問題一覧
1
まんもーはんしんのうまれ
パキスタン
2
ネルー 有名書物
インドの発見, 父が子に語る世界史
3
ネルー いつ帰国
1912
4
不可触民の地位向上に向けたアンベードカルの取り組み
不可触民を対象にした大学設置, 不可触民に議席分離選挙を要求
5
アンベードカルの憲法制定下での働き
宗教や差別の禁止, 不可触民制度の廃止
6
2000年 インドが主要国と締結したもの
戦略的パートナーシップ
7
インドの独立 1947
ガンディーの望んだ統一インドではなく分離独立
8
アンベードカルの敬称
父なる指導者
9
インドの独立年
1947
10
カースト制を否定しないガンディーと対立した人物名
アンベードカル
11
ネルー 父の詳細 何派
弁護士 国民会議派
12
ラジーヴの妻
ソニア
13
インディラ・ガンディー死後の首相
ラジーヴ
14
ネルーの逮捕回数
9回
15
経済危機下でのナラシムハラオ政権での経済改革行った人物
マンモハンシン
16
ネルー どこ留学 資格何取った
イギリス , 弁護士資格
17
ネルー死後の首相名
インディラ・ガンディー
18
ネルー 死去年
1964
19
アンベードカル 留学大学
コロンビア大学
20
塩の行進 いつ
1930
21
インドが未署名な核問題
NPT, CTBT
22
ネルーの生まれ
イラーハーバード
23
アンベードカルの家 特徴
カースト最下層
24
アンベードカルが改宗した年
1956
25
ガンディー 1937年から48年にかけてノーベル平和賞に何回ノミネート
5回
26
ガンディー 1930年の運動
塩の行進
27
ガンディー 何派のリーダー
国民会議派
28
ソニアのポスト
会議派総裁
29
ネルーの外交
親中国外交展開
30
アンベードカル留学帰国後撤廃に尽力した制度
不可触民
31
不可触民 別称
神の子
32
ネルーの方針同盟について
非同盟
33
不可触民制度撤廃呼びかけた1927 場所
ボンベイ
34
ガンディー死去年 日時
1948 1月30日
35
ネルー 所属活動の名前
国民会議派
36
ネルー政権でのアンベードカルのポスト
初代法務大臣
37
ネルーが行った三代方針
セキュラリズムの確立, 留保措置の導入, 混合経済の導入
38
経済危機 年
1991
39
ガンディーの何が凄かった? 3点
非暴力という新しい手法で独立を勝ち取ろうとした 言葉だけでなく行動や姿勢で自らの思想を表現した 宗教やカーストを乗り越えインドを統合しようとした
40
ガンディーの生まれ、父の経歴
グジャラート州, 藩王国の首相
41
イギリスから出ていけ 名前
クイットインディア
42
インドが行った核実験 年
1998
43
ガンディーどこに留学 、何得る
イギリス, 弁護士資格
44
マンモハン・シン ラーオ政権でのポスト
財務省
45
父なる指導者の異名持ち
アンベードカル
46
新興国グループの名前
BRICS
47
アンベードカル 1950年以降に傾倒したもの
仏教
48
ネルー 1947年に着いた役職
インド初代首相
49
混合経済の説明
市場経済を容認する一方、重工業を中心に国家による計画経済を実施
50
インドの安全保障 名前
クアッド
51
アンベードカル著書
カーストの絶滅, ブッダとそのダンマ
52
1991年にインドで起こったこと
経済危機
53
2000年以降インドの成長率何パー
9パー
54
ネルー 1955年の会議
バンドン会議
55
1976年以降要職を担当した人物