問題一覧
1
剣璽等承継の儀について ア、イに入る言葉の組み合わせが正しいものを選んでください 「剣璽」とは、歴代天皇が継承される「三種の神器」のうちの【ア】の写しと【イ】を指す。 これに【ウ】を加えたものが三種の神器である。
ア、天叢雲剣 イ、八尺瓊勾玉
2
剣璽等承継の儀について ウに入る言葉を答えてください 「剣璽」とは、歴代天皇が継承される「三種の神器」のうちの【ア】の写しと【イ】を指す。 これに【ウ】を加えたものが三種の神器である。
八咫鏡
3
宮中三殿について、【ア】【イ】【ウ】の組み合わせが正しいものを選んでください 宮中三殿とは、下記の3つを指します。 【ア】天照大御神をお祀りする場所 【イ】皇族の御霊をお祀りする場所 【ウ】八百万の神々をお祀りする場所
ア、賢所 イ、皇霊殿 ウ、神殿
4
【ア】に入る言葉を選んでください 賢所に期日報告の儀や即位礼正殿の儀でも身につけていた最もお召になる機会が多い正装であり 、天皇のみに着装が許される【ア】である。これは、平安時代初期の嵯峨天皇の時に定められた礼服である。
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)
5
神宮神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に勅使発遣の儀に関して【ア】に入る言葉を答えなさい。 神宮と初代 神武天皇、そして昭和天皇、大正天皇、明治天皇、【ア】のそれぞれの陵に「即位礼」と「大嘗祭」を行う期日を報告し、『幣物』を供えるための勅使を派遣する儀式である。 その際に天皇がお召になっているのは、【イ】で、鎌倉時代以降、天皇のみが用いた祭服である。
孝明天皇
6
神宮神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に勅使発遣の儀に関して『幣物』とは何か答えなさい 神宮と初代 神武天皇、そして昭和天皇、大正天皇、明治天皇、【ア】のそれぞれの陵に「即位礼」と「大嘗祭」を行う期日を報告し、『幣物』を供えるための勅使を派遣する儀式である。 その際に天皇がお召になっているのは、【イ】で、鎌倉時代以降、天皇のみが用いた祭服である。
供物
7
神宮神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に勅使発遣の儀に関して【イ】に入る言葉を答えなさい。 神宮と初代 神武天皇、そして昭和天皇、大正天皇、明治天皇、【ア】のそれぞれの陵に「即位礼」と「大嘗祭」を行う期日を報告し、『幣物』を供えるための勅使を派遣する儀式である。 その際に天皇がお召になっているのは、【イ】で、鎌倉時代以降、天皇のみが用いた祭服である。
御引直衣(おひきのうし)
8
【 】に入る言葉を選んでください 神宮への勅使にのみ陛下から『よく申して奉れ』との仰せがあるという。これは平安時代後期に成立した朝廷の解説書【 】にも記載がある伝統のお言葉だ。
江家次第
9
斎田について【ア】【イ】に入る組み合わせとして正しいものを選んでください 亀の甲を焼いて神意を占う亀卜によって、斎田を供する二箇所の斎国を決めるというものだ。その選ばれた斎国を【ア】国、【イ】国といい、その地方から【ア】田、【イ】田が卜定されたようである。【ア】は「清浄な」といった意味で、【イ】は「それに次ぐ」意味ともされている。
ア、悠紀 イ、主基
10
令和に卜定された悠紀国と主基国の組み合わせとして正しいものを選びなさい
栃木県、京都府
11
大嘗宮地鎮祭について、下記の空欄に入る言葉を選びなさい 平安時代中期に編成された律令の施行細則『延喜式』巻七の「践祚大嘗祭」には、「凡そ大嘗宮を造るには、祭りに先立つこと【 】日」とある。しかし、『即位禮大嘗祭平成大禮要話』によれば、「その用材調達、また技術面にも大きな変化があり、その三ヶ月前には着工しなければならず」とあるように令和の今回も、およそ3ヶ月前に催行された
7
12
下記の【 】に入る言葉を選んでください 大嘗祭は天皇即位後に斎行の年を決めて行われる初めての【 】である。古くは大嘗祭と【 】に明確な区別はなく、史料の上で区分が明らかなのは『日本書紀』の持統天皇4年(690)の大嘗祭からである。
新嘗祭
13
以下は「春日若宮おん祭」の御旅所祭について書いたものです。文章の【 】に入る言葉として、正しいものを選んでください。 若宮が鎮まる御仮殿は、柱が黒木の松、屋根は青い松葉の枝で茸かれ、神前に染御供(そめのごく)と呼ばれる古式の神饌や御幣が奉られる。 芝舞台では御巫(みかんこ)による伝統神楽をはじめら数々の芸能が奉納される。 中でも、おん祭でしか見られない【 】は、神功皇后の故事にちなむ舞。白布で顔を隠した男性6名が、笛や小鼓を奏しつつ、袖で顔を覆いながら進み、退きして拝舞する。
細男(せいのお)
14
以下は令和3年4月に行われた春日大社 若宮の仮殿遷座祭の模様の一部です。文章を読んで、空欄【 】に入る言葉として正しいものを選んでください。 翌24日、ご遷座を祝い、南都楽所の奉仕による「御慶之舞楽(ぎょけいのぶがく)」が行われた。本来は林檎の庭で舞われるが、コロナ対策により、林檎の庭に臨む直会殿に場所を移し、非公開で行われた。故実にならい、殿内には春日の地へ奉遷した神の姿を描いた【 】神影図(しんえいず)が、掲げられ、奉遷の際にお伴の神官が奉持してきたと伝わる【 】御鉾(おんほこ)が奉安された。
鹿島立
15
