問題一覧
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【1.フランク王国の繁栄】フランク王国は8世紀後半〜9世紀初め、①(②)(位768〜814)のもとで③を迎えた。①は西ヨーロッパ世界の形成に大きな影響を与えた。
カール大帝, シャルルマーニュ, 最盛期
2
[1.領土の拡大]カール大帝は北イタリアの①を滅ぼした。
ランゴバルド王国
3
ドイツ北部のゲルマン人の一派、①を征服した。
ザクセン
4
スペインに遠征し、①と戦った。『②』にある。
イスラーム勢力, ローランの歌
5
アルタイ語系の遊牧民①を撃退した。
アヴァール人
6
このように、カールの制服により西ヨーロッパの主要部分が統一された。
うん
7
[2.支配体制の整備]領土の拡大に伴い、カールは①を整備した。
中央集権体制
8
全国を①に分け、地方の有力者を②(③)に任命して統治させた。
州, 伯, グラーフ
9
伯の監督のため、各地に①を派遣した。
巡察使
10
[3.文化の保護・奨励]カールは古代文化の復興を目指して①という運動を行った。具体的には②(首都)の宮廷に学者を招き、ラテン語・神学・法律などの学芸を保護・奨励していった。イギリスの神学者③が、宮廷に招かれたことが有名。
カロリング=ルネサンス, アーヘン, アルクィン
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【2.①】②年、カールは教皇③から④を授かり、⑤として即位(①)。そして⑥は⑦を宣言した。これは非常に大きな意味を持っている。
カールの戴冠, 800, レオ3世, ローマ皇帝の冠, 皇帝, 教皇, 「西ローマ帝国」の復活
12
[「カールの戴冠」及び「「西ローマ帝国」の復活」の意味] ・カールをローマ皇帝とすることで、西ヨーロッパ世界の指導者としての地位を与えた。 ・西ヨーロッパを一つの勢力とすることで、①に対抗させようとした。 ・西ヨーロッパ世界が政治的・文化的・宗教的に独立した。
ビザンツ帝国
13
ベルギーの歴史家①は「②」と述べ、西ヨーロッパ世界の成立に対するイスラーム勢力の影響の大きさを示している。
ピレンヌ, ムハンマドなくしてシャルルマーニュなし
14
【3.フランク王国の分裂】カールの死後、フランク王国では内紛が起こり、領土が分割された。
うん
15
[1]①はカール大帝の孫が、②した条約。
ヴェルダン条約, フランク王国を3分割
16
ヴェルダン条約によってフランク王国は①、②、③(④)に分裂した。
西フランク王国, 東フランク王国, 中部フランク, ロタールの国
17
西フランク王国はフランクの西部。後の①。
フランス
18
東フランク王国はフランクの東部。後の①。
ドイツ
19
中部フランクは①。後の②。
フランク中部と北イタリア, イタリア
20
[2]①はロタールの死後、弟たちが②した条約。フランク中部は③にそれぞれ併合され、取り残された④は長い混乱の時代に入った。
メルセン条約, 中部フランクを分割, 東西のフランク, イタリア
21
【3.東西のフランク王国】[1.西フランク王国]西フランク王国では王権が弱く、①年にカロリング家が断絶。①年、外敵の攻撃で功績をあげた②(③)がフランス国王に選ばれ、④を開いた。これが⑤の始まり。
987, パリ伯, ユーグ=カペー, カペー朝, フランス王国
22
[2.東フランク王国]東フランク王国でも王権は弱く、911年にカロリング家が断絶。有力諸侯が選挙で次の王を選んだ。936年、王となった①の②は、異民族の撃退で知られる。
ザクセン家, オットー1世
23
オットー1世の異民族撃退 ・955年、ウラル語系の遊牧民①をレヒフェルトの戦いで撃退した。 ・②を撃退した。 ・北イタリアに遠征して③を助けた。
マジャール人, スラヴ人, 教皇
24
①年、教皇ヨハネス12世はオットー1世の功績を認め、②を授けた。この戴冠によりオットー1世は③(④〜⑤)を開き、初代皇帝となった。
962, ローマ皇帝の冠, 神聖ローマ帝国, 962, 1806
25
神聖ローマ帝国が出てきたら、これから①のことだなと考える、②じゃない。
ドイツ, イタリア