問題一覧
1
1180年 ( )が即位すると反平氏の気運はますます高まった。
安徳天皇
2
後白河天皇の子( )は( )に促されて全国の源氏に対して挙兵を呼びかける命令文書=( )を発した。 以仁王の挙兵は失敗に終わるも、反平氏の動きは全国的に広がる。
以仁王 源頼政 以仁王の令旨
3
平清盛は敵対する寺院から離れるため、また専制体制を固めるため摂津国の( )へ遷都を決める。
福原京
4
貴族勢力や平氏一族から新都反対の声が強く数ヶ月で( )に都を戻す。 都を戻した後、平重衡は反平氏の( )・( )を焼き討ち
平安京 興福寺 東大寺
5
1180年 以仁王の挙兵は失敗したが、各地の源氏に動きが見られる。 ・平治の乱で伊豆に流されていた( ) ・信濃国で勢力を広げていた( )らが挙兵 ↓ ・( )と呼ばれる全国的な争乱が続く
源頼朝 源義仲 (木曽義仲) 治承・寿永の乱
6
1181年 平清盛が急死 畿内・西国を中心とする( )の発生 →この2つの出来事で平氏の基盤は弱体化
養和の飢饉
7
1183年 源義仲は北陸道の( )で平氏を破る →平氏は平安京を離れ、( )とともに西国へ向かう 都入りした( )とその家人は略奪などを行い、次第に孤立
倶利伽羅峠の戦い 安徳天皇 源義仲
8
1183年 源頼朝は後白河上皇と交渉して( )を得る その交渉内容は?
寿永二年十月専旨 朝廷への税の納税を保証する代わりに、東国の実質的な支配を許可される
9
頼朝の弟源範頼・( )は、頼朝の名により ( )の戦いで源義仲を討つ(支配権の確立)
源義経 宇治川
10
1184年 ( )の戦い(摂津国)で平氏を破る
一の谷
11
1185年 ( )の戦い(讃岐国)で平氏を破り追い込む
屋島
12
1185年 ( )の戦い(長門国)で平氏を滅亡させる →安徳天皇はこの戦いで三種の神器のうち宝剣と勾玉を抱えて入水
壇ノ浦
13
( )は天皇の血筋を引き、源義朝の遺児の中でも年長であった →反平氏の気運が高まった際には、血筋ゆえに頼朝のもとに東国の武士が集結
源頼朝
14
1180年 以仁王の令旨をうけ、頼朝が挙兵 →( )を根拠地に勢力を集める
相模国鎌倉/神奈川
15
後白河上皇は頼朝の圧力におされ、( )を出した
源義経追討の命令
16
義経追討の際に、3つの権利を得る ①諸国に( )を置く権利 ②公領・荘園に( )を置く権利 ③地頭が公領・荘園から1段あたり五 5升の( )を徴収する権利 ・( )の支配が西国に及ぶことを意味
守護 地頭 兵粮米 源頼朝
17
源頼朝に追われた源義経は、奥州藤原氏の( )を頼った →藤原秀衡の死後、子の( )は頼朝を恐れ、義経を自害に追い込む 頼朝は( )を理由に、泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。
藤原秀衡 藤原泰衡 義経をかくまったこと
18
1192年 源頼朝は後鳥羽天皇より( )に任命される ・名実ともに( )が成立
征夷大将軍 鎌倉幕府
19
土地を介した主従関係
封権制度
20
将軍(源頼朝)は( )と主従関係を結ぶ →将軍と主従関係を直接結んだ者を( )と呼ぶ
開発領主 御家人
21
将軍が御家人に与える恩恵
御恩
22
先祖伝来の田地支配を将軍が保障すること
本領安堵
23
新たな田地を将軍から与えられること (平地から奪った土地=平家没官領など)
新恩給与
24
平氏に寄進されていた荘園郡で、平氏滅亡後に朝廷が没収し、頼朝に付与された
平家没官領
25
御家人が将軍の恩恵に報いること
奉公
26
戦時:( )(戦いに一族を率いて参加する)
軍役
27
平時:( )(京都の警護)、( )(鎌倉の警護)
京都大番役 鎌倉番役
28
将軍:征夷大将軍、初代将軍は( )
源頼朝
29
( ):御家人を組織、初代別当は( )
侍所, 和田義盛
30
( )→( ):一般政務・財政、初代別当は( )
