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世界史ギリシア〜キリスト教
  • 木村彩重

  • 問題数 82 • 10/14/2024

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  • 1

    ミケーネ文明の崩壊後、ギリシアは(①)と呼ばれる混乱した時代に入った。前8世紀に入ると、各地で有力 貴族の指導のもとにいくつかの集落が連合し、(②)を中心に人々が集住して都市国家を建てた。これらをポリス という。ポリスの成立で社会は安定し、( ① )は終わった。各ポリスは独立した国家だったので、古代のギリシア はつねに小国分立状態におかれ、ついに統一国家をつくることはなかった。しかし、文化的には同一民族の意識を もち続け、彼らは自民族を(③)と呼んだが、異民族を(④)と呼んで区別した。

    暗黒時代, アクロポリス, ヘレネス, バルバロイ

  • 2

    ポリスの住民は、自由人の市民とこれに隷属する(①)からなり、市民には貴族と平民との区別があった。ポリ スは城壁で囲まれた市域と周囲の田園から成り立っており、市域の中心の(②)は、砦であると同時に神殿が建て られる神聖な場であった。③(広場)では市場や集会が開かれ、田園には市民の所有地である「持ち分地」(クレーロス)があり、彼らの大多数はここで農業を営んだ。

    奴隷, アクロポリス, アゴラ

  • 3

    ポリスのなかでも(①)制度がもっとも発達したイオニア系のアテネでは、個人所有の(①)がふつうであり、その数は総人口の3分の1にものぼった。アテネと並び領土の広い(②)では、ドーリア系である1万人たらず の(②)市民が、はるかに多数の非ドーリア系の被征服民を(①) 身分の農民とし、農業に従事させた。彼らは (③)と呼ばれ、商工業に従事する④(周辺民)と同様、(②) 市民に隷属していた。(②)市民団 は、きびしい軍国主義的規律に従って生活し、ギリシア最強の陸軍国をつくりあげた。

    奴隷, スパルタ, ヘイロータイ, ペリオイコイ

  • 4

    交易活動が盛んになると、平民のなかにも、農産物を売って富裕になる者が現れた。また、金属の輸入で武器が安くなると、富裕な平民は武器を買って参戦できるようになった。これにより、平民も多数参加して①を組んで戦う(②)部隊が、騎馬を利用する貴族にかわって軍隊の主力となった。こうして平民は、参政権を主張して貴族と対立しはじめ、各ポリスは民主政へと歩みはじめた。アテネでは典型的な民主政が出現した。 法律が成文化され、前6世紀初めにはソロンが貴族と平民の調停者として改革をおこなった。やがて多くのポリス では、独裁者が平民の支持により非合法的に政権を奪って(③)と呼ばれる政治体制を実現した。(③)の崩壊後、前508年にアテネの指導者となった④は、独裁者の出現を防止する(⑤)の制度をつくった。

    密集隊形(ファランクス), 重装歩兵, 僭主政治, クレイステネス, 陶片追放(オストラキスモス)

  • 5

    この頃、対外的にはアケメネス朝ペルシアとのあいだにペルシア戦争が始まった。アテネは前490年のマラトン の戦いに続き、①の指導のもと戦った前480年の(②)でもペルシア軍に勝利した。翌年のプラタ イアの戦いで、ギリシア側の勝利は決定的となった。ペルシア戦争勝利後、エーゲ海周辺の多くのポリスはペルシアの再侵攻に備えて(③)を結び、アテネがその盟主となった。一方、国内では軍艦の漕ぎ手として戦争に参加する無産市民の発言力が高まり、将軍(④)の指導のもとでアテネ民主政は完成された。アテネでは成年男性市民の 全体集会である(⑤)が多数決で国家の政策を決定し、将軍など一部を除き、一般市民から抽選された任期1年の役人が行政を担当した。

    テミストクレス, サラミスの海戦, デロス同盟, ペリクレス, 民会

  • 6

    一方でペロポネソス同盟の盟主であった(①)は、(②)によって急速に勢力を広げたアテネに脅威を感じ、 やがて対立する両者は前431 年ペロポネソス戦争に発展した。ペロポネソス戦争では(①)が勝利するが、前4 世紀半ばには(①)にかわり (③) が一時主導権を握るなど、有力ポリス間の争いがやまなかった。戦争と疫病 の影響でポリス社会が変容するなか、前4世紀後半、ポリスをつくらなかったギリシア人の一派である北方の (④)がフィリッポス2世のもとで軍事力を強め、(①)を除く全ギリシアのポリスを支配下においた。

