問題一覧
1
〈農村経済の展開〉 [1]商品農産物・農産加工生産の展開 ①(1)…地域市場の拡張 ②(2) (2)油…各地で換金作物として生産 ③(3)関係品…生産の(4)から東日本への拡散 ④(5)関係品…京都以外の地域における機業の成立・成長 全体として生産地が(4)から(6)へ変移 [2]非農業生産の展開 19世紀前半の農村経済は、(7)およびその生産物を流通させる(8)をも兼帯したもの =日本経済の「非農化」の進行 (8)
商業
2
江戸時代経済の構造変容 〈新しい拡大基調〉 [1]文政・天保の貨幣改鋳 改鋳は貨幣数量を(1)させ、ひいては(2)を上昇させた →19世紀に入ると(3)となり、これも(2)上昇に寄与 [2]所得と需要の変化 1820年以降(4)は上昇し、農民所得の増加要因となった →所得増によって発生した需要は(5)により多く向かい始める ただし(6)以外 (5)
手工業品
3
〈総需要〉※各種データから何が読み取れるか ①(1)…江戸時代以来の消費生活が着実に充実していたこと ②(2)…三つの「企業勃興」と日清戦争後の不況の影響 ③政府支出…日清・日露戦争後の「(3)」から「(4)」への転換 ④輸出入…(5)のパターンに近づくとともに、アジア・太平洋地域との結合強化 (5)
加工貿易
4
〈(1)政策〉 [1]産業・技術移植と経済基盤設備 工部省・内務省・(2)などの手で行われ、必ずしも良好な成績を上げなかった →しかし、官営工場の設立は実物教育の役割を果たし、インフラ(鉄道・電信・郵便など)設備の第一歩となる [2](3)条例の改正 1876年 (3)の設立要件を変更 →(4)紙幣による金融疎通の途を選択 これにより、(3)設立ブームが起こる 結局、1879年までに153行設立 (4)
不換
5
〈(1)財政〉 1880年前半に実施された大蔵卿・(1)正義の政策 ①紙幣整理、(2)設立、(3)の確立、(4)払下げ政策などが中心 ②厳しい緊縮政策が(5)を招き、小企業を圧迫、小作農など農民は没落 ③一方、(6)の基盤を形成した (3)
兌換制
6
〈(1)政策〉 [1]産業・技術移植と経済基盤設備 工部省・内務省・(2)などの手で行われ、必ずしも良好な成績を上げなかった →しかし、官営工場の設立は実物教育の役割を果たし、インフラ(鉄道・電信・郵便など)設備の第一歩となる [2](3)条例の改正 1876年 (3)の設立要件を変更 →(4)紙幣による金融疎通の途を選択 これにより、(3)設立ブームが起こる 結局、1879年までに153行設立 (1)
殖産興業
7
江戸時代経済の終焉 ※最後の打撃 近代世界経済への日本の強制的編入 〈開国・開港〉 1854年 (1) 国交の樹立→開国 1858年 (2) 通商の開始→開港 のち蘭・露・英・仏とも調印、いわゆる(3) ※不平等条約 片務的 (1)
日米和親条約
8
〈農村経済の展開〉 [1]商品農産物・農産加工生産の展開 ①(1)…地域市場の拡張 ②(2) (2)油…各地で換金作物として生産 ③(3)関係品…生産の(4)から東日本への拡散 ④(5)関係品…京都以外の地域における機業の成立・成長 全体として生産地が(4)から(6)へ変移 [2]非農業生産の展開 19世紀前半の農村経済は、(7)およびその生産物を流通させる(8)をも兼帯したもの =日本経済の「非農化」の進行 (7)
手工業
9
〈新しい全国経済〉 [1]地域間流通の展開 幾つかの藩で40〜50%の移出率を持つ商品が見られるなど、地域間商品移出入の(1) [2]大坂の後退 19世紀初頭より大坂への(2)が減少→地域-(3)あるいは地域相互間の経済関係が伸張 ※江戸時代経済らしいあり方とは異質のもの (2)
商品廻着量
10
