〇鎌倉幕府は優秀な指導者である頼朝が
将軍独裁の体制で運営していた
→頼朝死ぬ
→若い[①]と[②]の時代へ
➡御家人中心の政治を求める声が…頼家, 実朝
〇頼朝の死後、有力御家人の間で政権を巡る激しい争いが続く…
→そこで勢力を伸ばしたのが[①]氏北条
〇【1203年】北条[①]が将軍頼家を廃す
→弟の実朝を立て自らは[②]の地位になる
→幕府の実権を握る時政, 執権
〇時政の執権としての地位は子の[①]に
継承される…
→侍所の長官[①]を滅ぼす
→侍所と政所の別当を兼ねて地位を固めた義時, 和田義盛
〇その頃京都では…
→[①]上皇が朝廷の立て直しを企てる…
→幕府から再び実権を取り戻したい…
→[②]を置いて軍事力増強後鳥羽, 西面の武士
〇【1219年】後鳥羽上皇と連携していた
将軍実朝が頼家の遺児[①]に暗殺される
☆これをきっかけに朝幕関係が不安定に…公暁
〇【1221年】後鳥羽上皇ついに反乱!
→西面の武士・僧兵・東国武士を引き連れて
北条[①]の追討の兵を上げた!!
(思ったより上手くいかない…)
→北条政子の呼びかけで東国武士が対抗
→義時の子[②]・弟[③]ら率いる軍が対抗
➡︎上皇、完全敗北。
この乱を[④]という義時, 泰時, 時房, 承久の乱
〇承久の乱後…
→幕府は3上皇を配流…
・後鳥羽上皇=[①]へ
・土御門上皇=[②]へ
・順徳上皇=[③]へ
京都には[④]をおいて朝廷を監視隠岐, 土佐, 佐渡, 六波羅探題
〇承久の乱後、上皇側の貴族や武士の所領を
没収し戦功のあった御家人をその地の地頭に
任命した
→その際[①]の給与を保障
☆基準=[②]
・田畑11町ごとに一町の土地
・田地1段につき5升の加徴米
・山や川からの収益の半分を地頭に与える新補地頭, 新補率法
〖〜参考〜〗
〇承久の乱後、完全に朝廷は幕府の支配下に
→皇位継承や朝廷の政治に干渉するように…OK
〇乱後の幕府=北条[①]が指導
・執権補佐の[②]をおく
・有力御家人など11人を[③]に選ぶ
→政務の処理や裁判に当たらせた
・【1232年】[④]制定
→武家初の正式な法典泰時, 連署, 評定衆, 御成敗式目
〖〜参考〜〗
〇御成敗式目と並び朝廷の支配下では
律令の系統を引く公家法が、荘園領主の
もとでは本所法が効力を持っていた…
→だんだんとそれらも武家法中心に…OK
〇泰時の政策は孫の[①]へ継承…
・【1247年】[②]一族滅ぼす=[③]合戦
→北条氏の地位は不動のものに…時頼, 三浦泰村, 宝治
〇北条時頼の政策
・後嵯峨上皇の院政下で[①]が置かれる
→幕府が朝廷の内部に深く影響している証…
・評定衆の会議である評定に[②]を置き[③]任命
→御家人の所領に関する裁判を担当
院評定衆, 引付, 引付衆
〇やがて幕府は後嵯峨上皇の皇子[①]を
将軍として迎える ※北条時頼のとき
→実権ナシ、あくまで名目の将軍…
〇また大陸の文化を積極的に受け入れた
→禅宗の本格的寺院[②]を造営
開山は[③]宗尊親王, 建長寺, 蘭渓道隆
〇武士の生活
・河川の近くの徴高地で[①]を構える
→周辺地で年貢や公事のかからない直営地館
〇武士は所領内の農民に耕作させ、
自らは地頭として年貢を徴収させ国衙や
荘園領主におさめ収入として[①]などを得た加徴米
〇鎌倉時代の相続=[①]相続
→宗家の首長=[②](家督),他は庶子
[②]は戦時は指揮官,平時は祭祀を担当
➡︎こうした体制を[③]という分割, 惣領, 惣領制
〇武士の地位を守るための武芸重視
→「武家のならい」「[①]」「弓馬の道」
など兵の道
〖〜参考〜〗
〇承久の乱後、畿内・西国でも多くの地頭が
任命される…
→東国出身の武士と対立…
➡︎こうした状況に対応するために幕府は
公正な裁判制度の確立に努めた!!OK
〇地頭が支配拡大
→荘園領主は不満を幕府に訴える
→阻止はできなかった…
・地頭が荘園の管理を担当し一定の年貢納入
だけを請け負わせる[①]や土地の相当部分を
地頭に分け与え相互の支配権を認め合う[②]
の取り決めなどがなされた…地頭請所, 下地中分
〖〜参考〜〗
〇幕府は荘園領主からの不満に対して
当事者間の取り決め(和与)による解決を勧めた
→地頭の支配権はどんどん拡大…OK
【追加問題.4-3に追加してください】
○北条氏が登場したときのお話
