古墳文化の展開、飛鳥の朝廷
97問 • 1年前Sa Ao
大和地方を中心に広がりヤマト政権の国内統一と密接に関係している高塚式古墳の名称は前方後円墳
墳丘の土砂の流出を防ぐため、古墳の斜面に置かれたものは葺石
前期から中期の高塚式古墳に見られる石室は竪穴式石室
竪穴式石室に対して後期になって多くなった朝鮮半島の影響を受けた石室は横穴式石室
前期の副葬品の中で三国時代の魏から贈られたという説と、中国からトライした工人が日本国内で製造したという説が対立している銅鏡は三角縁神獣鏡
日本列島の古墳の中で、2〜3重の周濠をめぐらし、墳丘の高さ486mと日本最大の規模をもつ、大阪府にある中期の古墳は大仙陵古墳
古墳に石室を設けず、直接木管を埋めて周囲を厚く粘り気のある土で覆う古墳の内部施設は粘土槨
4世紀の初め、楽浪郡を滅ぼし朝鮮半島北部を領有した国家は高句麗
朝鮮半島南部で、馬韓諸国を統一して成立した国家は百済
朝鮮半島南部で、辰韓諸国を統一して成立した国家は新羅
かつての弁韓で、ヤマト政権が密接な関係を持っていた朝鮮半島南部の地は加耶
辛卯の年からの、倭と高句麗の交戦が記録されている石碑は好太王碑
「倭王武の上表文」にみられる倭王武は何天皇とされているか雄略天皇
「倭の五王」の遣使が記録されている中国の歴史書は「宋書」倭国伝
ヤマト政権がかなり早い段階から弁韓の地と密接な関係をもっていたのは、ある資源の確保が目的であった。その資源とは鉄
出現期の古墳の中で最も規模の大きなものがみられるのはどこか、都道府県で奈良県
古墳時代は何世紀から何世紀までか3世紀中頃から7世紀
古墳時代後期の埋葬施設では、遺体を安置する墓室を何と呼んでいるか玄室
日本が朝鮮に出兵した「辛卯の年」とは西暦何年のことと考えられているか391年
漢字を用いて、ヤマト政権のさまざまな記録・出納・外交文書などの作成にあたった渡来人は何と呼ばれたか史部
「記紀」に登場する、東漢氏・西文氏・秦氏の祖先といわれる渡来人はそれぞれ誰か阿知使主, 王仁, 弓月君
「上宮聖徳法王帝説」による仏教の公伝は西暦何年か538年
欽明天皇に仏像と経論などを献上した百済王は誰か聖明王
「古事記」「日本書紀」編纂の史料となった、6世紀半ばに朝廷でまとめられた大王の系譜(①)と朝廷の説話伝承(②)をそれぞれ何というか帝紀, 旧辞
古墳に遺体とともに埋葬される器物を総称して何というか副葬品
乗馬の風習のなかった倭人が、乗馬技術を学んだことが証明される、古墳への馬具の副葬が始まったのは何世紀になってからか5世紀
ヤマト政権が九州北部から東日本に勢力を拡大していったのは、おそくおも何世紀のいつ頃と考えられるか4世紀中頃
ご世紀になると、竪穴住居には朝鮮半島の影響を受けた煮炊き用の設備が作られた。何というか。カマド
人物埴輪から推定されるこの時代の衣服は、男性の衣と乗馬ズボン風の袴に対して、女性が衣とともにつけていたと思われるスカート風の衣服を何というか裳
墓室にある彩色あるいは線刻された壁画を持つ古墳を何というか装飾古墳
1箇所に集中して構築されたら小規模な古墳群を何というか群集墳
弥生土器の製法が受け継がれた、古墳時代に作成された赤焼きの土器を何というか土師器
土師器に対して、5世紀からの朝鮮半島伝来の新技術で作成された硬質の土器を何というか須恵器
豪族が政治や生活をするためにら周囲に環濠や柵列をめぐらした建物を何というか居館
鹿の骨を焼いて骨の割れ具合で吉凶を占うことを何というか太占の法
熱湯に手を入れさせ、手が爛れるかどうかで主張の真偽を判断する神判の方法を何というか盟神探湯
5世紀から6世紀にかけて、ヤマト政権が作り上げていった支配の仕組みは氏姓制度
ヤマト政権が、中央・地方の豪族を大王中心の支配体制下に組み入れる際の、各豪族に与えた政権内での地位を示すものは姓
