中学社会 歴史のまとめ
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弥生時代 紀元前5世紀
( )の普及:民族宗教が発達稲作
弥生時代 紀元前5世紀
インドで釈迦によって( )が開かれる仏教
弥生時代 紀元前221年
( )の始皇帝が、中国を統一する秦
弥生時代 紀元前4〜7年頃
( )が生まれるイエスキリスト
弥生時代 30年頃
イエスによって( )が開かれるキリスト教
弥生時代 57年
倭奴国王が後漢光武帝から( )を受ける金印
弥生時代 4世紀
各地の有力豪族が( )を造営古墳
弥生時代 395年
( )が、東西に分裂するローマ帝国
飛鳥時代 593年
( )が推古天皇の摂政に就任聖徳太子
飛鳥時代 603年
聖徳太子が( )を制定する冠位十二階
飛鳥時代 604年
聖徳太子が( )を制定する17条の憲法
飛鳥時代 607年
遣隋使として( )を派遣する小野妹子
飛鳥時代 607年
推古天皇と聖徳太子が世界最古の木造建築である( )を建立する法隆寺
飛鳥時代 610年頃
ムハンマドによって( )が開かれるイスラム教
飛鳥時代 618年
隋が滅亡し( )が、中国を統一する唐
飛鳥時代 630年
( )が、アラブを征服するムハンマド
飛鳥時代 645年
( ):中大兄皇子が、中臣鎌足とともに天皇を中心とする中央集権国家の建設をめざし、 645年に蘇我氏をたおし、政治の改革に着手し大化の改新
飛鳥時代 663年
( ):百済を救済し復興するため、日本・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍で戦った。結果大敗し、百済は滅びた白村江の戦い
飛鳥時代 672年
( ):天智天皇の死後、天智天皇の同母弟・大海人皇子と息子・大友皇子との間の皇位継承の争いで、大海人皇子が勝利し天武天皇となる壬申の乱
飛鳥時代 676年
朝鮮半島を( )が統一する新羅
飛鳥時代 694年
( )遷都:天武天皇が都の造営を始め、その妻の持統天皇が完成させた都藤原京
飛鳥時代 701年
( )制定:中国の律令を手本に完成した日本初の刑法、行政法、民法が揃った本格的な律令大宝律令
飛鳥時代 708年
( )の鋳造:唐の先進的な文化や制度を積極的に取り入れようと唐の開元通宝を参考に初めて公的に鋳造、流し発行たとされる銭貨和同開珎
奈良時代 710年
( )遷都:元明天皇が律令政治を行う中心地として藤原京から遷都し、唐の長安という都をモデルに新しい大規模な都をつくった平城京
奈良時代 723年
( )制定:開墾を奨励するため開墾者から三世代までの墾田の私有を認める三世一身の法
奈良時代 741年
国分寺・( )建立の詔:聖武天皇が仏教によ
る国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺と( )に分かれている国分尼寺
奈良時代 743年
( )制定:三世一身の法を定めたが税制収入の問題を解決できなかったため、新しく開墾した土地を制限付きながら永久に所有することを認めた。 これにより公地公民制は崩れ、のちの荘園制へとつながっていく墾田永年私財法
奈良時代 754年
( )来日:多くの苦難の末、来日をはたし、戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開いた鑑真
奈良時代 784年
( )遷都:桓武天皇の命によって奈良の平城京から遷された都。しかしながら、792年の大洪水や桓武天皇の弟である早良親王の死、その怨霊などから、 794年に平安京へ都が遷された長岡京
平安時代 794年
( )遷都:桓武天皇によって長岡京から山背国(現在の京都市)に都が遷され、永遠に平和で安らかであるようにとの 願いを込め「平安京」と名付けられた平安京
平安時代 797年
( )が征夷大将軍になる:桓武天皇から征夷大将軍に任命され、敵対する蝦夷を討った坂上田村麻呂
平安時代 805年
( )が天台宗を広める:平安時代の僧。日本の天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られている。比叡山延暦寺最澄
平安時代 806年
( )が真言宗を広める:平安時代初期の僧。弘法大師の諡号で知られる真言宗の開祖。高野山金剛峰寺空海
平安時代 894年