公文所, 政所, 大江広元
31
( ):裁判事務所、初代執事は( )
問注所, 三善康信
32
( ) ①任命:一国ごとに1名、東国の( )を任命 →世襲や数カ国の兼任も可 ②任務:( )⋯( )、( )、( )の逮捕 →御家人を指揮して国内の治安維持にあたり、在庁官人を支配した ③設置:全国 ④ごく初期の頃には、守護は( )、( )ともよばれた
守護 有力御家人 大犯3カ条 大番催促 謀反人 殺害人 惣追使 国地頭
33
( )(国の管理人) ①任命:荘園・公領ごとに1名、( )を任命 ②任務:公領・荘園に置かれ、現地で直接支配を行い、名主からの( )を担当 ③設置:1185年 東国及び機内・西国に設置 1186年 東国及び( )・謀反人所領に限定 →次第に全国に拡大 ④将軍が源義経の頃、朝廷の力はまだ強く、知行国守・荘園領主が貴族などの場合には、地頭は公領で将軍と受領の、荘園で将軍と荘園領主の( )を受けた
地頭 御家人 徴税 平家没官領 2元的支配
34
将軍の知行国(将軍が貴族を受領として任命した公領のこと)
関東知行国
35
平氏から没収した荘園を含む、将軍を荘園領主とする荘園郡
関東御領
36
鎌倉幕府の初期の支配体制:( )の独裁による部分が大きかった
源頼朝
37
1202年 頼朝の長男( )が二代将軍に就任 →頼家の独裁的な政治は、御家人から反発を受けた 頼家の権限は制限され、有力御家人の( )名の合議で( )・( )がなされた
源頼家, 13, 最高政務, 裁判
38
有力御家人13名
大江広元, 三善康信, 北条時政, 梶原景時, 三浦泰村, 和田義盛, 比企能員
39
執権政治の中、( )は勢力を伸ばす →伊豆国の( )で源頼朝の妻( )の父 時政以降、北条氏は御家人のライバルを排斥していく
北条時政, 在庁官人, 北条政子
40
1200年 ( )(頼朝を救った古株の御家人)を討伐
梶原景時
41
1203年 ( )(頼家の後見人)を討伐
比企能員
42
源頼朝の次男( )を3代将軍にたて、政所別当に就任
源実朝
43
時政の子( )が政所別当の職を継ぐ
北条義時
44
1205年 ( )(子の重安が時政より謀殺される)
畠山重忠
45
1213年 ( ) →北条義時が侍所別当の( )を滅ぼした事件
和田合戦, 和田義盛
46
義時は、侍所・政所別当を兼ねる地位=( )を確立
執権
47
北条氏一族で世襲 →ほぼ無力な将軍を立て、北条氏が幕府権力を握る( )が開始
執権政治
48
幕府内紛の一方で( )は院政を行いながら朝廷をしだいにたてなおした
後鳥羽上皇
49
北面武士に加え、警護組織である( )を組織し、軍事力を強化 後鳥羽上皇は、幕府と対決する態勢・計画を整えていった。
西面の武士
50
1219年 3代将軍源実朝が、源頼家の遺児( )に暗殺される →追われた公暁も暗殺される →( )の直径の子孫は断絶
公暁, 源頼朝
51
幕府は、頼朝の遠縁にあたる幼少の( )を将軍に迎える →将軍の仕事は( )が代行(摂家将軍) →幕府は新たな将軍の候補に後続を望んだが、( )が拒否
公暁, 北条政子, 後鳥羽上皇
52
1221年 ( ) →( )が将軍暗殺を好機として( )の追討の兵を挙げた事件 →挙兵の際、上皇は北条氏に反発する御家人を拉致「いまこそ!執権北条義時を倒せ!」しかし、北条政子が御家人に源頼朝の「恩恵」を訴え、大多数は北条氏のもとに結集
承久の乱, 後鳥羽上皇, 北条義時
53
北条義時の子( )と義時の弟( )が京都に攻め入る →幕府の勝利で決着 後鳥羽上皇:( )へ 土御門上皇:( )へ 順徳上皇:( )へ 仲恭天皇は廃位
北条泰時, 北条時房, 隠岐, 土佐, 佐渡
54
幕府の取り組み ①朝廷の監視・西国の御家人の統轄を担う( )を設置 ②上皇側の所領を没収しその地の地頭に( )を任命
六波羅探題 御家人
55
