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日本史 江戸時代-20
  • 南里真太郎

  • 問題数 75 • 10/10/2024

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    問題一覧

  • 1

    日本古来の道を説く学問を〈 〉という。

    国学

  • 2

    〈 〉は、「創学校啓」を著し、国学の学校建設を徳川吉宗に提言した。

    荷田春満

  • 3

    荷田春満は、「〈 〉」を著し、国学の学校建設を〈 〉に提言した。

    創学校啓, 徳川吉宗

  • 4

    荷田春満は、〈 〉の師である。

    賀茂真淵

  • 5

    〈 〉は、「万葉集」・「古事記」の研究を通じて、古道への復帰を唱えた。

    賀茂真淵

  • 6

    賀茂真淵は、「万葉集」・「古事記」の研究を通じて、〈 〉への復帰を唱えた。

    古道

  • 7

    賀茂真淵の著書「〈 〉」は、日本の古道を明らかにしようとしたものである。

    国意考

  • 8

    賀茂真淵の著書には、国意考の他に「〈 〉」などもある。

    万葉考

  • 9

    賀茂真淵の弟子で、伊勢の松坂出身である国学者は〈 〉である。

    本居宣長

  • 10

    〈 〉の弟子で、伊勢の松坂出身である国学者は本居宣長である。

    賀茂真淵

  • 11

    賀茂真淵の弟子で、〈 〉の〈 〉出身である国学者は本居宣長である。

    伊勢, 松坂

  • 12

    本居宣長は自宅の〈 〉で国学を教授した。

    鈴の屋

  • 13

    本居宣長は、古代の歴史書の中に日本古来の精神を読みとろうとして「〈 〉」を著した。

    古事記伝

  • 14

    本居宣長の著した「源氏物語」の注釈書は「〈 〉」である。

    源氏物語玉小櫛

  • 15

    本居宣長が紀州藩主徳川治貞に提出した政治経済論は「〈 〉」である。

    秘本玉くしげ

  • 16

    本居宣長は「〈 〉」で日本固有の精神を主張した。

    直毘霊

  • 17

    本居宣長の考えを受けついだ〈 〉は、国粋主義的な〈 〉神道を唱えた。

    平田篤胤, 復古

  • 18

    7歳で失明したのち、和漢の学問を学んだ〈 〉は、1793年に〈 〉を江戸に設立し、古代から江戸時代初期までの書物を収集・校訂して、「〈 〉」を刊行した。

    塙保己一, 和学講談所, 群書類従

  • 19

    〈 〉は「比古婆衣」・「神社私考」を著した。

    伴信友

  • 20

    国学四大人とは〈 〉・〈 〉・〈 〉・〈 〉である。

    荷田春満, 賀茂真淵, 本居宣長, 平田篤胤

  • 21

    新井白石は、イタリア人宣教師〈 〉を訊問した聞き書きを西洋研究書の「〈 〉」と、世界地理書の「〈 〉」にまとめた。

    シドッチ, 西洋紀聞, 采覧異言

  • 22

    〈 〉人宣教師シドッチは、〈 〉に上陸したところを幕府にとらえられた。

    イタリア, 屋久島

  • 23

    西川如見は、長崎で見聞した海外事情をまとめた地理書「〈 〉」を著した。

    華夷通商考

  • 24

    西川如見は、「華夷通商考」の他に「〈 〉」なども著し、徳川吉宗に登用された。

    町人嚢

  • 25

    「解体新書」以前に、〈 〉は刑死人の解剖結果により、日本最初の解剖図録である「〈 〉」を著した。

    山脇東洋, 蔵志

  • 26

    山脇東洋は、実験・実証を重んじる〈 〉とよばれる医学説に立つ流派に属した。この医学説は名古屋玄医が主張したことに始まる。

    古医方

  • 27

    山脇東洋は、実験・実証を重んじる古医方とよばれる医学説に立つ流派に属した。この医学説は〈 〉が主張したことに始まる。

    名古屋玄医

  • 28

    1774年、日本最初の翻訳解剖書である「〈 〉」が刊行された。

    解体新書

  • 29

    「解体新書」の訳出者は、〈 〉・〈 〉・〈 〉・〈 〉らである。

    前野良沢, 杉田玄白, 桂川甫周, 中川淳庵

  • 30

    「解体新書」は、ドイツ人クルムスの著書の蘭訳である「〈 〉」の日本語訳である。

    ターヘル=アナトミア

  • 31

    「解体新書」は、ドイツ人〈 〉の著書の蘭訳である「ターヘル=アナトミア」の日本語訳である。

    クルムス

  • 32

    〈 〉は、「解体新書」の挿絵を担当した。

    小田野直武

  • 33

    〈 〉著の「〈 〉」には、「ターヘル=アナトミア」翻訳の際の苦労が記されている。

    杉田玄白, 蘭学事始

  • 34

    前野良沢は、蘭学を〈 〉に学んだ。

    青木昆陽

  • 35

    〈 〉は前野良沢・杉田玄白に蘭学を学んだ。

