問題一覧
1
京都の楽家初代長次郎が豊臣秀吉の命で、京都の聚楽第で低温で焼いた軟質の陶器をなんというか。
楽焼
2
後陽成天皇の弟が京都桂川のほとりに造営した、書院建築群と庭園で有名な別邸をなんというか。
桂離宮
3
日光東照宮は、本殿と拝殿とを相の間で結ぶ建築様式をとった代表的なものである。この様式をなんというか。
権現造(ごんげんづくり)
4
江戸時代初期の幕府の御用絵師で、狩野派繁栄の基礎を築いた人物は誰か。
狩野探幽
5
有田焼の上絵付の技法で赤絵を完成させた人物をあげよ。
境田柿右衛門(さかいだかきえもん)
6
元五山の相国寺の僧で、徳川家康に進講し、弟子を推薦したのは誰か。
藤原惺窩
7
朝鮮人陶工の沈寿官らが始めたのは何焼か。
薩摩焼
8
藤原惺窩の弟子で徳川家康に仕え、さらに4大将軍徳川家綱の代まで将軍の侍講となり、また幕政にも参与した儒者はだれか。
林羅山(道春)
9
江戸時代初期の京都の絵師で、土佐派の画法をもとに、新しい絵の様式を生み出した人物をあげよ。
俵屋宗達
10
狩野探幽の代表作の方丈襖絵の残る寺院はどこか。
大徳寺
11
俵屋宗達らが生み出した大胆な構図で装飾性を持つ新しい様式をの絵をなんというか。
装飾画
12
藤原惺窩を祖とする朱子学の学派名をあげよ。
京学
13
毛利氏の下で始まった陶器をなんというか。
萩焼
14
本阿弥光悦の蒔絵の代表作をなんというか。
船橋蒔絵硯箱(ふなばしまきえすずりばこ)
15
俳諧の作成を推進したのは江戸時代初期の貞門派であったが、貞門派の祖といわれるのはだれか。
松永貞徳
16
久隅守景の代表作
夕顔棚納涼図屏風(ゆうがおだなのうりょうずびょうぶ)
17
古典に通じ、蒔絵・陶芸・書道の諸分野で活躍した江戸時代を代表する芸術家はだれか。
本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)
18
俵屋宗達の代表作で、ユーモラスな二神を描いた屏風絵をなんというか。
風神雷神図屏風
19
桂離宮を造営した後陽成天皇の弟の名をあげよ。
八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)
20
江戸時代初期に、婦人・子供向きに絵が描かれ、かな文字で平易に書かれた短編小説をなんというか。
仮名草子
21
肥前鍋島藩で始まった、釉をかけて高音で焼き、その上に模様や絵を描いて低音で焼く上絵付の技法でその名を高めた磁器をなんというか。
有田焼
22
三代将軍徳川家光が幕府の財力を投じて建立した、祖父家康をまつる華麗な霊廟をなんというか。
日光東照宮
23
有田焼の代表はなにか
色絵花鳥文深鉢(いろえかちょうもんふかばち)
24
南宋の朱熹が大成し、鎌倉時代に日本に伝来し、五山の禅僧の間で発展した儒学をなんというか。
朱子学
25
後水尾天皇の山荘で、比叡山を背景に自然の傾斜面を利用した、雄大な庭園をもつ離宮をなんというか。
修学院離宮
26
桂離宮の茶屋風の建築様式をなんというか。
数寄屋造(すきやづくり)
27
寛永気に流行した建築様式であり、死者の霊をまつるための建築様式のことをなんというか。
霊廟建築
28
室町時代末期に、宗鑑らによって俳諧連歌が展開されたが、次第に5.7.5のみが独立して一句を形成するようになった。これをなんというか。
俳諧
29
狩野探幽の弟子であったが、のちに作風の方向性の違いから破門された人物
久隅守景