問題一覧
1
〖〜参考〜〗 〇鎌倉幕府のもとでも日宋間での正式な 国交は開かれることはなかった →しかし平氏政権の海外通行後、東アジア通商圏に組み入れられていった
OK
2
〇13C初→モンゴル高原に[①]現れる →アジアの広範囲を征服 →孫[②]になると国号を[③]へ ※日本にも朝貢を強要
フビライ=ハン, チンギス・ハン, 元
3
〇時頼の後の執権[①]が元からの朝貢の強要を 拒否→元💢💢 →【1274年】[②]=博多湾に上陸も失敗 →【1281年】[③]=暴風雨の影響で敗北 この2度の襲来をあわせて[④]という
時宗, 文永の役, 弘安の役, 蒙古襲来
4
〇【1274年】文永の役の後、博多湾岸などの九州の要地を御家人に警備させる[①]を強化 〇博多湾沿いに[②](石築地)を構築
異国警固番役, 防塁
5
〖〜参考〜〗 〇蒙古襲来の失敗の背景には元に征服された高麗や南宋の人々の抵抗があった 〇九州の武士が幕府の統制のもとによく働いた
OK
6
蒙古襲来後の幕府の政治 〇荘園・公領の武士を異国警固番役に動員 する権限を朝廷から獲得 〇西国一帯に勢力を拡大していく… →九州に北条氏一門を[①]として送る (政務や裁判、御家人の指揮を担当)
鎮西探題
7
幕府の勢力が全国に拡大… 〇北条氏の権力はさらに拡大 →北条家の家督を継ぐ[①]の勢力が強大に ☆[①]の家臣である"御内人"と御家人が 対立するような状態へ…
得宗
8
御内人vs御家人の対立が勃発! 〇時宗の子[①]の時代の出来事… →内管領の[②](御内人側)VS有力御家人[③] →御内人サイドが勝利!! ☆この出来事を[④]という【1285年】 →しかし北条[①]が[②]を滅ぼし最終的には 幕府が全権を握った…
貞時, 平頼綱, 安達泰盛, 霜月騒動
9
〇得宗の権威の元、北条氏や御内人が中心となって幕政を主導する政治体制を[①]という
得宗専制政治
10
一方そのころ琉球では… 〇首長[①]が[②]を拠点に勢力拡大 →やがて[③]・[④]・[⑤]の三勢力に統合…
按司, グスク, 山北, 中山, 山南
11
一方そのころ蝦夷ヶ島では… 〇続縄文文化→擦文文化・オホーツク文化 ➡[①]文化が生まれる 〇津軽の[②]を拠点に得宗の支配下の[③]氏 との交易をおこなっていた 〇サハリンに住む人々はモンゴルと交戦 →日本にもその影響が及んでいた
アイヌ, 十三湊, 安藤
12
蒙古襲来前後での農業に変化が… 〇畿内・西日本で麦を裏作とする[①]が 普及していった 〇鉄製農具や[②]を利用した農耕拡大 →肥料として[③]・[④]を利用 〇大唐米を輸入 〇[⑤]などが栽培されるように
二毛作, 牛馬, 刈敷, 草木灰, 荏胡麻
13
蒙古襲来前後の人々の暮らし 〇交通の要地・寺社の門前で[①] →月に三度の市[②]も一般的に… 〇地方の市では[③]が中央から織物や工芸品 を運んできた 〇京都・奈良・鎌倉などには常設の小売店[④]
定期市, 三斎市, 行商人, 見世棚
14
蒙古襲来前後の商業 〇京都・奈良の商工業者は同業者の団体 である[①]を結成 →構成員のうち… ・大寺社に属す=[②] ・天皇家に属す=[③] 〇各地の湊には商品の中継と委託販売を になう[④]が発達 〇貨幣はもっぱら[⑤]中心! 〇金銭の輸送を手形で代用=[⑥] 〇金融機関として高利貸業者=[⑦]が出現
座, 神人, 供御人, 問, 宋銭, 為替, 借上
15
〖〜参考〜〗 鎌倉幕府の衰退 〇御家人に十分な恩賞払えない… →信頼失っていくことに 〇また御家人は分割相続の繰り返しで 所領がどんどん狭くなっていく… →貨幣経済の発展も相まって更に窮乏… 〇女性の地位の低下も著しく… 〇一代限りで惣領を返す約束付きの相続 (一期分)が多くなった
OK
16
〇【1297年】[①]が発布 →御家人の借金帳消し!! →御家人が売った所領タダで返すよ!! ➡効果は一時的だった…
永仁の徳政令
17
〇幕府の衰退にともない畿内付近では年貢の納入を拒否し荘園領主に武力で抵抗する[①]が各地に出現するように…
一揆
18
〖〜参考〜〗 〇この社会の乱れを治すべく北条氏は得宗専制政治を強化したが、強化すればするほど幕府は衰退していくのであった…
OK
19
【追加問題.4-4に追加してください】 ○"得宗"ってなに?霜月騒動なぜ起きた? ・4-4に得宗専制政治→霜月騒動の2つの 問題があるけどイマイチ流れが分からない ○始まりは"源頼朝"の代まで遡る… ※説明が難しいので"クラス"に例えます。 ・頼朝先生のクラスには北条君、安達君 田中君の3人の生徒がいた。 ・3人とも年齢も身分も同じだから仲良し のはずが… ・北条君がいきなり頼朝先生にタメ口を 叩き出す 北条「頼朝はワイの下っ端やからww」 頼朝「は、はいそうです…」 →安達君・田中君はこう思う 「同じ生徒のくせになんであいつだけ 頼朝先生に生意気な態度取ってんの。」 つづく
OK
20
【追加問題.4-4に追加してください】 ○つまり以前はおなじ"御家人"だった 北条氏が"将軍を支配する立場"になった ➡安達氏のような御家人は気に食わない… 一方北条氏のなかでも… ○北条氏のなかでも上下関係が生まれ出す ・将軍を支配できるのは北条家のなかでも "得宗家"と呼ばれる家系のみ。 →その中のトップが"平頼綱"であり 彼の家来を"御内人"と呼んだ。 そんな中、執権北条時宗が死去!! ➡次期執権は北条貞時へ… つづく
OK
21
【追加問題.4-4に追加してください】 ○どろどろの親戚関係!! 新しく執権になった貞盛、実は超問題児! なぜなら… 親戚に"安達泰盛"と"平頼綱"がいる!! ※安達泰盛=北条氏大っ嫌い ※平頼綱=北条氏の裏のトップ的な存在 ここでバチバチに親戚同士の争いがおこる そこで起きたの★霜月騒動★ つまり 北条嫌いおじさんVS北条の重鎮 これが霜月騒動。 勝ったのは"平頼綱"だったので これ以降、幕府の政治は"得宗"中心に ➡得宗専制政治へと移り変わっていく!! しかし結局のところ"平頼綱"は あまりにも勢いがいいので執権"貞盛"が 追討し、権力は得宗から"執権"に帰った おわり
OK
22
【追加問題.4-4に追加してください】 ○中世の"座"について ・[①]=石清水八幡宮の保護を受けた座 ・[②]=北野社の保護を受けた座 ・[③]=祇園社の保護を受けた座
大山崎油座, 麹座(こうじざ), 錦座