問題一覧
1
イギリスの(1)革命やアメリカ・フランスの(2)革命の衝撃から、それらに追いつくための方法が各地で模索され、国家統一と改革が始まった
産業, 市民
2
小規模な領邦が併存していた(1)、(2)では、英、仏、米に続くように統一運動が本格化した。
ドイツ, イタリア
3
米・仏・英に続きロシアでは(1)(1861)など各地で改革が始まった。
農奴解放
4
先進国に追いつくには均質な一つの集団となり、力を結集するのが近道 →共通のアイデンティティを持つ(1)からなる(2)を目指す →教育などを通じて、多様な人々に国家への愛着((3))を持たせていく
国民, 国民国家, ナショナリズム
5
革命前の保守的な体制に戻ろうとする動き
ウィーン体制
6
独立後のアメリカは領土を大陸西部へ広げる(1)運動を展開
西漸
7
アメリカの西漸運動により先住民は西部に追いやられた。また、北東部は工業化し、労働力としてヨーロッパ諸国からの大量の(1)が流入した。さらに、南部ではプランテーション農業が発達したため、労働力として(2)を使った
移民, 黒人奴隷
8
アメリカ独立後、(1)貿易と奴隷制(2)[反対/肯定]を主張する南部とそれに反対する北部が内戦へ
自由, 肯定
9
南北戦争中、(1)大統領が奴隷解放を宣言し、経済力に勝る(2)[北部/南部]が勝利した。 →国内が統合されたアメリカでは工業発展が著しく、第2次産業革命へ
リンカン, 北部
10
オスマン帝国は13世紀末に成立し、多様な人々がっ構成する緩やかな政治体制だったが、18世後半から(1)や(2)の進出が激化した。
イギリス, ロシア
11
ヨーロッパの支援もあり、当時オスマン帝国の支配下にあった(1)が独立(1829)
ギリシア
12
総督ムハンマド=アリーの指導の下、(1)が経済的自立(1833)
エジプト
13
帝国の全住民に自由・平等な権利を認め、ムスリムと非ムスリムの共存・協力を求める主義
オスマン主義
14
宗教の自由と平等を謳う(1)主義の下で(2)(オスマン帝国)憲法を発布
オスマン, ミドハト
15
ガーシャール朝は近代化を急いだ結果、イギリス・ロシアからの借款が急増し、財政破綻 →政権と列強への批判が集まる中で(1)人の民族意識が高まった
イラン
16
不凍港の獲得を目指していたロシアがオスマン帝国内での宗教問題を口実に開戦した戦争
クリミア戦争
17
1853 (1)来航 1854 (2) 1858 (3)
ペリー, 日米和親条約, 日米修好通商条約
18
日米修好通商条約を勅許なく調印したため、幕府への批判が増大→大老(1)の暗殺:(2)の変
井伊直弼, 桜田門外
19
桜田門外の変後、条約破棄や対外戦争を求める(1)運動が活発化
尊王攘夷
20
薩摩藩が天皇からの命令を奉じ、幕府に改革を迫り、有名大名の政治参加を進めた改革
文久の改革
21
薩英戦争の原因となった、薩摩の大名行列を横切ったイギリス人を切りつけた事件
生麦事件
22
徳川慶喜、土佐藩の意見を取り入れた「天皇の下での有力大名の連合政権」構想の下行われた、天皇に政権を返す行為(1867)
大政奉還
23
薩長同盟:(1)で「徳川氏を排除した新政府」構想
王政復古の大号令
24
旧政府軍(徳川)VS新政府軍(薩長)の戦い
戊辰戦争
25
多くの人々の意見を取り入れた政治を行うこと
公議世論の尊重
26
天皇の制約により公議世論の尊重を約束した5つのルールを記載した文
五箇条の誓文
27
(1)(1869):大名は土地・人民の支配権を天皇に返還した
版籍奉還
28
(1)(1871):大名の徴税・軍事権までも否定し、知藩事を排除、政府が全国を直轄支配 江戸を(2)と改称、首都を(3)から移転
廃藩置県, 東京, 京都
29
戊辰戦争後、身分制度が解体され、(1)、(2)、(3)に再編成された。
華族, 士族, 平民
30
新政府発足後、身分間の通婚、職業選択の自由、(1)令による兵役義務など新しい仕組みが生まれた
