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  • 問題数 177 • 9/26/2023

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    問題一覧

  • 1

    大正7年(1918年)、6月。賢治22歳。肋膜の診断により結核が始まった賢治。この夏に家族へ聞かせた童話は「蜘蛛となめくぢと狸」、あともうひとつは?

    双子の星

  • 2

    冨手一に与えた設計図。昭和2年(1927年)4月ころ、身をつけた蔓草のこのデザインを更に展開し、花巻温泉の小スキー場に◯◯◯◯を作りました。

    南斜花壇

  • 3

    チュンセとポウセ、ふたりの童子として描かれている星のモデルは、ふたご座ではありません。当時、二重星が双子星と呼ばれていることもあり、◯◯◯◯の尾の部分にある二重星(ラムダ星とウプシロン星)とする説があります。

    さそり座

  • 4

    植物と土壌・地層と雨水・地下水の互いの関係を表現。植物を自然と大地との関わりで見る地表近くの生態系水循環を示しています。この自筆教材絵図の名前は?

    降水蒸散

  • 5

    鉄道本線のシグナルは、軽便鉄道のシグナレスに「約婚指環(エンゲーヂリング)」として「◯◯◯◯(フィッシュウマウスネピュラ)」の「光の環」を受け取ってくださいと言います。

    環状星雲

  • 6

    改宗前の宮沢家の宗派は?

    浄土真宗

  • 7

    「◯◯◯◯◯◯」と題された「歌稿」〔A〕の歌の連作。どことも知れぬ青白い川を生者と死者が食い食われながら流れてゆく幻想的情景がうたわれています。

    青びとのながれ

  • 8

    【賢治の文学創造の特質】宮沢賢治の創作態度の大きな特色は、「◯◯◯◯◯」とか「永久の未完成これ完成である」といった、彼自身の言葉によく示されています。作品は、一度は完成されても、また全面的に手直しされ、新しい完成へと動き始めます。草稿は何度も手入れされては、改稿され、発表後も、手入れが加えられています。賢治の作品は、繰り返し変化し、転生していくのです。

    第四次芸術

  • 9

    羅須地人協会時代、賢治は◯◯として花や野菜の栽培も試みました。その想いは◯◯として兎を飼う若者への共感としても記されています。この詩の名前は?

    副業

  • 10

    写真は誰が書いた「ヴィオロン・セロ科」を抜粋筆者したもの?

    平井保三

  • 11

    羅須地人協会を始めた大正15年(1926年)暮れ近く、上京直前に配布されたこれは「羅須地人協会の◯◯◯◯」。

    集会案内

  • 12

    「土壌要務一覧」。土壌管理の要点を何項あげた?

    18

  • 13

    良い種籾を選んで一斉に発芽させる作業「◯◯◯・◯◯」を表題に用いた、花巻農学校教諭時代の詩作品の下書き稿。

    塩水撰・浸種

  • 14

    詩集「春と修羅」の中で最も最大な800行をこえる詩。農場を歩いていく詩人に感受される自然から触発される思念や感情を心象のスケッチとして◯パートに構成しています。

    6

  • 15

    大正6年稗貫郡長の地質調査の委託を受けた関教授は、農學得業士の宮沢賢治他1名を調査員に嘱託した。その調査過程で当時、石鳥谷町好地の村長と賢治との間で交換された名刺と推察されるが、村長の名前は?

    高橋久治

  • 16

    童話「風の又三郎」は、はじめ《風の神の子》のはなしとして3種の草稿が書かれ、創作メモの「◯◯◯◯◯◯◯」や、2種の手帳に筋書きメモなどもあります。また別に「さいかち淵」や「種山ヶ原」の物語が書かれています。やがてこれらが、書き直しや組み合わせにより《風の神の子》から「風の又三郎」の転校生高田三郎へ転生します。このように、作品はすべて、時間とともに生成するのです。

    風野又三郎梗概

  • 17

    花巻の新聞書籍店主。宮沢家と親交があり、賢治とは互いの人格と信仰を尊重しつつレコードを楽しみ合うなど親しく交流したこの人物は?

