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中国の思想
  • オタミ.

  • 問題数 46 • 10/16/2023

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  • 1

    春秋・戦国時代の中国には、〇〇と呼ばれる多くの思想家たちが登場した

    諸子百家

  • 2

    諸子百家の、最も代表的な人物は儒教の祖の (1)である。儒教の経典となる四書の1つに数えられる(2)は、彼の死後、弟子たちによって編纂された

    孔子, 論語

  • 3

    孔子の教えの根幹には、家族の間に自然に生まれる親愛の心をすべての人への愛にまで高めることを意味する(1)という概念がある。これを実践するためには、親に対する(2)や年長者に対する恭順の心である(3)が必要であるという。

    仁, 孝, 悌

  • 4

    儒教の愛は、身近な肉親に対して現れる自然的愛情である(1)を基本とし、これを同心円的に様々な人間関係に押し広めていく(2)を愛の本質とした。

    孝悌, 仁

  • 5

    孔子の教えによると、 偽りのない純粋な真の心である(1)と、他人への思いやりである(2)を併せ持つことで初めて仁が完成するという。

    忠, 恕

  • 6

    孔子の目指した理想的な社会とは、各人が 〇〇と〇〇によって自らを高めることで、 命令や刑罰などを必要としない平穏な社会であった。

    仁, 礼

  • 7

    孔子は、混乱の中にあった春秋,戦国時代の中国において、道徳の思想的な人格を完成させた(1)が政治の指導者となるべきであると考えたが、このような理想的な人物が国を治めるべきという考え方を(2)主義という。

    君子, 徳治

  • 8

    孔子による〇〇とは、国を治める者は民衆が正しい行いを実践するための手本として、自ら修養を積み、人格を磨くべきであるとする考えである。

    修己治人

  • 9

    孔子は、高い徳を積んだ人格者が政治にあたれば、その徳はおのずから国民を感化して人倫の(2)が保たれ、国家は安寧に統治されると考えた

    秩序

  • 10

    孔子は、仁と礼を備えた人間関係の規範を 〇〇と述べたが、 その探究のために学問を重視した。それを示した言葉が『論語』にある「朝に道を聞かば、タに死すとも可なり」である

  • 11

    孔子は、「怪力乱神」を語らず、 神秘的な存在について積極的に言及することを避ける一方で、「五十にして〇〇を知る」と述べ、天から与えられた使命を果たそうとした

    天命

  • 12

    孔子は、「いまだ生を知らず、いずくんぞ 死を知らんや」と説き、現実の世界を重視し、仁に基づく〇〇の実践による社会秩序の構築を目指した

  • 13

    「故きを温めて新しきを知る」「巧言令色、鮮なし仁」「孝悌なる者は、それ仁の本たるか」は、 すべて『〇〇』にある言葉である

    論語

  • 14

    孔子の教えを受け継いだ(1)は、人間の生まれつきの本性が善であるとする(2)説を唱えたが、これは側隠の心、羞悪の心、辞譲の心、是非の心の4つからなる(3)という徳の芽生えの心に立脚する

    孟子, 性善, 四端

  • 15

    孟子によると、人は四端の心をはぐくむことで仁・義・礼・智の(1)を実現できるというが、この中でも孟子は仁と義を重視し、(2)の道を説いた

    四徳, 仁義

  • 16

    他人を思いやることを孔子は恕と呼び、生涯、これを実践していかなければならないと説き、また孟子は他者の苦しみや悲しみを見過ごすことのできない〇〇の心を養い育てることで仁徳は完成されると説いた

    惻隠

  • 17

    孟子は、義の実践を積み重ねる中で四端を養い、四徳が充実した者にはおおらかで力強い道徳的心情である〇〇が満ちあふれてくると説いた

    浩然の気

  • 18

    儒教の説く五倫とは、父子の(1)、君臣の(2)、夫婦の(3)、兄弟の(4)、朋友の(5)のことである

    親, 義, 別, 序, 信

  • 19

    孟子は、王が徳に反する政治を行うなら、民衆の支持を失い、天命を失い、追放され、それが別の者に移るという〇〇を唱えた

    易姓革命

  • 20

    孟子のいう(1)とは、理想的な為政者が仁義の徳をもって人々の幸福を実現する政治の方法を意味するが、彼は武力を用いて国を治める方法を(2)と呼び、横暴な君主を討つことを易姓革命の考え方で正当化した

    王道, 覇道

  • 21

    孟子が唱えた〇〇政治とは、武力による支配 ではなく、人民の幸福を真に考え、まず生活の安定を図り、その上で道徳的教化を目指す政治のことをいう

    王道

  • 22

    孟子の言行を記した『〇〇』は、『論語』と並んで儒教の教典とされる

    孟子

  • 23

    前漢の儒学者である董仲舒は、孟子の説いた仁・義・礼・智の四徳に(1)を加えて(2)の道とした

    信, 五常

  • 24

    孟子の性善説に対し、荀子は(1)説に立ち、礼によって民を治めようとする(2)主義を説いた

    性悪, 礼治

  • 25

    性悪説に立つ韓非子は、人間は利己的で打算的な存在であるため、社会秩序を志向するようにはできていないとし、道徳によって人間を善へ教化するのは幻想に過ぎず、(1)を旨とする法と(2)によって秩序を維持すべきであると考えた

