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日本史①
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  • 問題数 88 • 2/16/2024

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    問題一覧

  • 1

    1180年 ( )が即位すると反平氏の気運はますます高まった。

    安徳天皇

  • 2

    後白河天皇の子( )は( )に促されて全国の源氏に対して挙兵を呼びかける命令文書=( )を発した。 以仁王の挙兵は失敗に終わるも、反平氏の動きは全国的に広がる。

    以仁王 源頼政 以仁王の令旨

  • 3

    平清盛は敵対する寺院から離れるため、また専制体制を固めるため摂津国の( )へ遷都を決める。

    福原京

  • 4

    貴族勢力や平氏一族から新都反対の声が強く数ヶ月で( )に都を戻す。 都を戻した後、平重衡は反平氏の( )・( )を焼き討ち

    平安京 興福寺 東大寺

  • 5

    1180年 以仁王の挙兵は失敗したが、各地の源氏に動きが見られる。 ・平治の乱で伊豆に流されていた( ) ・信濃国で勢力を広げていた( )らが挙兵 ↓ ・( )と呼ばれる全国的な争乱が続く

    源頼朝 源義仲 (木曽義仲) 治承・寿永の乱

  • 6

    1181年 平清盛が急死 畿内・西国を中心とする( )の発生 →この2つの出来事で平氏の基盤は弱体化

    養和の飢饉

  • 7

    1183年 源義仲は北陸道の( )で平氏を破る →平氏は平安京を離れ、( )とともに西国へ向かう 都入りした( )とその家人は略奪などを行い、次第に孤立

    倶利伽羅峠の戦い 安徳天皇 源義仲

  • 8

    1183年 源頼朝は後白河上皇と交渉して( )を得る その交渉内容は?

    寿永二年十月専旨 朝廷への税の納税を保証する代わりに、東国の実質的な支配を許可される

  • 9

    頼朝の弟源範頼・( )は、頼朝の名により ( )の戦いで源義仲を討つ(支配権の確立)

    源義経 宇治川

  • 10

    1184年 ( )の戦い(摂津国)で平氏を破る

    一の谷

  • 11

    1185年 ( )の戦い(讃岐国)で平氏を破り追い込む

    屋島

  • 12

    1185年 ( )の戦い(長門国)で平氏を滅亡させる →安徳天皇はこの戦いで三種の神器のうち宝剣と勾玉を抱えて入水

    壇ノ浦

  • 13

    ( )は天皇の血筋を引き、源義朝の遺児の中でも年長であった →反平氏の気運が高まった際には、血筋ゆえに頼朝のもとに東国の武士が集結

    源頼朝

  • 14

    1180年 以仁王の令旨をうけ、頼朝が挙兵 →( )を根拠地に勢力を集める

    相模国鎌倉/神奈川

  • 15

    後白河上皇は頼朝の圧力におされ、( )を出した

    源義経追討の命令

  • 16

    義経追討の際に、3つの権利を得る ①諸国に( )を置く権利 ②公領・荘園に( )を置く権利 ③地頭が公領・荘園から1段あたり五 5升の( )を徴収する権利  ・( )の支配が西国に及ぶことを意味

    守護 地頭 兵粮米 源頼朝

  • 17

    源頼朝に追われた源義経は、奥州藤原氏の( )を頼った →藤原秀衡の死後、子の( )は頼朝を恐れ、義経を自害に追い込む 頼朝は( )を理由に、泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。

    藤原秀衡 藤原泰衡 義経をかくまったこと

  • 18

    1192年 源頼朝は後鳥羽天皇より( )に任命される ・名実ともに( )が成立

    征夷大将軍 鎌倉幕府

  • 19

    土地を介した主従関係

    封権制度

  • 20

    将軍(源頼朝)は( )と主従関係を結ぶ →将軍と主従関係を直接結んだ者を( )と呼ぶ

    開発領主 御家人

  • 21

    将軍が御家人に与える恩恵

    御恩

  • 22

    先祖伝来の田地支配を将軍が保障すること

    本領安堵

  • 23

    新たな田地を将軍から与えられること (平地から奪った土地=平家没官領など)

    新恩給与

  • 24

    平氏に寄進されていた荘園郡で、平氏滅亡後に朝廷が没収し、頼朝に付与された

    平家没官領

  • 25

    御家人が将軍の恩恵に報いること

    奉公

  • 26

    戦時:( )(戦いに一族を率いて参加する)

    軍役

  • 27

    平時:( )(京都の警護)、( )(鎌倉の警護)

    京都大番役 鎌倉番役

  • 28

    将軍:征夷大将軍、初代将軍は( )

    源頼朝

  • 29

    ( ):御家人を組織、初代別当は( )