・きっかけは頼朝の死去
→幕府の次のリーダーを誰にしよう。
・候補は"実朝"と"頼家"
★長男は"頼家"だったので源氏一同は
彼を次期リーダーとして有力視していた。
※武芸にも優れるエリートだったらしい。
しかし
・北条氏が反対
「頼家はまだ若い」←長男なんだけど…
頼家「いやいやww18歳っすよ?ww」
北条「いやいや、頼れんよ。
13人のおじばばたち政治は任せい」
※2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ね
○頼家と北条がバチバチに対立!!
つづくOK
【追加問題4-3に追加してください】
○北条氏が頼家を暗殺。
※風呂場で入浴中に大事なところ切られて
死んだ話は頼家のことだそうです。
➡北条氏、実朝を将軍に立てて実権掌握
※北条氏が将軍やればいいやんと思った
かもしれないけど、北条の家柄は低い身分
らしい。北条氏が欲しいのは源氏の"地位"
ー後日談ー 実朝のその後
○将軍になったけど実権は完全に北条氏
→やることが和歌ぐらいしかない。
→和歌のプロになる。
→"藤原定家"に弟子入り
→念願のオリ和歌集「金槐和歌集」編纂
この時代で1番幸せそう。
➡︎しかし"頼家"の仇討ちにあって
"公暁"によって殺される…
※これは問題にあるヨ
北条氏の登場の話はこれでおわり。OK
【追加問題.4-3に追加してください】
○本補地頭と新補地頭の違い
まず"本補地頭"とは何か
"幕府により前代からの所領や諸権利を地頭職の内容として安堵された地頭"
つまり"ここの土地は君ので決まりね"と
完全に所有が認められた地頭さんのこと。
★本補地頭→新補地頭 の境い目は
"承 久 の 乱"
○簡単にいえば承久の乱以降に任命された
地頭が"新補地頭"です
ここまでは簡単で次が大事!!
つづくOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○新補率法って何?
前の問題の通り、新補地頭の定義は
"承久の乱以降に任命された地頭"
★承久の乱で後鳥羽上皇を倒したことで
上皇が持ってた広大な荘園が幕府に渡る
→御家人(地頭)に配ろっと〜〜〜
→このとき新補地頭が生まれる
→後鳥羽からかっさらった荘園配るよ〜
"あっでも、めっちゃ広くて米もめっちゃ
収穫出来ると思うから御家人の皆がもらえる米の量はこっちで決めさせてね"
★これが"新補率法"です
つまり"広すぎる荘園における収穫のうち
どのくらいを御家人(地頭)が貰えるのか"を定めたのが新補率法。
※具体的には総面積の11分の1と1段あたり
5升の加徴米を地頭の得分とした
本補地頭と新補地頭についてはこれでおわりOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○★超重要★権力の移り変わりと土地の話
★3-2で問題になっている"寄進地系荘園"が
また関わってくる。
・時代は平安時代まで遡る…
○当時の権力者は"後白河上皇"
・寄進地系荘園の根本にあるのは…
"土地を権力者に寄進して税を逃れる"こと
→農民はよってたかって後白河に寄進した
○権力者が後白河から"平家"に変わる
→平清盛が後白河を幽閉する事件おこる
農民「権力者が平家に変わるんじゃ…」
→寄進先を"平家に変更"するもの増える
○権力者が平家から"源氏"に変わる
→平家が源氏によって都落ち…
農民「権力者が源氏に変わるんじゃ…」
→寄進先を"源氏に変更"
こうやって土地の寄進先が変わっていく…
つづくOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○地頭の誕生
・源氏が結局権力者になった。
土地を寄進していた農民を地頭に任命
※教科書には載ってないけど"地頭"は
時代を先読みして源氏に土地を寄進してた
人達のことらしい…。
・その際、本領安堵&新恩給与
本領安堵→平家を倒す前から源氏に
寄進してくれた人の土地の
所有を保証しますよ。
新恩給与→土地を持ってなくても源氏に
味方してくれた人には土地
あげますよ。
こうやって"御恩と奉公"の関係が
生まれてきったわけです。
つづくOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○惣領制ってなに?