任命された地頭には、前にいた荘官や鄉司の田地からの取り分を引き継いだ ・取り分が少ない場合や不明な場合は( )を適用して不足分を補った ・新補率法の適用で取り分を保証された地頭を( )と呼ぶ ・地頭は、一国ごとに、田地の面積や荘園領主名・地頭名を記した台帳( )を作成
新補率法 新補地頭 風土記
56
11町ごとに1町の免田/免田を除き、段別に5升の加徴米/山川からの収益の半分
新補率法
57
従来の地頭は( )という
本補地頭
58
幕府の力が西国の荘園・公領にも及び、幕府優位の( )を確立
公武二元体制
59
朝廷(上皇)は以後も院政を続けたが、幕府の監視下で政治や皇位の( )に干渉を受けるようになった
継承
60
承久の乱後、( )が3代執権を引き継ぐ →御家人の支持を獲得するには( )では無い公平な合議による裁断が必要となる
北条泰時, 独裁的
61
公平な合議を行うために設置した ( ):執権の補佐役(もう1人の執権)初代は( ) ( ):11名の有力御家人 →これらの御家人が参加する最高政務・裁判にあたる( )( )( )の会議を評定という
連署 北条時房 評定衆 執権 連署 評定衆
62
幕府成立以降、御家人同士の紛争や、御家人と荘園領主の紛争が相次ぐ 1232年 ( )(貞永式目)の制定
御成敗式目
63
御成敗式目:( )が作らせた最初の武家法典 ・頼朝以来の( )と武士の習慣・道徳である( )に基づき制定 →地頭・守護の任務と権限や紛争の裁判基準を成文化 ・後の武家法にも大きな影響を与える重要な法典となる ・全( )カ条で、後に追加した条文を( )という
北条泰時, 先例, 道理, 51, 式目追加
64
当時、公家法や荘園領主が荘園支配のために定めた規則( )があった その他にも( )・( )など従来の法律も存在 →御成敗式目は( )・( )・( )を否定せず、幕府の支配領域にのみ適用された 幕府の支配が全国に拡大するにつれ、御成敗式目の影響は広がり、効力を持つ範囲が拡大
本所法, 律令, 公家法, 律令, 公家法, 本所法
65
5代執権( )(北条泰時の孫)は以下の政策を実施 →この時期頃から執権政治はより強化され、次第に独裁的な性格を強めていくことになる
北条時頼
66
( )は裁判の迅速化とそれによる御家人の信頼獲得を考えた
北条時頼
67
1249年 次の三段階を踏むことで迅速で公正な裁判を確立 ・定員4~5人の( )を任命 ・引付衆で構成する会議=( )が判決原案を評定に提出 ・判決原案にほぼ従い( )が最終的な裁断を下す
引付衆 引付 評定
68
1226年 ( )が4代将軍に就任 藤原頼経は在職の間に1部の御家人(三浦氏など)と親近な関係を持った それら1部御家人は北条氏が御家人を統制する上での障害のなる 北条時頼は藤原頼経の子( )を5代将軍に就任させ、( )を京都に送還
藤原頼経 藤原頼嗣 藤原頼経
69
1247年 ( ) →北条時頼が勢力を増していた( )を滅ぼした戦い 幕府内において北条氏に対抗出来る最後の勢力が消滅 ⋯北条氏の独裁政権が事実上確立
宝治合戦 三浦泰村
70
( )は朝廷に政治の刷新と制度の改革を求めた →朝廷に幕府が認めた公家から選抜した評定衆=( )を置かせ、評定衆で構成する評定を院政最高議決機関とさせた
北条時頼 院評定衆
71
1252年 時頼は5代将軍の( )を廃する ⋯後嵯峨上皇の子( )を6代将軍に迎える =( )将軍
藤原頼嗣 宗尊親王 皇族
72
武士は先祖伝来の所領の要地に( )を構え、周囲には灌漑[かんがい]・防御用の塀や堀をめぐらせた
館
73
館の立つ屋敷地や周辺の田地は税が免除された →このような館周辺の免税の田地を( )と呼ぶ 武士は田地を地震の隷属明である( )や所領内の農民に耕作させた
佃 下人
74
1部の武士は身分(御家人)、職権(地頭)を楯に取り、現地への支配力を強めて次第に( )への納税を怠るようになった
荘園領主
75
