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哲学倫理学
  • ・りん

  • 問題数 93 • 2/4/2024

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  • 1

    ショーペンハウアーの独創的な哲学は、この世界および人生は苦悩に満ち溢れているという(  )であり、そこからいかにして脱却するのかが彼の終生の課題となった

    ペシミズム

  • 2

    ショーペンハウアーはフランス革命などによるヨーロッパの荒廃と若き日の(  )との出会い、そして父の自殺によりペシミストとなった

    仏教

  • 3

    ショーペンハウアーは1819年に『  』を書いた。

    意志と表象としての世界

  • 4

    ショーペンハウアーはカントの認識論から出発し、あらゆる客観は主観に制約され、主観に対してのみ存在する、つまり主観がなければ客観がないとした。 これを世界は私の(  )である、と表した。

    表象

  • 5

    ショーペンハウアーにとって主観とはあらゆる客観の前提であり、(     )である。それゆえ主観には、客観を規定する形式的な制約•枠組みは妥当しない

    世界の担い手

  • 6

    ショーペンハウアーにとって、人間は主観ではなく、(  )をもった個体として存在している。そのため主観による認識は常に(  )を介してなされる。

    身体

  • 7

    ショーペンハウアーは 客体=(  )としての身体、外面的なもの、とした。 よって、時間、空間、因果性の支配下にある。

    物体

  • 8

    ショーペンハウアーは 主体=直接的な内面の働きの表出、とした。 身体動作=(  )の客観的な表れ(=客観化)

    意志

  • 9

    ショーペンハウアーは意識に対してあらゆる客観も「身体=意思の客観化」という解釈を拡大する仕方で捉え、表象としての世界を意思の客観化であると主張する。そして、カントの現象と物自体の区別を用いて、表象されたものとしての客観を現象、その根底にある意志を(  )とみなす。(  )としての意思とは、もはや個別的なものではなく、世界の隠された真相(=原意思)として位置づけられる。

    物自体

  • 10

    ショーペンハウアーによると、意志は、 「     」と性格づけられ、この意志を本質とする世界は苦悩に満ちた世界であるとみなされる

    生への盲目的な意志

  • 11

    ショーペンハウアーは苦悩に満ちた世界から脱却するためには、意志の(  )が必要であるとした。

    鎮静化

  • 12

    ショーペンハウアーは意志の鎮静化の方法として(   )の3つを提示した

    芸術, 共苦, 禁欲

  • 13

    ショーペンハウアーの提示した芸術とは、認識が事物を離れ、永遠のイデアへの観照へ高まることで、一時的に苦悩を緩和する効果がある。こうした高次の認識が芸術活動であり、とりわけ(  )を最高の芸術として高く評価する

    音楽

  • 14

    ショーペンハウアーによると、共苦(同情)は「人間の本質が意志であり、人間とは共に苦しむものである」という認識に(  )の基礎を見ており、共苦に基づく道徳的な行為によって苦悩が緩和されると考えている

    道徳

  • 15

    ショーペンハウアーは苦悩の根源である意志の(  )のため、禁欲•諦年を勧める。意志を完全に廃棄した人には安らぎの境地(無の境地)が訪れる

    否定

  • 16

    ショーペンハウアーが理想としたのは、仏教における煩悩を滅した状態=(  )であった。

    涅槃

  • 17

    25歳でバーゼル大学の古典文献学の教授になったニーチェは、ショーペンハウアーとワーグナーの影響下で最初の著作『  』(1872年)を刊行した。しかし、その文献学らしからぬ内容が批判を浴び、その後は黙殺された。

    悲劇の誕生

  • 18

    ニーチェの思想は神を求めながらも「神の死」を宣言する(  )が有名である

    ニヒリズム

  • 19

    ニーチェはニヒリズムを克服を図ることで「生の全面的に肯定」を目指すという意味では、20世紀を代表する(  )の先駆とも言える

    生の哲学

  • 20

    ニーチェは自らの歩みを開始した当初、カント、ショーペンハウアーにならって、世界を現象と物自体に区別したがショーペンハウアーが意志とみなした物自体を(  )と捉え、それが世界の本質であると主張した

