問題一覧
1
(①):浄土宗の開祖。
法然
2
法然:①の開祖。
浄土宗
3
①:阿弥陀仏の誓いを信じ、②(南無阿弥陀仏)を唱えれば死後は平等に極楽浄土に往生できるという浄土宗の教え。
専修念仏, 念仏
4
①:旧仏教側からの非難が高まり、法然が②に流された時に書いた。
選択本願念仏集, 土佐
5
①:法然の弟子の1人で浄土真宗の開祖。
親鸞
6
親鸞:①の開祖。
浄土真宗
7
親鸞は煩悩の深い人間(①)こそが、阿弥陀仏の救いの対象であるという②を説いた。
悪人, 悪人正機
8
①:親鸞の死後、弟子の②が親鸞の教えの乱れるのを嘆いて、正しい親鸞の教えを書き記した書物。③を示している。
歎異抄, 唯円, 悪人正機
9
親鸞の教えは①や②の間に広まり、やがて③(④)と呼ばれる教団が形成されていった。
農民, 地方武士, 浄土真宗, 一向宗
10
法然の教えは摂関家の九条兼実をはじめとする①のほか、②や③にまで広まったが、④側からの非難が高まり、法然やその弟子は迫害された。
公家, 武士, 庶民, 旧仏教
11
①:親鸞の主要著書。
教行信証
12
①:浄土真宗の中心寺院。
本願寺
13
①:②の開祖。善人、悪人や信心の有無を問うことなく、全ての人が救われるという念仏の教えを説き、③を配り、④によって多くの人々に教えを広めるから各地を布教して歩いた。
一遍, 時宗, 念仏札, 踊念仏
14
①は地方の武士や庶民に受け入れられた。
時宗
15
①:②の開祖。初め、天台宗を学び、やがて③を釈迦の正しい教えとして選んで「④」(⑤)をとなえることで救われると説いた。
日蓮, 日蓮宗, 法華経, 南無妙法蓮華経, 題目
16
自説を認めないものに対して積極的に働きかけ、①を激しく攻撃をした。
他宗
17
日蓮は国難を予言(ex北条時頼に提出した①での②の予言)するなどして布教を進めた。そのため③から迫害を受けた。
立正安国論, 元寇, 幕府
18
①(②)は関東の武士層や商工業者を中心に広まった。
日蓮宗, 法華宗
19
①:②の開祖。坐禅を組み、師から与えられる問題を一つ一つ解決して(③)悟りに達することを主眼とする。
栄西, 臨済宗, 公案問答
20
①は幕府の保護を受け、中国人禅僧を鎌倉に招いた。
臨済宗
21
①は北条時頼によって招かれ、②を創建した。
蘭渓道隆, 建長寺
22
蘭渓道隆は①によって招かれ、建長寺を創建した。
北条時頼
23
①は北条時宗によって招かれ、②を創建された。
無学祖元, 円覚寺
24
無学祖元は①によって招かれ、円覚寺を創建した。
北条時宗
25
臨済宗の中心寺院は①。栄西の主要著書は②。
建仁寺, 興禅護国論
26
①:②の開祖。栄西の弟子に学び、南宋に渡ってさらに学び、坐禅そのものを重視する考えを嘆いて、越前に③を建てた。
道元, 曹洞宗, 永平寺
27
曹洞宗はただ①坐禅をすることで(②)悟りの境地を体得しようとした。
只管, 只管打坐
28
惣領制の解体により①と②の繋がりが弱まり、遠方に住む一族との③的結合よりも近隣に住む武士同士の④が重視されるようになった。
宗家, 分家, 血縁, 地縁的結合
29
南北朝の動乱期には京都在住の①に変わって②が権限を拡大した。
守護, 守護代
30
幕府は地方武士を動員するために①の権限を大幅に拡大した
守護
31
守護の本来の権限である大犯三箇条に加えて自分の所有権を主張して稲を一方的に刈り取る実力行使(①)を取り締まる権限や幕府の裁判の判決を強制執行する(②)などが守護に与えられた。
刈田狼藉, 使節遵行
32
1352年①により②国・③国・④国を対象に初めて、一国内の荘園や公領の半分を挑発する⑤を実施。
半済令, 近江, 美濃, 尾張, 半済
33
荘園や公領の領主が年貢徴収を守護に請け負わせる①も盛んに行われた。
守護請
34
守護は一国全体を①するようになり、②へと成長する。
一円支配, 守護大名
35
①:②(簡単の行を)・③(ただ1つ選び取り)・④(ひたすら行う)に特徴付けられる6つの鎌倉の新仏教。
