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祭り・行事
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  • 問題数 41 • 12/8/2023

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    問題一覧

  • 1

    高千穂町一体に伝わる夜神楽の総称。 同じ町内でも岩戸地区の神楽は岩戸神楽と呼んでいる。 11月22、23日の上野、下野地区を皮切りに 翌年2月10日の上田原 神楽まで18地区で催される。高千穂夜神楽33番 ある。

    高千穂夜神楽

  • 2

    米良神楽の一つ。 1489年の棟札がある銀鏡神社の例大祭で舞われる。 祭りは12月12日の門注連祭(かどしめ)で始まり 14日の前夜祭から神楽が奉納され15日の午前中にかけて33番が舞われる。 西宮大明神、宿神三宝荒神は厳粛な舞として重要視されている。

    銀鏡神楽

  • 3

    霜月神楽の総称。 村内24地区で伝承されている。 毎年11月から12月にかけて 夜を通して33番が回れる。 舞い手はセンジ・ゴンジの2組によって構成され、楽に太鼓、鉦が加わる。 高天原に天地の神々を完成して行うもので悪霊を鎮め、五穀豊穣と家内安全を祈願する 。 1991年に国の重要無形民俗文化財の指定を受けた。

    椎葉神楽

  • 4

    毎年1月中旬の土・日曜日。 比木神社の年は12月上旬の土・日曜日。 旧郷の六神社が順番に持ち回りで行う。 神楽は一番の御神楽に始まり、33番の神送りまで徹夜で舞われる。 生殖儀礼を面白おかしく演出する。 楽は笛と太鼓。装束は狩衣烏帽子姿が主で、中には弓矢を用いる勇壮な舞もある。 県指定無形民俗文化財。

    高鍋神楽

  • 5

    通称「高原の神舞(かんめ)」という。 神舞奉納は旧暦11 月16日と定められていたが、現在は12月の第2土曜日に祓川神楽殿前の広場で行 われている。 祓川では「講屋」とし、伊勢講の名残がある神舞は1番の 「宮入りの事」から 33番の「花舞」まで一晩中舞われ、昇神の儀で終わる。 錫杖を 使った舞は特徴的なもので鎮魂、悪霊祓い、五穀豊穣を祈願する。霧島信仰にもとづいた修験道色が濃く、呪術芸能の面影をとどめる。同じ町内の狭野神社の狭野神楽は同一系統。ともに2010(平成22)年に国の重要無形民俗文化財に指定された。

    祓川神楽、狭野神楽

  • 6

    五ヶ瀬町の三ヶ所坂本地区に伝承される踊りで、「坂本踊」ともいわれる。慶長年間(1596~1615) から三ヶ所神社の例祭に、奉納されており、現在は9月の最終日曜日の秋祭りに踊られる。戦国時代の武者装東を着けた60人の踊りは勇壮。2列隊で鷹匠、槍、長刀、 鉄砲、猿などと続く行列は出陣踊りから12演目を舞う。各踊りとも30~40分かかり、古式にのっ とった舞は1987 (昭和62) 年、国指定の重要、無形民俗文化財になった。

    荒踊

  • 7

    「日本近代登山の父」として知られる英国人宣教師ウォルター·ウェストンをしのんで1990 ( 平成2 ) 年から毎年11月3日、高千穂町の五ヶ所三秀台で開いている。式典では遭難者の慰 と登山の安全を祈照し、参列者には記念バッジを贈る。その後、希望者を対象に祖母山(標高1,756m) への登山を行う。ウエストンは富士山に次いで1890(明治23) 年1月6日、 祖母山に登った。

    ウェストン祭

  • 8

    天孫降臨の地として知られる高千穂町には、神楽などの伝統行事や神話に出てくる地名が多い。地元商店街と青年団が観光客の減少する冬場の観光客誘致対策として 1986 (昭和61) 年に、第1回の「神話の高千穂建国まつり」を開催。以降例年建国記念日(2月11日)に開催し ている。歩行者天国、神々のパレード、神楽、国引き大会なと古代色豊かなものとなっている。神話伝説を生かして、町民が一丸となり企画、運営し地域の活性化を図る。

