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古墳文化の展開、飛鳥の朝廷
  • Sa Ao

  • 問題数 97 • 5/19/2024

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    問題一覧

  • 1

    大和地方を中心に広がりヤマト政権の国内統一と密接に関係している高塚式古墳の名称は

    前方後円墳

  • 2

    古墳の墳丘上に並べられた、素焼きの土製品は

    埴輪

  • 3

    墳丘の土砂の流出を防ぐため、古墳の斜面に置かれたものは

    葺石

  • 4

    前期から中期の高塚式古墳に見られる石室は

    竪穴式石室

  • 5

    竪穴式石室に対して後期になって多くなった朝鮮半島の影響を受けた石室は

    横穴式石室

  • 6

    前期の副葬品の中で三国時代の魏から贈られたという説と、中国からトライした工人が日本国内で製造したという説が対立している銅鏡は

    三角縁神獣鏡

  • 7

    日本列島の古墳の中で、2〜3重の周濠をめぐらし、墳丘の高さ486mと日本最大の規模をもつ、大阪府にある中期の古墳は

    大仙陵古墳

  • 8

    古墳に石室を設けず、直接木管を埋めて周囲を厚く粘り気のある土で覆う古墳の内部施設は

    粘土槨

  • 9

    5世紀のヤマト政権の盟主は何と呼ばれていたか

    大王

  • 10

    4世紀の初め、楽浪郡を滅ぼし朝鮮半島北部を領有した国家は

    高句麗

  • 11

    朝鮮半島南部で、馬韓諸国を統一して成立した国家は

    百済

  • 12

    朝鮮半島南部で、辰韓諸国を統一して成立した国家は

    新羅

  • 13

    かつての弁韓で、ヤマト政権が密接な関係を持っていた朝鮮半島南部の地は

    加耶

  • 14

    辛卯の年からの、倭と高句麗の交戦が記録されている石碑は

    好太王碑

  • 15

    「倭王武の上表文」にみられる倭王武は何天皇とされているか

    雄略天皇

  • 16

    「倭の五王」の遣使が記録されている中国の歴史書は

    「宋書」倭国伝

  • 17

    ヤマト政権がかなり早い段階から弁韓の地と密接な関係をもっていたのは、ある資源の確保が目的であった。その資源とは

  • 18

    6世紀に渡来した五経博士が日本に伝えた学問は

    儒教

  • 19

    五経博士はどこの国の人か、当時との国名で

    百済

  • 20

    出現期の古墳の中で最も規模の大きなものがみられるのはどこか、都道府県で

    奈良県

  • 21

    古墳時代は何世紀から何世紀までか

    3世紀中頃から7世紀

  • 22

    古墳時代後期の埋葬施設では、遺体を安置する墓室を何と呼んでいるか

    玄室

  • 23

    玄室と外部を結ぶ通路を何と呼ぶか

    羨道

  • 24

    日本が朝鮮に出兵した「辛卯の年」とは西暦何年のことと考えられているか

    391年

  • 25

    漢字を用いて、ヤマト政権のさまざまな記録・出納・外交文書などの作成にあたった渡来人は何と呼ばれたか

    史部

  • 26

    「記紀」に登場する、東漢氏・西文氏・秦氏の祖先といわれる渡来人はそれぞれ誰か

    阿知使主, 王仁, 弓月君

  • 27

    「上宮聖徳法王帝説」による仏教の公伝は西暦何年か

    538年

  • 28

    「日本書紀」による仏教の公伝は西暦何年か

    552年

  • 29

    538年に仏教が伝わった時の天皇は誰か

    欽明天皇

  • 30

    欽明天皇に仏像と経論などを献上した百済王は誰か

    聖明王

  • 31