菅原道真が( )廃止を進言:唐の国力が衰え、大きな危険を冒して遣唐使を派遣する意味が薄まったため遣唐使
平安時代 935年
( )の乱:平安時代中期のほぼ同時期に起きた乱のうち、関東での乱平将門
平安時代 939年
( )の乱:平安時代中期のほぼ同時期に起きた乱のうち、瀬戸内での乱藤原純友
平安時代 11世紀頃
「 」(紫式部)など、かな物語が流行源氏物語
平安時代 1051年
( ):平安時代後期に、陸奥の国で起こった豪族による反乱を、 朝廷から派遣された源頼義・源義家親子が平定した前九年の役
平安時代 1083年
( ):平安時代後期、前九年の役に続いて東北地方で起こった戦乱。前九年の役の後、東北地方では清原氏が大きな力をもっていたが、兄弟の間で内紛が生じ、陸奥守であった源義家が介入し乱をしずめた後三年の役
平安時代 1099年
( )がエルサレム王国を建てる十字軍
平安時代 1156年
( ):皇位継承問題などの朝廷内の内紛から起こったもので、後白河天皇と崇徳上皇の分裂に、源氏と平氏の武力が加わった政変。平清盛や源義朝などといった武士の力を借りたため、この乱以降、武士の存在感が増すことになる保元の乱
平安時代 1159年
( ):天皇と上皇による院政の実権をめぐる争いから生じた戦乱。この戦乱では源氏と平氏が敵対し、平清盛を中心とする平氏が勝利した。 勝利した平氏の勢力は拡大し、平清盛は武士として初めて太政大臣に任命された平治の乱
鎌倉時代 1192年
( )征夷大将軍に就任:( )が開いた最初の武家政権。1180年から侍所・問注所などの主要機関を設置し、 1185年に守護・地頭を設置する権利を朝廷より認められ、1192年に頼朝が征夷大将軍に任命されたことで 幕府の体制が固められた源頼朝
鎌倉時代 1232年
( )制定:三代執権北条泰時によって制令された武家政権のための法令。室町幕府の「建武式目」をはじめ、戦国時代、江戸時代を通じて武家の法の基本となった御成敗式目
鎌倉時代 1271年
( ):北条時宗が執権であった1274年、元の皇帝・フビライハンからの国書に返答せず、 元への服属を拒否した日本に、軍を襲来させた一回目の役。幕府軍は、苦戦を強いられたが、暴風があり、元と高麗の軍を撃退することができた文永の役
鎌倉時代 1281年
( ):元軍2度目の襲来弘安の役
鎌倉時代 1297年
永仁の( ):鎌倉幕府が借金で苦しむ御家人たちを救うために出した法令徳政令
鎌倉時代 1333年
( )滅亡:1333年、足利尊氏、新田義貞らによって幕府と北条高時ら北条氏一族は滅亡した。財政の圧迫と御家人たちの不満などが背景にある鎌倉幕府
鎌倉時代 1334年
( ):後醍醐天皇は天皇親政を復活しようとしたが、 公家中心の政策が武家の不満を招き、足利尊氏の反乱により、わずか3年足らずで崩壊した建武の新政
室町時代 1336年
( )時代へ:北朝と南朝に天皇家が分かれ、両家が正統性を提唱しながら朝廷を開いていく状態が60年も続いた。 後醍醐天皇吉野へ南北朝
室町時代 1338年
( )征夷大将軍に就任:1338年、北朝より征夷大将軍に任じられた足利尊氏
室町時代 1392年
( )南北朝統一:三代将軍( )は南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇に位を譲るというかたちで、 両者の面目が保たれるように気をつけつつ、南北朝合体を成功させた足利義満
室町時代 1392年
( )滅亡、李氏朝鮮設立高麗
室町時代 1397年
( )金閣寺造営:三代将軍( )が西園寺からこの地を譲り受け、自身や夫人らの御所北山殿を造営。 この地を政治・外交の中心とするとともに、北山文化を花開かせた足利義満
室町時代 1467年
( ):8代将軍の足利義政の後継者争い。京都を主戦場に11年間続いた応仁の乱
室町時代 1485年
( ):南山城の国人・地侍が核となって組織した一揆。畠山政長と畠山義就の戦いに抗議したのを機に、 両軍の山城撤退、寺社本所領の還付、新関の停止を三大要求項目として結成された山城国一揆
室町時代 1492年
( )が新大陸を発見コロンブス
室町時代 1498年
( )がインド航路を発見バスコ・ダ・ガマ
室町時代 1543年
( )伝来:種子島に漂着したポルトガル人は時の種子島島主時尭に鉄砲を伝えました鉄砲
室町時代 1549年