    神話の高千穂建国まつり

  • 9

    今山大師寺の春祭り。明治時代に始まり九州三大大師祭の一つ、といわれる。県内外から、 例年25万人以上の人出でにぎわう。「延岡どんたく」ともいわれ、4月の第3金·土·日曜日 に行われる。当日は、今山には御詠歌と鈴の音が響きわたり、道行く人たちに「お接待」もある。市内各所に展示された見立て細工や作り物が祭り客を楽しませ、最終日には、市内の企業、団体、子ども会が参加する大名行列などの市中パレードでにぎわう。

    延岡大師祭

  • 10

    市内永田地区に伝わるこっけいな踊り。祭りは1984 (昭印59)年から毎年8月の第1金·土曜日に開催されている。約1,000人がキツネ、おかめ、ひょっとこの面をかぶり、豆絞りのほっかむり、赤い着物に白い帯とだらりと垂れるふんどし姿でぐっと腰を突き出しながら踊る。江戸末期から明治の初期にかけて、 眼科医·橘公行が伝授したといわれる。豊作を祝い、商売繁惑を願う。祭りは目向市駅前広場を中心に保存会や市民が参加してパレードを繰り広げる

    日向ひょっとこ踊り

  • 11

    百済の禎嘉王を祭神とする神門神社(美郷町南郷)にその王子福智王を祀る比木神社(木城町)の祭神が訪れ、旧暦の12月19日を中心に交歓神事を行う。 比木神社を出発した一行は、 約90kmの道のりを古式にのっとり神楽奉納、野焼きなどの神事をしながら、2泊3日かけて南郷へ。祭りは到着した一行を迎える壮大な「迎え火」で始まり 、「禊の行事」「下りまし」などがある。中でも、別れの朝、悲しみを隠すためかまどの墨を塗る 「ヘぐろ塗り」という特殊な風習は、九州と朝鮮半島の関係を伝えるものとして、注目されている。現在は1月第3金土·日曜日に行われる。

    師走祭り

  • 12

    旧正月24日から3日間行われる(現在も同じ)。初日は午前6時から住僧全員による礼拝祈禱があり、住職は、終日祈禱。 火伏せ地蔵として信仰を集めている地蔵尊を祀る本堂へは、365段の石段を上るが、期間中 は朝早くから、タ方まで県内外の参詣客でにぎわう。最終日の3日目は僧による祈禱成就の儀式、報恩感謝の祈禱がある。

    宇納間地蔵大祭

  • 13

    田代神社の祭で、毎年7月の第1日曜日にある。 平安時代からの伝統を受け継ぎ、五穀豊穣と参詣者の無病息災を祈願して行われる。 見どころは、牛や馬、神輿を神田に入れる田起こし。泥しぶきを上げて牛馬を駆け回し、 青年神輿が勇壮に練り歩くもので神、人、牛馬が一体となって盛り上がる。泥しぶきを浴びると、人はもちろん牛馬の無病息災が約束される。 最後はそろいのかすりに蓑笠をかぶった早乙女たちによる田植え。豊作を祈願し、農耕の様子を表現する貴重なお祭りとして、1988 (昭和63)年に県の無形民俗文化財に指定された。

    御田祭

  • 14

    美々津地区に伝わる旧暦の8月1日が例祭日 (現在も同じ)。神武天皇の東征から始まった、とされる。早朝に繰り上げられた東征に村人たちは「おきよ、おきよ(起きろ=目覚めろ)」と呼び掛け合い、 餅米とあんこを混ぜてついた急ごしらえの餅を献上したという。 この故事にちなんで同日早朝、子供たちは短冊をつけたササ竹を打ち振るって「おきよ、おきよ」と町内の人々を起こして回る。 家々では玄関にササ竹に短冊を飾り、つき入れ餅を作って、神武天皇東征をしのぶ。 家々に飾られたササ竹は神武天皇が通ったとされる美々津神合の七ツバエに向け流す。

    おきよ祭り

  • 15

    約600年前の応永年間に始まった、と伝わる三宅神社の三大祭りのひとつで「山陵祭」が前身。 時代とともに変遷して、 市民祭りに発展。 現在は西都原御陵墓前広場を中心に11月の第1土·日曜日の2日間行う。初日は西都市に伝承されているものを再現するたいまつ行列や炎の祭典、2日日は民俗芸能の奉納や古代にまつわるイベントやゲームが行われる。