    「古事記」「日本書紀」編纂の史料となった、6世紀半ばに朝廷でまとめられた大王の系譜(①)と朝廷の説話伝承(②)をそれぞれ何というか

    帝紀, 旧辞

  • 32

    古墳に遺体とともに埋葬される器物を総称して何というか

    副葬品

  • 33

    乗馬の風習のなかった倭人が、乗馬技術を学んだことが証明される、古墳への馬具の副葬が始まったのは何世紀になってからか

    5世紀

  • 34

    ヤマト政権が九州北部から東日本に勢力を拡大していったのは、おそくおも何世紀のいつ頃と考えられるか

    4世紀中頃

  • 35

    ご世紀になると、竪穴住居には朝鮮半島の影響を受けた煮炊き用の設備が作られた。何というか。

    カマド

  • 36

    人物埴輪から推定されるこの時代の衣服は、男性の衣と乗馬ズボン風の袴に対して、女性が衣とともにつけていたと思われるスカート風の衣服を何というか

  • 37

    墓室にある彩色あるいは線刻された壁画を持つ古墳を何というか

    装飾古墳

  • 38

    1箇所に集中して構築されたら小規模な古墳群を何というか

    群集墳

  • 39

    弥生土器の製法が受け継がれた、古墳時代に作成された赤焼きの土器を何というか

    土師器

  • 40

    土師器に対して、5世紀からの朝鮮半島伝来の新技術で作成された硬質の土器を何というか

    須恵器

  • 41

    豪族が政治や生活をするためにら周囲に環濠や柵列をめぐらした建物を何というか

    居館

  • 42

    豊作を神に祈る、春の祭りは

    祈念の祭

  • 43

    収穫を神に感謝する、秋の祭りは

    新嘗の祭

  • 44

    鹿の骨を焼いて骨の割れ具合で吉凶を占うことを何というか

    太占の法

  • 45

    熱湯に手を入れさせ、手が爛れるかどうかで主張の真偽を判断する神判の方法を何というか

    盟神探湯

  • 46

    5世紀から6世紀にかけて、ヤマト政権が作り上げていった支配の仕組みは

    氏姓制度

  • 47

    ヤマト政権が、中央・地方の豪族を大王中心の支配体制下に組み入れる際の、各豪族に与えた政権内での地位を示すものは

  • 48

    6世紀に入り、地方の支配権をヤマト政権から承認された地方豪族の官職名は

    国造

  • 49

    6世紀の初め、新羅と結んで反乱を起こした筑紫国の国造は

    磐井

  • 50

    大化改新前の、豪族の私有地は

    田荘

  • 51

    大化改新前の、豪族の私有民は

    部曲

  • 52

    氏を構成する家々で、奴隷として使われていた階層を何と呼ぶか

    ヤツコ

  • 53

    朝廷が各地に設けた直轄地は

    屯倉

  • 54

    大王の直轄農民で、皇子のために設置したり、皇子などの名を付した部を何というか

    名代・子代

  • 55

    福岡県の岩戸山古墳に見られるような、九州独特の石づくりの細工は

    石人・石馬

  • 56

    地方でも5世紀には巨大な前方後円墳が営まれたが、6世紀に入るとヤマト政権への服属から、急速に古墳が小型化した。その代表的な地方を当時の地名で

    吉備地方

  • 57

    一般の豪族層を超越した存在であることを墳墓の上で示そうとした、7世紀の大王の墓を何というか

    八角墳

  • 58

    拝殿のみで本殿のない、奈良県大神神社の神体の山の名は

    三輪山

  • 59

    「倭王武の上表文」の記事にある、「順帝の昇明二年」とは西暦何年か

    478年

  • 60

    埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣と、熊本県江田船山古墳出土の鉄剣にみられる「ワカタケルの大王」という名前は何天皇を指すと考えられるか

