問題一覧
1
日本古来の道を説く学問を〈 〉という。
国学
2
〈 〉は、「創学校啓」を著し、国学の学校建設を徳川吉宗に提言した。
荷田春満
3
荷田春満は、「〈 〉」を著し、国学の学校建設を〈 〉に提言した。
創学校啓, 徳川吉宗
4
荷田春満は、〈 〉の師である。
賀茂真淵
5
〈 〉は、「万葉集」・「古事記」の研究を通じて、古道への復帰を唱えた。
賀茂真淵
6
賀茂真淵は、「万葉集」・「古事記」の研究を通じて、〈 〉への復帰を唱えた。
古道
7
賀茂真淵の著書「〈 〉」は、日本の古道を明らかにしようとしたものである。
国意考
8
賀茂真淵の著書には、国意考の他に「〈 〉」などもある。
万葉考
9
賀茂真淵の弟子で、伊勢の松坂出身である国学者は〈 〉である。
本居宣長
10
〈 〉の弟子で、伊勢の松坂出身である国学者は本居宣長である。
賀茂真淵
11
賀茂真淵の弟子で、〈 〉の〈 〉出身である国学者は本居宣長である。
伊勢, 松坂
12
本居宣長は自宅の〈 〉で国学を教授した。
鈴の屋
13
本居宣長は、古代の歴史書の中に日本古来の精神を読みとろうとして「〈 〉」を著した。
古事記伝
14
本居宣長の著した「源氏物語」の注釈書は「〈 〉」である。
源氏物語玉小櫛
15
本居宣長が紀州藩主徳川治貞に提出した政治経済論は「〈 〉」である。
秘本玉くしげ
16
本居宣長は「〈 〉」で日本固有の精神を主張した。
直毘霊
17
本居宣長の考えを受けついだ〈 〉は、国粋主義的な〈 〉神道を唱えた。
平田篤胤, 復古
18
7歳で失明したのち、和漢の学問を学んだ〈 〉は、1793年に〈 〉を江戸に設立し、古代から江戸時代初期までの書物を収集・校訂して、「〈 〉」を刊行した。
塙保己一, 和学講談所, 群書類従
19
〈 〉は「比古婆衣」・「神社私考」を著した。
伴信友
20
国学四大人とは〈 〉・〈 〉・〈 〉・〈 〉である。
荷田春満, 賀茂真淵, 本居宣長, 平田篤胤
21
新井白石は、イタリア人宣教師〈 〉を訊問した聞き書きを西洋研究書の「〈 〉」と、世界地理書の「〈 〉」にまとめた。
シドッチ, 西洋紀聞, 采覧異言
22
〈 〉人宣教師シドッチは、〈 〉に上陸したところを幕府にとらえられた。
イタリア, 屋久島
23
西川如見は、長崎で見聞した海外事情をまとめた地理書「〈 〉」を著した。
華夷通商考
24
西川如見は、「華夷通商考」の他に「〈 〉」なども著し、徳川吉宗に登用された。
町人嚢
25
「解体新書」以前に、〈 〉は刑死人の解剖結果により、日本最初の解剖図録である「〈 〉」を著した。
山脇東洋, 蔵志
26
山脇東洋は、実験・実証を重んじる〈 〉とよばれる医学説に立つ流派に属した。この医学説は名古屋玄医が主張したことに始まる。
古医方
27
山脇東洋は、実験・実証を重んじる古医方とよばれる医学説に立つ流派に属した。この医学説は〈 〉が主張したことに始まる。
名古屋玄医
28
1774年、日本最初の翻訳解剖書である「〈 〉」が刊行された。
解体新書
29
「解体新書」の訳出者は、〈 〉・〈 〉・〈 〉・〈 〉らである。
前野良沢, 杉田玄白, 桂川甫周, 中川淳庵
30
「解体新書」は、ドイツ人クルムスの著書の蘭訳である「〈 〉」の日本語訳である。
ターヘル=アナトミア
31
「解体新書」は、ドイツ人〈 〉の著書の蘭訳である「ターヘル=アナトミア」の日本語訳である。
クルムス
32
〈 〉は、「解体新書」の挿絵を担当した。
小田野直武
33
〈 〉著の「〈 〉」には、「ターヘル=アナトミア」翻訳の際の苦労が記されている。
杉田玄白, 蘭学事始
34
前野良沢は、蘭学を〈 〉に学んだ。
青木昆陽
35
〈 〉は前野良沢・杉田玄白に蘭学を学んだ。
大槻玄沢
36
大槻玄沢は蘭学入門書である「〈 〉」を著した。