〈総需要〉※各種データから何が読み取れるか ①(1)…江戸時代以来の消費生活が着実に充実していたこと ②(2)…三つの「企業勃興」と日清戦争後の不況の影響 ③政府支出…日清・日露戦争後の「(3)」から「(4)」への転換 ④輸出入…(5)のパターンに近づくとともに、アジア・太平洋地域との結合強化 (3),(4)
小さな政府, 大きな政府
11
〈(1)財政〉 1880年前半に実施された大蔵卿・(1)正義の政策 ①紙幣整理、(2)設立、(3)の確立、(4)払下げ政策などが中心 ②厳しい緊縮政策が(5)を招き、小企業を圧迫、小作農など農民は没落 ③一方、(6)の基盤を形成した (2)
日本銀行
12
江戸時代経済の構造変容 〈新しい拡大基調〉 [1]文政・天保の貨幣改鋳 改鋳は貨幣数量を(1)させ、ひいては(2)を上昇させた →19世紀に入ると(3)となり、これも(2)上昇に寄与 [2]所得と需要の変化 1820年以降(4)は上昇し、農民所得の増加要因となった →所得増によって発生した需要は(5)により多く向かい始める ただし(6)以外 (1)
増加
13
殖産興業政策の展開 新政府の経済上の任務…「非農化」しつつあった19世紀経済を「(1)」させること 〈経済諸制度の改廃〉 [1]制度的制約の除去 (2)の廃止(=営業の自由)、旧来の身分の廃止(=職業選択の自由)など [2]国家財政の創出 ①(3)(=(4)権の獲得) →②(5)(=旧武士の家禄の全廃) →③(6)(=貨幣納租税へ転換) [3]貨幣・金融制度の揺籃 1871年 新貨条例…(7)・(8)・(9)を単位とする十進法の円形鋳貨の登場 1872年 (10)条例…大蔵省下付の(11)券たる(10)券を発券する民間の株式会社の創設 (1)
産業化
14
殖産興業政策の展開 新政府の経済上の任務…「非農化」しつつあった19世紀経済を「(1)」させること 〈経済諸制度の改廃〉 [1]制度的制約の除去 (2)の廃止(=営業の自由)、旧来の身分の廃止(=職業選択の自由)など [2]国家財政の創出 ①(3)(=(4)権の獲得) →②(5)(=旧武士の家禄の全廃) →③(6)(=貨幣納租税へ転換) [3]貨幣・金融制度の揺籃 1871年 新貨条例…(7)・(8)・(9)を単位とする十進法の円形鋳貨の登場 1872年 (10)条例…大蔵省下付の(11)券たる(10)券を発券する民間の株式会社の創設 (4)
貢租賦課
15
〈総需要〉※各種データから何が読み取れるか ①(1)…江戸時代以来の消費生活が着実に充実していたこと ②(2)…三つの「企業勃興」と日清戦争後の不況の影響 ③政府支出…日清・日露戦争後の「(3)」から「(4)」への転換 ④輸出入…(5)のパターンに近づくとともに、アジア・太平洋地域との結合強化 (2)
民間固定資本形成
16
〈農村経済の展開〉 [1]商品農産物・農産加工生産の展開 ①(1)…地域市場の拡張 ②(2) (2)油…各地で換金作物として生産 ③(3)関係品…生産の(4)から東日本への拡散 ④(5)関係品…京都以外の地域における機業の成立・成長 全体として生産地が(4)から(6)へ変移 [2]非農業生産の展開 19世紀前半の農村経済は、(7)およびその生産物を流通させる(8)をも兼帯したもの =日本経済の「非農化」の進行 (4)
畿内
17
〈(1)財政〉 1880年前半に実施された大蔵卿・(1)正義の政策 ①紙幣整理、(2)設立、(3)の確立、(4)払下げ政策などが中心 ②厳しい緊縮政策が(5)を招き、小企業を圧迫、小作農など農民は没落 ③一方、(6)の基盤を形成した (4)
官営事業
18
〈(1)、(2)量、(3)〉 潤沢な(2)供給が社会的需要を増加させ、(1)上昇を伴いながら経済成長を促すという(4)的成長 →これ以後の日本の経済発展を貫く成長パターンとなる 金銀比価の低落(銀安)の影響を受け、円の欧米通貨に対する(3)は低下傾向が続く →一方では輸出の増加を促したが、他方では国内物価の持続的な(5)を引き起こす (2)