    雄略天皇

  • 61

    葛城・蘇我氏のように、大和地方を中心とした有力豪族に与えた、身分を示す称号を何というか

  • 62

    大伴・物部氏のように、特定の職能を持って朝廷につかえる有力豪族に与えた、身分を示す称号をなんというか

  • 63

    臣、連の中で最有力者が任じられる地位は

    大臣、大連

  • 64

    筑紫、毛野など地方の有力皇族に与えた、身分を示す称号は

  • 65

    ヤマト政権に支配されるようになった一般の地方豪族にあたえた、身分を示す称号は

  • 66

    中央の政治で、朝廷の政務や祭祀などのさまざまな職務を担当した中級豪族を何というか

    伴造

  • 67

    伴造に従い、それぞれの職能で奉仕した部を何というか

    品部

  • 68

    6世紀初めの政治指導者で、やがて朝鮮外交の失敗で失脚した豪族は何氏か

    大伴氏

  • 69

    大伴氏が失脚したのち急速に勢力を伸ばし、6世紀中頃激しく対立した2豪族の氏名は

    物部氏, 蘇我氏

  • 70

    6世紀末、勢力争いに勝利し政治権力を集中した大臣は

    蘇我馬子

  • 71

    蘇我馬子に滅ぼされた大連は

    物部守屋

  • 72

    遣隋使が派遣された頃の隋の皇帝は

    煬帝

  • 73

    小野妹子に従い留学生として入隋、大化改新で政府の要職につき、654年には再度中国に渡り、まもなく長安で死去したのは

    高向玄理

  • 74

    小野妹子に従い学問僧として入隋、大化改新で政府の要職についたのは

  • 75

    遣隋使の記事がみられる中国の歴史書は

    「隋書」倭国伝

  • 76

    618年、隋にかわって強大な帝国を築いた中国の王朝は

  • 77

    唐の王朝に最初に日本から派遣されたのは

    犬上御田鍬

  • 78

    蘇我馬子が建立したといわれる寺院は

    飛鳥寺

  • 79

    鞍作鳥の代表作品といわれる、法隆寺金堂の北魏様式をつたえる仏像は

    釈迦三尊像

  • 80

    飛鳥建築をしのばせ、須弥座にはすぐれた仏画が描かれている法隆寺の工芸品は

    玉虫厨子

  • 81

    高句麗の僧で、日本に彩色、紙、墨の技法を伝えたといわれているのは誰か

    曇徴

  • 82

    百済の僧で、日本に暦法を伝えたといわれているのは誰か

    観勒

  • 83

    512年、加耶西部の支配権が百済に移ったことが原因で失脚した大連は

    大伴金村

  • 84

    蘇我氏が管理したといわれる三蔵とは、斎蔵、内蔵と、

    大蔵

  • 85

    蘇我氏に擁立されながら、蘇我氏によって592年に暗殺された天皇は

    崇峻天皇

  • 86

    6世紀に伝えられた仏教を、最初に導入したのは大豪族は何氏か

    蘇我氏

  • 87

    厩戸王が憲法を定めた年

    604年

  • 88

    厩戸王が、位階制度を定めた年

    603年

  • 89

    厩戸王が派遣した遣隋使についての記録で、中国側と日本側の記録が最初に一致する年

    607年

  • 90

    隋にかわって成立した強大帝国に、日本から最初の公式使節が派遣された年

    630年

  • 91

    608年、学問僧として入隋し、帰国後、その知識は大化改新の政策に大きな影響を与えたといわれながら、新政府に参画した形跡がないのはだれか

    南淵請安

  • 92

    厩戸王が摂津に創建したといわれる寺院

    四天王寺

  • 93

    厩戸王の死後の世界をしのんで、妃らの手で刺繍されたといわれ、現在その断片が中宮寺に残されている工芸品は

    天寿国繍帳

  • 94

    中宮寺と広隆寺に現存する、中国南朝様式の影響が認められる仏像は

    半跏思惟像

  • 95

    法隆寺金堂や歩廊の柱は、中央部がふぬらんだギリシアの神殿建築と同じ様式がみられる。この様式を何というか

    エンタシス

  • 96

    飛鳥文化に強い影響を与えた国に該当しない国

    ローマ

  • 97

    飛鳥時代の寺院建築で、磁石とともに新技法として用いられた建築材料は