    悲劇的生

  • 21

    ニーチェは世界の本質を認識する手段として重視したのが、ギリシア悲劇やワーグナーの音楽であった。とりわけ「悲劇の誕生」において自身の古典文献学研究の成果として、世界を(  )的なもの(=現象・表象)とディオニュソス的なものに区別し、両者の対比を通じて世界を描き出した。

    アポロン

  • 22

    ニーチェは世界の本質を認識する手段として重視したのが、ギリシア悲劇やワーグナーの音楽であった。とりわけ「悲劇の誕生」において自身の古典文献学研究の成果として、世界をアポロン的なもの(=現象・表象)と(  )的なもの(=物自体・意志)に区別し、両者の対比を通じて世界を描き出した。

    ディオニュソス

  • 23

    ディオニュソス的なものが世界・生の根源であり、これと一体化することで(  )の境地に至る(=陶酔)

    忘我

  • 24

    アポロン的なものはディオニュソス的なものに耐えるための(  )の世界、ディオニュソス的なものの影にすぎない。 これは後に合理主義となった

    夢幻

  • 25

    ギリシア悲劇はアポロン的なものとディオニュソス的なものという対立したものが結合し、(  )する中で成立した

    和解

  • 26

    ニーチェの中期思想では、ロマン主義的な芸術至上主義から離れ、科学的な方法を自身の哲学に取り入れた。 (  )とは芸術、哲学、宗教の本質を実証科学的に暴露する方法。

    生の遠近法

  • 27

    生の遠近法は思想や観念の意味を生の(  )にどれだけ役立つかという実利的観点から評価・判定される 例)道徳=集団の利益を守るため

    発展

  • 28

    ニーチェの中期思想の一つである、絶対的権威の破壊とは、思想・観念を「生に有益かどうか」で見るこの視点において、従来「絶対」とされてきたあらゆる権威はもはやそれ自体で価値があるものとはみなされない。 ※あらゆる価値の(  )つまり、神は死んだ

    相対化

  • 29

    ニーチェの中期思想の一つであるニヒリズムは、絶対的価値の否定は人間を解放し自由にするが、それと同時に何の支え・根拠もない(  )の状態に浮遊させる。こうしたニヒリズムの徴候を時代に見たニーチェはその克服を自分の哲学の課題とする

    虚無

  • 30

    ニヒリズムを克服する前に、ニーチェはニヒリズムがどのようなものなのか歴史的に分析する。連続して刊行された本のタイトルが示唆するように(  )に対する徹底的な批判をともなうものであった

    キリスト教的道徳

  • 31

    ニーチェによると、キリスト教以前の古代の人間は、「よさ」を「強さ、豊さ」という(  )評価に基づいて判断した。それは人間本来の性に即した「健全な」評価であった

    貴族的

  • 32

    ニーチェによると、キリスト教以前の貴族的評価を転倒させて、「弱さ、貧しさ」こそが「良さ」だとする(  )評価がキリスト教により作られ、それに伴い神や彼岸の世界といった超越的な観念が仮構された。

    僧侶的

  • 33

    ニーチェは貴族的評価から僧侶的評価に変換された出来事を道徳上の(  )と呼んだ

    奴隷一揆

  • 34

    ニーチェは奴隷一揆を強者に対する弱者の(  )に基づく精神的な復讐とみる

    ルサンチマン

  • 35

    ニーチェは「神は死んだ」と言われる神は、生に(  )を与えてきた超越的な存在であるとした

    意味

  • 36

    ニーチェの「神は死んだ」と言われる神は第一義的にはキリスト教の神(= •  )が想定されている

    創造神, 救済神

  • 37

    キリスト教の神とは世界を想像し、終わらせる神である。つまり、キリスト教では世界の終末に個々人が救済されるかどうかが決定される(  )がある

    最後の審判

  • 38

    最後の審判があるということは始まりがあれば終わりもあり、神は終わらせることができるということである。このことを(  )という

    終末論

  • 39

    「神なき世界」とはどのような世界かという問いに対して、ニーチェは(  )の世界と答えた

    等しいものの永遠回帰

  • 40

    永遠回帰を消極的に受け取ると、同じことが永遠に続く世界、つまり「(  )なものが永遠に」続く世界であり、終わり(=目的)の喪失した世界であると言える。 消極的に理解された永遠回帰はニヒリズムの究極形態となる