( )伝来:鉄砲が日本にもたらされた後、次々と来日した宣教師 (バテレン)の布教によって、 キリスト教が伝来した。最初に日本にやってきたのは、スペイン人のフランシスコ=ザビエルですキリスト教
室町時代 1560年
( ):織田信長の運命をかえた戦い。 駿河の戦国大名、今川義元の2万5000もの大軍を2000騎の織田軍が桶狭間を奇襲し勝利した桶狭間の戦い
室町時代 1571年
( )焼き討ち:滋賀県大津市の( )延暦寺で行われた戦い比叡山
室町時代 1573年
( )滅亡:足利義昭は織田信長によって京都を追放された室町幕府
安土桃山時代 1575年
( ):三河国長篠城をめぐって、 織田信長・徳川家康連合軍3万8000 と武田勝頼軍1万5000との間で行われた戦い。 この戦いで信長は火縄銃を使った新しい戦法を生み出した長篠の戦い
安土桃山時代 1576年
( )築城:織田信長が名築城家丹羽長秀に命じ3年の歳月を掛けて完成した我国最初の本格的天守閣を有する 近世城郭安土城
安土桃山時代 1582年
( ):全国統一目前であった織田信長を、家臣であった明智光秀が謀反をおこし、 信長を自害に追い込んだ事件本能寺の変
安土桃山時代 1582年
( ):豊臣秀吉が日本全土で行なった検地。大名の手によって検地が行われ、土地の権利関係を整理するとともに、 直接耕作者(農民)を検地帳に登録して年貢の負担者とした太閤検地
安土桃山時代 1583年
( )築城:豊臣秀吉秀吉は石山本願寺跡に( )を築城大坂城
安土桃山時代 1587年
( )追放令:豊臣秀吉が筑前箱崎(現・福岡県福岡市東区)において発令したキリスト教宣教と南蛮貿易に関する禁制文書バテレン
安土桃山時代 1592年
( )の役:豊臣秀吉が明の征服を目的に朝鮮に出兵した侵略戦争。 約16万の軍を釜山に上陸させ明の国境まで進出しましたが、 明の援軍、朝鮮水軍の攻撃や民衆蜂起などによって劣勢となり停戦した文禄
安土桃山時代 1596年
( )が東洋に殖民を始めるオランダ
安土桃山時代 1600年
( )の戦い:徳川家康が率いる東軍と、石田三成の西軍、合わせて15万人以上の軍勢が戦った。 豊臣政権は統一政権の地位を失った一方、勝者である徳川家康は強大な権力を手に入れ、 幕藩体制確立への道筋が開かれた関ヶ原
弥生時代 紀元前5世紀
( )の普及:民族宗教が発達稲作
弥生時代 紀元前5世紀
インドで釈迦によって( )が開かれる仏教
弥生時代 紀元前221年
( )の始皇帝が、中国を統一する秦
弥生時代 紀元前4〜7年頃
( )が生まれるイエスキリスト
弥生時代 30年頃
イエスによって( )が開かれるキリスト教
弥生時代 57年
倭奴国王が後漢光武帝から( )を受ける金印
弥生時代 4世紀
各地の有力豪族が( )を造営古墳
弥生時代 395年
( )が、東西に分裂するローマ帝国
飛鳥時代 593年
( )が推古天皇の摂政に就任聖徳太子
飛鳥時代 603年
聖徳太子が( )を制定する冠位十二階
飛鳥時代 604年
聖徳太子が( )を制定する17条の憲法
飛鳥時代 607年
遣隋使として( )を派遣する小野妹子
飛鳥時代 607年
推古天皇と聖徳太子が世界最古の木造建築である( )を建立する法隆寺
飛鳥時代 610年頃
ムハンマドによって( )が開かれるイスラム教
飛鳥時代 618年
隋が滅亡し( )が、中国を統一する唐
飛鳥時代 630年
( )が、アラブを征服するムハンマド
飛鳥時代 645年
( ):中大兄皇子が、中臣鎌足とともに天皇を中心とする中央集権国家の建設をめざし、 645年に蘇我氏をたおし、政治の改革に着手し大化の改新
飛鳥時代 663年
( ):百済を救済し復興するため、日本・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍で戦った。結果大敗し、百済は滅びた白村江の戦い
飛鳥時代 672年
( ):天智天皇の死後、天智天皇の同母弟・大海人皇子と息子・大友皇子との間の皇位継承の争いで、大海人皇子が勝利し天武天皇となる壬申の乱
飛鳥時代 676年
朝鮮半島を( )が統一する新羅
飛鳥時代 694年
( )遷都:天武天皇が都の造営を始め、その妻の持統天皇が完成させた都藤原京
飛鳥時代 701年
( )制定:中国の律令を手本に完成した日本初の刑法、行政法、民法が揃った本格的な律令大宝律令
飛鳥時代 708年