6世紀に入り、地方の支配権をヤマト政権から承認された地方豪族の官職名は国造
6世紀の初め、新羅と結んで反乱を起こした筑紫国の国造は磐井
氏を構成する家々で、奴隷として使われていた階層を何と呼ぶかヤツコ
大王の直轄農民で、皇子のために設置したり、皇子などの名を付した部を何というか名代・子代
福岡県の岩戸山古墳に見られるような、九州独特の石づくりの細工は石人・石馬
地方でも5世紀には巨大な前方後円墳が営まれたが、6世紀に入るとヤマト政権への服属から、急速に古墳が小型化した。その代表的な地方を当時の地名で吉備地方
一般の豪族層を超越した存在であることを墳墓の上で示そうとした、7世紀の大王の墓を何というか八角墳
拝殿のみで本殿のない、奈良県大神神社の神体の山の名は三輪山
「倭王武の上表文」の記事にある、「順帝の昇明二年」とは西暦何年か478年
埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣と、熊本県江田船山古墳出土の鉄剣にみられる「ワカタケルの大王」という名前は何天皇を指すと考えられるか雄略天皇
葛城・蘇我氏のように、大和地方を中心とした有力豪族に与えた、身分を示す称号を何というか臣
大伴・物部氏のように、特定の職能を持って朝廷につかえる有力豪族に与えた、身分を示す称号をなんというか連
筑紫、毛野など地方の有力皇族に与えた、身分を示す称号は君
ヤマト政権に支配されるようになった一般の地方豪族にあたえた、身分を示す称号は直
中央の政治で、朝廷の政務や祭祀などのさまざまな職務を担当した中級豪族を何というか伴造
伴造に従い、それぞれの職能で奉仕した部を何というか品部
6世紀初めの政治指導者で、やがて朝鮮外交の失敗で失脚した豪族は何氏か大伴氏
大伴氏が失脚したのち急速に勢力を伸ばし、6世紀中頃激しく対立した2豪族の氏名は物部氏, 蘇我氏
6世紀末、勢力争いに勝利し政治権力を集中した大臣は蘇我馬子
小野妹子に従い留学生として入隋、大化改新で政府の要職につき、654年には再度中国に渡り、まもなく長安で死去したのは高向玄理
小野妹子に従い学問僧として入隋、大化改新で政府の要職についたのは旻
遣隋使の記事がみられる中国の歴史書は「隋書」倭国伝
618年、隋にかわって強大な帝国を築いた中国の王朝は唐
鞍作鳥の代表作品といわれる、法隆寺金堂の北魏様式をつたえる仏像は釈迦三尊像
飛鳥建築をしのばせ、須弥座にはすぐれた仏画が描かれている法隆寺の工芸品は玉虫厨子
高句麗の僧で、日本に彩色、紙、墨の技法を伝えたといわれているのは誰か曇徴
百済の僧で、日本に暦法を伝えたといわれているのは誰か観勒
512年、加耶西部の支配権が百済に移ったことが原因で失脚した大連は大伴金村
蘇我氏が管理したといわれる三蔵とは、斎蔵、内蔵と、大蔵
蘇我氏に擁立されながら、蘇我氏によって592年に暗殺された天皇は崇峻天皇
6世紀に伝えられた仏教を、最初に導入したのは大豪族は何氏か蘇我氏
厩戸王が派遣した遣隋使についての記録で、中国側と日本側の記録が最初に一致する年607年
隋にかわって成立した強大帝国に、日本から最初の公式使節が派遣された年630年
608年、学問僧として入隋し、帰国後、その知識は大化改新の政策に大きな影響を与えたといわれながら、新政府に参画した形跡がないのはだれか南淵請安
厩戸王の死後の世界をしのんで、妃らの手で刺繍されたといわれ、現在その断片が中宮寺に残されている工芸品は天寿国繍帳
中宮寺と広隆寺に現存する、中国南朝様式の影響が認められる仏像は半跏思惟像
法隆寺金堂や歩廊の柱は、中央部がふぬらんだギリシアの神殿建築と同じ様式がみられる。この様式を何というかエンタシス
飛鳥時代の寺院建築で、磁石とともに新技法として用いられた建築材料は瓦