    無意味

  • 41

    永遠回帰を積極的に受け入れることは(    )と言われ、そこにニヒリズムを克服する可能性が開ける。 ニーチェは消極的な受け取り方から積極的な受け取り方へ変換しようとした

    全き生の肯定

  • 42

    ニーチェは『  』(1885年)の中で、永遠回帰を全面的に肯定する人間の姿を超人として描き、神なき世界を生きる人間の道を模索した

    ツァラトゥストラはこう言った

  • 43

    ニーチェは『ツァラトゥストラはこう言った』の中で永遠回帰を全面的に肯定する人間の姿を(  )として描き、神なき世界を生きる人間の救済の道を模索した

    超人

  • 44

    ニーチェは新たな価値設定の原理=(  )とした

    力への意志

  • 45

    ニーチェは力への意志とは今よりも(  )なろうとする意志、つまり向上心であるとした。

    強く

  • 46

    ニーチェは力への意志が全ての(  )の本質であると見た

  • 47

    ニーチェは力への意志=生の本質とし、力への意志に従って生きるものは苦悩や挫折を含めたこれまでの人生全てを自分以外のもの(環境、他者、時代など)のせいにすることなく、むしろ「   」と受け入れることができる、といった

    自ら欲したのだ

  • 48

    永遠回帰を自ら欲するような仕方で生きること=(   )と呼ばれる

    運命愛

  • 49

    ニーチェの哲学は伝統的なキリスト教的世界観、道徳を批判するものであった。こうしたニーチェの思想を経験(実証)科学の立場から引き継いだとみなしうるのが、フロイトの(  )である

    精神分析

  • 50

    フロイトは人間のパーソナリティを研究し、(  )、(  )、(  )の3つの領域からなっていると主張した

    エス, 自我, 超自我

  • 51

    エスとは、英語のitに相当し、「私」という意識を欠いている自我の原始的な領域を指す。衝動的エネルギーの貯蔵庫で、「快を求める不快を避ける」という(  )に従う。小児的、獣的、性的であり、道徳性や倫理性は欠落した状態である

    快楽原則

  • 52

    自我とは、エスの一部が発展し、意識的、道徳的、倫理的になったものである。快楽原則に従うエスを(  )に従って制御、個人を社会に適応させようとする。防衛機能のこと。

    現実原則

  • 53

    超自我とは、自我の道徳的・良心的な部分であり、自我の行為を監視する。超自我と自我の関係は親子関係に似ている。 これは民族的伝統・習俗による(  )も含まれる

    禁止的欲求

  • 54

    フロイトによると、エスと超自我は無意識的であり、過去の経験の反映という点では同じではあるが、エスは主に(  )、超自我は純粋に(  )な影響と言える

    素質的, 心理的

  • 55

    フロイトの功績とは(  )の発見である

    無意識

  • 56

    フロイトはエスの背後にある力を(  )とみなした

    欲動

  • 57

    フロイトは欲動を「生の欲動」=(  )と「死の欲動」=(  )に区別できることを明らかにした

    エロス, タナトス

  • 58

    生の欲動とは、自己保存・種族的保存本能を含むが、中でも性衝動(=  )が生の欲動を代表するものとして重視される

    リビドー

  • 59

    死の欲動とは、人間が(  )へ帰還しようとする欲動を指す。ショックな体験を何度も夢で繰り返し見ることなどの(  )の事実は快楽原則からは説明できない死の欲動の存在を示唆している

    無生物, 反復強迫

  • 60

    フロイトは人間存在を生に結びつけて考える(  )を主張した

    汎性欲説

  • 61

    フロイトは汎性欲説の視座から(  )、(  )、(  )の本質を説明した

    芸術, 道徳, 宗教

  • 62

    フロイトによると芸術活動とは、性衝動がその目的が阻まれた時、別の形をとることで、その代償的な充足(  =昇華)をはかる行為である

    カタルシス

  • 63

    フロイトによると、道徳の起源は近親相姦の禁止にある。それが人間の本能なのではなく、むしろこの禁止自体が、それを本能的に欲すること(=  )を示している

    エディプス•コンプレックス

  • 64

    フロイトによるとキリスト教では神を父と呼ぶが、それは父親を絶対的権力者とみなすことを意味し、そのことは逆に(  )が絶対的な罪悪として禁止されていることを示している