    スパルタ, デロス同盟, テーベ, マケドニア

  • 7

    前1000年頃、古代イタリア人が北方からイタリア半島に南下し、定住した。そのなかのラテン人の一派によっ て、ティベル川のほとりに建設された都市国家がローマである。ローマは、はじめ先住民①の王に支配 され、その文化に大きな影響を受けていたが、前6世紀末に王を追放し、政治体制は(②)となった。ローマでは貴族(③)と平民(④)の身分差があり、最高官職である任期1年・2名の(⑤)は貴族から選ばれた。 そして、貴族の会議である元老院が実質的な支配権を握っていた。しかし、中小農民が⑥として国防を担うようになると、参政権をめぐり身分闘争がおこった。

    エトルリア人, 共和政, パトリキ, プレブス, コンスル, 重装歩兵

  • 8

    まず前5世紀前半に、元老院や(①)の決定に拒否権を行使できる平民出身の(②)と、平民会が設けられた。ついで前5世紀半ばには③され、前367年には④法により(①)のうち一人は平民から選ばれるようになった。そして前287年に は(⑤)により、平民会の決議が元老院の許可なしに全ローマ人の国法となることが定められ、法の上では貴族と 平民の権利は同等となった。しかし、実質的には元老院が指導権をもち続け、非常時には(⑥)が独裁権を行使で きる点などにおいて、ギリシアの民主政とは大きく異なった。

    コンスル, 護民官, 慣習法が成文化, リキニウス・セクスティウス, ホルテンシウス法, 独裁官(ディクタトル)

  • 9

    3世紀前半にはローマが全イタリア半島を統一し、(①)の方法で統治することによって、被支配者の団結と反乱をたくみに防止した。ついでローマは、地中海西方を支配していたフェニキア人植民市の(②)と衝突し、3回にわたる3がおこった。ローマは③で勝利をおさめ、前2世紀半ばには地中海全体をほぼ制覇した。しかし、ローマの中小農民は長期の征服戦争により農地が荒廃して没落し、彼らの多くは都市ローマに流入した。

    分割統治, カルタゴ, ポエニ戦争

  • 10

    一方、元老院や徴税請負をおこなう騎士階層は、征服によって莫大な富を手に入れ、農民が手放した土地を買い集め、奴隷を使役して(①)によって大規模な農業経営をおこなった。市民のあいだの経済的格差はますます広がり、前2世紀後半から、市民の平等を原則としたローマ(②)の土台はゆらぎだした。貧富の対立が激化す ると、政治家は、元老院の伝統的支配を守ろうとする(③)と、無産市民や騎士が支持する(④)にわかれて争った。

    大土地所有制(ラティフンディア), 共和政, 平民派, 閥族派

  • 11

    写真の世界遺産は何

    パルテノン神殿

  • 12

    写真の世界遺産は何

    ミロのヴィーナス

  • 13

    写真の世界遺産は何

    アッピア街道

  • 14

    写真の世界遺産は何

    コロッセウム

  • 15

    写真の世界遺産は何

    カタコンベ

  • 16

    写真の世界遺産は何

    ガール水道橋

  • 17

    写真の世界遺産は何

    パンテオン神殿

  • 18

    写真の世界遺産は何

    ラオコーン

  • 19

    ソロンの改革で行われた2つの事を答えよ

    財産政治, 借金の帳消し

  • 20

    全6世紀、財産政治や借金の帳消しなどを行った貴族と平民の調停者と言われた人物は誰

    ソロン

  • 21

    全5世紀、アテネ民主政治が完成した時、何という将軍の時代だったか

    ペリクレス

  • 22

    内乱の1世紀の間に、誰によってリキにウス法が復活したか

    グラックス兄弟

  • 23

    前7世紀に法律を成文化したのは誰

    ドラコン

  • 24

    前5世紀、民会ができ市民は貧富に関わらず平等に参政権を持ち多くの一般市民が政治に参加したが、未だ参政権がなかった人々もいた。それはどのような人か

    女性, 奴隷, 在留外人

  • 25

    フィリッポス2世の子でありギリシア諸国の争いに度々干渉してきたペルシアを討つため東方遠征を行ったのはだれ

    アレクサンドロス大王

  • 26

    前8世紀、ギリシアの文化の始まりとも言える叙事詩を書いた人物を2人答えよ ①「イリアス」「オデュッセイア」を書いた ②「神統記」「労働と日々」を書いた

    ホメロス, ヘシオドス

  • 27

    前6世紀に発達したタレスやピタゴラス、デモクリトスで有名なのは何哲学

    イオニア自然哲学

  • 28

    ①・・・「万物の根源は水」、イオニア学派の祖 ②・・・「万物の根源は数」、②の定理 ③・・・原子論

    タレス, ピタゴラス, デモクリトス

  • 29

    前5世紀末、民主政の衰退期に出てきた三大哲学者を答えよ ①・・・西洋哲学の祖、絶対的真理・智徳合一を説く ②・・・イデア論、「国家論」 ③・・・万学の祖、「政治学」