    侍所, 和田義盛

  • 30

    ( )→( ):一般政務・財政、初代別当は( )

    公文所, 政所, 大江広元

  • 31

    ( ):裁判事務所、初代執事は( )

    問注所, 三善康信

  • 32

    ( ) ①任命:一国ごとに1名、東国の( )を任命 →世襲や数カ国の兼任も可 ②任務:( )⋯( )、( )、( )の逮捕 →御家人を指揮して国内の治安維持にあたり、在庁官人を支配した ③設置:全国 ④ごく初期の頃には、守護は( )、( )ともよばれた

    守護 有力御家人 大犯3カ条 大番催促 謀反人 殺害人 惣追使 国地頭

  • 33

    ( )(国の管理人) ①任命:荘園・公領ごとに1名、( )を任命 ②任務:公領・荘園に置かれ、現地で直接支配を行い、名主からの( )を担当 ③設置:1185年 東国及び機内・西国に設置 1186年 東国及び( )・謀反人所領に限定 →次第に全国に拡大 ④将軍が源義経の頃、朝廷の力はまだ強く、知行国守・荘園領主が貴族などの場合には、地頭は公領で将軍と受領の、荘園で将軍と荘園領主の( )を受けた

    地頭 御家人 徴税 平家没官領 2元的支配

  • 34

    将軍の知行国(将軍が貴族を受領として任命した公領のこと)

    関東知行国

  • 35

    平氏から没収した荘園を含む、将軍を荘園領主とする荘園郡

    関東御領

  • 36

    鎌倉幕府の初期の支配体制:( )の独裁による部分が大きかった

    源頼朝

  • 37

    1202年 頼朝の長男( )が二代将軍に就任 →頼家の独裁的な政治は、御家人から反発を受けた 頼家の権限は制限され、有力御家人の( )名の合議で( )・( )がなされた

    源頼家, 13, 最高政務, 裁判

  • 38

    有力御家人13名

    大江広元, 三善康信, 北条時政, 梶原景時, 三浦泰村, 和田義盛, 比企能員

  • 39

    執権政治の中、( )は勢力を伸ばす →伊豆国の( )で源頼朝の妻( )の父 時政以降、北条氏は御家人のライバルを排斥していく

    北条時政, 在庁官人, 北条政子

  • 40

    1200年 ( )(頼朝を救った古株の御家人)を討伐

    梶原景時

  • 41

    1203年 ( )(頼家の後見人)を討伐

    比企能員

  • 42

    源頼朝の次男( )を3代将軍にたて、政所別当に就任

    源実朝

  • 43

    時政の子( )が政所別当の職を継ぐ

    北条義時

  • 44

    1205年 ( )(子の重安が時政より謀殺される)

    畠山重忠

  • 45

    1213年 ( ) →北条義時が侍所別当の( )を滅ぼした事件

    和田合戦, 和田義盛

  • 46

    義時は、侍所・政所別当を兼ねる地位=( )を確立

    執権

  • 47

    北条氏一族で世襲 →ほぼ無力な将軍を立て、北条氏が幕府権力を握る( )が開始

    執権政治

  • 48

    幕府内紛の一方で( )は院政を行いながら朝廷をしだいにたてなおした

    後鳥羽上皇

  • 49

    北面武士に加え、警護組織である( )を組織し、軍事力を強化 後鳥羽上皇は、幕府と対決する態勢・計画を整えていった。

    西面の武士

  • 50

    1219年 3代将軍源実朝が、源頼家の遺児( )に暗殺される →追われた公暁も暗殺される →( )の直径の子孫は断絶

    公暁, 源頼朝

  • 51

    幕府は、頼朝の遠縁にあたる幼少の( )を将軍に迎える →将軍の仕事は( )が代行(摂家将軍) →幕府は新たな将軍の候補に後続を望んだが、( )が拒否

    公暁, 北条政子, 後鳥羽上皇

  • 52

    1221年 ( ) →( )が将軍暗殺を好機として( )の追討の兵を挙げた事件 →挙兵の際、上皇は北条氏に反発する御家人を拉致「いまこそ!執権北条義時を倒せ!」しかし、北条政子が御家人に源頼朝の「恩恵」を訴え、大多数は北条氏のもとに結集