    西都古墳まつり

  • 16

    八朔の日 (旧暦8 月1日)、地区内の南方神社、一ツ瀬川原で奉納される(現在も同じ)。 五穀豊穣のほか火除け、厄払い、水難除け、雨乞いなどを祈願する。白装束に手甲脚絆、背には花房をかたどった3m余りの赤白青3色の花房のついたのぼり、胸に太鼓を抱き16人の踊り手が唄と太鼓、鉦に合わせて速いテンポで激しく躍動し色鮮やかで勇壮。豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、肥後の加藤清正が敵を油断させるために踊ったことに由来する、といわれる。県内に同様の踊りがあるが、この踊りが原形とされる。1962 (昭和37)年に県の無形民俗文化財に指定された。

    下水流臼太鼓踊

  • 17

    神社は応神天皇と平景清が 祭神で、眼病にご利益のある目の神様として知られる。祭神の平最清が壇ノ浦の合戦に敗れ源氏への怨念を断つため自分の両目をえぐり捨てたという故事にちなんだもので、投げ捨てた目が掛かったという「目掛けの松」が境内にある。 祭り期間は旧暦の1月15日から3日間 (現在は旧暦に近い土·日·月に行われる)。大祭ではテンポの速いダイナミックな生目神楽が奉納される。参拝客には「亀井山」の地下水をくみ上げた目洗い用の神水が配られる。

    生目神社大祭

  • 18

    鎌倉時代の武士の遊芸として知られる。 宮崎神宮で行われるのは農民たちの秋の実りを祝う競べ馬が起源。 1940 (昭和15)年にそれまで途絶えていたものを復活した。以後毎年開催されており、4月3日の神武天皇祭(神武崩御日)を奉祝して行われる。 神宮内の約24Omの馬場には約60cm四方の的が3本立ち、この的を7人の江戸装束の平騎手が一の矢、二の矢、三の矢と射放つ。当たり的は1年の豊穣と発展を祝福する縁起物として珍重される。

    流鏑馬

  • 19

    青島の南中央に鎮座する青島神社の祭り。祭神はホオリノミコトと后のトヨタマヒメ、シオツチノカミ。ホオリは山幸彦として知られる。裸参りはホオリが海神宮(わたつみのみや)から帰ってきた旧暦の12月17日、地元民が裸で海に入って迎えたという故事にちなんで行う。現在は、1月成人の日に行われる。男は越中褌、女は短パンに襦袢を身に着け、海中で沐浴する。また旧暦の6月17· 18日には祭神を子供神輿、青年御輿、青島様御輿に載せ、海神宮に運ぶ「海を渡る祭礼」も古くから行われている。現在は7月最後の土· 日に行われる。

    裸祭り

  • 20

    宮崎神宮は 、 神武天皇とその父ウガヤフキアエズノミコト、母タマヨリヒメを祀る。この神武天皇を祭神とし、毎年10月26日に例大祭(本宮祭)が行われる。その後の土曜、日曜日に行われる御神幸祭が「神武さま」の名で県民に親しまれている。御神幸行列を先頭に、古式ゆかしい時代絵巻を市中に繰り広げる神賑行列やシャンシャン馬には約1,000人が参加。同神宮を出発し、橋通りを経て、1年交代で約4.5km離れた瀬頭御旅所または大淀御旅所まで、2日目は御旅所から神宮までを練り歩く。宮崎の秋の風物詩である。

    宮崎神宮大祭

  • 21

    古くから子授け、安産、育児の神様として知られる。戦前は子供の名前を書いた札と、正月の重ね餅を添えて納めた、という。 写真や子供の肌襦袢を添えて差し上げ、逆に弱い子のために襦袢を頂いて帰る者もいたとか。毎年旧暦1月27~29日 (現在は、旧暦に近い士·日·月曜日)の大祭には県内外から多くの参詣者でにぎわう。

    鬼子母神大祭

  • 22

    町の一大イベント。 1933 (昭和8) 年に競馬場が錦原に建設されたのをきっかけに綾神社の祭りと併せて例年11月の第1日曜日に行われている。 1982 (昭和57)年復活した。 間近で見られる迫力満点の軽種馬レースやかわいらしいポニーのレースなどが行われ、例年1万5,000人を超す観客で盛り上がる。草競馬として真剣な中にもユーモラスな行事として人気を集めている。