    斎藤宗次郎

  • 18

    大正10年(1921年)、賢治25歳。前年に入会し、この年の1月に上京、本郷で下宿しアルバイトしながら鶯谷で奉仕活動をしていた信仰団体の名前は?

    国柱会

  • 19

    野口聡一宇宙飛行士と共にスペースシャトル「◯◯◯◯◯◯◯」に搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)にも滞在した原稿。この原稿は、約13日にわたり、より銀河に近く、そして地球をのぞむ場所を旅してきました。

    ディスカバリー

  • 20

    大正11年(1922年)、11月27日。トシが永眠した日付で作られた詩は「永訣の朝」「無声慟哭」あとひとつは?

    松の針

  • 21

    どこからどこまでの帰途の線路周辺でのスケッチ?

    栄浜から豊原

  • 22

    「雨ニモマケズ手帳」のメモ。法華経が普通の人には信じ難く理解し難いほどに深遠なものであるという言葉は何?

    難信難解

  • 23

    大正11年(1922年)、賢治26歳。「四次元時空世界」をすべての現象の舞台として考えた賢治の世界観に深く関わった、アインシュタインの発表した理論は?

    相対性理論

  • 24

    植物細胞の断面図。「膜」とあるのは細胞壁のことです。図中の「◯◯◯」が重要な光合成に関わっています。

    葉緑粒

  • 25

    「雨ニモマケズ手帳」に記入されています。西洋風の小さな家と中国風の家。「◯◯棲」「◯◯之伝」とありますが「◯◯」については未詳。

    玄氐

  • 26

    宮沢賢治の学習について。「改造」「中央公論」から同時代の思潮、岩手県農会では全国の「◯◯◯」から最新の農業に関する知見を学んでいます。

    農会報

  • 27

    「北斗七星はいま山の下の方に落ちてゐますが」とあります。この作品の日付、本文に記載の時刻である大正11年(1922年)9月18日午前3時40分では、北側から昇り始めたところであり、岩手山の◯◯にあったと思われます。

    背後

  • 28

    「広告ちらし」に賢治は、童話「鹿踊りのはじまり」について「まだ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯です。」「ひとは自分と鹿との区別を忘れ、いつしよに踊らうとさへします」と記しています。

    剖れない巨きな愛の感情

  • 29

    植物体内の水分の通路。3本が導管、左の2本は導管の補助的な役割をする仮導管です。この自筆教材絵図の名前は?

    導管並ニ仮導管

  • 30

    童話「めくらぶだうと虹」。はかなく消える命でも、◯◯◯◯◯をゆくものは永遠である、と天の虹は地上のめくらぶだうに語るのです。後に「マリヴロンと少女」に改作されます。

    まことの道

  • 31

    国柱会の理事・講師で、賢治が国柱会で最初にたずねた人です。名前は?

    高知尾智耀

  • 32

    大正9年(1920年)初夏ころに妹トシ、シゲそして賢治が筆写してできあがった「歌稿」〔A〕に付けた表紙。裏表紙には「◯◯◯◯◯宮沢賢治 二十五才」と記されています。

    岩手県平民

  • 33

    大正15年・昭和元年(1926年)、賢治30歳。羅須地人協会の活動のひとつとして集会で講義をした人工言語は?

    エスペラント語

  • 34

    大正10年(1921年)に家出上京した際にたずね、後に奉仕活動をした国柱会館は東京上野のどこにある?

    鶯谷

  • 35

    法華経ともに賢治座右の書。片山正夫・著。初版は大正4年(1915年)。 当時最先端の電子説も視野に入れた、熱力学の立場に拠る化学の専門的概論書です。名前は?

    化学本論

  • 36

    「イギリス海岸」と名づけられた北上川小舟渡付近の河岸に分布する◯◯◯◯◯(Tertiary mudstone)。現在はダムによる流量調節のため泥岩層の露出はほとんどありません。

    第三紀泥岩

  • 37

    愛聴のベートーヴェンの第6交響曲「◯◯」など12枚のレコードと、レコード・アルバムです。戦災による焼失をまぬがれました。

    田園

  • 38

    「岩石の風化」。上段は肉眼、中段はルーペ、下段は何で観察したスケッチ?