    承久の乱, 後鳥羽上皇, 北条義時

  • 53

    北条義時の子( )と義時の弟( )が京都に攻め入る →幕府の勝利で決着 後鳥羽上皇:( )へ 土御門上皇:( )へ 順徳上皇:( )へ 仲恭天皇は廃位

    北条泰時, 北条時房, 隠岐, 土佐, 佐渡

  • 54

    幕府の取り組み ①朝廷の監視・西国の御家人の統轄を担う( )を設置 ②上皇側の所領を没収しその地の地頭に( )を任命

    六波羅探題 御家人

  • 55

    任命された地頭には、前にいた荘官や鄉司の田地からの取り分を引き継いだ ・取り分が少ない場合や不明な場合は( )を適用して不足分を補った ・新補率法の適用で取り分を保証された地頭を( )と呼ぶ ・地頭は、一国ごとに、田地の面積や荘園領主名・地頭名を記した台帳( )を作成

    新補率法 新補地頭 風土記

  • 56

    11町ごとに1町の免田/免田を除き、段別に5升の加徴米/山川からの収益の半分

    新補率法

  • 57

    従来の地頭は( )という

    本補地頭

  • 58

    幕府の力が西国の荘園・公領にも及び、幕府優位の( )を確立

    公武二元体制

  • 59

    朝廷(上皇)は以後も院政を続けたが、幕府の監視下で政治や皇位の( )に干渉を受けるようになった

    継承

  • 60

    承久の乱後、( )が3代執権を引き継ぐ →御家人の支持を獲得するには( )では無い公平な合議による裁断が必要となる

    北条泰時, 独裁的

  • 61

    公平な合議を行うために設置した ( ):執権の補佐役(もう1人の執権)初代は( ) ( ):11名の有力御家人 →これらの御家人が参加する最高政務・裁判にあたる( )( )( )の会議を評定という

    連署 北条時房 評定衆 執権 連署 評定衆

  • 62

    幕府成立以降、御家人同士の紛争や、御家人と荘園領主の紛争が相次ぐ 1232年 ( )(貞永式目)の制定

    御成敗式目

  • 63

    御成敗式目:( )が作らせた最初の武家法典 ・頼朝以来の( )と武士の習慣・道徳である( )に基づき制定 →地頭・守護の任務と権限や紛争の裁判基準を成文化 ・後の武家法にも大きな影響を与える重要な法典となる ・全( )カ条で、後に追加した条文を( )という

    北条泰時, 先例, 道理, 51, 式目追加

  • 64

    当時、公家法や荘園領主が荘園支配のために定めた規則( )があった その他にも( )・( )など従来の法律も存在 →御成敗式目は( )・( )・( )を否定せず、幕府の支配領域にのみ適用された 幕府の支配が全国に拡大するにつれ、御成敗式目の影響は広がり、効力を持つ範囲が拡大

    本所法, 律令, 公家法, 律令, 公家法, 本所法

  • 65

    5代執権( )(北条泰時の孫)は以下の政策を実施 →この時期頃から執権政治はより強化され、次第に独裁的な性格を強めていくことになる

    北条時頼

  • 66

    ( )は裁判の迅速化とそれによる御家人の信頼獲得を考えた

    北条時頼

  • 67

    1249年 次の三段階を踏むことで迅速で公正な裁判を確立 ・定員4~5人の( )を任命 ・引付衆で構成する会議=( )が判決原案を評定に提出 ・判決原案にほぼ従い( )が最終的な裁断を下す

    引付衆 引付 評定

  • 68

    1226年 ( )が4代将軍に就任 藤原頼経は在職の間に1部の御家人(三浦氏など)と親近な関係を持った それら1部御家人は北条氏が御家人を統制する上での障害のなる 北条時頼は藤原頼経の子( )を5代将軍に就任させ、( )を京都に送還