春日大社の若宮の式年造替に関する問題です。 以下の文章を読んで、空欄【 】に入る言葉として正しいものを選んでください。 令和3年4月23日には、若宮をご本殿から仮殿にお遷しする外遷宮が斎行され、11月12日には、造替の事始の重儀【 】が行われた。 この祭儀は荒神祓之儀(こうじんばらいのぎ)と釿始之儀(ちょうなはじめのぎ)の総称であり、春日大社に伝わる独特の故実に基づいている。
木造始式(こづくりはじめしき)
16
以下の文章は何について書かれたものでしょうか
節折(よおり)の儀
17
以下の文章を読んで問51と問52の設問に答えてください。 令和元年5月8日、「神宮神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に勅使発遣の儀」が行われた。即位礼と大嘗祭を行う期日を奉告し、幣物を供えるために勅使を派遣される儀式である。 午後2時、天皇陛下がお出ましになった。身に着けられているのは裾を長く引いた【ア】で、鎌倉時代以降、天皇のみが用いた祭服である。式次第によれば、まず、白布の上を進まれて幣物をご覧になって席に着かれ、神宮に参向する勅使をお召しになる。次に宮内庁長官の奉仕により、御祭文が勅使に授けられる。そして、ここで神宮への勅使にのみ陛下から【イ】との仰せがあるという。これは平安時代後期に成立した朝廷の儀式の解説書【ウ】にも記載がある伝統のおことばだ。 問51 【ア】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
御引直衣
18
以下の文章を読んで問51と問52の設問に答えてください。 令和元年5月8日、「神宮神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に勅使発遣の儀」が行われた。即位礼と大嘗祭を行う期日を奉告し、幣物を供えるために勅使を派遣される儀式である。 午後2時、天皇陛下がお出ましになった。身に着けられているのは裾を長く引いた【ア】で、鎌倉時代以降、天皇のみが用いた祭服である。式次第によれば、まず、白布の上を進まれて幣物をご覧になって席に着かれ、神宮に参向する勅使をお召しになる。次に宮内庁長官の奉仕により、御祭文が勅使に授けられる。そして、ここで神宮への勅使にのみ陛下から【イ】との仰せがあるという。これは平安時代後期に成立した朝廷の儀式の解説書【ウ】にも記載がある伝統のおことばだ。 問52 【イ】【ウ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
イ、「よく申して奉(たてまつ)れ」 ウ、江家次第
19
「斎田点定の儀」に関する以下の文章を読んで問53と問54の設問に答えてください。 どの範囲を斎国にするかについては歴史的な変遷がある。旧皇室典範では、【ア】以東以南を【イ】地方、【ア】以西以北を【ウ】地方とし勅定することが定められていた。平成度においては、新潟・長野・静岡県を結ぶ線で東西を二分して、その3県を含む東側の18都道府県を【イ】地方、西側の29府県が【ウ】地方と決められた。 宮内庁は儀式に先立って諸準備を進めてきた。【エ】を購入し、駒形に加工したものを10枚確保したという。また、それを焼くための【オ】(上溝桜/うわみずざくら)も準備した。 問53 【ア】【イ】【ウ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
ア、京都 イ、悠紀 ウ、主基
20
「斎田点定の儀」に関する以下の文章を読んで問53と問54の設問に答えてください。 どの範囲を斎国にするかについては歴史的な変遷がある。旧皇室典範では、【ア】以東以南を【イ】地方、【ア】以西以北を【ウ】地方とし勅定することが定められていた。平成度においては、新潟・長野・静岡県を結ぶ線で東西を二分して、その3県を含む東側の18都道府県を【イ】地方、西側の29府県が【ウ】地方と決められた。 宮内庁は儀式に先立って諸準備を進めてきた。【エ】を購入し、駒形に加工したものを10枚確保したという。また、それを焼くための【オ】(上溝桜/うわみずざくら)も準備した。 問54 【エ】【オ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
エ、甲羅 オ、波々迦木
21
「大嘗宮地鎮祭」について書かれた以下の文章を読んで問55から問58までの設問に答えてください。 大嘗宮は平安時代初期以降、大内裏朝堂院内に造営されてきたが、平安末期の朝堂院焼亡後は多少の変遷もあった。【ア】度では東京の御所内の吹上御苑で行われ、【イ】度は京都の大宮御所内で行われた。今回は平成度と同様に皇居・東御苑で斎行された。平安時代中期に編纂された律令の施行細則『延喜式』巻【ウ】の「践祚大嘗祭」には「凡そ大嘗宮を造るには、祭りに前つこと【エ】」、つまり、【エ】前に地鎮祭を行い造営を完成させる、とある。しかし、用材調達や技術面にも大きな変化があり、平成度と同様、令和の今回も、およそ3か月前に斎行された。以下は、「大嘗宮地鎮祭」の模様である。まずは、掌典が3人の掌典補を率いて悠紀院の東北の角に設けられている坑へと向かった。3人の掌典補が手にしている三方には、それぞれ榊などの祓具、幣物、そして「五色の【オ】」の「鎮め物」が載せられている。 問55 【ア】【イ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
ア、明治 イ、大正・昭和
22
