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  • J T

  • 問題数 62 • 10/14/2023

    問題一覧

  • 1

    アーリヤ人の侵入から前 600年頃までは、ヴェーダが編纂されたことから何時代と呼ばれるか

    ヴェーダ時代

  • 2

    ヴェーダ時代の後、インド各地に国家が成立。前6世紀頃には、城壁に囲まれた都市国家がいくつも 生まれた。

     

  • 3

    ガンジス川中流域に栄えた王国。 前5世紀、マガダ国に併合された。

    コーサラ国

  • 4

    ガンジス川下流域に栄えた王国。 当時のインドの政治・経済・文化の中心となった。

    マガダ国

  • 5

    都市国家の成立工業の発展は何をもたらしたか

    クシャトリヤやヴァイシャの勢力拡大

  • 6

    仏教は前6~5世紀頃生まれた宗教だが、だれが開いたか

    ガウタマ=シッダルタ

  • 7

    ガウタマ=シッダルタの別名

    シャカ

  • 8

    釈迦のべつめい

    ブッダ

  • 9

    生物は永遠に生死を繰り返すという仏教の考え。

    輪廻

  • 10

    仏教において輪廻の生まれ変わりは何によって決定されるとしたか

  • 11

    輪廻から脱出すること

    解脱

  • 12

    輪からの解脱は、苦行ではなく何によって果たされるとしたか

    八正道

  • 13

    ヴァルナ制やバラモン教の難解な祭式を否定し、

    クシャトリアやヴァイシャの支持を集めた。

  • 14

    ブッダの死後、遺骨をおさめるための建造物

    ストゥーパ

  • 15

    前6前5世紀頃に成立した徹底した不殺生を定めている、苦行により解脱が可能と説いた宗教

    ジャイナ教

  • 16

    ジャイナ教の開祖

    ヴァルダマーナ

  • 17

    偉大な英雄を意味するヴァルダマーナの別名

    マハーヴィーラ

  • 18

    仏教と同じくヴァルナ制やバラモン教の祭式を否定し、ヴァイシャの支持を集めた。

    ヴァルナ制の否定

  • 19

    バラモン教はなぜクシャトリアの支持を得られなかったのか

    彼らは軍人の身分で戦争の過程で命をうばうから入信できなかった

  • 20

    前7世紀頃から、バラモン教内に改革運動が起こった、 祭式中心主義のバラモン教を批判し、祭式の 根本的な意義や宇宙の原理を追求した動き

    ウパニシャッド哲学

  • 21

    宇宙の根本原理である梵と個人の根本原理である我 は、一つのものであるという思想。

    梵我一如

  • 22

    梵と我はそれぞれインドの言葉でなんと言うか

    梵(ブラーフマナ 我 (アートマン)

  • 23

    輪廻と解脱

    梵我一如の悟りを厳しい苦行の末に悟ることが、解脱の方法と考えた。 輪廻の思想は、後の仏教やジャイナ教に大きな影響を与えた。

  • 24

    アレクサンドロスの侵入後に成立したインド初の統一王朝。

    マウリヤ朝

  • 25

    マウリヤ朝初代の王。マガダ国のナンダ朝を倒して建国

    チャンドラグプタ

  • 26

    マウリヤ朝のチャンドラグプタ時代の首都

    パークリプトラ

  • 27

    チャンドラグプタが統一した領土

    西北インドを統一。

  • 28

    チャンドラグプタは領土の面ではインダス川流域のギリシア人勢力を一掃し、 西北インドを統一。

    さらに、 セレウコス朝 からアフガニスタンを奪い、領土を拡大した。

  • 29

    マウリヤ朝3代目の王

    アショーカ王

  • 30

    アショーカ王は全インドを統一したが、どの地域を除いてか

    南端部を除いた

  • 31

    アショーカ王が行った、仏教に帰依する政治

    仏教政治

  • 32

    アショーカ王は 倫理や法による統治を理想としたが、その時用いた法

    ダルマ (法)

  • 33

    アショーカ王は各地にダルマや詔勅を刻んだ碑を建てたがそれらをなんと言うか

    磨崖碑 石柱碑

  • 34

    シャカの教えの収集と編纂を行った。

    第三回仏典結集の実施

  • 35

    王子マヒンダを派遣して仏教を布教させた。

    スリランカへの仏教布教

  • 36

    アショーカ王の死後、 マウリヤ朝は財政難やパラモンの反発で衰退し、滅亡した。

    マウリヤ朝 末期は異民族の侵入が相次ぎ、パクトリアの侵入はインドにヘレニズム文化を伝えた。

  • 37

    大月氏から独立した人々よって中央アジアから西北インドに建てられた王朝

    クシャーナ朝

  • 38

    クシャーナ朝を建てた人々

    イラン系のクシャーン人

  • 39

    クシャーナ朝が服属させた民族

    イランのサカ族

  • 40

    クシャーナ朝の都

    プルシャプラ

  • 41

    クシャーナ朝最盛期の王

    カニシカ王

  • 42

    カニシカ王の時代に支配した領域

    中央アジアからガンジス川中流域

  • 43

    これによってクシャーナ朝は繁栄した

    東西交易

  • 44

    クシャーナ朝はこれを行ったことでも知られる。

    第四回仏典結集

  • 45

    仏教はシャカの死後、教養の問題から分裂。分裂した派はまとめてなんと呼ばれたか

    部派仏教

  • 46

    保守化した仏教を批判して生まれた新しい仏教

    大乗仏教

  • 47

    大乗仏教の目的

    菩薩信仰や衆生救済

  • 48

    大乗仏教の理論を確立した学者

    竜樹 (ナーガールジュナ)

  • 49

    大乗仏教が批判した保守派の宗派

    上座部仏教

  • 50

    大乗仏教は上座部仏教をなんと呼んで批判したか

    小乗

  • 51

    ヘレニズム文化の影響を受け、 ギリシア的な要素の強い仏像が作られるようになった美術

    ガンダーラ美術

  • 52

    デカン高原を中心に栄えた、 ドラヴィダ系王朝。ローマとの交易で知られる。

    サータヴァーハナ朝

  • 53

    ヴァルダナ朝のハルシャ王の侵攻を撃退

    チャールキア朝

  • 54

    ドラヴィダ系の人々が多く住む、くからローマと交易を行っていた地方

    南インド

  • 55

    南インドの人々は何語を話したか

    タミル語

  • 56

    南インドが古くからローマと交易を行っていたことが記されている書物

    エリュトゥラー海案内記

  • 57

    地中海から紅海・アラビア海・インド洋を経て東南アジア・中国に至る海上交易ルート。

    海の道

  • 58

    東南アジア で海の道が通過する場所に次々に成立したもの

    港市国家

  • 59

    南インドの王朝の一つで最盛期にはスリランカ北部も支配した。

    チョーラ朝

  • 60

    チョーラ朝が遠征した場所

    スマトラ島のシュリーヴィジャヤ

  • 61

    南インドの王朝の一つでインド南端を支配し、チョーラ朝を滅ぼした。

    バーンディヤ朝

  • 62

    南インドの王朝の一つでインド南東岸を支配したが、チョーラ朝に滅ぼされた。

    バッラヴァ朝