鎌倉新仏教, 易行, 選択, 専修
36
①の僧侶の叡尊:戒律の復興を唱え、下層民の救済を行う。
律宗
37
律宗の僧侶の①:戒律の復興を唱え、下層民の救済を行う。
叡尊
38
叡尊の弟子①:幕府の招きにより、鎌倉で救済活動を行う。奈良に戻り、②を建て、ハンセン病患者の救済を行う。
忍性, 北山十八間戸
39
①の僧侶の明恵:戒律の復興をとき、法然を批判し、「②」を著す。
華厳宗, 催邪輪
40
華厳宗の僧侶①:戒律の復興を説き、法然を批判し、②を著す。
明恵, 催邪輪
41
①の貞慶:戒律の復興を説いた。
法相宗
42
法相宗の①:戒律の復興を説いた。
貞慶
43
律宗、華厳宗、法相宗は奈良時代以来の①。
南都六宗
44
①(②):源平合戦でほぼ全焼した奈良の諸寺を鎌倉初期に③が④となり、広く寄付を集め、宋人⑤の協力を得て、再建したさいに採用された様式。
大仏様, 天竺様, 重源, 勧進上人, 陳和卿
45
大仏様は構造が①で装飾が少なく、②な印象が特徴。
単純, 豪快
46
大仏様の例:①(奈良)
東大寺南大門
47
①(②):禅宗寺院の建築様式として中国から導入された様式。
禅宗様, 唐様
48
禅宗様は木組みが細かく繊細な印象が特徴。①が特徴的。
花頭窓
49
禅宗様の建築例:①
円覚寺舎利殿
50
①:平安時代以来の伝統的な建築様式。例:②(蓮華王院本堂)
和様, 三十三間堂
51
①:和様に大仏様や唐様などの建築様式を取り入れたもの。例:②(大阪府)
折衷様, 観心寺金堂
52
鎌倉文化の彫刻では武士好みの力強さを強調した写実的な仏像が特徴の①が活躍した。
慶派
53
鎌倉文化の彫刻の例: ①(By運慶、快慶ら) ②(By運慶) ③ ④
東大寺南大門金剛力士像, 興福寺無着・世親像, 興福寺天灯鬼・竜灯鬼像
54
①(By無住):仏教説話集の一つ。
沙石集
55
①(By阿仏尼):紀行文の一つ。荘園領主の阿仏尼が書いた。
十六夜日記
56
①:九条兼実の弟で天台座主の②が③に基づく歴史叙述を試みた。
愚管抄, 慈円, 道理
57
①:平氏の興亡を主題とし、②によって③として語られた。
平家物語, 琵琶法師, 平曲
58
①:後鳥羽上皇の命で②、藤原定隆らが編纂した。
新古今和歌集, 藤原定家
59
①:武士の家に生まれた②が出家して諸国を遍歴し、まとめた歌集。
山家集, 西行
60
①:兼好法師の広い見聞と鋭い観察眼による随筆の名作。②などの系譜を引く。
徒然草, 古今著聞集
61
①:鴨長明が書いた随筆。
方丈記
62
①:朝廷の儀式・先例について実証的に研究する貴族の学問。例:②(By③)
有職故実, 禁秘抄, 順徳天皇
63
①は武蔵国金沢に②(図書館)を設置し、和漢の書物を集めて学問に励んだ。
金沢実時, 金沢文庫
64
①:幕府の歴史を編年体で記した幕府の歴史書。
吾妻鏡
65
①:上皇の影響を受けた将軍源実朝が万葉調の歌をよんで残した。
金槐和歌集
66
禅僧によって宋の①が打ちたてた儒学の一つである②(宋学)が伝えられ、そのうちの③は後醍醐天皇の政治にも影響を与えた。
朱熹, 朱子学, 大義名分論
67
①(②):伊勢神宮の神官③によって形成され、従来の④と反対の立場に立ち、神を主として仏を従とする⑤をとなえた。
伊勢神道, 度会神道, 度会家行, 本地垂迹説, 神本仏迹説
68
武士の活躍を描いた①
蒙古襲来絵詞
69
①:春日明神の霊験を集めた絵巻。
春日権現験記絵
70
①:祭神菅原道真の生涯から北野天満宮創建までの霊験利生を描いた絵巻物
北野天神縁起絵巻
71
①:大和絵の技法で描かれた肖像画。名手として②・③父子。
似絵, 藤原隆信, 信実
72
①:禅宗において師匠が弟子に与えた自身の肖像画。
頂相
73
①:伏見天皇の皇子尊円入道親王が宋の書風を取り入れて創始した。
青蓮院流
74
尾張の①や常滑焼、備前の備前焼など各地の陶磁器生産が発展を遂げた。
瀬戸焼
75
①:②、金鏡、水鏡、③の4つの歴史物語の総称。そのうち②は平安時代を主に扱い、③は室町時代をあつかっている。