「大嘗宮地鎮祭」について書かれた以下の文章を読んで問55から問58までの設問に答えてください。 大嘗宮は平安時代初期以降、大内裏朝堂院内に造営されてきたが、平安末期の朝堂院焼亡後は多少の変遷もあった。【ア】度では東京の御所内の吹上御苑で行われ、【イ】度は京都の大宮御所内で行われた。今回は平成度と同様に皇居・東御苑で斎行された。平安時代中期に編纂された律令の施行細則『延喜式』巻【ウ】の「践祚大嘗祭」には「凡そ大嘗宮を造るには、祭りに前つこと【エ】」、つまり、【エ】前に地鎮祭を行い造営を完成させる、とある。しかし、用材調達や技術面にも大きな変化があり、平成度と同様、令和の今回も、およそ3か月前に斎行された。以下は、「大嘗宮地鎮祭」の模様である。まずは、掌典が3人の掌典補を率いて悠紀院の東北の角に設けられている坑へと向かった。3人の掌典補が手にしている三方には、それぞれ榊などの祓具、幣物、そして「五色の【オ】」の「鎮め物」が載せられている。 問56 【ウ】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
七
23
「大嘗宮地鎮祭」について書かれた以下の文章を読んで問55から問58までの設問に答えてください。 大嘗宮は平安時代初期以降、大内裏朝堂院内に造営されてきたが、平安末期の朝堂院焼亡後は多少の変遷もあった。【ア】度では東京の御所内の吹上御苑で行われ、【イ】度は京都の大宮御所内で行われた。今回は平成度と同様に皇居・東御苑で斎行された。平安時代中期に編纂された律令の施行細則『延喜式』巻【ウ】の「践祚大嘗祭」には「凡そ大嘗宮を造るには、祭りに前つこと【エ】」、つまり、【エ】前に地鎮祭を行い造営を完成させる、とある。しかし、用材調達や技術面にも大きな変化があり、平成度と同様、令和の今回も、およそ3か月前に斎行された。以下は、「大嘗宮地鎮祭」の模様である。まずは、掌典が3人の掌典補を率いて悠紀院の東北の角に設けられている坑へと向かった。3人の掌典補が手にしている三方には、それぞれ榊などの祓具、幣物、そして「五色の【オ】」の「鎮め物」が載せられている。 問57 【エ】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
7日
24
「大嘗宮地鎮祭」について書かれた以下の文章を読んで問55から問58までの設問に答えてください。 大嘗宮は平安時代初期以降、大内裏朝堂院内に造営されてきたが、平安末期の朝堂院焼亡後は多少の変遷もあった。【ア】度では東京の御所内の吹上御苑で行われ、【イ】度は京都の大宮御所内で行われた。今回は平成度と同様に皇居・東御苑で斎行された。平安時代中期に編纂された律令の施行細則『延喜式』巻【ウ】の「践祚大嘗祭」には「凡そ大嘗宮を造るには、祭りに前つこと【エ】」、つまり、【エ】前に地鎮祭を行い造営を完成させる、とある。しかし、用材調達や技術面にも大きな変化があり、平成度と同様、令和の今回も、およそ3か月前に斎行された。以下は、「大嘗宮地鎮祭」の模様である。まずは、掌典が3人の掌典補を率いて悠紀院の東北の角に設けられている坑へと向かった。3人の掌典補が手にしている三方には、それぞれ榊などの祓具、幣物、そして「五色の【オ】」の「鎮め物」が載せられている。 問58 【オ】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
薄絁(あしぎぬ)
25
「大嘗宮地鎮祭」について書かれた以下の文章を読んで問55から問58までの設問に答えてください。 大嘗宮は平安時代初期以降、大内裏朝堂院内に造営されてきたが、平安末期の朝堂院焼亡後は多少の変遷もあった。【ア】度では東京の御所内の吹上御苑で行われ、【イ】度は京都の大宮御所内で行われた。今回は平成度と同様に皇居・東御苑で斎行された。平安時代中期に編纂された律令の施行細則『延喜式』巻【ウ】の「践祚大嘗祭」には「凡そ大嘗宮を造るには、祭りに前つこと【エ】」、つまり、【エ】前に地鎮祭を行い造営を完成させる、とある。しかし、用材調達や技術面にも大きな変化があり、平成度と同様、令和の今回も、およそ3か月前に斎行された。以下は、「大嘗宮地鎮祭」の模様である。まずは、掌典が3人の掌典補を率いて悠紀院の東北の角に設けられている坑へと向かった。3人の掌典補が手にしている三方には、それぞれ榊などの祓具、幣物、そして「五色の【オ】」の「鎮め物」が載せられている。 問55 【ア】【イ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
ア、明治 イ、大正・昭和
26
「大嘗宮地鎮祭」について書かれた以下の文章を読んで問55から問58までの設問に答えてください。 大嘗宮は平安時代初期以降、大内裏朝堂院内に造営されてきたが、平安末期の朝堂院焼亡後は多少の変遷もあった。【ア】度では東京の御所内の吹上御苑で行われ、【イ】度は京都の大宮御所内で行われた。今回は平成度と同様に皇居・東御苑で斎行された。平安時代中期に編纂された律令の施行細則『延喜式』巻【ウ】の「践祚大嘗祭」には「凡そ大嘗宮を造るには、祭りに前つこと【エ】」、つまり、【エ】前に地鎮祭を行い造営を完成させる、とある。しかし、用材調達や技術面にも大きな変化があり、平成度と同様、令和の今回も、およそ3か月前に斎行された。以下は、「大嘗宮地鎮祭」の模様である。まずは、掌典が3人の掌典補を率いて悠紀院の東北の角に設けられている坑へと向かった。3人の掌典補が手にしている三方には、それぞれ榊などの祓具、幣物、そして「五色の【オ】」の「鎮め物」が載せられている。 問56 【ウ】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
七
27