    偏光顕微鏡

  • 39

    大正13年(1924年)4月に自費で出版。1,000部を関根書店より発 行。外箱の装幀は花巻の画家◯◯◯◯◯、表紙絵は広川松五郎。背文字は尾山篤二郎の筆になります。出版直後には、辻潤、尾山篤二郎、佐藤惣之助らにより高く評価されました。

    阿部芳太郎

  • 40

    「巌手県稗貫郡地質及士性調査報告書」付図(1/75,000)。 報告書は大正11年(1922年)、稗貫郡役所から関豊太郎名で発行されましたが、◯◯◯は賢治が執筆しました。

    第一章

  • 41

    大正14(1925)年、花巻農学校教諭の退職にあたり撮影した記念写真。黒板に記されたのは◯◯◯◯一帯の地質断面図。地質学の観点から郷土花巻の姿を解説するものです。

    北上平野

  • 42

    この手帳には「風野又三郎」関連のメモが多数書かれています。手帳の名前は?

    兄妹像手帳

  • 43

    大正15年(1926年)12月の上京の際、誰からセロのレッスンを受けた?

    大津三郎

  • 44

    【賢治の文学創造の特質】宮沢賢治の創作態度の大きな特色は、「第四次芸術」とか「◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯」といった、彼自身の言葉によく示されています。作品は、一度は完成されても、また全面的に手直しされ、新しい完成へと動き始めます。草稿は何度も手入れされては、改稿され、発表後も、手入れが加えられています。賢治の作品は、繰り返し変化し、転生していくのです。

    永久の未完成これ完成である

  • 45

    「星めぐりの歌」。「アンドロメダのくも」とは◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯と思われますが、実際は「さかなのくちのかたち」ではありません。

    アンドロメダ座大銀河

  • 46

    「広告ちらし」に賢治は、童話「蔦の平星」については「◯◯◯◯◯◯◯◯◯です」と記しています。

    戦ふものゝ内的感情

  • 47

    現存する限りで、宮沢賢治の最後の手紙。教え子である誰に宛てたもの?

    柳原昌悦

  • 48

    「インドラの網」のヒントになったと思われる、南チベットにある塩水湖の名前は?

    テリナム・ツォ湖

  • 49

    大正11年(1922年)、賢治26歳。音楽熱の高まった賢治と親交が始まった、花巻女学校音楽教諭は誰?

    藤原嘉藤治

  • 50

    大正15年(1926年)、賢治30歳。自ら農民の中に入っていく道を選び、3月末に教職を辞したあと開設したのは?

    羅須地人協会

  • 51

    「◯◯◯さんの像」。宮沢賢治の自筆ペン画。未妹クニの長女◯◯◯の肖像。昭和8年(1933年)8月30日に、文語詩「巨豚」下書き稿の裏面に描かれています。

    フジ子

  • 52

    童話「おきなぐさ」。つつましくやさしいおきなぐさ。岩手では《◯◯◯◯◯◯》と呼びます。銀毛の房は風に散り、小さな変光星になりました。

    うずのしゅげ

  • 53

    肥料設計をした田の稲が、激しく降り続く雨の中で倒れようとしている時、その責任まで引き受けようとする詩人の姿が描かれているこの詩の名前は?

    降る雨は降るし

  • 54

    浮世絵版画に対する関心の深さを示す一篇。詩「浮世絵展覧会印象」の一部を文語詩に改作しようとしたもので、「春章作中判」のタイトルどおり、◯◯◯◯の浮世絵に修羅の相を見ている時です。

    勝川春章

  • 55

    又三郎が超自然的な《◯◯◯◯◯◯◯》として書かれた「風野又三郎」九月五日の章。

    風の神の子っ子

  • 56

    この本の名前は?

