問題一覧
1
コントは、人間の精神は、神学的段階、形而上学的段階、実証的段階という3つの段階を経て進歩するという3段階の法則を提示し、社会もそれに対応して軍事的社会、法律的社会、産業的社会という進歩の過程をたどるとした(H30・H25)。
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2
スペンサーは、社会は大きく分けて2つの構造から成り、下部構造としての生産力と生産関係との矛盾を動因として、上部構造としての法律・政治などの制度が、最終的には社会主義に到達するとした(H30)。
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3
デュルケームは、社会は社会成員の没個性的な類似による結合を特徴とする有機的連帯から、社会成員の個性的な差異を基礎とした分業の発達によって生じる結合を特徴とする機械的連帯へと進化するとした(H30)。
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4
パレートは、社会変動の不均衡は、技術とその発明による物質文化が、法律や慣習などの非物質文化よりも急速に変化することで起こる文化遅滞により生じるとした(H30・H25)。
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5
オグバーンは、社会は成長につれて大きさを増し、構造を複雑に分化させ、それに伴い、機能分化と諸機能の相互依存を強めながら統合に向かうとし、軍事型社会から産業型社会へと進化するとした(H30)。
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6
スペンサーは、「産業社会における階級および階級闘争」を著し、均衡ではなく変動こそ社会に普遍的にみられるものであり、階級闘争こそ変動を促進させる創造的要因であるとした(H28)。
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7
スペンサーは、「社会学概論」を著し、基礎社会拡大縮小の法則、基礎社会衰耗の法則、利益社会化の法則などを提起し、人口の量質的組成の変化が社会変動の要因であるとする第三史観を唱えた(H28)。
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8
スペンサーは、「経済成長の諸段階」を著し、伝統的社会、先行条件期、離陸期、成熟への前進期、高度大衆消費時代の5段階に区別し、マルクスの一元的な唯物史観に反対した(H28)。
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9
スペンサーは、社会は成長につれて大きさを増し、構造を複雑に分化させ、それに伴い、機能分化と諸機能の相互依存を強めながら統合に向かうとし、単純社会から複合社会へと進化するとした(H28)。
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10
スペンサーは、物的生産を主とする工業社会から、財の生産からサービスの生産へと移行し、理論的知識や情報が優位し、専門職・技術職階層が優位に立つ脱工業社会への変化を主張した(H28)。
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11
コントは、社会進化論的な立場から、社会は強制的協働に基づく軍事型社会から自発的協働に基づく産業型社会へと進化するとした(H25)。
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12
コントは、歴史的社会の循環的反復を主張し、社会の変動過程をエリートの周流による均衡の破綻と回復の過程であるとした(H25)。
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13
コントは、社会の発展を伝統的社会から高度大衆消費時代に至る5段階に区分する経済成長段階説を唱え、その最終段階には、どの先進産業社会も社会体制のいかんを問わず、類似した状態にたどりつくとした(H25)。
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14
コントは、人間社会の発展は人間の精神の進化に見合うものとし、精神の神学的段階に対応するのは軍事的社会であり、形而上学的段階には産業的社会が対応し、実証的段階に対応するのが法律的社会であるとした(H23)。
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15
スペンサーは、社会が、相対的に不確定で不緊密な異質性から確定的で緊密な同質性へと進化する方向は、そのまま単純社会から複合社会へ、軍事型社会から産業型社会への社会進化のコースにほかならないとした(H23)。
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16
デュルケームは、社会は、社会成員の没個性的な類似による結合を特徴とする機械的連帯から、社会成員の個性的な差異を基礎とした分業の発達によって生じる結合を特徴とする有機的連帯へと進化するとした(H23)。
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17
パレートは、離陸以後、高度大衆消費時代に突入した先進産業社会は、社会体制のいかんを問わず、それが機械化された工場生産を軸とする巨大な分業・交通システムである限り、次第に類似した状態にたどり着くとした(H23)。
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18
ロストウは、循環論の立場から、社会の一定方向での発展を認めず、歴史的社会の循環的反復、傾向のない周期を主張し、エリートの周流による均衡の破たんと回復の過程を唱えた(H23)。
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19
スペンサーは、社会は強制的協働に基づく軍事型社会から自発的協働に基づく産業型社会へ進化するとした(H20)。
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20
コントは、人間の精神が神学的、形而上学的、実証的と3段階に進歩するのに対応して、社会は軍事的段階から法律的段階を経て産業的段階へと発展するとした(H20)。
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21
デュルケムは、社会的分業の発達により、類似に基づく有機的連帯から社会の分業に基づく機械的連帯へと発展するとした(H20)。
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22
ロストウは、社会は生産力と生産関係の発展段階に応じて、原始共産制社会、古代奴隷制社会、中世封建制社会、近代資本主義社会へ変動してきており、さらに社会主義社会に移行するとした(H20)。
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23
高田保馬は、観念論の立場から社会変動をとらえ、社会の量質的組立てが社会関係を規定するという第三史観を提起した(H16)。
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24
ベルは、社会変動を社会の構造的分化の発展過程としてとらえ、脱工業化社会の特徴は、理論的知識が社会の革新や政策形成の源泉としての役割を果たさなくなったことにあるとした(H16)。
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25
パレートは、権力の獲得のために奸智に訴える傾向を持つエリートが、権力の獲得のためにに訴える傾向を持つエリートに最終的に取って代わられるという、一定の方向性を持つ段階的な過程として社会変動をとらえた(H16)。
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26
スペンサーは、社会進化論的な立場から、類似に基づく機械的連帯から分業に基づく有機的連帯へという社会変動の方向を示した(H16)。
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27
オグバーンは、文化の変化を社会変動の要因としてとらえ、社会変動の不均衡は、物質文化が非物質文化に比べ速く変化することによって現れるとした(H16)。
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28
コントは、社会学を支える原理として人類社会を1つの実証的全体としてとらえた(H8)。
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29
コントは、「革新は常に安定の基礎条件をなし、逆に安定は革新の必然的な目的となる」というスローガンを示した(H8)。
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