「大嘗宮地鎮祭」について書かれた以下の文章を読んで問55から問58までの設問に答えてください。 大嘗宮は平安時代初期以降、大内裏朝堂院内に造営されてきたが、平安末期の朝堂院焼亡後は多少の変遷もあった。【ア】度では東京の御所内の吹上御苑で行われ、【イ】度は京都の大宮御所内で行われた。今回は平成度と同様に皇居・東御苑で斎行された。平安時代中期に編纂された律令の施行細則『延喜式』巻【ウ】の「践祚大嘗祭」には「凡そ大嘗宮を造るには、祭りに前つこと【エ】」、つまり、【エ】前に地鎮祭を行い造営を完成させる、とある。しかし、用材調達や技術面にも大きな変化があり、平成度と同様、令和の今回も、およそ3か月前に斎行された。以下は、「大嘗宮地鎮祭」の模様である。まずは、掌典が3人の掌典補を率いて悠紀院の東北の角に設けられている坑へと向かった。3人の掌典補が手にしている三方には、それぞれ榊などの祓具、幣物、そして「五色の【オ】」の「鎮め物」が載せられている。 問57 【エ】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
7日
28
「大嘗宮地鎮祭」について書かれた以下の文章を読んで問55から問58までの設問に答えてください。 大嘗宮は平安時代初期以降、大内裏朝堂院内に造営されてきたが、平安末期の朝堂院焼亡後は多少の変遷もあった。【ア】度では東京の御所内の吹上御苑で行われ、【イ】度は京都の大宮御所内で行われた。今回は平成度と同様に皇居・東御苑で斎行された。平安時代中期に編纂された律令の施行細則『延喜式』巻【ウ】の「践祚大嘗祭」には「凡そ大嘗宮を造るには、祭りに前つこと【エ】」、つまり、【エ】前に地鎮祭を行い造営を完成させる、とある。しかし、用材調達や技術面にも大きな変化があり、平成度と同様、令和の今回も、およそ3か月前に斎行された。以下は、「大嘗宮地鎮祭」の模様である。まずは、掌典が3人の掌典補を率いて悠紀院の東北の角に設けられている坑へと向かった。3人の掌典補が手にしている三方には、それぞれ榊などの祓具、幣物、そして「五色の【オ】」の「鎮め物」が載せられている。 問58 【オ】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
薄絁(あしぎぬ)
29
「斎田抜穂の儀」について書かれた以下の文章を読んで問59と問60の設問に答えてください。 9月27日の抜穂の儀は、悠紀・主基両地方で行われた。両地方とも斎田脇には四方に斎竹(いみたけ)が立てられ、注連縄が張り巡らされて斎場が設けられていた。 この斎場も歴史的な由来がある。『貞観儀式』の記述を要約すると、斎田が卜定された時、大祓を行い、斎田・斎場の各四隅に木綿を着けた榊を挿し立て聖地の標示とし、【ア】や稲実殿(いなみのとの)などの殿舎が建てられた、とある。この時の斎場は「稲実殿地」と呼ばれて田の西に設けられ、祭りの場であるとともに神聖な作業場でもあった。 祭儀が始まった。斎田の所有者である【イ】と奉耕者が幄舎内の所定の位置に着くと、勅使である【ウ】と随員が参進してきた。修祓が行われ、【ウ】が神殿で祝詞を奏上した。この神殿が古くは【ア】と称されたのだ。 次に、【ウ】が【イ】に「抜穂の事」を命じると、【イ】と奉耕者が三方と農具を手に斎田へと向かい稲穂を刈り取った。刈り取られた稲穂は4束にまとめられ、三方に載せて再び斎場へと向かい中央に設けられた案(台)上に奉安された。それを【ウ】が点検し、稲穂は稲実殿へと納められたのである。 問59 【ア】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
八神殿
30
「斎田抜穂の儀」について書かれた以下の文章を読んで問59と問60の設問に答えてください。 9月27日の抜穂の儀は、悠紀・主基両地方で行われた。両地方とも斎田脇には四方に斎竹(いみたけ)が立てられ、注連縄が張り巡らされて斎場が設けられていた。 この斎場も歴史的な由来がある。『貞観儀式』の記述を要約すると、斎田が卜定された時、大祓を行い、斎田・斎場の各四隅に木綿を着けた榊を挿し立て聖地の標示とし、【ア】や稲実殿(いなみのとの)などの殿舎が建てられた、とある。この時の斎場は「稲実殿地」と呼ばれて田の西に設けられ、祭りの場であるとともに神聖な作業場でもあった。 祭儀が始まった。斎田の所有者である【イ】と奉耕者が幄舎内の所定の位置に着くと、勅使である【ウ】と随員が参進してきた。修祓が行われ、【ウ】が神殿で祝詞を奏上した。この神殿が古くは【ア】と称されたのだ。 次に、【ウ】が【イ】に「抜穂の事」を命じると、【イ】と奉耕者が三方と農具を手に斎田へと向かい稲穂を刈り取った。刈り取られた稲穂は4束にまとめられ、三方に載せて再び斎場へと向かい中央に設けられた案(台)上に奉安された。それを【ウ】が点検し、稲穂は稲実殿へと納められたのである。 問60 【イ】【ウ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
イ、大田主 ウ、抜穂使
31
「大嘗宮の儀」について書かれた以下の文章を読んで問64と問65の設問に答えてください。 17時頃から始められたのが掌典たちによる「神座奉安」である。既に悠紀殿・主基殿の内陣の所定の位置には「八重【ア】」が敷かれている。午前中に、壁面から寸法を測り古来の位置に敷いておいたものだ。その上に【イ】をおかけし、「御単」を奉安して、「御櫛」「御檜扇」を入れた「打払筥」を置き、御裾の方に「御沓」を入れた「御沓筥」を奉安する。この神座は【ウ】とも記されてきたが、あくまで「神の座」である。続いて、その神座下手左右に【エ】をそれぞれ「細籠」に入れて案に載せて献じる。 問64 【ア】【イ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