"御恩と奉公"は将軍のために頑張る
お返しに"土地をあげるよ"っていう関係
土地を貰った人のことを"惣領"という。
惣領にももちろん家族がいて
"将軍→惣領→家族"というふうに
繋がっていた。 ※枝分かれのイメージ!
○惣領(家族のリーダー)が死んだら?
→次の惣領を決める
→受け継いだ土地は皆で分けよう!
➡︎これが"分割相続"
※鎌倉時代まではこれが主流だった!!
し か し
この"分割相続"には大問題がある
ワカリマス?
つづくOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○分割し続けたら"ちっさくなる"
・惣領が死んで死んで死んで....
分割、分割、分割…していくと…
家族「俺の土地これだけ!?」っていう
ことが多く起こるようになった
➡分割相続から"単独相続"へ
・惣領が死んだら次の惣領が土地を
"全部"支配するようにした。
分割しなくていいから小さくならない!!
でもでも…
★惣領に選ばれなかった家族は
"土地が一切貰えない"…
➡これじゃ家族の意味ない(あるけど)
★★血縁よりも地縁優先の時代へ★★
※地縁=ご近所付き合い
→土地を一緒に使ったり家族よりも
メリットが多いから。
ー後日談ー
この相続の変化が日本の歴史における
いろんな"争い"を生むことになる。
鎌倉時代→室町時代→戦国時代 と
戦乱の世の中になっていくのはこの
相続の変化が原因として大きいと言われて
いるそうです。
分割相続と単独相続の話はこれでおわりOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○地頭請所と下地中分、実は目的は
同じですよという話
・承久の乱後、新補地頭が荘園に入ってくる
新補「新入りだよー宜しく〜」
荘園領主「なんこいつ…」
新補地頭と荘園領主の間で関係が悪化…
※しかもこの間に飢饉が起こってる
→こんな関係が続けばエライ事になる…
課題は"地頭と荘園をどう仲良くさせるか"
★いろんな対策をそれぞれが打っていく
つづくOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○地頭と荘園どう仲良くさせる?
①御成敗式目でしっかり裁判
泰時は考えた
泰時「地頭と荘園の喧嘩の善悪をきちんと
判断する法律が必要よな」
➡御成敗式目を制定した
②地頭請
荘園領主は考えた
荘園領主「地頭と争うの面倒くさっ…
地頭くんさ、年貢おさめるから
荘園の管理全部やっといて。」
➡荘園を地頭が管理することで喧嘩防止
→このような荘園を"地頭請所"という。
③下地中分
地頭&荘園領主は考えた
「半分こすればよくない?」
➡半分は地頭(地頭方)
もう半分は荘園領主(領家方)に分けて
平和に管理していこう的な。
※いろんな下地中分がある
・和与中分=お互い話し合って分ける
・強制中分=しっかり喧嘩したあとに
評定衆が裁判で分ける
★流れを最後に確認
・新補地頭が荘園に乱入
・地頭と荘園領主の喧嘩起き始める
・どうやって仲良くさせるか対策始まる
だから"地頭請"と"下地中分"の目的は同じ
おわりOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○南近江を支配し城下の石寺に楽市・楽座を
実施した戦国大名=[①]
※分国法は[②]六角氏, 六角氏式目
〇鎌倉幕府は優秀な指導者である頼朝が
将軍独裁の体制で運営していた
→頼朝死ぬ
→若い[①]と[②]の時代へ
➡御家人中心の政治を求める声が…頼家, 実朝
〇頼朝の死後、有力御家人の間で政権を巡る激しい争いが続く…
→そこで勢力を伸ばしたのが[①]氏北条
〇【1203年】北条[①]が将軍頼家を廃す
→弟の実朝を立て自らは[②]の地位になる
→幕府の実権を握る時政, 執権
〇時政の執権としての地位は子の[①]に
継承される…
→侍所の長官[①]を滅ぼす
→侍所と政所の別当を兼ねて地位を固めた義時, 和田義盛
〇その頃京都では…
→[①]上皇が朝廷の立て直しを企てる…
→幕府から再び実権を取り戻したい…
→[②]を置いて軍事力増強後鳥羽, 西面の武士
〇【1219年】後鳥羽上皇と連携していた
将軍実朝が頼家の遺児[①]に暗殺される
☆これをきっかけに朝幕関係が不安定に…公暁
〇【1221年】後鳥羽上皇ついに反乱!