    信賞必罰, 刑罰

  • 26

    法家の思想の大成者である(1)は、人間の善意に基礎を置く儒教の仁愛の教えを批判し、厳正な法や刑罰に基づく(2)によって利己的な本性を抑止すれば、国民は罰を恐れて悪事をなさず、安定した国家統治や社会秩序が実現できるとした

    韓非子, 信賞必罰

  • 27

    墨家の祖である(1)は、特定の人間のみを愛するとその人間だけの利益を図るようになり、その結果、争いが生じるとし、正義を望む天の意思にかなうよう、人間は国や身分の違いを超えて分け隔てなく愛し合うべきである(2)を説き、その実現には互いに利益を与え合う(3)の重要性を唱えた

    墨子, 兼愛, 交利

  • 28

    墨子は、(1)の心を持てば争いや戦いは起きないとする反戦論である(2)を唱えた

    兼愛, 非攻

  • 29

    〇〇を代表とする名家は、名としての言葉とそれが指し示す実体との関係を分析し、その成果を活かした弁論や説得の方法を説いた

    公孫竜

  • 30

    道家は、仏教や儒教などを人為的な理屈であると批判し、自然と調和する(1)を保ち、(2)に生きることを人間の理想とした

    無為自然, 柔弱謙下

  • 31

    道家の祖である老子によると、無為自然とは 「上善は水の若し」という言葉に示され、他の人よりへりくだりつつ、あらゆる形や物事にとらわれず作為のない自然な生き方を目指すことである。このような生き方を〇〇という

    柔弱謙下

  • 32

    老子は、無為自然の生き方を実践するための理想的な社会を〇〇とした。これは、大国ではなく小さな共同体の中で、人々が素朴で質素に暮らすものである

    小国寡民

  • 33

    孔子は天下に秩序をもたらす(1)的な道を説いたが、老子はそれを作為的なものである批判し、万物を生み育てる自然の根源としての(2)(タオ)を説いた。

    道徳, 道

  • 34

    「大道廃れて仁義あり、知恵出でて大偽あり、六親和せずして孝慈あり、国家昏乱して忠臣あり」とは〇〇による道徳を説く儒教に対する批判である

    老子

  • 35

    老子の思想を受け継いだ(1)は、本来自然は善悪や美醜という作為的な価値を超えたありのままの世界であるという(2)を唱え、そのような世界と一体となって生きる者の理想像を(3)と呼んだ

    壮子, 万物斉同, 真人

  • 36

    荘子はすべての物事は同じであるということを万物斉同と呼び、ありのままの自然の道と一体となって遊ぶように生きる〇〇を理想とした

    逍遙遊

  • 37

    荘子は、人の生は仮の宿のようなものであり、(1)から生まれ(1)へと帰るため、生の長短などの(2)価値にとらわれてはいけないと説いた

    無, 相対的

  • 38

    諸子百家には、許行らの農耕中心の平等主義を説く(1)、蘇秦や張儀らの諸国を対抗させたり連合させたりする外交的なかけ引きを行った(2)、鄒衍らの陰陽五行説を唱えた(3)などがある

    農家, 縦横家, 陰陽家

  • 39

    兵家の代表的な人物である〇〇は、軍略家として兵学を説き、それは人の生き方や合理的な思考法につながる思想ともなった

    孫子

  • 40

    朱子は、万物は(1)と(2)とから構成されるとし、 時間空間を貫く一なる(1)を明らかにすることが重要であると説いた

    理, 気

  • 41

    朱子は、現実の人間は本性として備わっている(1)が(2)によって妨げられているため、私欲が生じる状態にあるとし、私欲が勝つと天理を滅ぼすことになるので、本性の涵養と事物の(1)の探究によって、本来の(1)を発現すべきであるとした

    理, 気

  • 42

    朱子学では、1つひとつの物に即して、その物の理を究めていけば、知恵を完成させることができると説き、これを〇〇と呼んだ

    格物致知

  • 43

    (1)は、朱子が重視した儒教の4つの教典で、『大学』『中庸』『論語』『孟子』を指す

    四書

  • 44

    (1)は、朱子の説が世界を貫く規範である(2)を事物に求める傾向にあると批判し、それは 自らの心にあると唱えた

    王陽明, 理

  • 45

    王陽明は、知ることと行うことを1つのこととみなし((1))、あらゆる場で心の理である(2)を十分に発揮させることを重視するよう説いた

    知行合一, 良知

  • 46

    王陽明は、孟子の言葉を、(1)こそが最も重要であると説くものと捉え、 自分の(1)には、親子や主従などの社会関係から、天地万物の成立に至るまで、あらゆる事象が含まれていると考えた