    国訳妙法蓮華経

  • 57

    八月十三日、大人たちの発破の余波で思いもかけず魚を得るところから始まる《◯◯◯◯◯◯》。さいかち淵での子供たちの遊びや不思議な体験をスケッチしています。後に手入れされて、「風の又三郎」に組み込まれました。

    村童スケッチ

  • 58

    大正末、花巻温泉の貸し別荘のあいだに作られました。冨手一に与えられたこれは何?

    日時計花壇設計図

  • 59

    父・政次郎は若くから有志と花巻仏教会を作ったほど進行深い人物。 賢治が10歳の頃、大沢温泉で参加したのは「夏期◯◯◯◯◯」?

    仏教講習会

  • 60

    自分の考えを世界の人々にも解ってほしいと願い、◯◯◯◯◯◯を学び、自作詩の◯◯◯◯◯◯訳を試みました。

    エスペラント

  • 61

    大正6年(1917年)、賢治21歳。宮沢賢治、小菅健吉、保阪嘉内、河本義行を中心とする12名で創った学内同人誌の名前は?

    アザリア

  • 62

    大きさの比較を分かりやすく表現しているこの自筆教材絵図は「岩手県と◯◯・◯◯・◯◯」。

    分子・原子・電子

  • 63

    「赤く濁った◯◯がのぼり」とあります。この作品の書かれた大正13年(1924年)7月5日では、◯◯が昇る時刻は午後10時近くです。翌8月の下旬には◯◯大接近があり、日々明るく輝いていたことでしょう。

    火星

  • 64

    詩稿の裏や、ほご紙を使って、自作・他作の短歌や俳句の筆写がなされました。賢治の俳号は「◯◯」。

    風耿

  • 65

    賢治が購読、抜粋筆写した音楽書の一冊。読後友人に贈ったので消失せずに残りました。演奏に、作曲に向けた熱情を伝えます。

    音楽の原理

  • 66

    賢治は、日本のように雨の多い地域に見られる酸性土壌の改良の為には◯◯◯の◯◯が効果的であることを学び、農民に説きました。

    石灰岩の粉末

  • 67

    昭和3年(1928年)6月、賢治は伊藤七緒・チエ兄妹の大島農芸学校開設の助言・調査のために伊豆大島へ向かいました。その旅行の往路復路と現地での調査を題材にして、連作詩「◯◯◯◯」を作成しようとしました。

    三原三部

  • 68

    大正11年(1922年)秋ころに清書された「歌稿〔B〕の大正七年五月より」の章中の短歌連作「◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯」。ドイツの「絵のない絵本」に触発されて作られた連作。

    アンデルセン白鳥の歌

  • 69

    酸性土壌改良を願った新しい道を熱心に活動し実績を上げるも、疲労感は高まっていったことが分かる「東北砕石工場時代の悩み」。何に記録されていた?

    王冠印手帳

  • 70

    「土食図」。土壌の成分と色との関係を示す三角座標図。黒の頂点が◯◯◯、赤が鉄分、白が鉱物。三成分それぞれの100%を示している。

    腐植質

  • 71

    大正15年(1926年)、羅須地人協会で講義の教材として使用された教材絵図。現存するものでいくつある?

    49

  • 72

    協同して様々な事業を起こしたり、共同で購買・生産・販売などを行う組合に、賢治は農村改良への期待を寄せていました。この詩の名前は?

    産業組合青年会

  • 73

    チュンセとポウセふたりの童子がたずねた「空の泉」は、「天の川の西の岸から、よほど離れた処に、青い小さな星で円くかこまれてあります」とあります。天の川との位置関係や星の配列から、◯◯◯◯◯をモデルにしたと思われます。

    かんむり座

  • 74

    保阪嘉内に宛てた手紙にて、賢治は花巻農学校教諭の恵まれた生活に物足りなさを感じ、「◯◯◯◯◯」になろうとする期待と不安を語った。

    本統の百姓

  • 75

    アザリアの意味は?