( )の鋳造:唐の先進的な文化や制度を積極的に取り入れようと唐の開元通宝を参考に初めて公的に鋳造、流し発行たとされる銭貨和同開珎
奈良時代 710年
( )遷都:元明天皇が律令政治を行う中心地として藤原京から遷都し、唐の長安という都をモデルに新しい大規模な都をつくった平城京
奈良時代 723年
( )制定:開墾を奨励するため開墾者から三世代までの墾田の私有を認める三世一身の法
奈良時代 741年
国分寺・( )建立の詔:聖武天皇が仏教によ
る国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺と( )に分かれている国分尼寺
奈良時代 743年
( )制定:三世一身の法を定めたが税制収入の問題を解決できなかったため、新しく開墾した土地を制限付きながら永久に所有することを認めた。 これにより公地公民制は崩れ、のちの荘園制へとつながっていく墾田永年私財法
奈良時代 754年
( )来日:多くの苦難の末、来日をはたし、戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開いた鑑真
奈良時代 784年
( )遷都:桓武天皇の命によって奈良の平城京から遷された都。しかしながら、792年の大洪水や桓武天皇の弟である早良親王の死、その怨霊などから、 794年に平安京へ都が遷された長岡京
平安時代 794年
( )遷都:桓武天皇によって長岡京から山背国(現在の京都市)に都が遷され、永遠に平和で安らかであるようにとの 願いを込め「平安京」と名付けられた平安京
平安時代 797年
( )が征夷大将軍になる:桓武天皇から征夷大将軍に任命され、敵対する蝦夷を討った坂上田村麻呂
平安時代 805年
( )が天台宗を広める:平安時代の僧。日本の天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られている。比叡山延暦寺最澄
平安時代 806年
( )が真言宗を広める:平安時代初期の僧。弘法大師の諡号で知られる真言宗の開祖。高野山金剛峰寺空海
平安時代 894年
菅原道真が( )廃止を進言:唐の国力が衰え、大きな危険を冒して遣唐使を派遣する意味が薄まったため遣唐使
平安時代 935年
( )の乱:平安時代中期のほぼ同時期に起きた乱のうち、関東での乱平将門
平安時代 939年
( )の乱:平安時代中期のほぼ同時期に起きた乱のうち、瀬戸内での乱藤原純友
平安時代 11世紀頃
「 」(紫式部)など、かな物語が流行源氏物語
平安時代 1051年
( ):平安時代後期に、陸奥の国で起こった豪族による反乱を、 朝廷から派遣された源頼義・源義家親子が平定した前九年の役
平安時代 1083年
( ):平安時代後期、前九年の役に続いて東北地方で起こった戦乱。前九年の役の後、東北地方では清原氏が大きな力をもっていたが、兄弟の間で内紛が生じ、陸奥守であった源義家が介入し乱をしずめた後三年の役
平安時代 1099年
( )がエルサレム王国を建てる十字軍
平安時代 1156年
( ):皇位継承問題などの朝廷内の内紛から起こったもので、後白河天皇と崇徳上皇の分裂に、源氏と平氏の武力が加わった政変。平清盛や源義朝などといった武士の力を借りたため、この乱以降、武士の存在感が増すことになる保元の乱
平安時代 1159年
( ):天皇と上皇による院政の実権をめぐる争いから生じた戦乱。この戦乱では源氏と平氏が敵対し、平清盛を中心とする平氏が勝利した。 勝利した平氏の勢力は拡大し、平清盛は武士として初めて太政大臣に任命された平治の乱
鎌倉時代 1192年
( )征夷大将軍に就任:( )が開いた最初の武家政権。1180年から侍所・問注所などの主要機関を設置し、 1185年に守護・地頭を設置する権利を朝廷より認められ、1192年に頼朝が征夷大将軍に任命されたことで 幕府の体制が固められた源頼朝
鎌倉時代 1232年
( )制定:三代執権北条泰時によって制令された武家政権のための法令。室町幕府の「建武式目」をはじめ、戦国時代、江戸時代を通じて武家の法の基本となった御成敗式目
鎌倉時代 1271年
( ):北条時宗が執権であった1274年、元の皇帝・フビライハンからの国書に返答せず、 元への服属を拒否した日本に、軍を襲来させた一回目の役。幕府軍は、苦戦を強いられたが、暴風があり、元と高麗の軍を撃退することができた文永の役