大和地方を中心に広がりヤマト政権の国内統一と密接に関係している高塚式古墳の名称は前方後円墳
墳丘の土砂の流出を防ぐため、古墳の斜面に置かれたものは葺石
前期から中期の高塚式古墳に見られる石室は竪穴式石室
竪穴式石室に対して後期になって多くなった朝鮮半島の影響を受けた石室は横穴式石室
前期の副葬品の中で三国時代の魏から贈られたという説と、中国からトライした工人が日本国内で製造したという説が対立している銅鏡は三角縁神獣鏡
日本列島の古墳の中で、2〜3重の周濠をめぐらし、墳丘の高さ486mと日本最大の規模をもつ、大阪府にある中期の古墳は大仙陵古墳
古墳に石室を設けず、直接木管を埋めて周囲を厚く粘り気のある土で覆う古墳の内部施設は粘土槨
4世紀の初め、楽浪郡を滅ぼし朝鮮半島北部を領有した国家は高句麗
朝鮮半島南部で、馬韓諸国を統一して成立した国家は百済
朝鮮半島南部で、辰韓諸国を統一して成立した国家は新羅
かつての弁韓で、ヤマト政権が密接な関係を持っていた朝鮮半島南部の地は加耶
辛卯の年からの、倭と高句麗の交戦が記録されている石碑は好太王碑
「倭王武の上表文」にみられる倭王武は何天皇とされているか雄略天皇
「倭の五王」の遣使が記録されている中国の歴史書は「宋書」倭国伝
ヤマト政権がかなり早い段階から弁韓の地と密接な関係をもっていたのは、ある資源の確保が目的であった。その資源とは鉄
出現期の古墳の中で最も規模の大きなものがみられるのはどこか、都道府県で奈良県
古墳時代は何世紀から何世紀までか3世紀中頃から7世紀
古墳時代後期の埋葬施設では、遺体を安置する墓室を何と呼んでいるか玄室
日本が朝鮮に出兵した「辛卯の年」とは西暦何年のことと考えられているか391年
漢字を用いて、ヤマト政権のさまざまな記録・出納・外交文書などの作成にあたった渡来人は何と呼ばれたか史部
「記紀」に登場する、東漢氏・西文氏・秦氏の祖先といわれる渡来人はそれぞれ誰か阿知使主, 王仁, 弓月君
「上宮聖徳法王帝説」による仏教の公伝は西暦何年か538年
欽明天皇に仏像と経論などを献上した百済王は誰か聖明王
「古事記」「日本書紀」編纂の史料となった、6世紀半ばに朝廷でまとめられた大王の系譜(①)と朝廷の説話伝承(②)をそれぞれ何というか帝紀, 旧辞
古墳に遺体とともに埋葬される器物を総称して何というか副葬品
乗馬の風習のなかった倭人が、乗馬技術を学んだことが証明される、古墳への馬具の副葬が始まったのは何世紀になってからか5世紀
ヤマト政権が九州北部から東日本に勢力を拡大していったのは、おそくおも何世紀のいつ頃と考えられるか4世紀中頃
ご世紀になると、竪穴住居には朝鮮半島の影響を受けた煮炊き用の設備が作られた。何というか。カマド
人物埴輪から推定されるこの時代の衣服は、男性の衣と乗馬ズボン風の袴に対して、女性が衣とともにつけていたと思われるスカート風の衣服を何というか裳
墓室にある彩色あるいは線刻された壁画を持つ古墳を何というか装飾古墳
1箇所に集中して構築されたら小規模な古墳群を何というか群集墳
弥生土器の製法が受け継がれた、古墳時代に作成された赤焼きの土器を何というか土師器
土師器に対して、5世紀からの朝鮮半島伝来の新技術で作成された硬質の土器を何というか須恵器
豪族が政治や生活をするためにら周囲に環濠や柵列をめぐらした建物を何というか居館
鹿の骨を焼いて骨の割れ具合で吉凶を占うことを何というか太占の法
熱湯に手を入れさせ、手が爛れるかどうかで主張の真偽を判断する神判の方法を何というか盟神探湯
5世紀から6世紀にかけて、ヤマト政権が作り上げていった支配の仕組みは氏姓制度
ヤマト政権が、中央・地方の豪族を大王中心の支配体制下に組み入れる際の、各豪族に与えた政権内での地位を示すものは姓