→西面の武士・僧兵・東国武士を引き連れて
北条[①]の追討の兵を上げた!!
(思ったより上手くいかない…)
→北条政子の呼びかけで東国武士が対抗
→義時の子[②]・弟[③]ら率いる軍が対抗
➡︎上皇、完全敗北。
この乱を[④]という義時, 泰時, 時房, 承久の乱
〇承久の乱後…
→幕府は3上皇を配流…
・後鳥羽上皇=[①]へ
・土御門上皇=[②]へ
・順徳上皇=[③]へ
京都には[④]をおいて朝廷を監視隠岐, 土佐, 佐渡, 六波羅探題
〇承久の乱後、上皇側の貴族や武士の所領を
没収し戦功のあった御家人をその地の地頭に
任命した
→その際[①]の給与を保障
☆基準=[②]
・田畑11町ごとに一町の土地
・田地1段につき5升の加徴米
・山や川からの収益の半分を地頭に与える新補地頭, 新補率法
〖〜参考〜〗
〇承久の乱後、完全に朝廷は幕府の支配下に
→皇位継承や朝廷の政治に干渉するように…OK
〇乱後の幕府=北条[①]が指導
・執権補佐の[②]をおく
・有力御家人など11人を[③]に選ぶ
→政務の処理や裁判に当たらせた
・【1232年】[④]制定
→武家初の正式な法典泰時, 連署, 評定衆, 御成敗式目
〖〜参考〜〗
〇御成敗式目と並び朝廷の支配下では
律令の系統を引く公家法が、荘園領主の
もとでは本所法が効力を持っていた…
→だんだんとそれらも武家法中心に…OK
〇泰時の政策は孫の[①]へ継承…
・【1247年】[②]一族滅ぼす=[③]合戦
→北条氏の地位は不動のものに…時頼, 三浦泰村, 宝治
〇北条時頼の政策
・後嵯峨上皇の院政下で[①]が置かれる
→幕府が朝廷の内部に深く影響している証…
・評定衆の会議である評定に[②]を置き[③]任命
→御家人の所領に関する裁判を担当
院評定衆, 引付, 引付衆
〇やがて幕府は後嵯峨上皇の皇子[①]を
将軍として迎える ※北条時頼のとき
→実権ナシ、あくまで名目の将軍…
〇また大陸の文化を積極的に受け入れた
→禅宗の本格的寺院[②]を造営
開山は[③]宗尊親王, 建長寺, 蘭渓道隆
〇武士の生活
・河川の近くの徴高地で[①]を構える
→周辺地で年貢や公事のかからない直営地館
〇武士は所領内の農民に耕作させ、
自らは地頭として年貢を徴収させ国衙や
荘園領主におさめ収入として[①]などを得た加徴米
〇鎌倉時代の相続=[①]相続
→宗家の首長=[②](家督),他は庶子
[②]は戦時は指揮官,平時は祭祀を担当
➡︎こうした体制を[③]という分割, 惣領, 惣領制
〇武士の地位を守るための武芸重視
→「武家のならい」「[①]」「弓馬の道」
など兵の道
〖〜参考〜〗
〇承久の乱後、畿内・西国でも多くの地頭が
任命される…
→東国出身の武士と対立…
➡︎こうした状況に対応するために幕府は
公正な裁判制度の確立に努めた!!OK
〇地頭が支配拡大
→荘園領主は不満を幕府に訴える
→阻止はできなかった…
・地頭が荘園の管理を担当し一定の年貢納入
だけを請け負わせる[①]や土地の相当部分を
地頭に分け与え相互の支配権を認め合う[②]
の取り決めなどがなされた…地頭請所, 下地中分
〖〜参考〜〗
〇幕府は荘園領主からの不満に対して
当事者間の取り決め(和与)による解決を勧めた
→地頭の支配権はどんどん拡大…OK
【追加問題.4-3に追加してください】
○北条氏が登場したときのお話
・きっかけは頼朝の死去
→幕府の次のリーダーを誰にしよう。
・候補は"実朝"と"頼家"
★長男は"頼家"だったので源氏一同は
彼を次期リーダーとして有力視していた。
※武芸にも優れるエリートだったらしい。
しかし
・北条氏が反対
「頼家はまだ若い」←長男なんだけど…
頼家「いやいやww18歳っすよ?ww」
北条「いやいや、頼れんよ。
13人のおじばばたち政治は任せい」