鎌倉時代 1281年
( ):元軍2度目の襲来弘安の役
鎌倉時代 1297年
永仁の( ):鎌倉幕府が借金で苦しむ御家人たちを救うために出した法令徳政令
鎌倉時代 1333年
( )滅亡:1333年、足利尊氏、新田義貞らによって幕府と北条高時ら北条氏一族は滅亡した。財政の圧迫と御家人たちの不満などが背景にある鎌倉幕府
鎌倉時代 1334年
( ):後醍醐天皇は天皇親政を復活しようとしたが、 公家中心の政策が武家の不満を招き、足利尊氏の反乱により、わずか3年足らずで崩壊した建武の新政
室町時代 1336年
( )時代へ:北朝と南朝に天皇家が分かれ、両家が正統性を提唱しながら朝廷を開いていく状態が60年も続いた。 後醍醐天皇吉野へ南北朝
室町時代 1338年
( )征夷大将軍に就任:1338年、北朝より征夷大将軍に任じられた足利尊氏
室町時代 1392年
( )南北朝統一:三代将軍( )は南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇に位を譲るというかたちで、 両者の面目が保たれるように気をつけつつ、南北朝合体を成功させた足利義満
室町時代 1392年
( )滅亡、李氏朝鮮設立高麗
室町時代 1397年
( )金閣寺造営:三代将軍( )が西園寺からこの地を譲り受け、自身や夫人らの御所北山殿を造営。 この地を政治・外交の中心とするとともに、北山文化を花開かせた足利義満
室町時代 1467年
( ):8代将軍の足利義政の後継者争い。京都を主戦場に11年間続いた応仁の乱
室町時代 1485年
( ):南山城の国人・地侍が核となって組織した一揆。畠山政長と畠山義就の戦いに抗議したのを機に、 両軍の山城撤退、寺社本所領の還付、新関の停止を三大要求項目として結成された山城国一揆
室町時代 1492年
( )が新大陸を発見コロンブス
室町時代 1498年
( )がインド航路を発見バスコ・ダ・ガマ
室町時代 1543年
( )伝来:種子島に漂着したポルトガル人は時の種子島島主時尭に鉄砲を伝えました鉄砲
室町時代 1549年
( )伝来:鉄砲が日本にもたらされた後、次々と来日した宣教師 (バテレン)の布教によって、 キリスト教が伝来した。最初に日本にやってきたのは、スペイン人のフランシスコ=ザビエルですキリスト教
室町時代 1560年
( ):織田信長の運命をかえた戦い。 駿河の戦国大名、今川義元の2万5000もの大軍を2000騎の織田軍が桶狭間を奇襲し勝利した桶狭間の戦い
室町時代 1571年
( )焼き討ち:滋賀県大津市の( )延暦寺で行われた戦い比叡山
室町時代 1573年
( )滅亡:足利義昭は織田信長によって京都を追放された室町幕府
安土桃山時代 1575年
( ):三河国長篠城をめぐって、 織田信長・徳川家康連合軍3万8000 と武田勝頼軍1万5000との間で行われた戦い。 この戦いで信長は火縄銃を使った新しい戦法を生み出した長篠の戦い
安土桃山時代 1576年
( )築城:織田信長が名築城家丹羽長秀に命じ3年の歳月を掛けて完成した我国最初の本格的天守閣を有する 近世城郭安土城
安土桃山時代 1582年
( ):全国統一目前であった織田信長を、家臣であった明智光秀が謀反をおこし、 信長を自害に追い込んだ事件本能寺の変
安土桃山時代 1582年
( ):豊臣秀吉が日本全土で行なった検地。大名の手によって検地が行われ、土地の権利関係を整理するとともに、 直接耕作者(農民)を検地帳に登録して年貢の負担者とした太閤検地
安土桃山時代 1583年
( )築城:豊臣秀吉秀吉は石山本願寺跡に( )を築城大坂城
安土桃山時代 1587年
( )追放令:豊臣秀吉が筑前箱崎(現・福岡県福岡市東区)において発令したキリスト教宣教と南蛮貿易に関する禁制文書バテレン
安土桃山時代 1592年
( )の役:豊臣秀吉が明の征服を目的に朝鮮に出兵した侵略戦争。 約16万の軍を釜山に上陸させ明の国境まで進出しましたが、 明の援軍、朝鮮水軍の攻撃や民衆蜂起などによって劣勢となり停戦した文禄
安土桃山時代 1596年
( )が東洋に殖民を始めるオランダ
安土桃山時代 1600年
( )の戦い:徳川家康が率いる東軍と、石田三成の西軍、合わせて15万人以上の軍勢が戦った。 豊臣政権は統一政権の地位を失った一方、勝者である徳川家康は強大な権力を手に入れ、 幕藩体制確立への道筋が開かれた関ヶ原