問題一覧
1
平安時代にかけて儒教は(1)を志す為政者のための儀礼的規範として受容されてきたが、江戸時代には(2)制度を根拠づける思想として、 また町人の間では商業倫理として人々の生活に深くかかわり、幕末の社会的変動とも結び付いた
仁政, 封建
2
世の中は、生命力である気と秩序や法則である理によって成り立つとする(1)を説き、新しい儒教である(2)を開いたのは中国宋代の朱子である。日本では朱子学派の儒者たちによって支持された儒教の考え方は、幕藩体制や(3)制度を正当化する江戸幕府の思想的な柱となった
理気二元論, 朱子学, 封建
3
〇〇は、道徳や礼議による社会秩序を説く儒学の 教えに強く惹かれ、儒学を五山僧の教養から独立させたことで、近世日本に儒教を定着させる端緒をなした
藤原惺窩
4
藤原惺窩の弟子である(1)は、私利私欲を抑え、道にかなうことを求める敬の心を保持し、身分秩序に従い、上下を分かつ道に身を委ねる(2)を重視した
林羅山, 存心持敬
5
林羅山は、君臣の上下関係はあらかじめ定められているとする〇〇を唱え、 江戸幕府の封建的身分秩序を未子学によって正当化した
上下定分の理
6
林羅山は、近世の封建的身分秩序の中で善を実現するには(1)の工夫が必要であると説いた。これは、欲望を抑えて心身を慎み、天地や人倫の秩序を根拠づける(2)を明らかにすることである
巨敬窮理, 上下定分の理
7
もとは林家の私塾であったものが、のちに幕府による公式の学問所として〇〇に発展した
昌平坂学問所
8
朱子学者の木下順庵の弟子である〇〇は、新井白石の推挙で幕府の儒官となり、徳川吉宗に仕え、享保の改革を補佐した
室鳩巣
9
対馬藩に仕えた朱子学者の〇〇は、朝鮮の言語や文化の研究を行い、日本と朝鮮の文化交流に尽力して、国を超えた普遍的原理の必要性を唱えた
雨森芳洲
10
江戸時代の儒学者(1)は、儒教の説く(2)と は、父子の親、君臣の、夫婦の別、長幼の 序、明友の信のことで、 このような人間関係を保つことが大切であると説いた
山崎闇斎, 五倫
11
(1)とは、伊勢神道などの流れをくみつつ、儒学と神道を合一し、天道は人道であり、天皇崇拝と封建的道徳観を儒学である朱子学によって正当化した神道で、(2)が創始した
垂加神道, 山崎闇斎
12
〇〇は、山崎闘斎の弟子であったが、神道に傾斜する師の思想に反対の立場をとり、浅見絅斎とともに、袂(たもと)を分かった。
佐藤直方
13
(1)は、形式や身分秩序を重んじた(2)を批判し、 人は(3)の精神をもって分け隔てなくすべての人を敬うべきであるという愛敬の心を教え、日本における陽明学の祖と呼ばれる
中江藤樹, 朱子学, 孝
14
中江藤樹は、良知で知ったことを直ちに実行することの大切さを唱えた。この知識と行為は一体であるという考えを〇〇という
知行合一
15
中江藤樹は、「〇〇」を心に抱き、時・処・位にかなうように行動すべきであることを説いた
孝
16
中江藤樹の代表的著作は「(1)」である。彼に学び陽明学を発展させた儒学者に(2)がいる
翁問答, 熊沢蕃山
17
陽明学には、朱子学に対する批判精神が濃いが、天保の飢饉に際して挙兵した(1)や、幕末の長州藩士(2)らも陽明学に学びその精神を実践した
大塩平八郎, 吉田松陰
18
17世紀後半、朱子学や陽明学に対して、古学という学問を唱えたのは(1)、古義学を唱えたのは(2)、古文辞学を唱えたのは(3)である
山鹿素行, 伊藤仁斎, 荻生徂徠
19
(1)は、命よりも名を重んじる武士としての生き方である(2)を儒学によって理論化し、武士は徳の高い為政者であるべきとする(3)を主張した
山鹿素行, 武士道, 士道
20
鍋島藩の武士であった(1)は、『葉隠』において、主君に対する絶対的忠誠とそれに根ざした(2)の覚悟を説き、民に対する為政者としての自覚を求める土道とは異質の(3)道を示した
山本常朝, 死, 士
21
伊藤仁斎は、『(1)』を「最上至極宇宙第一 」の書物としてその原典に深く学び、孔子の教えの根本を仁と(2)であるとし、それらを実践するためには、真実無偽の心である(3)が必要であると説いた
論語, 愛, 誠
22
「童子問」などを著した伊藤仁斎は、人と人との理想的な和合である(1)を実現するためには、 他者に対する(2)が必要であると説いた
仁, 忠信
23
主著『弁道』で知られる(1)は、人間の性質が多様で、 分裂や対立を避けることができないがゆえに、天下を安んずるために立てられた(2)の道に従ってお互いに助け合いながら生活しなければならないと説いた
荻生徂徠, 先王
24
荻生徂徠は、中国の古典を、その当時の言語に基づき、書かれた時代に従って研究することが大切であるとする(1)を唱え、孔子以前の(2)の道に帰るべきであると唱えた
古文辞学, 先王
25
朱子学のいう秩序を批判した荻生徂徠は、古代中国の先王の定めた礼楽刑政を整え、世を治めて民を救うことである(1)に尽くすということこそが、本来あるべき秩序であり、そうすることで初めて理想の道である(2)が実現されるとした
経世済民, 安天下
26
(1)派の代表的な儒学者である太宰春台は、神道も含めて「道」は(2)の「作為」によるものと考えた
古文辞学, 聖人
27
近世の私塾では、漢籍の素読だけでなく、師匠による講釈、現在の読書会にあたる会読などが行われた。山崎闇斎は朱子学の真髄を伝えるべく(1)を重視したが、荻生徂徠は朱子の教えの解釈に頼らずに儒学の原典に直接向き合うべく(2)を重視した
講釈, 会読