蘭学階梯
37
大槻玄沢は江戸に家塾〈 〉をつくった。
芝蘭堂
38
〈 〉は江戸に家塾芝蘭堂をつくった。
大槻玄沢
39
大槻玄沢は〈 〉に家塾芝蘭堂をつくった。
江戸
40
大槻玄沢は太陽暦の元旦に〈 〉を開催した。
オランダ正月
41
オランダ正月の別名
新元会
42
わが国初の蘭和辞典である「〈 〉」は、大槻玄沢の門人である〈 〉が著した。
ハルマ和解, 稲村三伯
43
わが国初の蘭和辞典である「ハルマ和解」は、〈 〉の門人である稲村三伯が著した。
大槻玄沢
44
「〈 〉」は、宇田川玄随のオランダ内科医書の翻訳書である。
西説内科撰要
45
〈 〉は、寒暖計・火浣布の製作や、〈 〉の名でも知られる摩擦起電器の製作、洋画や戯作などの創作も行った。
平賀源内, エレキテル
46
平賀源内は、〈 〉・〈 〉の製作や、エレキテルの名でも知られる摩擦起電器の製作、洋画や戯作などの創作も行った。
寒暖計, 火浣布
47
本居宣長は〈 〉藩の出身で、もともとは本草学者であった。
高松
48
オランダ通詞〈 〉は、「〈 〉」を著して、ニュートンの引力説やコペルニクスの地動説を紹介した。
志筑忠雄, 暦象新書
49
〈 〉人医師〈 〉は、帰国後「日本誌」を著した。
ドイツ, ケンペル
50
ケンペルの「〈 〉」は、〈 〉によって翻訳され、「鎖国論」として紹介された。
日本誌, 志筑忠雄
51
ケンペルの「日本誌」は、志筑忠雄によって翻訳され、「〈 〉」として紹介された。
鎖国論
52
「阿蘭陀地球図説」でコペルニクスの地動説を紹介した長崎通詞は〈 〉である。
本木良永
53
〈 〉の化学書は「舎密開宗」である。
宇田川榕庵
54
宇田川榕庵の化学書は「〈 〉」である。
舎密開宗
55
〈 〉は、「大日本沿海輿地全図」の作成に尽力した。
伊能忠敬
56
伊能忠敬は、「〈 〉」の作成に尽力した。
大日本沿海輿地全図
57
〈 〉は、「寛政暦」を完成させた。
高橋至時
58
高橋至時は、「〈 〉」を完成させた。
寛政暦
59
高橋至時は〈 〉の父である。
高橋景保
60
1811年には、〈 〉の建議によって、幕府天文台に〈 〉がつくられ、洋書の翻訳が行われた。
高橋景保, 蛮書和解御用
61
蛮書和解御用は、〈 〉(1855年)→〈 〉(1856年)→〈 〉(1862年)→〈 〉(1863年)と改称した。
洋学所, 蕃書調所, 洋書調所, 開成所
62
オランダ商館の医師として来日した〈 〉は、長崎に〈 〉という塾を開いた。
シーボルト, 鳴滝塾
63
オランダ商館の医師として来日したシーボルトは、〈 〉に鳴滝塾という塾を開いた。
長崎
64
〈 〉は、1828年のシーボルト事件に連座し、獄死した。
高橋景保
65
高橋景保は、〈 〉年の〈 〉に連座し、獄死した。
1828, シーボルト事件
66
シーボルトは、帰国後「〈 〉」などを著し、欧州における日本研究の第一人者となった。
日本
67
〈 〉は、福沢諭吉や大村益次郎らが学んだ私塾を大坂に開いた。この私塾を〈 〉という。
緒方洪庵, 適塾
68
緒方洪庵は、〈 〉や〈 〉らが学んだ私塾を大坂に開いた。この私塾を適塾という。
福沢諭吉, 大村益次郎
69
緒方洪庵は、福沢諭吉や大村益次郎らが学んだ私塾を〈 〉に開いた。この私塾を適塾という。
大坂
70
吉田松陰や勝海舟の師でもあった〈 〉は、「東洋道徳・西洋芸術」という言葉に集約される開国論を力説したが、攘夷派に暗殺された。
佐久間象山
71
〈 〉は1858年、江戸に種痘所を開いた。
伊東玄朴
72
伊東玄朴は1858年、江戸に〈 〉を開いた。
種痘所
73
種痘所は1863年に「〈 〉」と改称された。
医学所
74
「華夷通商考」の著者は〈 〉である。
西川如見
75
「〈 〉」の著者は西川如見である。
華夷通商考