通貨
19
〈貿易の開始〉 [1]輸出と輸入 ※ともにかなりの伸張 輸出品…(1)・蚕卵紙および茶で80〜90%に達する 輸入品…綿織物・綿糸・毛織物・武器が大半を占める →加工度は輸出品が低くく、輸入品が高い、これは(2)型の貿易構造 ※ちなみに、(1)は明治以降も一貫して日本の輸出品の中心であり続ける [2]全国流通の混乱 各地域と(3)との取引量の増加(輸出の8割強、輸入の6割以上) →(4)を中心とする全国流通体制の変質に拍車をかける [3]価格体系の変化 (1)の国内価格が、より高い国際価格に急速に近づく →国内糸価の(5)が発生! (1)
生糸
20
江戸時代経済の終焉 ※最後の打撃 近代世界経済への日本の強制的編入 〈開国・開港〉 1854年 (1) 国交の樹立→開国 1858年 (2) 通商の開始→開港 のち蘭・露・英・仏とも調印、いわゆる(3) ※不平等条約 片務的 (2)
日米修好通商条約
21
江戸時代経済の構造変容 〈新しい拡大基調〉 [1]文政・天保の貨幣改鋳 改鋳は貨幣数量を(1)させ、ひいては(2)を上昇させた →19世紀に入ると(3)となり、これも(2)上昇に寄与 [2]所得と需要の変化 1820年以降(4)は上昇し、農民所得の増加要因となった →所得増によって発生した需要は(5)により多く向かい始める ただし(6)以外 (4)
米価
22
(1)の開始 近代科学の経済への広範な応用が行われるようになった(2)の(3)以後の二世紀 →それ以前と区分して「(1)」という言葉で特徴づけられる 日本の(3)の開始は、本格的な経済発展を推進していくための制度的条件が整えられた後の1880年代後半 〈明治後期の経済成長〉 日本の国民所得の実質成長率(2.4%)は、ドイツのそれ(2.7%)とあまり変わらない →しかし、(4)については、欧米諸国との間に大きな格差あり (4)
1人当たり所得
23
〈(1)、(2)量、(3)〉 潤沢な(2)供給が社会的需要を増加させ、(1)上昇を伴いながら経済成長を促すという(4)的成長 →これ以後の日本の経済発展を貫く成長パターンとなる 金銀比価の低落(銀安)の影響を受け、円の欧米通貨に対する(3)は低下傾向が続く →一方では輸出の増加を促したが、他方では国内物価の持続的な(5)を引き起こす (1)
物価
24
〈農村経済の展開〉 [1]商品農産物・農産加工生産の展開 ①(1)…地域市場の拡張 ②(2) (2)油…各地で換金作物として生産 ③(3)関係品…生産の(4)から東日本への拡散 ④(5)関係品…京都以外の地域における機業の成立・成長 全体として生産地が(4)から(6)へ変移 [2]非農業生産の展開 19世紀前半の農村経済は、(7)およびその生産物を流通させる(8)をも兼帯したもの =日本経済の「非農化」の進行 (2)
菜種
25
殖産興業政策の展開 新政府の経済上の任務…「非農化」しつつあった19世紀経済を「(1)」させること 〈経済諸制度の改廃〉 [1]制度的制約の除去 (2)の廃止(=営業の自由)、旧来の身分の廃止(=職業選択の自由)など [2]国家財政の創出 ①(3)(=(4)権の獲得) →②(5)(=旧武士の家禄の全廃) →③(6)(=貨幣納租税へ転換) [3]貨幣・金融制度の揺籃 1871年 新貨条例…(7)・(8)・(9)を単位とする十進法の円形鋳貨の登場 1872年 (10)条例…大蔵省下付の(11)券たる(10)券を発券する民間の株式会社の創設 (2)
株仲間
26