    西洋ツツジ

  • 76

    羅須地人協会時代に賢治は農民劇団の結成を夢見ており、高農後輩の◯◯◯◯◯に農民劇の実践をすすめました。

    松田甚次郎

  • 77

    この手帳は、東北砕石工場技師として◯◯◯◯等の販売に奔走する時期に書かれたもの。雑誌「児童文学」からの寄稿依頼を受けて童話の構想を練ったものと思われます。

    炭酸石灰

  • 78

    大正10年(1921年)12月号に掲載された「雪渡り」の自筆手入れ本。「◯◯◯◯」に投稿し採用されたものですが、入選作には5円の稿料が支払われ、賢治は雑誌に掲載された後にも手もとの本に直接書き込んで推敲を続けていました。

    愛国婦人

  • 79

    東北砕石工場のこの広告は、昭和8年7月1日付のどの新聞に掲載されたもの?

    岩手日報

  • 80

    詩「◯◯◯と助手との対話」。ノート紙片表裏に書かれた詩。「造園家」を「◯◯◯」を直してあり、賢治の構想がうかがわれます。

    装景家

  • 81

    賢治が作詞した歌曲は何曲?

    27

  • 82

    五輪塔形式の供養塔が建立されたのは何回忌の時?

    23

  • 83

    「注文の多い料理店」中の9枚の扉絵と9枚の挿絵は、作者のイメージと画家の表現力の鮮やかな協調性を示します。描いたのは誰?

    菊池武雄

  • 84

    種子からの発芽。左上から右下へと展開します。左下2個には根の部分的な生長の違いを説明する目盛があります。この自筆教材絵図の名前は?

    發芽

  • 85

    日ごとの展開や挿入歌「どっどど……」の歌詞メモ。裏面には登場する子供たちの学年メモや、◯◯◯メモが書かれています。

    時間割

  • 86

    鉱物的な透明な世界を展開し、チベット高原を題材にした超現実的などうわのなまえは?

    インドラの網

  • 87

    羅須地人協会時代に構想された農民劇団の歌。「◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯」と未来への期待がうたわれている。

    はえある世界をともにつくらん

  • 88

    北海道の◯◯◯から室蘭まで、雄大な弧を描く内浦湾。

    駒ヶ岳

  • 89

    盛岡中学校の英語教師で、プロテスタントの盛岡浸礼協会牧師であるこの夫妻の名前は?

    タッピング

  • 90

    仏教では何と言われている?

    阿耨達池

  • 91

    トシのバイオリン。明治40年、名古屋の鈴木政吉制作の「◯◯◯」型。トシが花巻高等女学校時代に使い、トシの病死後、賢治が柳原昌悦に贈ったもの。

    第5号

  • 92

    装幀したのは誰?

    棟方志功

  • 93

    業が花びらのように空から降ってくるイメージに戦慄する詩人の姿が描かれています。このスケッチは推敲が繰り返され、最終的には◯◯も失われていきました。

    題名

  • 94

    「わがもとむるはまことのことば…」の文章が推敲されており、これが後の文語詩「◯◯」に生まれ変わります。

    早春

  • 95

    大正8年(1919年)ころに作成配布されたこれの作品名は?

    手紙一

  • 96

    これは何の童話の挿絵?

    山男の四月

  • 97

    法華経の中心。宇宙的大生命が説かれています。賢治の最も感動したところで、それを抜粋印刷して多くの人々に配布したものです。名前は?

    法華経寿量品

  • 98

    昭和2年(1927年)、賢治31歳。数多くの花壇設計図を描いた賢治が構想したのは「園林設計学」、もうひとつは?

    国土装景家

  • 99

    大正7年(1918年)の連作短歌「青びとのながれ」の発想を、晩年になって文語詩に発展させたものです。この詩の名前は?

    ながれたり

  • 100

    「きみ(そのこども)」に対して、「これからの本当の勉強」、「これからのあたらしい学問」を説いている作品だが、同時に賢治の農業の力量がどんなに伸びたかも示しているこの詩の名前は?

    あすこの田はねぇ