ア、畳 イ、御衾(おんふすま)
32
「大嘗宮の儀」について書かれた以下の文章を読んで問64と問65の設問に答えてください。 17時頃から始められたのが掌典たちによる「神座奉安」である。既に悠紀殿・主基殿の内陣の所定の位置には「八重【ア】」が敷かれている。午前中に、壁面から寸法を測り古来の位置に敷いておいたものだ。その上に【イ】をおかけし、「御単」を奉安して、「御櫛」「御檜扇」を入れた「打払筥」を置き、御裾の方に「御沓」を入れた「御沓筥」を奉安する。この神座は【ウ】とも記されてきたが、あくまで「神の座」である。続いて、その神座下手左右に【エ】をそれぞれ「細籠」に入れて案に載せて献じる。 問65 【ウ】【エ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
ウ、寝座 エ、繪服・麁服(にぎたえ・あらたえ)
33
同じく「大嘗宮の儀」について書かれた以下の文章を読んで問66から問68の設問に答えてください。 天皇陛下、皇后陛下は「頓宮」から、このために設けられた廊下を通り、【ア】に入られた。ここからが祭儀は「悠紀殿供饌の儀」となる。そのお姿を拝することはかなわないが、天皇陛下は西側の「小忌【イ】」を供される部屋に潔斎のために入られ、中央の部屋で侍従の奉仕により【ウ】を召される。皇后陛下は東側の部屋に入られ白色帛御五衣・同御唐衣・同御裳の装束を身に着けられる。一方、その頃、膳屋では楽師により「【エ】歌」が発せられ、「采女」と呼ばれる女性により【エ】がなされる。もちろんこれは儀礼としての【エ】というが、古には実際に行われていた。 問66 【ア】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
廻立殿
34
同じく「大嘗宮の儀」について書かれた以下の文章を読んで問66から問68の設問に答えてください。 天皇陛下、皇后陛下は「頓宮」から、このために設けられた廊下を通り、【ア】に入られた。ここからが祭儀は「悠紀殿供饌の儀」となる。そのお姿を拝することはかなわないが、天皇陛下は西側の「小忌【イ】」を供される部屋に潔斎のために入られ、中央の部屋で侍従の奉仕により【ウ】を召される。皇后陛下は東側の部屋に入られ白色帛御五衣・同御唐衣・同御裳の装束を身に着けられる。一方、その頃、膳屋では楽師により「【エ】歌」が発せられ、「采女」と呼ばれる女性により【エ】がなされる。もちろんこれは儀礼としての【エ】というが、古には実際に行われていた。 問67 【イ】【エ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
イ、御湯 エ、稲舂(いなつき)
35
同じく「大嘗宮の儀」について書かれた以下の文章を読んで問66から問68の設問に答えてください。 天皇陛下、皇后陛下は「頓宮」から、このために設けられた廊下を通り、【ア】に入られた。ここからが祭儀は「悠紀殿供饌の儀」となる。そのお姿を拝することはかなわないが、天皇陛下は西側の「小忌【イ】」を供される部屋に潔斎のために入られ、中央の部屋で侍従の奉仕により【ウ】を召される。皇后陛下は東側の部屋に入られ白色帛御五衣・同御唐衣・同御裳の装束を身に着けられる。一方、その頃、膳屋では楽師により「【エ】歌」が発せられ、「采女」と呼ばれる女性により【エ】がなされる。もちろんこれは儀礼としての【エ】というが、古には実際に行われていた。 問68 【ウ】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
御祭服
36
同じく「大嘗宮の儀」について書かれた以下の文章を読んで問69から問71の設問に答えてください。 神饌【ア】とは、行列を成し神饌を本殿に持ち運ぶことをいい、脂燭を執る掌典補を先頭に、膳屋から悠紀殿へ静かに南庭廻廊を進むという。 一切うかがい知ることのできない「秘事」とされる供饌の儀は、四隅に灯籠の明かりがともる約8m四方の内陣で行われる。内陣には陛下の御座と神座が二つ設けられている。そのうちの一つは陛下のご親供を受けられるための神座で、【イ】の方向を背にして設けられている。つまり、御座は【イ】の方向に向けられていて、祭儀は同方向に向けて行われるのである。 運ばれてきた神饌は陛下の前に古例の通り並べられ、陛下は【ウ】の御箸で、規定の数だけ【エ】に盛って供せられる。要する時間は約1時間20分ほどという。そして、ご拝礼の後、五穀豊穣と国家安寧を祈る御告文を読み上げられる。その後、御直会となり米御飯、粟御飯を食され、【オ】も召されたという。 問69 【ア】【オ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
ア、行立(ぎょうりゅう) オ、白酒・黒酒
37
同じく「大嘗宮の儀」について書かれた以下の文章を読んで問69から問71の設問に答えてください。 神饌【ア】とは、行列を成し神饌を本殿に持ち運ぶことをいい、脂燭を執る掌典補を先頭に、膳屋から悠紀殿へ静かに南庭廻廊を進むという。 一切うかがい知ることのできない「秘事」とされる供饌の儀は、四隅に灯籠の明かりがともる約8m四方の内陣で行われる。内陣には陛下の御座と神座が二つ設けられている。そのうちの一つは陛下のご親供を受けられるための神座で、【イ】の方向を背にして設けられている。つまり、御座は【イ】の方向に向けられていて、祭儀は同方向に向けて行われるのである。 運ばれてきた神饌は陛下の前に古例の通り並べられ、陛下は【ウ】の御箸で、規定の数だけ【エ】に盛って供せられる。要する時間は約1時間20分ほどという。そして、ご拝礼の後、五穀豊穣と国家安寧を祈る御告文を読み上げられる。その後、御直会となり米御飯、粟御飯を食され、【オ】も召されたという。 問70 【イ】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