殖産興業政策の展開 新政府の経済上の任務…「非農化」しつつあった19世紀経済を「(1)」させること 〈経済諸制度の改廃〉 [1]制度的制約の除去 (2)の廃止(=営業の自由)、旧来の身分の廃止(=職業選択の自由)など [2]国家財政の創出 ①(3)(=(4)権の獲得) →②(5)(=旧武士の家禄の全廃) →③(6)(=貨幣納租税へ転換) [3]貨幣・金融制度の揺籃 1871年 新貨条例…(7)・(8)・(9)を単位とする十進法の円形鋳貨の登場 1872年 (10)条例…大蔵省下付の(11)券たる(10)券を発券する民間の株式会社の創設 (10)
国立銀行
27
(1)の開始 近代科学の経済への広範な応用が行われるようになった(2)の(3)以後の二世紀 →それ以前と区分して「(1)」という言葉で特徴づけられる 日本の(3)の開始は、本格的な経済発展を推進していくための制度的条件が整えられた後の1880年代後半 〈明治後期の経済成長〉 日本の国民所得の実質成長率(2.4%)は、ドイツのそれ(2.7%)とあまり変わらない →しかし、(4)については、欧米諸国との間に大きな格差あり (3)
産業革命
28
〈(1)財政〉 1880年前半に実施された大蔵卿・(1)正義の政策 ①紙幣整理、(2)設立、(3)の確立、(4)払下げ政策などが中心 ②厳しい緊縮政策が(5)を招き、小企業を圧迫、小作農など農民は没落 ③一方、(6)の基盤を形成した (1)
松方
29
〈(1)財政〉 1880年前半に実施された大蔵卿・(1)正義の政策 ①紙幣整理、(2)設立、(3)の確立、(4)払下げ政策などが中心 ②厳しい緊縮政策が(5)を招き、小企業を圧迫、小作農など農民は没落 ③一方、(6)の基盤を形成した (5)
デフレ
30
〈(1)、(2)量、(3)〉 潤沢な(2)供給が社会的需要を増加させ、(1)上昇を伴いながら経済成長を促すという(4)的成長 →これ以後の日本の経済発展を貫く成長パターンとなる 金銀比価の低落(銀安)の影響を受け、円の欧米通貨に対する(3)は低下傾向が続く →一方では輸出の増加を促したが、他方では国内物価の持続的な(5)を引き起こす (5)
上昇
31
江戸時代経済の構造変容 〈新しい拡大基調〉 [1]文政・天保の貨幣改鋳 改鋳は貨幣数量を(1)させ、ひいては(2)を上昇させた →19世紀に入ると(3)となり、これも(2)上昇に寄与 [2]所得と需要の変化 1820年以降(4)は上昇し、農民所得の増加要因となった →所得増によって発生した需要は(5)により多く向かい始める ただし(6)以外 (2)
物価
32
殖産興業政策の展開 新政府の経済上の任務…「非農化」しつつあった19世紀経済を「(1)」させること 〈経済諸制度の改廃〉 [1]制度的制約の除去 (2)の廃止(=営業の自由)、旧来の身分の廃止(=職業選択の自由)など [2]国家財政の創出 ①(3)(=(4)権の獲得) →②(5)(=旧武士の家禄の全廃) →③(6)(=貨幣納租税へ転換) [3]貨幣・金融制度の揺籃 1871年 新貨条例…(7)・(8)・(9)を単位とする十進法の円形鋳貨の登場 1872年 (10)条例…大蔵省下付の(11)券たる(10)券を発券する民間の株式会社の創設 (3)
廃藩置県
33
江戸時代経済の構造変容 〈新しい拡大基調〉 [1]文政・天保の貨幣改鋳 改鋳は貨幣数量を(1)させ、ひいては(2)を上昇させた →19世紀に入ると(3)となり、これも(2)上昇に寄与 [2]所得と需要の変化 1820年以降(4)は上昇し、農民所得の増加要因となった →所得増によって発生した需要は(5)により多く向かい始める ただし(6)以外 (6)
加工食品
34
〈農村経済の展開〉 [1]商品農産物・農産加工生産の展開 ①(1)…地域市場の拡張 ②(2) (2)油…各地で換金作物として生産 ③(3)関係品…生産の(4)から東日本への拡散 ④(5)関係品…京都以外の地域における機業の成立・成長 全体として生産地が(4)から(6)へ変移 [2]非農業生産の展開 19世紀前半の農村経済は、(7)およびその生産物を流通させる(8)をも兼帯したもの =日本経済の「非農化」の進行 (5)