    綾競馬

  • 23

    旧郷社の菅原神社で行われる。 高さ50cm、長さ4mの丸太を赤い毛布とわら帯で正装した牛に飛び越えさせ、牛の無病息 災を願う全国的にも珍しい祭り。 同神社に祀られる菅原道真が牛が好きだったことから始まった、とされる。軽く飛び越える牛もいれば、嫌がる牛もいて境内は歓声と笑いの渦になる。近年は参詣牛も30頭ほどに減っ たが、江戸時代には鹿児島や、熊本から700頭以上が集まり、道の両側につながれた牛が 1 kmにも及んだ。 県指定無形民俗文化財。例祭日は7月28日 (現在も同じ)。

    牛越え祭り

  • 24

    厄年にあたる男女が行う厄払いの行事で無病息災、家内安全を祈願する愉快な伝統的祭り 厄年の男女を中心に4、5人のグループが顔はおしろいに頬紅。蓑をまとい、もんぺに、わらじ履きで変装し、友人や親類宅を訪れ踊りなどで騒ぎ回る。訪問された家では礼に餅を差し出すのが習いだが、最近はご祝儀や焼酎を振る舞う。夕方暗くなってから夜10時頃まで30〜100軒を回ってエビの盆地の正月を彩る

    餅勧進

  • 25

    風雨にさらされながら、田畑を見守る「田の神」に感謝する祭り。春と秋の彼岸前後に地区ごとで祝う。祭りの日は早朝、田の神像の汚れを落とし化粧。午後は田の神像の前で大宴会。宴の後、元の堂に戻される。 えびの市内には、各地区に4種類150基の田の神があり、水田の片隅に安置されている。 像の背面は性器を形どってあることから、多産祈願を込めた祭りともいわれる。

    田の神さあ祭り

  • 26

    例年11月28日、 庄内町の諏訪神社に奉納される(現在も同じ)。都城地方では最も古い郷土芸能。踊り手は怒りの表情の土俗面を付け、シュロの葉で作った髪形をかぶり、竹で編んだ バラと呼ばれる大きなザルを叩きながら踊る、力感にあふれ躍動的な土着性の強い芸能。通常は親鉦、子鉦を合わせ18人の編成。由来はヤマトタケルが熊襲の首領クマソタケルを刺殺してこの地を平定。喜んだ住民が祝 宴で踊り狂った様子の踊りと伝わる。 しかし、非業の死を遂げた先祖の霊を慰める鎮魂の踊りという見方もある。 県指定無形民俗文化財。

    熊襲踊

  • 27

    300年ほど前の旧暦6月18日、第19代薩摩藩主島津光久が観音堂の落慶の儀に大灯籠を寄進、これにならって家臣·領民が、各地の神社や観音堂に灯籠を奉納したことが始まり。 この時期は梅雨が明けて人、牛馬の病気や、病害虫が発生する季節で、農民は一晩中灯明をともして無病息災、五穀豊穣を祈る。 都北地方の六月灯は7月上旬の秋葉神社に始まり、8月上旬の八坂神社の祇園祭で終わる。こ の間約120カ所で、灯籠が各神社前に飾られ、奉納踊りや花火大会などでにぎわう。

    六月灯

  • 28

    三股町の早馬神社に古くから伝わる祭りで、 祭神は馬頭観音。母智丘の大祭とともに都城北諸県地方の2大祭りともいわれる。 最近は、4月29日(昭和の日)に開かれ、郷土芸能(太郎踊、ジャンカン馬、棒踊、奴踊)が奉納される。「ジャンカン馬」は盛装の馬が、踊り子を従える馬踊りをする。「モノメイ(物参り)馬」ともいわれ、馬が「ジャンカン、ジャンカン」と鈴を響かせながら音楽に合わせリズムを取るところからこの名がある。「太郎踊」は「牛踊」とも呼ばれ、作神の作り物の牛が登場する。「棒踊」は「奴踊」を従えて踊るいずれも豊作祈願を込めた農耕の奉納芸。

