暗記メーカー
ログイン
平安
  • 小松由貴子

  • 問題数 100 • 7/4/2024

    記憶度

    完璧

    15

    覚えた

    35

    うろ覚え

    0

    苦手

    0

    未解答

    0

    アカウント登録して、解答結果を保存しよう

    問題一覧

  • 1

    朱雀天皇の摂政、関白を務めた

    藤原忠平

  • 2

    応天門は①(超簡単に言えば広場)の正門であり大伴氏が守衛していた

    朝堂院

  • 3

    様々な蝦夷攻略政略が行われ、平安初期には①流域まで朝廷の勢力が及んだ

    米代川

  • 4

    ①年に安和の変において源高明は②の密告により左遷された

    969, 源満仲

  • 5

    10世紀後半(960)中国では①が建国

  • 6

    年中行事には神仏に関係する①、②、③がある

    大祓, 賀茂祭, 灌仏会

  • 7

    藤原道長の娘威子は①天皇に入内した

    後一条

  • 8

    左右近衛府の陣において公卿が審議を行うこと

    陣定

  • 9

    2番目の勅撰漢詩文集① 3番目②

    文華秀麗集, 経国集

  • 10

    ①による秘密の宗教、現世利益を求めた密教

    加持祈祷

  • 11

    空海の著書で、仏教、儒教、道教を比較して仏教が一番優れているとした

    三教指帰

  • 12

    長岡京は①にある

    山背国

  • 13

    天台宗は①を基づいている

    法華宗

  • 14

    財政を改善するために太宰府に①(太宰府が最初なだけで他にもある) 畿内だと②となる

    公営田, 官田

  • 15

    日本最古の説話集(因果応報の仏教の思考に基づく)①を編纂したのは②である

    日本霊異記, 景戒

  • 16

    宇多天皇は菅原道真を①に任命

    蔵人頭

  • 17

    最澄が弟子の泰範に宛てた

    久隔帖

  • 18

    養老律令の公式注釈書である令義解は①が編纂 私選注釈書令集解は②が編纂

    清原夏野, 惟宗直本

  • 19

    藤原道長は①②③天皇の外祖父として権力を得た

    後一条, 後朱雀, 後冷泉

  • 20

    藤原種継は薬子の変で失脚した仲成と同じ①である

    式家

  • 21

    三代格を分類、編集した法令書

    類聚三代格

  • 22

    延暦寺内で①派と②派が争い後者が下野し③に入った

    円仁, 円珍, 園城寺

  • 23

    801年に班田は①年に一度行うと改められた

    12

  • 24

    平安時代に天皇権力と結びついて勢力を栄えた少数皇族を①

    院宮王臣家

  • 25

    源高明による儀式のあり方を詳しく記した① 院政期の大江匡房(まさふさ)の②

    西宮記, 江家次第

  • 26

    780年蝦夷①が按察使紀広純を殺害し多賀城を陥れた

    伊治呰麻呂

  • 27

    神社の境内に建てられた寺

    神宮寺

  • 28

    徳政論争で舌戦をした藤原緒嗣と①

    菅野真道

  • 29

    健児の制では①の子弟などが採用された

    郡司

  • 30

    空海の詩文の作法を論じた著書

    文鏡秘府論

  • 31

    白紙に戻そう遣唐使、これは年号で言ったら①六年のことである

    寛平

  • 32

    遣唐使として派遣された空海や最澄、能書者① この船が出発したのは②天皇の時である

    橘逸勢, 桓武

  • 33

    万多親王を中心に編纂された畿内の諸氏の系譜の集成

    新撰姓氏録

  • 34

    応天門の変で伴善男は①氏と共々追放され、②へ島流し

    紀, 伊豆

  • 35

    寺院の境内に守護神として祀られる

    鎮守

  • 36

    承和の変の詳細を示した正史には①があり、編纂者は良房や伴善男など

    続日本後紀

  • 37

    平安京右京は湿気が酷く、荒廃していたと①が著書②で述べた

    慶滋保胤, 池亭記

  • 38

    御堂関白とも呼ばれた道長は実際には関白にはなっていないが①にはなった

    太政大臣

  • 39

    坂上田村麻呂は①を築いて、鎮守府を移した 胆沢城の北方に蝦夷戦争の前線として②を築いた

    胆沢城, 志波城

  • 40

    円仁の末流① 円珍の末流②

    山門派, 寺門派

  • 41

    宗に入り太宗に謁見した①は持ち帰った釈迦如来像を②に安置

    奝然, 清涼寺

  • 42

    宇多天皇の子供が即位して①となった。

    醍醐天皇

  • 43

    安和の変の変後に、①と②の兄弟が北家の長者をめぐり対立した

    藤原兼通, 藤原兼家

  • 44

    桓武天皇が長岡京に遷都を行ったのは①年

    784

  • 45

    宇治殿とは誰を指すか

    藤原頼通

  • 46

    菅原道真が編纂、六国史にある事件事例が部門別にある

    類聚国史

  • 47

    凌雲宗指示→① 文華秀麗集→① 経国集→②

    嵯峨天皇, 淳和天皇

  • 48

    藤原氏の長者が受け継いだ荘園群は藤原氏の権力も踏まえて①と呼ばれた

    殿下渡領

  • 49

    藤原頼通も道長と同じ3天皇の①(祖父ではないので外祖父は不可)