    藤原頼経 藤原頼嗣 藤原頼経

  • 69

    1247年 ( ) →北条時頼が勢力を増していた( )を滅ぼした戦い 幕府内において北条氏に対抗出来る最後の勢力が消滅 ⋯北条氏の独裁政権が事実上確立

    宝治合戦 三浦泰村

  • 70

    ( )は朝廷に政治の刷新と制度の改革を求めた →朝廷に幕府が認めた公家から選抜した評定衆=( )を置かせ、評定衆で構成する評定を院政最高議決機関とさせた

    北条時頼 院評定衆

  • 71

    1252年 時頼は5代将軍の( )を廃する ⋯後嵯峨上皇の子( )を6代将軍に迎える =( )将軍

    藤原頼嗣 宗尊親王 皇族

  • 72

    武士は先祖伝来の所領の要地に( )を構え、周囲には灌漑[かんがい]・防御用の塀や堀をめぐらせた

  • 73

    館の立つ屋敷地や周辺の田地は税が免除された →このような館周辺の免税の田地を( )と呼ぶ 武士は田地を地震の隷属明である( )や所領内の農民に耕作させた

    佃 下人

  • 74

    1部の武士は身分(御家人)、職権(地頭)を楯に取り、現地への支配力を強めて次第に( )への納税を怠るようになった

    荘園領主

  • 75

    荘園領主は、幕府の判決( )を得るか武士との和解( )を経て関係を結んだ

    裁許 和与

  • 76

    一定額の年貢納入を条件に地頭に荘園の一切の管理権を委任する

    地頭請

  • 77

    荘園領主と地頭が荘園を分割し、以降それぞれが領有・管理をしていく

    下地中分

  • 78

    平安自体以降、一族のことを一門とも呼び、一門を統率する代表者の地位を( )、( )と呼んだ

    惣領 家督

  • 79

    血縁的関係を重視した武士社会の結合形態

    惣領制

  • 80

    惣領は実線で結ばれた血縁で継承され、この血縁を( )、( )とよぶ

    宗家 本家

  • 81

    惣領を継承しなかった波線で結ばれた血縁を( )と呼ぶ →その血縁の者たちを( )と呼び、さまざまな場面で惣領(家督)に従った

    分家 庶子

  • 82

    親の財産(土地)は、全ての子女に分配される( )

    分割相続

  • 83

    分割相続の繰り返しは土地を細分化し、武士の窮乏の原因となる 次第に相続人の死後に惣領に返すことを約束した土地=( )も登場

    一期分

  • 84

    時期惣領が財産全てを相続する( )が一般化 →惣領制は次第に解体する

    単独相続

  • 85

    武士は地位を守るために武芸の習得が必須 →当時の戦いでは、馬が決定的な役割をはたす 馬上の弓術を練る武芸が重要視され、( )と呼ばれる武芸の鍛錬に励んだ

    騎射三物

  • 86

    騎射三物

    流鏑馬 笠懸 犬追物

  • 87

    1258年 チンギスハンの孫で5代皇帝の( )は、モンゴル帝国の首都を[( )( )]に定め、国号を( )と改める。

    フビライハン, 大都, 北京, 元

  • 88

    元は朝鮮半島の( )を全面的に服属させる →服属語も、高麗では1270~1273年に( )が発生 1268年日本にも服属を求める国書を送る

    高麗 三別抄の乱

  • 89

    元の国書が届く数年前、北条時頼の子( )が惣領になった

    北条時宗

  • 90

    北条時宗の頃から北条氏の惣領を( )と呼称するようになった →この地位の者が原則的に執権を継承する

    得宗

  • 91

    1268年 元の国書が到着→朝廷は返書せず 度々元からの国書が送られてくるが、幕府も「返書の必要なし」と解答を拒否 幕府は元の襲来に備え、御家人の奉公に( )を新たに追加 →( )の沿岸を防備させる(制度化は文永の役後)

    異国警固番役, 九州北部

  • 92

    1274年 ( ) ・元・高句麗軍が襲来 →( )の使用 ( )に御家人は苦戦 ・肥後国の御家人( )らが奮闘 ・暴風の発生により元軍は途中撤退 ・元は撤退後、( )を滅ぼして、日本へ2度目の遠征を計画

    文永の役, てつはう, 集団戦法, 竹崎季長, 南宋

  • 93

    幕府は元軍の再度の襲来に備え、博多湾沿いに石築地( )を構築

    防塁

  • 94

    1281年 ( ) ・再び元軍襲来 ・( )と( )の二手に別れて進軍 ・石築地での防衛や、暴風雨の発生により撤退 ・撤退後フビライハンの死で3度目の遠征計画は消える

    弘安の役, 東路軍, 江南軍

  • 95

    元の2度にわたる襲来を[( )( )]という

    蒙古襲来, 元寇

  • 96

    蒙古襲来後、次の①②で幕府の支配権は強化される ①襲来の際に動員した非御家人を以後も動員する権限を獲得 ②筑前国に( )を設置 →九州の政務・裁判・御家人の統率などを担う

    鎮西探題

  • 97

    蒙古襲来に際して、幕府内の権力が得宗かつ執権の( )に集中した →それに伴い、得宗の従者である( )の発言力が拡大 御内人の代表は( )と呼ばれ、幕府の政治を主導する立場となる

    北条時宗, 御内人, 内管領

  • 98

    御内人はこれまで将軍に仕えてきた( )と対立するようになる

    御家人

  • 99

    1285年 ( ) ⋯時宗の子( )が得宗となった翌年の出来事 内管領の( )が有力御家人( )を滅ぼした事件

    霜月騒動, 北条貞時, 平頼綱, 安達泰盛

  • 100

    ( )は、平頼綱をも倒し、幕府の全権を握る 以後、執権を務める( )の独断で、幕府の政治がおこなわれた →幕府の政治は合議を重んじる( )から、得宗が主導する( )に変化

    北条貞時, 得宗, 執権政治, 得宗専制政治