    ソクラテス, プラトン, アリストテレス

  • 30

    プラトンが説いたのは何

    イデア論

  • 31

    前334年、アレクサンドロス大王はペルシアを討つため、マケドニアとギリシアの連合軍を率いて何に出発した

    東方遠征

  • 32

    アレクサンドロス大王は東方遠征でどこまで征服した?

    インダス川流域

  • 33

    アレクサンドロス大王が急死した後、領土はディアドコイ(後継者)と呼ばれる部下の将軍たちによって争われた。3つに分かれた国の名前をそれぞれ答えよ

    アンティゴノス朝マケドニア, セレウコス朝シリア, プトレマイオス朝エジプト

  • 34

    アレクサンドロス大王の東方遠征からプトレマイオス朝エジプトの滅亡(前30年)までの約300年間を何というか

    ヘレニズム時代

  • 35

    ヘレニズム文化は何と何の文化が融合したものか

    ギリシア文化, オリエント文化

  • 36

    ヘレニズム文化の哲学で①精神的快楽を求める派閥と②禁欲を重視する派閥が生まれた。 それぞれ何という派閥が答えよ

    エピクロス派, ストア派

  • 37

    ヘレニズム文化のストア派は誰によって生まれたか

    ゼノン

  • 38

    前5世紀半ばに慣習法が成文化した何が制定されたか

    十二表法

  • 39

    ポエニ戦争中、一時ローマが危機に陥った原因となったイタリア半島に侵入してきたカルタゴ将軍は誰

    ハンニバル

  • 40

    イタリア半島以外のローマの征服地を何という

    属州

  • 41

    第一回ポエニ戦争でローマ最初の属州となった場所はどこ

    シチリア島

  • 42

    前2世紀から1世紀の間有力者が対立した時代を何という

    内乱の1世紀

  • 43

    内乱の1世紀では剣闘士による大反乱が起きた。これを何という

    スパルタクスの大乱

  • 44

    第一回三頭政治で私的な政治同盟を結び元老院と閥族派に対抗し政権を握った3人はだれ

    カエサル, ポンペイウス, クラッスス

  • 45

    第一回三頭政治で、カエサルは何の成功により指導権を獲得しポンペイウスを倒して前46年に全土を平定したか

    ガリア遠征

  • 46

    第二回三頭政治を行った3人を答えよ

    アントニウス, レピドゥス, オクタウィアヌス

  • 47

    カエサルの愛人であったクレオパトラは第二回三頭政治の3人の誰のもとについたか

    アントニウス

  • 48

    オクタウィアヌスがアントニウスとクレオパトラを破りプトレマイオス朝エジプトを滅ぼしローマの属州とした戦いを何という

    アクティウムの海戦

  • 49

    オクタウィアヌスは前27年に元老院から何の称号を与えられたか

    アウグストゥス

  • 50

    オクタウィアヌスは第一の市民(①)として元老院を尊敬した独裁政治(②)を行った

    プリンケプス, 元首政

  • 51

    元首政が始まってからの約200年間の時代を「ローマの平和」、カタカナで何と呼ばれ、空前の繁栄と平和が続いたか

    パクス=ロマーナ

  • 52

    ローマの平和(パクス=ロマーナ)の間でローマが最盛期に入ったのは何の時代か

    五賢帝

  • 53

    五賢帝のうち領土が最大になったのは誰の時か

    トラヤヌス帝

  • 54

    哲人皇帝と言われた五賢帝最後の皇帝はだれ

    マルクス=アウレリウス=アントニウス

  • 55

    五賢帝時代に国境近辺にローマ風の都市が建設された。現在の①ロンドン、②パリ、③ウィーンの場所にできたがそれぞれ何という都市だったか答えよ

    ロンディニウム, ルテティア, ウィンドボナ

  • 56

    ローマ帝国内の全自由人にローマ市民権を付与した皇帝はだれ

    カラカラ帝

  • 57

    3世紀には各属州の軍団が独自に工程を立てて元老院と争い、短期間に多数の皇帝が即位する何という時代になったか

    軍人皇帝時代

  • 58

    内乱と異民族の侵入に対する軍事力が増強されると、軍隊の維持のため都市は重税を課せられて経済的に弱まった。都市の上層市民の中には重税を逃れるために都市を去り田園に大所領を経営し、都市から逃げ出した下層市民などを小作人(①)として大所領で働かせた。こうした生産体制を小作制(②)という

