  • 6

    ・百姓の負担 [ 1](本年貢):田畑・屋敷地に課税、米納が原則 [ 2]:山野河海の利用、農業以外の副業に課税

    本途物成, 小物成

  • 7

    ・百姓の統制 [ 1]:年貢・諸役の負担を村全体に割り当てる制度 [ 2]:年貢納入、犯罪防止に対する連帯責任制度

    村請制, 五人組

  • 8

    4代将軍[ 1](1651〜1680) 武断政治から[ 2]への転換 ①[ 3]の緩和:50歳未満の大名がその間際にとる養子を容認 ②[ 4]の禁止:主人の死に殉じる戦国の遺風を廃止

    徳川家綱, 文治政治, 末期養子の禁, 殉死

  • 9

    5代将軍[ 1](1680〜1709) その治世を[ 2]時代という [ 3]の徹底 ①[ 4](天和令)を発布(1683) 「文武[ 5]を励まし、[ 6]を正すべき事」→以前は「文武[ 7]」 ②儒学の奨励 朱子学・木下順庵に学び、[ 8]を建立

    徳川綱吉, 元禄, 文治主義, 武家諸法度, 忠孝, 礼儀, 弓馬, 湯島聖堂

  • 10

    6代将軍[ 1](1709〜1712) 朱子学者・新井白石を登用し、政治を刷新

    徳川家宣

  • 11

    7代将軍[ 1](1713〜1716)の治世を含めて、[ 2]という ①[ 3]の改善:閑院宮家の創設 ②[ 4]:貨幣価値を上げ、物価の抑制を狙う

    徳川家継, 正徳の治, 朝幕関係, 正徳小判鋳造

  • 12

    ・経済の発展 (農具)[ 1]、千歯扱、唐箕 (肥料)[ 2]、油粕などの金肥 (産業)[ 3]、西陣織 (交通)五街道(①[ 4]、②中山道、③甲州道中、④[ 5]、⑤奥州道中)、菱垣廻船と[ 6]、東廻り海運(東北日本海側〜〜〜江戸)と西廻り海運(東北日本海側〜〜〜大坂) (貨幣)[ 7](金・銀・銭)を幕府が鋳造 「江戸の金遣い、大坂の銀遣い」 (天下の台所)[ 8]には諸藩の蔵屋敷が密集、蔵元、掛屋が活躍 ⬇ 三都(江戸・大坂・[ 9])のうちの一つ

    備中鍬, 干鰯, 入浜塩田, 東海道, 日光道中, 樽廻船, 三貨, 大坂, 京都

  • 13

    8代将軍[ 1](1716〜1745 もと紀伊藩主) ・・・御用取次を通じて将軍の意志を幕政に反映させる

    徳川吉宗

  • 14

    ・享保の改革 ①[ 1]:金公事の訴えを幕府は受理しない→当事者間で解決させる ②[ 2]:大名が1万石につき[ 3]石の米を上納→参勤交代の在府期間を半年に ③評定所に[ 4]を設置:庶民の投書により小石川養生所を設立 ④[ 5]を制定:司法の基準

    相対済し令, 上げ米, 100, 目安箱, 公事方御定書

  • 15

    ・一揆と打ちこわし ※大規模なものは[ 1](1731〜1740)、[ 2](1771〜1780)の時に発生 百姓一揆: [ 3](17世紀後半):代表者が領主に直訴する形態 [ 4](17世紀末):村全体の百姓がおこす大規模な一揆 ・打ちこわし: 町人・農民が富商・[ 5]などを襲撃

    享保の飢饉, 天明の飢饉, 代表越訴型一揆, 惣百姓一揆, 米問屋

  • 16

    ・田沼時代 10代将軍[ 1](1760〜1786)、老中[ 2]の時代 ※意次は9代将軍[ 3](1745〜1760)のとき御用取次をつとめた ①[ 4]の(積極的)公認:営業税の運上・冥加の増収をねらう ②南鐐朱銀などの[ 5]を鋳造:金を中心とする貨幣制度に一本化を目指す ③蝦夷地の開発・ロシアとの交易の調査:最上徳内らを蝦夷地に派遣

    徳川家治, 田沼意次, 徳川家重, 株仲間, 計数銀貨

  • 17

    ・寛政の改革 11代将軍[ 1](1787〜1837)のとき、老中[ 2]による改革 ①[ 3]:飢饉に備えて社倉、義倉に蓄えさせる ②[ 4]:町費の節約分の7割を町会所で運用、積立→飢饉、災害に備える ③[ 5]:朱子学を正学とし朱子学以外の講義、研究を禁止 @聖堂学問所

    徳川家斉, 松平定信, 囲米, 七分積金, 寛政異学の禁

  • 18

    ・鎖国の動揺と大塩の乱 1792年:ロシアの[ 1]が根室に来航→日本人漂流民を届け、通称を要求 1808年:[ 2]=イギリス軍艦が長崎に乱入 1825年:[ 3]を発令→従来の薪水・食糧の給与を撤回 1832〜33年:[ 4]→百姓一揆→打ちこわしの続発 1837年:大阪町奉行所の元与力・[ 5]が蜂起

    ラクスマン, フェートン号事件, 異国船打払令, 天保の飢饉, 大塩平八郎

  • 19

    天保の飢饉 12代将軍[ 1](1837〜1853)のとき、老中[ 2]による改革 ①[ 3]:江戸に乱入した貧民の帰郷を強制 ②[ 4]の解散:物価の引き下げがねらい ③[ 5]:江戸、大阪周辺を直轄化⇒ことごとく失敗に終わる

    徳川家慶, 水野忠邦, 人返しの法, 株仲間, 上知令

  • 20

    ・経済の変化と雄藩の浮上 [ 1](マニュファクチュア) …商人が奉公人を工場に集め、分業と協業で手工業製品を生産 大阪周辺、尾張→綿織物 桐生、足利→絹織物 [ 2]…薩摩、長州、土佐、肥前などの大藩が改革に成功、水戸は失敗

    工場制手工業, 薩長土肥