四鏡, 大鏡, 増鏡
76
天皇家では皇位をめぐり、後深草天皇の流れを汲む①と亀山天皇の流れを汲む②に別れて争い、幕府が間に入って調整し、③で決着し、両派から交互に天皇を出す④がとられるようになった。
持明院統, 大覚寺統, 文保の和談, 両統迭立
77
1318年①から出た②が即位し、政治改革を始めた。③を停止し、④の強化をはかった。
大覚寺統, 後醍醐天皇, 院政, 天皇権限
78
①:両統迭立の解消を目指した後醍醐天皇は倒幕の計画を進めたが1324年幕府側に漏れて失敗した。
正中の変
79
①:1331年にも後醍醐天皇は挙兵を企てたが笠置山で捕らえられて②へ配流された。
元弘の変, 隠岐
80
後醍醐天皇の皇子で天台座主の①や②らが悪党などの反幕勢力を結集して蜂起した。天皇が隠岐から脱出すると呼応して倒幕に立ち上がる者が次第に増えた。
護良親王, 楠木正成
81
幕府側の指揮官として畿内に派遣された①(のちの②)も幕府に背いて③を攻め落とした。
足利高氏, 尊氏, 六波羅探題
82
関東で挙兵した①も鎌倉を攻め、得宗の②以下の③一門を滅ぼした。(④の滅亡(1333年))
新田義貞, 北条高時, 北条氏, 鎌倉幕府
83
後醍醐天皇は隠岐から京都に戻り、①を開始した。
建武の新政
84
建武の新政では醍醐・村上天皇の親政を理想とし、①・②をおかず、③も④も否定した。
摂政, 関白, 幕府, 院政
85
建武の新政では全ての①の確認には天皇の②を必要とする法令を打ち出し、天皇への権限集中をはかった。
土地所有権, 綸旨
86
建武の新政では天皇の力だけでは収めきれずに中央には①や幕府の引付を受け継いだ②などを設置した。
記録所, 雑訴決断所
87
建武の新政の頃:諸国には律令による①と幕府による②が設置された。(③)
国司, 守護, 公武折衷
88
東北地方には①(長官:②、次官:③)、関東地方には④(長官:⑤、次官:⑥)が設置された。
陸奥将軍府, 義良親王, 北畠顕家, 鎌倉将軍府, 成良親王, 足利直義
89
後醍醐天皇は斬新で強引な政策て人々の不満を生む。ex)①
二条河原落書
90
建武の新政はそれまでの武士の習慣を無視するもので武士たちの不満が高まる中で北条高時の子①が反乱を起こし、鎌倉を占領する(②)と、③はその討伐のために関東に下り、反乱を鎮圧したのち、新政に対して反旗を翻した。
北条時行, 中先代の乱, 足利尊氏
91
尊氏は一時京都を占領するが敗れ、九州へ逃れたあと再び攻めのぼり、①で②らを破り京都を占拠した。
湊川の戦い, 楠木正成
92
尊氏は入京後①出身の②を即位させた。(③の始まり)
持明院統, 光明天皇, 北朝
93
尊氏は幕府を開き、当面の政治方針を明らかにした①を定めた。
建武式目
94
京都を逃れた後醍醐天皇は①の山中にこもり、正統の皇位にあることを主張した。(②の始まり)
吉野, 南朝
95
吉野の①(②)と京都の③(④)が対立して約60年に及ぶ⑤が始まった。
南朝, 大覚寺統, 北朝, 持明院統
96
南朝側は動乱の初期に①、②が戦死するなど形勢は不利であったが、③らが中心になり、東北、関東九州などに拠点をおいて抗戦を続けた。
楠木正成, 新田義貞, 北畠顕家
97
北朝のでは征夷大将軍に任じられた尊氏が弟の①と政務を分担して政治を行っていたが 鎌倉幕府以来の②を重んじる①を支持する勢力と、尊氏の執事③を中心とする武力による所領拡大を願う新興勢力との対立が激しくなり、1350年に武力対決に突入した。(④)
足利直義, 法秩序, 高師直, 観応の擾乱
98
南北朝の動乱が長期化した原因の一つとして①から嫡子が全ての所領を相続する②へと変化したことによる③の解体が引き起こした④の内部での対立激化がある。
分割相続, 単独相続, 惣領制, 家
99
室町時代の守護は足利氏ゆかりで地元とは関係ない武士が任命されることが多く、①と呼ばれた地方在住の武士たちと対立することが多く、①が地域的な一揆を結成し、(②)守護の支配人しばしば抵抗した。
国人, 国人一揆