伊勢
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同じく「大嘗宮の儀」について書かれた以下の文章を読んで問69から問71の設問に答えてください。 神饌【ア】とは、行列を成し神饌を本殿に持ち運ぶことをいい、脂燭を執る掌典補を先頭に、膳屋から悠紀殿へ静かに南庭廻廊を進むという。 一切うかがい知ることのできない「秘事」とされる供饌の儀は、四隅に灯籠の明かりがともる約8m四方の内陣で行われる。内陣には陛下の御座と神座が二つ設けられている。そのうちの一つは陛下のご親供を受けられるための神座で、【イ】の方向を背にして設けられている。つまり、御座は【イ】の方向に向けられていて、祭儀は同方向に向けて行われるのである。 運ばれてきた神饌は陛下の前に古例の通り並べられ、陛下は【ウ】の御箸で、規定の数だけ【エ】に盛って供せられる。要する時間は約1時間20分ほどという。そして、ご拝礼の後、五穀豊穣と国家安寧を祈る御告文を読み上げられる。その後、御直会となり米御飯、粟御飯を食され、【オ】も召されたという。 問71 【ウ】【エ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
ウ、竹製 エ、牧手(ひらて)
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「大饗の儀」について書かれた以下の文章を読んで問72から問74までの設問に答えてください。 天皇陛下のおことばの後、首相が奉答した。次に、悠紀・主基両地方から特別に供納される特産物の品目の奏上が行われた。 これは『延喜式』のみならず、多くの古典に記されるところだ。「【ア】節会」という饗宴で行われていた儀式の一つなのである。古には、大嘗宮の儀の後には3日間にわたって饗宴が行われた。つまり、「主基の儀」が終了した日に【ア】節会が、そして次の日に【イ】節会、さらに3日目に【ウ】節会が行われたのだ。【ア】節会は悠紀節会、【イ】節会は主基節会ともいった。この【ウ】節会が宮殿「【ウ】殿」の名の由来でもある。【ア】節会では、群臣たちが揃った饗宴の場で「供膳の儀」が行われたのである。 次に、両陛下に御膳と御酒が供され、会食となった。会場内に設けられた舞楽台で披露されたのは宮内庁楽部による久米舞である。また、新たに作られた悠紀・主基両地方の風俗舞、舞姫による【エ】が【オ】とともに奏された。最後に挿華が賜られて、両陛下が退出された。挿華も含め、これらのことはすべて先述した節会に由来する。 問72 【ア】【イ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
ア、辰日 イ、巳日
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「大饗の儀」について書かれた以下の文章を読んで問72から問74までの設問に答えてください。 天皇陛下のおことばの後、首相が奉答した。次に、悠紀・主基両地方から特別に供納される特産物の品目の奏上が行われた。 これは『延喜式』のみならず、多くの古典に記されるところだ。「【ア】節会」という饗宴で行われていた儀式の一つなのである。古には、大嘗宮の儀の後には3日間にわたって饗宴が行われた。つまり、「主基の儀」が終了した日に【ア】節会が、そして次の日に【イ】節会、さらに3日目に【ウ】節会が行われたのだ。【ア】節会は悠紀節会、【イ】節会は主基節会ともいった。この【ウ】節会が宮殿「【ウ】殿」の名の由来でもある。【ア】節会では、群臣たちが揃った饗宴の場で「供膳の儀」が行われたのである。 次に、両陛下に御膳と御酒が供され、会食となった。会場内に設けられた舞楽台で披露されたのは宮内庁楽部による久米舞である。また、新たに作られた悠紀・主基両地方の風俗舞、舞姫による【エ】が【オ】とともに奏された。最後に挿華が賜られて、両陛下が退出された。挿華も含め、これらのことはすべて先述した節会に由来する。 問73 【ウ】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
豊明
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「大饗の儀」について書かれた以下の文章を読んで問72から問74までの設問に答えてください。 天皇陛下のおことばの後、首相が奉答した。次に、悠紀・主基両地方から特別に供納される特産物の品目の奏上が行われた。 これは『延喜式』のみならず、多くの古典に記されるところだ。「【ア】節会」という饗宴で行われていた儀式の一つなのである。古には、大嘗宮の儀の後には3日間にわたって饗宴が行われた。つまり、「主基の儀」が終了した日に【ア】節会が、そして次の日に【イ】節会、さらに3日目に【ウ】節会が行われたのだ。【ア】節会は悠紀節会、【イ】節会は主基節会ともいった。この【ウ】節会が宮殿「【ウ】殿」の名の由来でもある。【ア】節会では、群臣たちが揃った饗宴の場で「供膳の儀」が行われたのである。 次に、両陛下に御膳と御酒が供され、会食となった。会場内に設けられた舞楽台で披露されたのは宮内庁楽部による久米舞である。また、新たに作られた悠紀・主基両地方の風俗舞、舞姫による【エ】が【オ】とともに奏された。最後に挿華が賜られて、両陛下が退出された。挿華も含め、これらのことはすべて先述した節会に由来する。 問74 【エ】【オ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