徴兵
31
(1)戦争(1877):廃刀令、秩禄処分などが原因の士族の反乱。鹿児島の士族を中心に(2)が挙兵。
西南, 西郷隆盛
32
(1)(1873):個人の土地所有権を公認、土地が売却可能に。近代的土地所有。
地租改正
33
地租改正後、政府が設定した地価の(1)%(後に(2)%)の地租を土地所有者が定額で金納する仕組みに
3, 2.5
34
地主に土地を売り、その土地を借りて農業小作料を小作農(平民)からもらうシステム
寄生地主制
35
民権派による国会開設、立憲政治の実現を目標とした運動
自由民権運動
36
自由民権運動は土佐藩の(1)らが(2)を政府に提出(1874)し、政府に不満を持つ(3)や裕福な農民なども加わり全国に拡大した。
板垣退助, 民撰議院設立の建白書, 士族
37
自由民権運動を受け、政府は1890年の(1)開設を約束した(1881)。
国会
38
国会開設の約束した後、政府は欧米流の憲法・議会の必要性を認識し(1)流憲法制定の方針を固め、(2)が渡欧し憲法理論を学んだ
ドイツ, 伊藤博文
39
1889年にドイツの憲法を参考に発布された日本の憲法
大日本帝国憲法
40
大日本帝国憲法は君主によって制定される(1)憲法で、強大な(2)大権、(2)主権、(3)制であった
欽定, 天皇, 立憲君主
41
大日本帝国憲法では、予算と法律は(1)(貴族院・衆議院)の同意が必要
帝国議会
42
大日本帝国憲法では国民は(1)とされ、法律の範囲内「(2)」で言論・出版・集会・結社・信教の自由が認められた
臣民, 法律の留保
43
帝国議会において公選は(1)議員のみで、選挙権は(2)性・満(3)歳以上、直接国税(4)円以上の納税者に制限→全人口の(5)%しかいなかった
衆, 男, 25, 15, 1.1
44
大日本帝国憲法制定後、(1)・(2)藩出身者によって内閣は独占された
薩摩, 長州
45
1898年、初の(1)成立、第1次(2)内閣が成立 →憲法と議会により日本は政治参加する立憲国家に
政党内閣, 大隈重信
46
(1)らによる西洋文明の紹介→西洋風俗の採用(洋装制服、太陰太陽暦→(2)暦に、欧米人教師)
福沢諭吉, 太陽
47
(1)の国教化→国教化は失敗に終わるも、政府の保護により普及
神道
48
(1)公布(1872年)→小学校令(1886年) (2)の明確化(1890年)→4年間と定まる(1900年)→6年間に延長(1907年) 天皇の神格化、教育への国家統制が強まる=(3)(1890年)
学制, 義務教育, 教育勅語
49
19世紀後半に進展した(1)革命とイギリスが中心の国際金融システムの構築 →19世紀後半、(2)に基づく国際経済の枠組みが形成
交通, 自由貿易
50
開国後の日本は(1)条約で国際経済の枠組みに加わるも、(2)貿易で外国資本の直接侵入を防いでいた
安政の五ヵ国, 居留地
51
開国後の日本は(1)や茶の輸出で大きな利益を得た。中でも、(2)との取引額が最も大きく、(3)港が最大の貿易港となった(アメリカは(4)戦争中で後退)
生糸, イギリス, 横浜, 南北
52
開国後の日本では綿織物業は安価な綿織物の輸入で打撃を受けたため、原材料を輸入の(1)に切り替え発展した
綿糸
53
政府主導による近代産業の育成策
殖産興業政策
54
円・銭・厘を単位に金貨が基準に1871年に(1)が制定。1872年には国立銀行条例が制定。
新貨条例
55
1881年に大蔵卿に就任した人物
松方正義
56
(1)率いる西南戦争の戦費などから不換紙幣の増発→激しいインフレが発生 ●(2)政策(増税による歳入の増加、(3)を除く歳出の削減)→不換紙幣の整理 ●中央銀行である(4)を設立→1885年銀兌換券発行(銀本位制の確立)
西郷隆盛, デフレ, 軍事費, 日本銀行
57
1894の(1)戦争の賠償金を利用し、1897年に(2)制に移行