荘園領主は、幕府の判決( )を得るか武士との和解( )を経て関係を結んだ
裁許 和与
76
一定額の年貢納入を条件に地頭に荘園の一切の管理権を委任する
地頭請
77
荘園領主と地頭が荘園を分割し、以降それぞれが領有・管理をしていく
下地中分
78
平安自体以降、一族のことを一門とも呼び、一門を統率する代表者の地位を( )、( )と呼んだ
惣領 家督
79
血縁的関係を重視した武士社会の結合形態
惣領制
80
惣領は実線で結ばれた血縁で継承され、この血縁を( )、( )とよぶ
宗家 本家
81
惣領を継承しなかった波線で結ばれた血縁を( )と呼ぶ →その血縁の者たちを( )と呼び、さまざまな場面で惣領(家督)に従った
分家 庶子
82
親の財産(土地)は、全ての子女に分配される( )
分割相続
83
分割相続の繰り返しは土地を細分化し、武士の窮乏の原因となる 次第に相続人の死後に惣領に返すことを約束した土地=( )も登場
一期分
84
時期惣領が財産全てを相続する( )が一般化 →惣領制は次第に解体する
単独相続
85
武士は地位を守るために武芸の習得が必須 →当時の戦いでは、馬が決定的な役割をはたす 馬上の弓術を練る武芸が重要視され、( )と呼ばれる武芸の鍛錬に励んだ
騎射三物
86
騎射三物
流鏑馬 笠懸 犬追物
87
1258年 チンギスハンの孫で5代皇帝の( )は、モンゴル帝国の首都を[( )( )]に定め、国号を( )と改める。
フビライハン, 大都, 北京, 元
88
元は朝鮮半島の( )を全面的に服属させる →服属語も、高麗では1270~1273年に( )が発生 1268年日本にも服属を求める国書を送る
高麗 三別抄の乱
89
元の国書が届く数年前、北条時頼の子( )が惣領になった
北条時宗
90
北条時宗の頃から北条氏の惣領を( )と呼称するようになった →この地位の者が原則的に執権を継承する
得宗
91
1268年 元の国書が到着→朝廷は返書せず 度々元からの国書が送られてくるが、幕府も「返書の必要なし」と解答を拒否 幕府は元の襲来に備え、御家人の奉公に( )を新たに追加 →( )の沿岸を防備させる(制度化は文永の役後)
異国警固番役, 九州北部
92
1274年 ( ) ・元・高句麗軍が襲来 →( )の使用 ( )に御家人は苦戦 ・肥後国の御家人( )らが奮闘 ・暴風の発生により元軍は途中撤退 ・元は撤退後、( )を滅ぼして、日本へ2度目の遠征を計画
文永の役, てつはう, 集団戦法, 竹崎季長, 南宋
93
幕府は元軍の再度の襲来に備え、博多湾沿いに石築地( )を構築
防塁
94
1281年 ( ) ・再び元軍襲来 ・( )と( )の二手に別れて進軍 ・石築地での防衛や、暴風雨の発生により撤退 ・撤退後フビライハンの死で3度目の遠征計画は消える
弘安の役, 東路軍, 江南軍
95
元の2度にわたる襲来を[( )( )]という
蒙古襲来, 元寇
96
蒙古襲来後、次の①②で幕府の支配権は強化される ①襲来の際に動員した非御家人を以後も動員する権限を獲得 ②筑前国に( )を設置 →九州の政務・裁判・御家人の統率などを担う
鎮西探題
97
蒙古襲来に際して、幕府内の権力が得宗かつ執権の( )に集中した →それに伴い、得宗の従者である( )の発言力が拡大 御内人の代表は( )と呼ばれ、幕府の政治を主導する立場となる
北条時宗, 御内人, 内管領
98
御内人はこれまで将軍に仕えてきた( )と対立するようになる
御家人
99
1285年 ( ) ⋯時宗の子( )が得宗となった翌年の出来事 内管領の( )が有力御家人( )を滅ぼした事件
霜月騒動, 北条貞時, 平頼綱, 安達泰盛
100
( )は、平頼綱をも倒し、幕府の全権を握る 以後、執権を務める( )の独断で、幕府の政治がおこなわれた →幕府の政治は合議を重んじる( )から、得宗が主導する( )に変化
北条貞時, 得宗, 執権政治, 得宗専制政治