    早馬祭り

  • 29

    的野正八幡宮(旧圓野神社)の祭り行列の浜下り先導役。11月3日の正祭目、三つの神輿を守って社から500m離れた仮殿まで下る。 高さ4mの弥五郎どんは大小の刀を差し、四つ車に載り、子どもたちに押されて行列を先導する。日南市飫肥の田ノ上八幡神社にも弥五郎人形があり、いずれも県の重要無形民俗文化財になっている。

    弥五郎どん

  • 30

    ー人遣いの人形浄瑠璃。約200年前、旧薩摩藩の殿様の参勤交代の道中の慰めのために始められた、と伝えられる。別称を「府下(麓)の人形まわし」といい、地元の口伝を書き留めた「人形浄瑠璃由来記」によると、 参勤交代に付き添った者が習得。帰郷後、里人に広めたとある。文弥節は延宝年間に京都、大坂で大流行し明治、大正時代にも上演されていたが、第二次大戦などで断絶。1951 (昭和25) 年に伝承者の記憶をもとに再興した。現在は3、6、9、11月の第3日曜日の定期公演と市の諸行事の折、上演される。 人形は古い形の25体が現存し、弓手遣い、語り太夫、三味線、拍子木それぞれー人で操る舞台は間口6m、高さ1.5mの高幕式。 演目に「門出八島」「出世景清」などがある1995 (平成7)年に国の重要無形民俗文化財に指定された。

    文弥節人形浄瑠璃

  • 31

    宮崎の春5月に開催されるクラシック音楽の祭典。1996年世界最高レベル と言われたバイオリニストのアイザックスターンを招き、宮崎県立芸術劇場で第1回宮崎国際室内音楽祭を開いたのが始まり。10日間にわたる演奏会には日本各地から1万人を超す聴衆が詰めかけた。以来、国内外から一流の演奏家・指揮者を迎え 毎年行われるようになった。2001年にこの音楽祭に最も貢献したアイザックスターンが他界、追悼の意から県立芸術劇場コンサートホールをアイザックスターンホールと改称。この年から名称を宮崎国際音楽祭と改めた。宮崎の春には欠かせない イベントとして定着している。

    宮崎国際音楽祭

  • 32

    10月第1土曜日の夜、延岡市の延岡城跡二の丸広場で上演。 天下一の称号を授けられた作家の能面を使用。 城の石垣を背景にかがり火に照らされた舞台で舞われる幽玄の世界は人気を呼んでいる。

    天下一薪能

  • 33

    数千人の踊り隊が橘通を練り歩く市民総踊り 2001年から7月最後の土・日曜日に開催。 同市最大の祭りである。

    えれこっちゃみやざき

  • 34

    宮崎の海の玄関口、宮崎港を舞台にし、7月の海の日に行われる。 巡視船や実習船、フェリーなどの体験航海、魚のつかみ捕りなど家族で楽しめる。

    宮崎みなとまつり

  • 35

    1976年から開催の夏の恒例イベント。 ジャンルを超えたアーティストをそろえ、JAZZ INN世代とJam Night新世代までが一緒に楽しめる野外ライブ。

    フェニックスジャムナイト

  • 36

    1978年から10月の第3土・日曜日に開催されており、県重要無形民族文化財の「泰平踊」が披露される。日南市で行われる。

    飫肥城下まつり

  • 37

    7月に行われるまつり。海にちなんだイベントが油津港を舞台に、2日間盛大に催される。

    油津港まつり

  • 38

    延岡市で行われる県北最大の夏祭り。 7月に2日間行われる。市民総参加のばんば踊りと花火がメーンである。

    まつりのべおか

  • 39

    宮崎市佐土原町と新富町の花火大会。 一ツ瀬川日向大橋下河川敷で8月中旬に行われる。近い位置からの観賞は迫力満点。

    サマーフェスティバルin一ツ瀬

  • 40

    西米良村で行われる花火大会で8月に開かれる 一ツ瀬川河川敷での観賞は周囲の山にこだまする花火の音と、自分の上に降る火花の迫力が圧巻。

    やまびこ花火大会

  • 41

    宮崎市の花火大会で8月の第1土曜日の恒例行事。大淀川畔で1949年から続いている。

    みやざき納涼花火大会