エ、五節舞 オ、大歌
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以下の文章を読んで問75から問80までの設問に答えてください。 「神宮【ア】」とは、天皇陛下が即位礼と大嘗祭を執り行われた後、御親ら皇祖・天照大御神に奉告され、その御代の弥栄と人々の平安を祈念されることをいう。従って、それは天皇ご一代に一度のご参拝だ。【イ】の【ア】を初例としている。 また、【ア】にあたって天皇陛下は、神宮に「神宝」と「幣帛」を奉られた。これは、平安時代中期から、御代替わりに伴い、神宮はじめ諸国の50社に大神宝などを奉献していたことに由来する。 両陛下は9時に皇大神宮(内宮)をご出発、約30分後に豊受大神宮(外宮)に到着された。10時30分頃、天皇陛下は立纓の御冠に【ウ】、御挿鞋というお姿に御笏を執られて外宮斎館を出発された。乗車されたのは【エ】である。 神宮禰宜2名の先導でゆっくりと参道を進まれていく。ご正宮の板垣南御門前で【エ】を降り、衣冠単姿の侍従が【オ】を奉持し、【カ】をさしかけられて陛下は雨儀廊の中を進まれた。屋根は板葺きで板垣南御門からご正殿まで板床張りで設けられている。その上に下薦重ねられ、さらに麻布が敷かれた【キ】を陛下は歩かれていく。宮内庁式部官長と長官が前を行き、侍従長と大礼委員なども随従した。次に修祓を受けられご神前へと進まれたが、ここから先は、様子を拝見することはかなわない。次第によると、これより先、両陛下からの神宝や幣物はご正殿内に奉られ、【ク】は殿内に、【ケ】は階下で天皇陛下をお待ちしていた。陛下はご正殿の御階を上られ、大床のご拝座に着かれた後、掌典長から進められた御玉串を捧げられて拝礼されたという。拝礼が終わると、御玉串を掌典長に渡され、掌典長はこれを殿内の【ク】に取り次ぎ、【ク】は御玉串案に奉奠して、陛下にご報告。天皇陛下は一礼の後、神前を下がられた。 問75 【ア】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
ご親謁
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以下の文章を読んで問75から問80までの設問に答えてください。 「神宮【ア】」とは、天皇陛下が即位礼と大嘗祭を執り行われた後、御親ら皇祖・天照大御神に奉告され、その御代の弥栄と人々の平安を祈念されることをいう。従って、それは天皇ご一代に一度のご参拝だ。【イ】の【ア】を初例としている。 また、【ア】にあたって天皇陛下は、神宮に「神宝」と「幣帛」を奉られた。これは、平安時代中期から、御代替わりに伴い、神宮はじめ諸国の50社に大神宝などを奉献していたことに由来する。 両陛下は9時に皇大神宮(内宮)をご出発、約30分後に豊受大神宮(外宮)に到着された。10時30分頃、天皇陛下は立纓の御冠に【ウ】、御挿鞋というお姿に御笏を執られて外宮斎館を出発された。乗車されたのは【エ】である。 神宮禰宜2名の先導でゆっくりと参道を進まれていく。ご正宮の板垣南御門前で【エ】を降り、衣冠単姿の侍従が【オ】を奉持し、【カ】をさしかけられて陛下は雨儀廊の中を進まれた。屋根は板葺きで板垣南御門からご正殿まで板床張りで設けられている。その上に下薦重ねられ、さらに麻布が敷かれた【キ】を陛下は歩かれていく。宮内庁式部官長と長官が前を行き、侍従長と大礼委員なども随従した。次に修祓を受けられご神前へと進まれたが、ここから先は、様子を拝見することはかなわない。次第によると、これより先、両陛下からの神宝や幣物はご正殿内に奉られ、【ク】は殿内に、【ケ】は階下で天皇陛下をお待ちしていた。陛下はご正殿の御階を上られ、大床のご拝座に着かれた後、掌典長から進められた御玉串を捧げられて拝礼されたという。拝礼が終わると、御玉串を掌典長に渡され、掌典長はこれを殿内の【ク】に取り次ぎ、【ク】は御玉串案に奉奠して、陛下にご報告。天皇陛下は一礼の後、神前を下がられた。 問76 【イ】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
大正天皇
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以下の文章を読んで問75から問80までの設問に答えてください。 「神宮【ア】」とは、天皇陛下が即位礼と大嘗祭を執り行われた後、御親ら皇祖・天照大御神に奉告され、その御代の弥栄と人々の平安を祈念されることをいう。従って、それは天皇ご一代に一度のご参拝だ。【イ】の【ア】を初例としている。 また、【ア】にあたって天皇陛下は、神宮に「神宝」と「幣帛」を奉られた。これは、平安時代中期から、御代替わりに伴い、神宮はじめ諸国の50社に大神宝などを奉献していたことに由来する。 両陛下は9時に皇大神宮(内宮)をご出発、約30分後に豊受大神宮(外宮)に到着された。10時30分頃、天皇陛下は立纓の御冠に【ウ】、御挿鞋というお姿に御笏を執られて外宮斎館を出発された。乗車されたのは【エ】である。 神宮禰宜2名の先導でゆっくりと参道を進まれていく。ご正宮の板垣南御門前で【エ】を降り、衣冠単姿の侍従が【オ】を奉持し、【カ】をさしかけられて陛下は雨儀廊の中を進まれた。