    大槻玄沢

  • 36

    大槻玄沢は蘭学入門書である「〈 〉」を著した。

    蘭学階梯

  • 37

    大槻玄沢は江戸に家塾〈 〉をつくった。

    芝蘭堂

  • 38

    〈 〉は江戸に家塾芝蘭堂をつくった。

    大槻玄沢

  • 39

    大槻玄沢は〈 〉に家塾芝蘭堂をつくった。

    江戸

  • 40

    大槻玄沢は太陽暦の元旦に〈 〉を開催した。

    オランダ正月

  • 41

    オランダ正月の別名

    新元会

  • 42

    わが国初の蘭和辞典である「〈 〉」は、大槻玄沢の門人である〈 〉が著した。

    ハルマ和解, 稲村三伯

  • 43

    わが国初の蘭和辞典である「ハルマ和解」は、〈 〉の門人である稲村三伯が著した。

    大槻玄沢

  • 44

    「〈 〉」は、宇田川玄随のオランダ内科医書の翻訳書である。

    西説内科撰要

  • 45

    〈 〉は、寒暖計・火浣布の製作や、〈 〉の名でも知られる摩擦起電器の製作、洋画や戯作などの創作も行った。

    平賀源内, エレキテル

  • 46

    平賀源内は、〈 〉・〈 〉の製作や、エレキテルの名でも知られる摩擦起電器の製作、洋画や戯作などの創作も行った。

    寒暖計, 火浣布

  • 47

    本居宣長は〈 〉藩の出身で、もともとは本草学者であった。

    高松

  • 48

    オランダ通詞〈 〉は、「〈 〉」を著して、ニュートンの引力説やコペルニクスの地動説を紹介した。

    志筑忠雄, 暦象新書

  • 49

    〈 〉人医師〈 〉は、帰国後「日本誌」を著した。

    ドイツ, ケンペル

  • 50

    ケンペルの「〈 〉」は、〈 〉によって翻訳され、「鎖国論」として紹介された。

    日本誌, 志筑忠雄

  • 51

    ケンペルの「日本誌」は、志筑忠雄によって翻訳され、「〈 〉」として紹介された。

    鎖国論

  • 52

    「阿蘭陀地球図説」でコペルニクスの地動説を紹介した長崎通詞は〈 〉である。

    本木良永

  • 53

    〈 〉の化学書は「舎密開宗」である。

    宇田川榕庵

  • 54

    宇田川榕庵の化学書は「〈 〉」である。

    舎密開宗

  • 55

    〈 〉は、「大日本沿海輿地全図」の作成に尽力した。

    伊能忠敬

  • 56

    伊能忠敬は、「〈 〉」の作成に尽力した。

    大日本沿海輿地全図

  • 57

    〈 〉は、「寛政暦」を完成させた。

    高橋至時

  • 58

    高橋至時は、「〈 〉」を完成させた。

    寛政暦

  • 59

    高橋至時は〈 〉の父である。

    高橋景保

  • 60

    1811年には、〈 〉の建議によって、幕府天文台に〈 〉がつくられ、洋書の翻訳が行われた。

    高橋景保, 蛮書和解御用

  • 61

    蛮書和解御用は、〈 〉(1855年)→〈 〉(1856年)→〈 〉(1862年)→〈 〉(1863年)と改称した。

    洋学所, 蕃書調所, 洋書調所, 開成所

  • 62

    オランダ商館の医師として来日した〈 〉は、長崎に〈 〉という塾を開いた。

    シーボルト, 鳴滝塾

  • 63

    オランダ商館の医師として来日したシーボルトは、〈 〉に鳴滝塾という塾を開いた。

    長崎

  • 64

    〈 〉は、1828年のシーボルト事件に連座し、獄死した。

    高橋景保

  • 65

    高橋景保は、〈 〉年の〈 〉に連座し、獄死した。

    1828, シーボルト事件

  • 66

    シーボルトは、帰国後「〈 〉」などを著し、欧州における日本研究の第一人者となった。

    日本

  • 67

    〈 〉は、福沢諭吉や大村益次郎らが学んだ私塾を大坂に開いた。この私塾を〈 〉という。

    緒方洪庵, 適塾

  • 68

    緒方洪庵は、〈 〉や〈 〉らが学んだ私塾を大坂に開いた。この私塾を適塾という。

    福沢諭吉, 大村益次郎

  • 69

    緒方洪庵は、福沢諭吉や大村益次郎らが学んだ私塾を〈 〉に開いた。この私塾を適塾という。

    大坂

  • 70

    吉田松陰や勝海舟の師でもあった〈 〉は、「東洋道徳・西洋芸術」という言葉に集約される開国論を力説したが、攘夷派に暗殺された。

    佐久間象山

  • 71

    〈 〉は1858年、江戸に種痘所を開いた。

    伊東玄朴

  • 72

    伊東玄朴は1858年、江戸に〈 〉を開いた。

    種痘所

  • 73

    種痘所は1863年に「〈 〉」と改称された。

    医学所

  • 74

    「華夷通商考」の著者は〈 〉である。

    西川如見

  • 75

    「〈 〉」の著者は西川如見である。

    華夷通商考