    外戚

  • 50

    国司に不正がなかったと証明する書類

    解由状

  • 51

    蝦夷征討で帰属同化した人を①と呼ぶ

    俘囚

  • 52

    桓武天皇は父①の政策を引き継いだ

    光仁天皇

  • 53

    官職を任命する行事

    除目

  • 54

    両界曼荼羅の両界は ①(すべての悩みを打ち砕く金剛) ②(宇宙の慈悲と母性)

    金剛界, 胎蔵界

  • 55

    皇室の財政収入のための開墾された土地

    勅旨田

  • 56

    天台宗の密教① 真言宗の密教②

    台密, 東密

  • 57

    藤原道長も甥である①と争っていたが①とその弟である②が失脚すると勢力が固まった

    藤原伊周, 藤原隆家

  • 58

    平安時代の婚姻の状態は同居せず夫が妻の家を訪れる妻問婚から①(結婚生活が妻の家で営まれる)

    招婿婚

  • 59

    延喜の荘園整理令では①の禁止がうたわれた

    勅旨田

  • 60

    修験道の開祖、699年に文武天皇が島流

    役小角

  • 61

    役小角の建立したと言われる寺であり、金堂は以前の伽藍配置にとらわれない作りであった。

    室生寺

  • 62

    788年、征東大使として①が蝦夷征討に派遣されたが②に撃退された

    紀古佐美, 阿弖流為

  • 63

    ①が②天皇の関白になって以降、摂関は常置されるようになった

    藤原実頼, 冷泉

  • 64

    最後の遣唐使に加わって唐に行った最澄の弟子①は②を記した

    円仁, 入唐求法巡礼行記

  • 65

    弘仁貞観文化を代表する密教彫刻①(寺)の如意観音像などがある

    観心寺

  • 66

    ①には②が書かせた全身黄色の不動明王像があり、黄不動とも呼ばれる

    園城寺, 円珍

  • 67

    僧侶が神に仏典を読むこと

    神前読経

  • 68

    唐滅亡年

    907

  • 69

    承和の変で失脚したのは橘逸勢と①であり、皇太子を廃されたのは②である

    伴健岑, 恒貞親王

  • 70

    ①天皇が幼少で即位したため、臣下で初めて②が③になった

    清和, 藤原良房, 太政大臣

  • 71

    最澄は天台僧の教育方針を記した①を書いた

    山家学生式

  • 72

    878年に俘囚の反乱である①が起き、秋田城が焼き討ちに遭った

    元慶の乱

  • 73

    926年に中国東北部の①が滅亡した

    渤海

  • 74

    律令の補足修正の追加法を① 基本法の執行細則を②

    格, 式

  • 75

    安和の変の後、①が譲位し、②が即位した

    冷泉, 円融

  • 76

    桓武が国力安定を目指して①の利率を5割から②割に改めたり、雑徭を60から③以内に軽減

    公出挙, 3, 30

  • 77

    最初の勅撰漢詩文集である①は②が編纂した

    凌雲集, 小野岑守

  • 78

    平安時代に、漢文や歴史を学ぶことが盛んになった=律令体制の大学における一課程である①

    紀伝道

  • 79

    延喜式は①が中心となって編纂した

    藤原忠平

  • 80

    蝦夷征討で最後に派遣された(811年)のは①(天皇)時代の②である

    嵯峨天皇, 文室綿麻呂

  • 81

    菅原道真は左遷され、①に任命され②年に没した

    太宰権帥, 903

  • 82

    菅原道真が左遷された(901年)

    昌泰の変

  • 83

    最澄は大乗戒壇の正当性を説く①を書いた

    顕戒論

  • 84

    弘仁格式を編纂したのは①である

    藤原緒嗣

  • 85

    桓武天皇の弟①は種継暗殺の疑惑をかけられ、捕えられ死去

    早良親王

  • 86

    平安初期の密教や密教美術が発展した文化

    弘仁貞観文化

  • 87

    醍醐天皇の後に即位した

    朱雀天皇

  • 88

    三代格式は①、②、③に渡って行われた

    弘仁, 貞観, 延喜

  • 89

    第五代天台座主

    円珍

  • 90

    開拓や防衛のため東国から移住させられた農民

    柵戸

  • 91

    阿弖流為を討つため桓武天皇時代に征夷大将軍に①が任命された

    坂上田村麻呂

  • 92

    唐が衰退するきっかけにもなった内乱

    安史の乱

  • 93

    宇多が醍醐に与えた政治の心得

    寛平御遺誡

  • 94

    光孝天皇の後に①天皇が即位し、基経は名実ともに関白へとなった

    宇多

  • 95

    国司交代の規定として①②③三代の※交替式が制定された

    延暦, 貞観, 延喜

  • 96

    太政官符にかわり、摂関家の①を国政の下達文書

    政所下文

  • 97

    宮中で慣例として毎年行う行事

    年中行事

  • 98

    菅原道真は遣唐大臣に任命されたが①天皇に建議し遣唐を停止させた

    宇多

  • 99

    基経は陽成天皇(宮中で殺人)を退位させ①を即位させた

    光孝天皇

  • 100

    弘仁貞観文化において、文学の発展が延いては国の発展につながるという思想

    文章経国