絹
35
〈物価水準の激変〉 [1]金の大量流出 (1)に基づいて内外通貨が交換されることとなった →日本の金銀比価(1:5)は当時のアジアのそれ(1:15)に比べて三倍(2)になる →銀の(3)と金の(4)が発生! [2]物価の(5) 幕府は銀(3)・金(4)に対処するため、(6)(1/3 :5=1:15)を実行する →金貨は著しく貶質され、貨幣数量は一気に膨れ上がった →物価の(5)が発生! (6)
金高化
36
〈新しい全国経済〉 [1]地域間流通の展開 幾つかの藩で40〜50%の移出率を持つ商品が見られるなど、地域間商品移出入の(1) [2]大坂の後退 19世紀初頭より大坂への(2)が減少→地域-(3)あるいは地域相互間の経済関係が伸張 ※江戸時代経済らしいあり方とは異質のもの (1)
増加
37
殖産興業政策の展開 新政府の経済上の任務…「非農化」しつつあった19世紀経済を「(1)」させること 〈経済諸制度の改廃〉 [1]制度的制約の除去 (2)の廃止(=営業の自由)、旧来の身分の廃止(=職業選択の自由)など [2]国家財政の創出 ①(3)(=(4)権の獲得) →②(5)(=旧武士の家禄の全廃) →③(6)(=貨幣納租税へ転換) [3]貨幣・金融制度の揺籃 1871年 新貨条例…(7)・(8)・(9)を単位とする十進法の円形鋳貨の登場 1872年 (10)条例…大蔵省下付の(11)券たる(10)券を発券する民間の株式会社の創設 (5)
秩禄処分
38
〈(1)政策〉 [1]産業・技術移植と経済基盤設備 工部省・内務省・(2)などの手で行われ、必ずしも良好な成績を上げなかった →しかし、官営工場の設立は実物教育の役割を果たし、インフラ(鉄道・電信・郵便など)設備の第一歩となる [2](3)条例の改正 1876年 (3)の設立要件を変更 →(4)紙幣による金融疎通の途を選択 これにより、(3)設立ブームが起こる 結局、1879年までに153行設立 (3)
国立銀行
39
〈(1)政策〉 [1]産業・技術移植と経済基盤設備 工部省・内務省・(2)などの手で行われ、必ずしも良好な成績を上げなかった →しかし、官営工場の設立は実物教育の役割を果たし、インフラ(鉄道・電信・郵便など)設備の第一歩となる [2](3)条例の改正 1876年 (3)の設立要件を変更 →(4)紙幣による金融疎通の途を選択 これにより、(3)設立ブームが起こる 結局、1879年までに153行設立 (2)
開拓使
40
〈(1)、(2)量、(3)〉 潤沢な(2)供給が社会的需要を増加させ、(1)上昇を伴いながら経済成長を促すという(4)的成長 →これ以後の日本の経済発展を貫く成長パターンとなる 金銀比価の低落(銀安)の影響を受け、円の欧米通貨に対する(3)は低下傾向が続く →一方では輸出の増加を促したが、他方では国内物価の持続的な(5)を引き起こす (3)
為替相場
41
〈物価水準の激変〉 [1]金の大量流出 (1)に基づいて内外通貨が交換されることとなった →日本の金銀比価(1:5)は当時のアジアのそれ(1:15)に比べて三倍(2)になる →銀の(3)と金の(4)が発生! [2]物価の(5) 幕府は銀(3)・金(4)に対処するため、(6)(1/3 :5=1:15)を実行する →金貨は著しく貶質され、貨幣数量は一気に膨れ上がった →物価の(5)が発生! (5)
暴騰
42