※2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ね
○頼家と北条がバチバチに対立!!
つづくOK
【追加問題4-3に追加してください】
○北条氏が頼家を暗殺。
※風呂場で入浴中に大事なところ切られて
死んだ話は頼家のことだそうです。
➡北条氏、実朝を将軍に立てて実権掌握
※北条氏が将軍やればいいやんと思った
かもしれないけど、北条の家柄は低い身分
らしい。北条氏が欲しいのは源氏の"地位"
ー後日談ー 実朝のその後
○将軍になったけど実権は完全に北条氏
→やることが和歌ぐらいしかない。
→和歌のプロになる。
→"藤原定家"に弟子入り
→念願のオリ和歌集「金槐和歌集」編纂
この時代で1番幸せそう。
➡︎しかし"頼家"の仇討ちにあって
"公暁"によって殺される…
※これは問題にあるヨ
北条氏の登場の話はこれでおわり。OK
【追加問題.4-3に追加してください】
○本補地頭と新補地頭の違い
まず"本補地頭"とは何か
"幕府により前代からの所領や諸権利を地頭職の内容として安堵された地頭"
つまり"ここの土地は君ので決まりね"と
完全に所有が認められた地頭さんのこと。
★本補地頭→新補地頭 の境い目は
"承 久 の 乱"
○簡単にいえば承久の乱以降に任命された
地頭が"新補地頭"です
ここまでは簡単で次が大事!!
つづくOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○新補率法って何?
前の問題の通り、新補地頭の定義は
"承久の乱以降に任命された地頭"
★承久の乱で後鳥羽上皇を倒したことで
上皇が持ってた広大な荘園が幕府に渡る
→御家人(地頭)に配ろっと〜〜〜
→このとき新補地頭が生まれる
→後鳥羽からかっさらった荘園配るよ〜
"あっでも、めっちゃ広くて米もめっちゃ
収穫出来ると思うから御家人の皆がもらえる米の量はこっちで決めさせてね"
★これが"新補率法"です
つまり"広すぎる荘園における収穫のうち
どのくらいを御家人(地頭)が貰えるのか"を定めたのが新補率法。
※具体的には総面積の11分の1と1段あたり
5升の加徴米を地頭の得分とした
本補地頭と新補地頭についてはこれでおわりOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○★超重要★権力の移り変わりと土地の話
★3-2で問題になっている"寄進地系荘園"が
また関わってくる。
・時代は平安時代まで遡る…
○当時の権力者は"後白河上皇"
・寄進地系荘園の根本にあるのは…
"土地を権力者に寄進して税を逃れる"こと
→農民はよってたかって後白河に寄進した
○権力者が後白河から"平家"に変わる
→平清盛が後白河を幽閉する事件おこる
農民「権力者が平家に変わるんじゃ…」
→寄進先を"平家に変更"するもの増える
○権力者が平家から"源氏"に変わる
→平家が源氏によって都落ち…
農民「権力者が源氏に変わるんじゃ…」
→寄進先を"源氏に変更"
こうやって土地の寄進先が変わっていく…
つづくOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○地頭の誕生
・源氏が結局権力者になった。
土地を寄進していた農民を地頭に任命
※教科書には載ってないけど"地頭"は
時代を先読みして源氏に土地を寄進してた
人達のことらしい…。
・その際、本領安堵&新恩給与
本領安堵→平家を倒す前から源氏に
寄進してくれた人の土地の
所有を保証しますよ。
新恩給与→土地を持ってなくても源氏に
味方してくれた人には土地
あげますよ。
こうやって"御恩と奉公"の関係が
生まれてきったわけです。
つづくOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○惣領制ってなに?
