問題一覧
1
以仁王の令旨に応じたのはどこの寺の僧兵か
園城寺 興福寺
2
福原京に都があった期間
約半年
3
壇ノ浦の戦いまで何の戦いを経たか
摂津の一の谷 讃岐の屋島
4
寿永二年十月宣旨は何年か
1183年
5
寿永二年十月宣旨で源氏が得た支配権の範囲
遠江・信濃以東の15国
6
法皇が義経に頼朝追討を命じた後、頼朝が法皇にせまって得た権利
守護・地頭 兵糧米徴収 在庁官人の支配
7
兵粮米は1段あたり何升か
5升
8
源頼朝が征夷大将軍になる前に任ぜられた役職
右近衛大将
9
義経を殺した奥州藤原氏
藤原泰衡
10
侍所、公文所、問注所の長官をそれぞれ答えよ
和田義盛 大江広元 三善康信
11
地頭について平氏政権から源氏政権で変わったこと
職務が明確になった 任免権が国司や荘園領主から幕府になった
12
一国内の荘園・公領ごとの田地の面積や、荘園領主・地頭の氏名を調査した、国衙の土地台帳として作られたもの
大田文
13
10世紀以降、律令・格式の編纂の後に朝廷から出された法令はなんと呼ばれ、その例は何か
新制 荘園整理令
14
北条氏はどこの在庁官人出身か
伊豆
15
頼朝の死後、有力御家人からなる13人の何という制度によって政治が行われたか
合議制
16
時政が滅ぼした頼家の後見
比企能員
17
時政は暗殺する前年、頼家をどこに幽閉したか
修善寺
18
実朝を殺した人物と、殺された年号
公暁 1219年
19
承久の乱後、廃された天皇、土御門上皇、順徳上皇がそれぞれ流された場所
仲恭天皇 土佐 佐渡
20
評定衆の人数と定員
11人 14-15人
21
新補率法とは
田畑11町ごとに1町の土地、田地1段につき5升の米(加徴米)、山や川からの収益の半分を地頭に与える
22
御成敗式目が制定された頃、まだ効力を持っていた、律令の系統を引く法と、荘園領主のもとの法は何か
公家法 本所法
23
禅宗の本格寺院
建長寺
24
引付のもとでの訴訟制度のしくみについて、訴えられた論人は何を提出し、何というやり取りがあり、勝訴した者には何が与えられるか
陳状 三問三答 下知状
25
下人や農民に耕作させた、館の周辺部に設けられた税がかからない直営地はなんと呼ばれたか
佃 門田 正作 用作
26
引付は何に編成されたか
一番 二番 三番
27
血縁的統制のもと、首長と仰がれた者
宗家(本家)
28
宗家と分家の集団
一門・一家
29
戦時には惣領は何になったか
指揮官
30
鎌倉時代の結婚形態
嫁入婚
31
武士の質素な生活ぶりを示す説話の1つで、頼朝が華美な衣装を見て贅沢を戒めたのは誰か
藤原俊兼
32
武士の質素な生活ぶりを示す説話の1つで、時頼がともに酒を飲んだのは誰か
大仏宣時
33
元の都
大都
34
アイヌの交易相手と根拠地
安藤氏 十三湊
35
鎌倉時代作られた灯油の原料
荏胡麻
36
鎌倉時代織られた布
絹布 麻布
37
多収穫米として輸入された米
大唐米
38
座のうち、大寺社に属したもの、天皇家に属したもの
神人 供御人
39
陸上交通の要地
宿
40
源平争乱の頃広まった浄土宗を信仰していた公家
九条兼実
41
法然が流された土地
土佐
42
親鸞が流された土地と、その後移った土地
越後 常陸
43
臨済宗の寺
建長寺 円覚寺
44
曹洞宗の寺
永平寺
45
鎌倉時代の初め、戒律を尊重して南都仏教の復興に力を入れた法相宗と華厳宗の僧
貞慶 高弁
46
戒律を重んじるとともに、貧民や病人の救済・治療などの社会事業に力を尽くした律宗の僧2人
叡尊 忍性
47
忍性が奈良に建てた病人の救済施設
北山十八間戸
48
愚管抄が書かれたのはいつか
承久の乱直前
49
実朝が詠んだ歌の調
万葉調
50
吾妻鏡の記述法
編年体
51
金沢文庫が設けられた場所
六浦の金沢
52
後醍醐天皇を中心とする討幕運動の理論的拠り所ともなった、宋学の論
大義名分論
53
宋学(朱子学)を打ちたてた人物
朱熹
54
重源が東大寺を再建するにあたって協力を得た宋人
陳和卿
55
鎌倉文化の絵巻物で、寺社の縁起を描いたもの、高僧の伝記を描いたもの
春日権現験記 一遍上人絵伝
56
個人の肖像を描く似絵の名手
藤原隆信・信実
57
法性寺流の優美な書に加えて宋の書風を取り入れて青蓮院流を創始した者
尊円入道親王
58
備前、京都、鎌倉出身で、刀剣の名作を残した人
長光 藤四郎吉光 正宗
59
尾張、備前で発展した陶器
瀬戸焼 常滑焼 備前焼き
60
陶器が発掘された遺跡がある町に住んでいた富裕な人々
有徳人
61
道元とともに入宋し、中国の製法を伝えて瀬戸ものを作り始めた人物
加藤景正