〈(1)、(2)量、(3)〉 潤沢な(2)供給が社会的需要を増加させ、(1)上昇を伴いながら経済成長を促すという(4)的成長 →これ以後の日本の経済発展を貫く成長パターンとなる 金銀比価の低落(銀安)の影響を受け、円の欧米通貨に対する(3)は低下傾向が続く →一方では輸出の増加を促したが、他方では国内物価の持続的な(5)を引き起こす (4)
インフレ
43
殖産興業政策の展開 新政府の経済上の任務…「非農化」しつつあった19世紀経済を「(1)」させること 〈経済諸制度の改廃〉 [1]制度的制約の除去 (2)の廃止(=営業の自由)、旧来の身分の廃止(=職業選択の自由)など [2]国家財政の創出 ①(3)(=(4)権の獲得) →②(5)(=旧武士の家禄の全廃) →③(6)(=貨幣納租税へ転換) [3]貨幣・金融制度の揺籃 1871年 新貨条例…(7)・(8)・(9)を単位とする十進法の円形鋳貨の登場 1872年 (10)条例…大蔵省下付の(11)券たる(10)券を発券する民間の株式会社の創設 (7),(8),(9)
円, 銭, 厘
44
〈(1)財政〉 1880年前半に実施された大蔵卿・(1)正義の政策 ①紙幣整理、(2)設立、(3)の確立、(4)払下げ政策などが中心 ②厳しい緊縮政策が(5)を招き、小企業を圧迫、小作農など農民は没落 ③一方、(6)の基盤を形成した (6)
資本主義経済
45
〈農村経済の展開〉 [1]商品農産物・農産加工生産の展開 ①(1)…地域市場の拡張 ②(2) (2)油…各地で換金作物として生産 ③(3)関係品…生産の(4)から東日本への拡散 ④(5)関係品…京都以外の地域における機業の成立・成長 全体として生産地が(4)から(6)へ変移 [2]非農業生産の展開 19世紀前半の農村経済は、(7)およびその生産物を流通させる(8)をも兼帯したもの =日本経済の「非農化」の進行 (1)
米
46
殖産興業政策の展開 新政府の経済上の任務…「非農化」しつつあった19世紀経済を「(1)」させること 〈経済諸制度の改廃〉 [1]制度的制約の除去 (2)の廃止(=営業の自由)、旧来の身分の廃止(=職業選択の自由)など [2]国家財政の創出 ①(3)(=(4)権の獲得) →②(5)(=旧武士の家禄の全廃) →③(6)(=貨幣納租税へ転換) [3]貨幣・金融制度の揺籃 1871年 新貨条例…(7)・(8)・(9)を単位とする十進法の円形鋳貨の登場 1872年 (10)条例…大蔵省下付の(11)券たる(10)券を発券する民間の株式会社の創設 (6)
地租改正
47
〈物価水準の激変〉 [1]金の大量流出 (1)に基づいて内外通貨が交換されることとなった →日本の金銀比価(1:5)は当時のアジアのそれ(1:15)に比べて三倍(2)になる →銀の(3)と金の(4)が発生! [2]物価の(5) 幕府は銀(3)・金(4)に対処するため、(6)(1/3 :5=1:15)を実行する →金貨は著しく貶質され、貨幣数量は一気に膨れ上がった →物価の(5)が発生! (1)
同種同量原則
48
〈貿易の開始〉 [1]輸出と輸入 ※ともにかなりの伸張 輸出品…(1)・蚕卵紙および茶で80〜90%に達する 輸入品…綿織物・綿糸・毛織物・武器が大半を占める →加工度は輸出品が低くく、輸入品が高い、これは(2)型の貿易構造 ※ちなみに、(1)は明治以降も一貫して日本の輸出品の中心であり続ける [2]全国流通の混乱 各地域と(3)との取引量の増加(輸出の8割強、輸入の6割以上) →(4)を中心とする全国流通体制の変質に拍車をかける [3]価格体系の変化 (1)の国内価格が、より高い国際価格に急速に近づく →国内糸価の(5)が発生! (4)
大坂
49
〈物価水準の激変〉 [1]金の大量流出 (1)に基づいて内外通貨が交換されることとなった →日本の金銀比価(1:5)は当時のアジアのそれ(1:15)に比べて三倍(2)になる →銀の(3)と金の(4)が発生! [2]物価の(5) 幕府は銀(3)・金(4)に対処するため、(6)(1/3 :5=1:15)を実行する →金貨は著しく貶質され、貨幣数量は一気に膨れ上がった →物価の(5)が発生! (2)
