問題一覧
1
○【1716年】七代将軍徳川[①]8歳で死去 →三家から徳川[②]が8代将軍に →行った幕政改革=[③]
家継, 吉宗, 享保の改革
2
○吉宗の政治 →側用人の側近政治やめる→[①]新設 ・政策の実行→[②](旗本)・[③](名主)らを登用 ・儒学者[④]・[⑤]らを用いる
御用取次, 大岡忠相, 田中丘隅, 荻生徂徠, 室鳩巣
3
○田中丘隅→『[①]』という地方書著す →吉宗に登用されて民政に貢献
民間省要
4
吉宗の改革 ○【1719年】[①]発令 →金銀貸借の揉め事を幕府に訴えず 自分たちで解決させるため ○[②]→贅沢禁止〜! ○[③]実施→かわりに参勤交代の負担緩和 ○年貢徴収→検見法から[④]に変更 ○[⑤]を進める→米の増産奨励 ●[⑥](大阪)を公認 →米価を調節し武家の年貢安定を目指した ●[⑦]の輸入制限を緩和 ※実学主義
相対済し令, 倹約令, 上げ米, 定免法, 新田開発, 堂島米市場, 漢訳洋書
5
○吉宗の政治における旗本の人材登用に 当たっては下っ端旗本に在職期間のみ不足の 石高をおぎなう[①]を設けた
足高の制
6
○飢饉の際、食べ物ない→芋あるじゃん。 →[①]を登用して甘藷(芋)の普及実現
青木昆陽
7
○【1728年】吉宗、65年振りに[①](軍役) 命じ、[②](家康)の御定めの通りを主張 →強い将軍像を誇示
日光社参, 東照権現
8
吉宗の政治 その2 ○[①]組織→火事を防ぐ ○[②]→庶民の声聞くよ〜 ○[③]→貧民対象の医療施設
町火消, 目安箱, 小石川養生所
9
吉宗政権末期… ○[①]制定→判例に基づく合理的司法判断 →1615年以降の触れをリストアップ=[②] ○田安家・一橋家・清水家=[③]を起こす →朝廷との協調関係の維持のため
公事方御定書, 御触書寛保集成, 三卿
10
享保の改革の後、社会が変化… ○有力百姓が[①]をし始める →田畑を貸して下っ端農民をこき使うように →有力百姓は[②]となり[③]と呼ばれた
地主手作, 地主, 豪農
11
○小作人)豪農うぜぇ。村役人不正してるし →小百姓らが村の公正な運営求める[①]が頻発
村方騒動
12
○幕府や藩によって生活苦に陥った時 百姓ら要求掲げて蜂起=[①] →17C後半には代表者が身代わりとなって 領主に直訴する一揆=[②]増加 ※代表者:[③]→下総の[④]が有名 →17世紀末にはより大規模な[⑤]も増加
百姓一揆, 代表越訴型一揆, 義民, 佐倉惣五郎, 惣百姓一揆
13
○【1732年】西日本を虫害が襲う… →稲食い尽くす=[①] →翌年には米問屋が米価急騰の原因として [②]に遭う
享保の飢饉, 打ちこわし
14
○【1782年】[①]=冷害&浅間山噴火が原因 →全国で百姓一揆、江戸・大阪で打ちこわし
天明の飢饉
15
8代将軍吉宗のあと9,10代と時は経ち… →10代目将軍 徳川家治の時代に ○【1772年】[①]が側用人から老中に
田沼意次
16
田沼意次の政治 ○[①]を広く公認 ○金中心の貨幣制度を目指した →【1772年】から[②]を大量に鋳造 ○[③]を積極的に進める ○仙台藩の医師[④]の意見により 蝦夷地に[⑤]らを派遣
株仲間, 南鐐二朱銀, 新田開発, 工藤平助, 最上徳内
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〖〜参考〜〗 ○田沼意次の政治には賄賂がつきもの →武士の士風が退廃して行った…
OK
18
○【1758年】朝廷で事件!! 復古派の公家たちと[①]が摂家により殺害 =[②] ○後桃園天皇が急死→[③]天皇from閑院宮家
竹内式部, 宝暦事件, 光格
19
○【1784年】意次の子であり若年寄の [①]が江戸城内で刺殺される →犯人は[②](世直し大明神と呼ばれた)
田沼意知, 佐野政言
20
【追加問題.8-1に追加してください】 江戸時代将軍 11代将軍まで ・[①]→[②]→[③]→[④]→[⑤]→[⑥] →[⑦]→[⑧]→[⑨]→[⑩]→[⑪]
家康, 秀忠, 家光, 家綱, 綱吉, 家宣, 家継, 吉宗, 家重, 家治, 家斉
21
【追加問題.8-1に追加してください】 ○田沼意次の長崎貿易奨励 ・当時の幕府の悩み →生糸・絹織物の輸出が増え金銀が流出… そんな中… ・田沼意次は方針転換! [①]や[②]の輸出を増やす そして貨幣材料の金銀の輸入を増やした! ※ただの賄賂おじさんというわけではない
銅, 俵物
22
【追加問題.8-1に追加してください】 ○田沼時代の出来事 ・【1767年】[①]=「柳子新論」で尊王論を 説いて幕政を批判した[②]が死刑に
明和事件, 山県大弐