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教育課程論 1-2
  • T Hibiki

  • 問題数 20 • 10/24/2023

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    問題一覧

  • 1

    1900(明治33)年の小学校令施行規則の近代化がねらいで、中心は外国語新設であった。

    ‪✕‬

  • 2

    小学校教則大綱以降は、ペスタロッチーの影響で知識技能そのものを重視する実質陶治論が優位であった。

    ‪✕‬

  • 3

    1900(明治40)年には、義務教育が4年から6年に延長された。

  • 4

    1917(大正6)年の臨時教育会議では、国史教育が重視された。

  • 5

    1917(大正6)年に澤柳政太郎が創設した成城小学校の教育課程は、デューイやパーカーストの影響が大きかった。

  • 6

    奈良女子高等師範学校附属小学校の木下竹次は、1920(大正9)年から合科学習を展開した。

  • 7

    1926(大正15)年に小学校令施行規則が改正され、尋常小学校の教育課程が改正された。

    ‪✕‬

  • 8

    1926(大正15)年の小学校令施行規則の改正によって、工業の項目が付加された。

  • 9

    1941(昭和16)年、尋常・高等小学校は国民学校初等科・高等科と改称された。

  • 10

    国民学校の教育課程の構成原理は、「目的原理主義」ではなく、生活体験主義・系統主義であった。

    ‪✕‬

  • 11

    経験主義教育による民主主義への志向が、戦後すぐの学習指導要領の特質であった。

  • 12

    1947(昭和22)年の思案では、小学校で修身などが廃止され、国語科などが新設された。

    ‪✕‬

  • 13

    1951(昭和26)年の改訂では、小学校で自由研究が廃止され、「教科以外の活動」が新設された。

  • 14

    戦後すぐは、社会科や教科以外の活動をコアにしたコア・カリキュラムの教育実践が数多く展開された。

  • 15

    1947(昭和22)年の思案で中学校に職業科が設定されたのは、卒業後就職する生徒が多かったからだ。

  • 16

    1948(昭和23)年の「高等学校設置基準」では、「普通科」と「専門教育を主とする学科」に分類された。

  • 17

    1958(昭和33)年の改訂では、系統主義が否定され、経験主義が採用された。

    ‪✕‬

  • 18

    1958(昭和33)年の改訂では、道徳が特設された。

  • 19

    1958(昭和33)年の改訂では、中3から選択制が大幅に採用され、進学・就職の2コースが進行した。

  • 20

    1960(昭和35)年の改訂で、高等学校の教育課程は「教科」「特別教育活動」「道徳」の3領域となった。

    ‪✕‬