6世紀に入り、地方の支配権をヤマト政権から承認された地方豪族の官職名は国造
6世紀の初め、新羅と結んで反乱を起こした筑紫国の国造は磐井
氏を構成する家々で、奴隷として使われていた階層を何と呼ぶかヤツコ
大王の直轄農民で、皇子のために設置したり、皇子などの名を付した部を何というか名代・子代
福岡県の岩戸山古墳に見られるような、九州独特の石づくりの細工は石人・石馬
地方でも5世紀には巨大な前方後円墳が営まれたが、6世紀に入るとヤマト政権への服属から、急速に古墳が小型化した。その代表的な地方を当時の地名で吉備地方
一般の豪族層を超越した存在であることを墳墓の上で示そうとした、7世紀の大王の墓を何というか八角墳
拝殿のみで本殿のない、奈良県大神神社の神体の山の名は三輪山
「倭王武の上表文」の記事にある、「順帝の昇明二年」とは西暦何年か478年
埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣と、熊本県江田船山古墳出土の鉄剣にみられる「ワカタケルの大王」という名前は何天皇を指すと考えられるか雄略天皇
葛城・蘇我氏のように、大和地方を中心とした有力豪族に与えた、身分を示す称号を何というか臣
大伴・物部氏のように、特定の職能を持って朝廷につかえる有力豪族に与えた、身分を示す称号をなんというか連
筑紫、毛野など地方の有力皇族に与えた、身分を示す称号は君
ヤマト政権に支配されるようになった一般の地方豪族にあたえた、身分を示す称号は直
中央の政治で、朝廷の政務や祭祀などのさまざまな職務を担当した中級豪族を何というか伴造
伴造に従い、それぞれの職能で奉仕した部を何というか品部
6世紀初めの政治指導者で、やがて朝鮮外交の失敗で失脚した豪族は何氏か大伴氏
大伴氏が失脚したのち急速に勢力を伸ばし、6世紀中頃激しく対立した2豪族の氏名は物部氏, 蘇我氏
6世紀末、勢力争いに勝利し政治権力を集中した大臣は蘇我馬子
小野妹子に従い留学生として入隋、大化改新で政府の要職につき、654年には再度中国に渡り、まもなく長安で死去したのは高向玄理
小野妹子に従い学問僧として入隋、大化改新で政府の要職についたのは旻
遣隋使の記事がみられる中国の歴史書は「隋書」倭国伝
618年、隋にかわって強大な帝国を築いた中国の王朝は唐
鞍作鳥の代表作品といわれる、法隆寺金堂の北魏様式をつたえる仏像は釈迦三尊像
飛鳥建築をしのばせ、須弥座にはすぐれた仏画が描かれている法隆寺の工芸品は玉虫厨子
高句麗の僧で、日本に彩色、紙、墨の技法を伝えたといわれているのは誰か曇徴
百済の僧で、日本に暦法を伝えたといわれているのは誰か観勒
512年、加耶西部の支配権が百済に移ったことが原因で失脚した大連は大伴金村
蘇我氏が管理したといわれる三蔵とは、斎蔵、内蔵と、大蔵
蘇我氏に擁立されながら、蘇我氏によって592年に暗殺された天皇は崇峻天皇
6世紀に伝えられた仏教を、最初に導入したのは大豪族は何氏か蘇我氏
厩戸王が派遣した遣隋使についての記録で、中国側と日本側の記録が最初に一致する年607年
隋にかわって成立した強大帝国に、日本から最初の公式使節が派遣された年630年
608年、学問僧として入隋し、帰国後、その知識は大化改新の政策に大きな影響を与えたといわれながら、新政府に参画した形跡がないのはだれか南淵請安
厩戸王の死後の世界をしのんで、妃らの手で刺繍されたといわれ、現在その断片が中宮寺に残されている工芸品は天寿国繍帳
中宮寺と広隆寺に現存する、中国南朝様式の影響が認められる仏像は半跏思惟像
法隆寺金堂や歩廊の柱は、中央部がふぬらんだギリシアの神殿建築と同じ様式がみられる。この様式を何というかエンタシス
飛鳥時代の寺院建築で、磁石とともに新技法として用いられた建築材料は瓦