    父親殺し

  • 65

    フロイトによれば、人類の文明・文化とは欲動・衝動を抑圧した結果であるとしており、(   )な世界観を表している

    ペシミスティック

  • 66

    ハイデガーの主著『   』(1927年)の中で人間のことを現存在と呼び、そのあり方を分析している

    存在と時間

  • 67

    ハイデガーは人間=(  )とした

    現存在

  • 68

    ハイデガーは現存在の存在=(  )とした

    実存

  • 69

    ハイデガーは、自己は世界に対置される主観ではなく、むしろいつもすでに世界の内側に存在してしまってるとし、実存=(  )と表した

    世界内存在

  • 70

    ハイデガーは現存在の「さしあたりたいてい」のあり方=(  )とした

    日常性

  • 71

    日常的な現存在にとって「世界」とは客観ではなく、身の回りの(  )である

    環境

  • 72

    環境=自然も含んだ(  )の全体

    道具

  • 73

    道具とは最も身近な存在者である。道具の存在は、「   」と規定され、別の道具を指示する。この道具の指示連関を辿っていくと最終目的が現存在自身として明らかになる

    〜するため

  • 74

    日常的な世界=現存在にとって(  )な世界

    有意義

  • 75

    (  )=日常的な現存在のあり方(=非本来性)。世間。ひと。

    世人

  • 76

    世人は(   )を特徴とする。「誰でもないがゆえに誰でもある」世人とは判断や価値の基準であり、その意味で日常的世界の支配者である

    無差別的平均性

  • 77

    (  )=世人の支配から解放され、自己本来のあり方を取り戻す根本気分

    不安

  • 78

    不安の対象は(  )である。「なんとなく不安」「ぼんやりとした不安」

    不明瞭

  • 79

    死とは現存在の卓抜な(  )として経験される

    可能性

  • 80

    死とはあらゆる経験を不可能にする可能性、つまり(  )の可能性

    不可能性

  • 81

    現存在は存在する限り死へ向かっており、自己のあらゆる可能性は「死んでいない」という条件下でのみ担保されうる。こうした(  )的な関わりは日常的には隠蔽されている。つまり自らの死を直視するなかで、自己の本来の目的が明確になる

    死への先駆

  • 82

    西田幾太郎は日本初の哲学者である。『  』(1911年)を出版した。

    善の研究

  • 83

    『善の研究』は(  )を唯一の実在として全てを証明してみたい、という思いで書かれた

    純粋経験

  • 84

    西田の純粋経験は万物の根源・第一原理(「  」=本当にあるもの、疑おうにも疑えぬもの)とした

    真実在

  • 85

    西田は真実在の(  )という観点から道徳さらには宗教を段階的に説明した

    自発自展

  • 86

    西田は経験するというのは(  )の意であるとした

    事実そのままに知る

  • 87

    事実そのままに知るということは、色や音についての(  )すら加わらない前をいう

    判断

  • 88

    純粋経験は直接経験と同一であり、自己の意識状態を真下に経験した時、未だ(  )、知識とその対象とが全く合一している。

    主もなく客もない

  • 89

    ジェイムズの純粋経験は「(  )への帰還」、まだ何かとは言えない「単純なあれ」、「混沌とした意識状態」

    意識の流れ

  • 90

    ジェイムズの純粋経験は、(  )による事後的な整理を必要とする認識の未整理な素材

    反省

  • 91

    西田の純粋経験は、混沌ではなく(  )。素材ではなくそれ自身のうちに潜在的な(  )をもつ根源態。 つまり、いつでもどこでも誰で有する具体的かつ(  )な経験

    統一, 秩序形成能力, 普遍的

  • 92

    純粋経験の統一が(  )とはじめて主客が別れ、自他関係が生じる

    破れる

  • 93

    経験自身の自発自展=「  」(科学、芸術、道徳、宗教)

    分化発展