日清, 金本位
58
1880年代半ばの紡績業や鉄道業を中心とした民間企業の設立ブーム
企業勃興
59
1870年代後半には輸入機械による綿紡績業が始業し、(1)らが1883年に大阪紡績会社を開業。輸入綿花と蒸気動力で業績成長
渋沢栄一
60
産業革命後の日本では国産の座繰と国産の繭から作られる(1)は明治期の貴重な(2)だった
生糸, 外貨獲得産業
61
産業革命後の日本の鉱山業では、(1)や(2)などの政商は政府から優良鉱山の払い下げを受け、機械化により生産を拡大していた
三井, 三菱
62
1900年代には鉱工業の発展により、政商から(1)に成長するものまで出現した
財閥
63
植民地獲得を正当化する思想・政策
帝国主義
64
帝国主義は何の獲得を正当化する思想・政策か
植民地
65
帝国主義の経済的背景 19世紀に入り、(1)の影響を受けた諸国でも工業化が進展 →製品市場の獲得が各国の重要な課題になり、(2)に注目が集まった
イギリス, 植民地
66
イギリスなどでは、帝国主義の出現から、侵略のための科学技術の発展、(1)制による軍事力の増強が行われた
徴兵
67
19世紀でイギリスに続き帝国主義化した3つの国はどこか、また19世紀後半は特にどこへの侵略が激化したか
フランス, オランダ, ベルギー, アフリカ
68
帝国主義の列強は植民地を「(1)」する使命を負っていると自称していた
文明化
69
国民統合の進展は侵略を促し、一方で植民地獲得は国民統合を促した →(1)化と(2)化はほぼ同時に進行した
国民国家, 帝国
70
南下政策の(1)と(2)拠点の(3)が覇権争い →原料供給地や製品市場として侵略されたアフリカのなどとは様相が異なった
ロシア, インド, イギリス
71
・オスマン帝国(トルコ):(1)との通商条約で関税自主権を失う ・ガージャール朝イラン:(2)との不平等条約で関税自主権を失う
イギリス, ロシア
72
17世紀からイギリスが南アジアに進出、当初はインド産の綿織物を買い付ける →イギリスの産業革命以降、インドはイギリスの(1)((2)地、製品市場)へ転落
植民地, 原料供給
73
オランダ:インドネシアで(1)制度によりコーヒーやサトウキビを生産
強制栽培
74
スペイン:フィリピンへ進出したが19世紀末に(1)に奪われる
アメリカ
75
イギリス:中国、インドからの移民を労働力に(1)でゴムや錫を生産
マレー半島
76
フランス:(1)、(2)、(3)を保護国化
ベトナム, カンボジア, ラオス
77
(1):イギリスとフランスの植民地に挟まれるも独立を保ち、国王主導で近代化政策を行う
タイ
78
坂本龍馬が28歳の時に土佐藩を脱藩した後江戸であった人物は誰か
勝海舟
79
1864年7月19日に薩摩・会津藩と長州藩との間に起きた闘いは何か
禁門の変
80
海軍操練所が閉鎖された頃、竜馬は家族への手紙で「日本を今一度(1)いたし申候」
せんたく
81
坂本龍馬の交渉術① (1)をつかむ
キーパーソン
82
1864年8月龍馬が勝海舟の紹介で会った人物
西郷隆盛
83
1864年頃、龍馬と行動を共にするようになった土佐藩脱藩の武士
中岡慎太郎
84
1865年5月第2次長州征討が発令された後、龍馬が下関であった人物は誰か
桂小五郎
85
龍馬の交渉術② (1)を一致させる
利害
86
長崎で龍馬が始めた仕事は何か、またその社名は何か
貿易業, 亀山社中
87
龍馬は亀山社中で長州と薩摩の間でどのような品物を取引したか 薩摩→長州:(1) 長州→薩摩:(2)
武器, 兵糧米
88
京都の薩摩藩邸があった場所は現在何になっているか
同志社大学
89
1866年1月21日に結ばれた軍事同盟は何か
薩長同盟
90
龍馬の交渉術③ 互いの(1)を保てるようにする
体面
91
第2次長州征討は幕府と長州、どちらの勝利に終わったか
長州
92
1867年10月14日におこった出来事は何か
大政奉還