"御恩と奉公"は将軍のために頑張る
お返しに"土地をあげるよ"っていう関係
土地を貰った人のことを"惣領"という。
惣領にももちろん家族がいて
"将軍→惣領→家族"というふうに
繋がっていた。 ※枝分かれのイメージ!
○惣領(家族のリーダー)が死んだら?
→次の惣領を決める
→受け継いだ土地は皆で分けよう!
➡︎これが"分割相続"
※鎌倉時代まではこれが主流だった!!
し か し
この"分割相続"には大問題がある
ワカリマス?
つづくOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○分割し続けたら"ちっさくなる"
・惣領が死んで死んで死んで....
分割、分割、分割…していくと…
家族「俺の土地これだけ!?」っていう
ことが多く起こるようになった
➡分割相続から"単独相続"へ
・惣領が死んだら次の惣領が土地を
"全部"支配するようにした。
分割しなくていいから小さくならない!!
でもでも…
★惣領に選ばれなかった家族は
"土地が一切貰えない"…
➡これじゃ家族の意味ない(あるけど)
★★血縁よりも地縁優先の時代へ★★
※地縁=ご近所付き合い
→土地を一緒に使ったり家族よりも
メリットが多いから。
ー後日談ー
この相続の変化が日本の歴史における
いろんな"争い"を生むことになる。
鎌倉時代→室町時代→戦国時代 と
戦乱の世の中になっていくのはこの
相続の変化が原因として大きいと言われて
いるそうです。
分割相続と単独相続の話はこれでおわりOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○地頭請所と下地中分、実は目的は
同じですよという話
・承久の乱後、新補地頭が荘園に入ってくる
新補「新入りだよー宜しく〜」
荘園領主「なんこいつ…」
新補地頭と荘園領主の間で関係が悪化…
※しかもこの間に飢饉が起こってる
→こんな関係が続けばエライ事になる…
課題は"地頭と荘園をどう仲良くさせるか"
★いろんな対策をそれぞれが打っていく
つづくOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○地頭と荘園どう仲良くさせる?
①御成敗式目でしっかり裁判
泰時は考えた
泰時「地頭と荘園の喧嘩の善悪をきちんと
判断する法律が必要よな」
➡御成敗式目を制定した
②地頭請
荘園領主は考えた
荘園領主「地頭と争うの面倒くさっ…
地頭くんさ、年貢おさめるから
荘園の管理全部やっといて。」
➡荘園を地頭が管理することで喧嘩防止
→このような荘園を"地頭請所"という。
③下地中分
地頭&荘園領主は考えた
「半分こすればよくない?」
➡半分は地頭(地頭方)
もう半分は荘園領主(領家方)に分けて
平和に管理していこう的な。
※いろんな下地中分がある
・和与中分=お互い話し合って分ける
・強制中分=しっかり喧嘩したあとに
評定衆が裁判で分ける
★流れを最後に確認
・新補地頭が荘園に乱入
・地頭と荘園領主の喧嘩起き始める
・どうやって仲良くさせるか対策始まる
だから"地頭請"と"下地中分"の目的は同じ
おわりOK
【追加問題.4-3に追加してください】
○南近江を支配し城下の石寺に楽市・楽座を
実施した戦国大名=[①]
※分国法は[②]六角氏, 六角氏式目