    コロヌス, コロナトゥス

  • 59

    284年に即位し軍人皇帝時代を終わらせ、四帝分治制(テトラルキア)を始めたのはだれ

    ディオクレティアヌス帝

  • 60

    ディオクレティアヌス帝は①帝国を4分割し正帝と副帝が統治する何という制度と②とあることを強要しキリスト教徒迫害を行った ①の制度の名前、②は何を強要したかを答えよ

    四帝分治制, 皇帝崇拝

  • 61

    313年、ミラノ勅令によって初めてキリスト教が公認された時の皇帝はだれ

    コンスタンティヌス帝

  • 62

    コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認するために出した勅令を何という

    ミラノ勅令

  • 63

    コンスタンティヌス帝はローマからビザンティウムに遷都し何という名前に改称し巨大な官僚体制を築いたか

    コンスタンティノープル

  • 64

    ローマ最後の皇帝は誰

    テオドシウス帝

  • 65

    テオドシウス帝はローマの国教を何に変更したか

    キリスト教

  • 66

    テオドシウス帝の死後、帝国は東ローマ帝国と西ローマ帝国の2つに分裂した。 ①西ローマ帝国は何人の侵入により476年に滅亡したか ②東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は何教徒の侵入により1453年に滅亡したか

    ゲルマン, イスラム

  • 67

    ローマ法は市民法から誰の時代に万民法に変わったか

    カラカラ帝

  • 68

    6世紀に東ローマ帝国のユスティニアヌス大帝が法学者を集めて編纂させたローマ法の集大成を何という

    ローマ法大全

  • 69

    ローマ法大全の編纂を指示した東ローマ皇帝は誰

    ユスティニアヌス大帝

  • 70

    現在用いられているグレゴリウス暦(西暦)の元になったカエサルが制定したのは何暦

    ユリウス暦

  • 71

    ローマ文化の散文ではカエサルの何という記録が名文とされたか

    ガリア戦記

  • 72

    ①ローマ文化では何哲学が流行したか、そして②マルクス=アントニウス=アントニウスが書いた本を答えよ

    ストア派, 自省録

  • 73

    1世紀、①は祭司やパリサイ派を形式主義として批判し、貧富の区別なく及ぼされる神の絶対愛と隣人愛を説き、民衆は①を救世主(ギリシア語で②)と信じ彼の教えに従った。①をローマの反逆者として祭司やパリサイ派に訴えられ十字架にかけられ処刑された。しかし①は復活し、弟子たちはその死は人間の罪を贖う行為であったと信じた。この信仰を中心に③が成立した

    イエス, キリスト, キリスト教

  • 74

    キリスト教は12使徒のリーダーである①や異邦人にキリスト教を伝道した②によって広められた。それはローマ帝国内にも広がり、この間に③がギリシア語のコイネーで記され旧約聖書と共にキリスト教の教典となった。

    ペテロ, パウロ, 新約聖書

  • 75

    キリスト教が生まれた頃のローマでは皇帝崇拝儀礼が次第に強化されていった。これを拒否したキリスト教徒が受けた迫害を2つ答えよ

    ネロ帝の迫害, ディオクレティアヌス帝の大迫害

  • 76

    迫害されたキリスト教徒はそれでも信仰を続けるためどこで進行し続けたか

    カタコンベ

  • 77

    325年、コンスタンティヌス帝が開催した何という会議でアタナシウス派が正統教義とされたか

    ニケーア公会議

  • 78

    325年、ニケーア公会議ではイエスは神であるという考えの①が正統教義とされ、イエスは人であるという考えの②は異端とされゲルマン社会へ広まった

    アタナシウス派, アリウス派

  • 79

    アタナシウス派によるイエスは神であるという説はのちに何と言われ正統教義の根本となったか

    三位一体説

  • 80

    キリスト教の神の国が永遠であると主張した教父は誰、そしてその考えが主張された書物の名前を答えよ

    アウグスティヌス, 神の国

  • 81

    ローマ帝国末期には何と呼ばれる教会が特に重要となり、5つの管区に分けられた信徒たちをそれぞれが指導したか

    五本山

  • 82

    五本山はアンティオキア、イェルサレム、アレクサンドリア、あとの2つはどこか答えよ

    ローマ, コンスタンティノープル