銀高
50
〈総需要〉※各種データから何が読み取れるか ①(1)…江戸時代以来の消費生活が着実に充実していたこと ②(2)…三つの「企業勃興」と日清戦争後の不況の影響 ③政府支出…日清・日露戦争後の「(3)」から「(4)」への転換 ④輸出入…(5)のパターンに近づくとともに、アジア・太平洋地域との結合強化 (1)
個人消費支出
51
〈農村経済の展開〉 [1]商品農産物・農産加工生産の展開 ①(1)…地域市場の拡張 ②(2) (2)油…各地で換金作物として生産 ③(3)関係品…生産の(4)から東日本への拡散 ④(5)関係品…京都以外の地域における機業の成立・成長 全体として生産地が(4)から(6)へ変移 [2]非農業生産の展開 19世紀前半の農村経済は、(7)およびその生産物を流通させる(8)をも兼帯したもの =日本経済の「非農化」の進行 (3)
綿
52
江戸時代経済の終焉 ※最後の打撃 近代世界経済への日本の強制的編入 〈開国・開港〉 1854年 (1) 国交の樹立→開国 1858年 (2) 通商の開始→開港 のち蘭・露・英・仏とも調印、いわゆる(3) ※不平等条約 片務的 (3)
安政の五か国条約
53
殖産興業政策の展開 新政府の経済上の任務…「非農化」しつつあった19世紀経済を「(1)」させること 〈経済諸制度の改廃〉 [1]制度的制約の除去 (2)の廃止(=営業の自由)、旧来の身分の廃止(=職業選択の自由)など [2]国家財政の創出 ①(3)(=(4)権の獲得) →②(5)(=旧武士の家禄の全廃) →③(6)(=貨幣納租税へ転換) [3]貨幣・金融制度の揺籃 1871年 新貨条例…(7)・(8)・(9)を単位とする十進法の円形鋳貨の登場 1872年 (10)条例…大蔵省下付の(11)券たる(10)券を発券する民間の株式会社の創設 (11)
兌換
54
〈農村経済の展開〉 [1]商品農産物・農産加工生産の展開 ①(1)…地域市場の拡張 ②(2) (2)油…各地で換金作物として生産 ③(3)関係品…生産の(4)から東日本への拡散 ④(5)関係品…京都以外の地域における機業の成立・成長 全体として生産地が(4)から(6)へ変移 [2]非農業生産の展開 19世紀前半の農村経済は、(7)およびその生産物を流通させる(8)をも兼帯したもの =日本経済の「非農化」の進行 (6)
他地域
55
〈物価水準の激変〉 [1]金の大量流出 (1)に基づいて内外通貨が交換されることとなった →日本の金銀比価(1:5)は当時のアジアのそれ(1:15)に比べて三倍(2)になる →銀の(3)と金の(4)が発生! [2]物価の(5) 幕府は銀(3)・金(4)に対処するため、(6)(1/3 :5=1:15)を実行する →金貨は著しく貶質され、貨幣数量は一気に膨れ上がった →物価の(5)が発生! (3),(4)
流入, 流出
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江戸時代経済の構造変容 〈新しい拡大基調〉 [1]文政・天保の貨幣改鋳 改鋳は貨幣数量を(1)させ、ひいては(2)を上昇させた →19世紀に入ると(3)となり、これも(2)上昇に寄与 [2]所得と需要の変化 1820年以降(4)は上昇し、農民所得の増加要因となった →所得増によって発生した需要は(5)により多く向かい始める ただし(6)以外 (3)
人口増
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〈貿易の開始〉 [1]輸出と輸入 ※ともにかなりの伸張 輸出品…(1)・蚕卵紙および茶で80〜90%に達する 輸入品…綿織物・綿糸・毛織物・武器が大半を占める →加工度は輸出品が低くく、輸入品が高い、これは(2)型の貿易構造 ※ちなみに、(1)は明治以降も一貫して日本の輸出品の中心であり続ける [2]全国流通の混乱 各地域と(3)との取引量の増加(輸出の8割強、輸入の6割以上) →(4)を中心とする全国流通体制の変質に拍車をかける [3]価格体系の変化 (1)の国内価格が、より高い国際価格に急速に近づく →国内糸価の(5)が発生! (2)
発展途上国
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〈貿易の開始〉 [1]輸出と輸入 ※ともにかなりの伸張 輸出品…(1)・蚕卵紙および茶で80〜90%に達する 輸入品…綿織物・綿糸・毛織物・武器が大半を占める →加工度は輸出品が低くく、輸入品が高い、これは(2)型の貿易構造 ※ちなみに、(1)は明治以降も一貫して日本の輸出品の中心であり続ける [2]全国流通の混乱 各地域と(3)との取引量の増加(輸出の8割強、輸入の6割以上) →(4)を中心とする全国流通体制の変質に拍車をかける [3]価格体系の変化 (1)の国内価格が、より高い国際価格に急速に近づく →国内糸価の(5)が発生! (3)
横浜
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(1)の開始 近代科学の経済への広範な応用が行われるようになった(2)の(3)以後の二世紀 →それ以前と区分して「(1)」という言葉で特徴づけられる 日本の(3)の開始は、本格的な経済発展を推進していくための制度的条件が整えられた後の1880年代後半 〈明治後期の経済成長〉 日本の国民所得の実質成長率(2.4%)は、ドイツのそれ(2.7%)とあまり変わらない →しかし、(4)については、欧米諸国との間に大きな格差あり (1)
近代経済成長
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〈新しい全国経済〉 [1]地域間流通の展開 幾つかの藩で40〜50%の移出率を持つ商品が見られるなど、地域間商品移出入の(1) [2]大坂の後退 19世紀初頭より大坂への(2)が減少→地域-(3)あるいは地域相互間の経済関係が伸張 ※江戸時代経済らしいあり方とは異質のもの (3)
江戸
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(1)の開始 近代科学の経済への広範な応用が行われるようになった(2)の(3)以後の二世紀 →それ以前と区分して「(1)」という言葉で特徴づけられる 日本の(3)の開始は、本格的な経済発展を推進していくための制度的条件が整えられた後の1880年代後半 〈明治後期の経済成長〉 日本の国民所得の実質成長率(2.4%)は、ドイツのそれ(2.7%)とあまり変わらない →しかし、(4)については、欧米諸国との間に大きな格差あり (2)
イギリス
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〈貿易の開始〉 [1]輸出と輸入 ※ともにかなりの伸張 輸出品…(1)・蚕卵紙および茶で80〜90%に達する 輸入品…綿織物・綿糸・毛織物・武器が大半を占める →加工度は輸出品が低くく、輸入品が高い、これは(2)型の貿易構造 ※ちなみに、(1)は明治以降も一貫して日本の輸出品の中心であり続ける [2]全国流通の混乱 各地域と(3)との取引量の増加(輸出の8割強、輸入の6割以上) →(4)を中心とする全国流通体制の変質に拍車をかける [3]価格体系の変化 (1)の国内価格が、より高い国際価格に急速に近づく →国内糸価の(5)が発生! (5)
急騰