屋根は板葺きで板垣南御門からご正殿まで板床張りで設けられている。その上に下薦重ねられ、さらに麻布が敷かれた【キ】を陛下は歩かれていく。宮内庁式部官長と長官が前を行き、侍従長と大礼委員なども随従した。次に修祓を受けられご神前へと進まれたが、ここから先は、様子を拝見することはかなわない。次第によると、これより先、両陛下からの神宝や幣物はご正殿内に奉られ、【ク】は殿内に、【ケ】は階下で天皇陛下をお待ちしていた。陛下はご正殿の御階を上られ、大床のご拝座に着かれた後、掌典長から進められた御玉串を捧げられて拝礼されたという。拝礼が終わると、御玉串を掌典長に渡され、掌典長はこれを殿内の【ク】に取り次ぎ、【ク】は御玉串案に奉奠して、陛下にご報告。天皇陛下は一礼の後、神前を下がられた。 問77 【ウ】に入る言葉として正しいものを選びなさい。
黄櫨染御袍
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以下の文章を読んで問75から問80までの設問に答えてください。 「神宮【ア】」とは、天皇陛下が即位礼と大嘗祭を執り行われた後、御親ら皇祖・天照大御神に奉告され、その御代の弥栄と人々の平安を祈念されることをいう。従って、それは天皇ご一代に一度のご参拝だ。【イ】の【ア】を初例としている。 また、【ア】にあたって天皇陛下は、神宮に「神宝」と「幣帛」を奉られた。これは、平安時代中期から、御代替わりに伴い、神宮はじめ諸国の50社に大神宝などを奉献していたことに由来する。 両陛下は9時に皇大神宮(内宮)をご出発、約30分後に豊受大神宮(外宮)に到着された。10時30分頃、天皇陛下は立纓の御冠に【ウ】、御挿鞋というお姿に御笏を執られて外宮斎館を出発された。乗車されたのは【エ】である。 神宮禰宜2名の先導でゆっくりと参道を進まれていく。ご正宮の板垣南御門前で【エ】を降り、衣冠単姿の侍従が【オ】を奉持し、【カ】をさしかけられて陛下は雨儀廊の中を進まれた。屋根は板葺きで板垣南御門からご正殿まで板床張りで設けられている。その上に下薦重ねられ、さらに麻布が敷かれた【キ】を陛下は歩かれていく。宮内庁式部官長と長官が前を行き、侍従長と大礼委員なども随従した。次に修祓を受けられご神前へと進まれたが、ここから先は、様子を拝見することはかなわない。次第によると、これより先、両陛下からの神宝や幣物はご正殿内に奉られ、【ク】は殿内に、【ケ】は階下で天皇陛下をお待ちしていた。陛下はご正殿の御階を上られ、大床のご拝座に着かれた後、掌典長から進められた御玉串を捧げられて拝礼されたという。拝礼が終わると、御玉串を掌典長に渡され、掌典長はこれを殿内の【ク】に取り次ぎ、【ク】は御玉串案に奉奠して、陛下にご報告。天皇陛下は一礼の後、神前を下がられた。 問78 【エ】【オ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
エ、偽装馬車 オ、剣璽
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以下の文章を読んで問75から問80までの設問に答えてください。 「神宮【ア】」とは、天皇陛下が即位礼と大嘗祭を執り行われた後、御親ら皇祖・天照大御神に奉告され、その御代の弥栄と人々の平安を祈念されることをいう。従って、それは天皇ご一代に一度のご参拝だ。【イ】の【ア】を初例としている。 また、【ア】にあたって天皇陛下は、神宮に「神宝」と「幣帛」を奉られた。これは、平安時代中期から、御代替わりに伴い、神宮はじめ諸国の50社に大神宝などを奉献していたことに由来する。 両陛下は9時に皇大神宮(内宮)をご出発、約30分後に豊受大神宮(外宮)に到着された。10時30分頃、天皇陛下は立纓の御冠に【ウ】、御挿鞋というお姿に御笏を執られて外宮斎館を出発された。乗車されたのは【エ】である。 神宮禰宜2名の先導でゆっくりと参道を進まれていく。ご正宮の板垣南御門前で【エ】を降り、衣冠単姿の侍従が【オ】を奉持し、【カ】をさしかけられて陛下は雨儀廊の中を進まれた。屋根は板葺きで板垣南御門からご正殿まで板床張りで設けられている。その上に下薦重ねられ、さらに麻布が敷かれた【キ】を陛下は歩かれていく。宮内庁式部官長と長官が前を行き、侍従長と大礼委員なども随従した。次に修祓を受けられご神前へと進まれたが、ここから先は、様子を拝見することはかなわない。次第によると、これより先、両陛下からの神宝や幣物はご正殿内に奉られ、【ク】は殿内に、【ケ】は階下で天皇陛下をお待ちしていた。陛下はご正殿の御階を上られ、大床のご拝座に着かれた後、掌典長から進められた御玉串を捧げられて拝礼されたという。拝礼が終わると、御玉串を掌典長に渡され、掌典長はこれを殿内の【ク】に取り次ぎ、【ク】は御玉串案に奉奠して、陛下にご報告。天皇陛下は一礼の後、神前を下がられた。 問79 【カ】【キ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
カ、御菅蓋(おかんがい) キ、御莚道(ごえんどう)
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以下の文章を読んで問75から問80までの設問に答えてください。 「神宮【ア】」とは、天皇陛下が即位礼と大嘗祭を執り行われた後、御親ら皇祖・天照大御神に奉告され、その御代の弥栄と人々の平安を祈念されることをいう。従って、それは天皇ご一代に一度のご参拝だ。【イ】の【ア】を初例としている。 また、【ア】にあたって天皇陛下は、神宮に「神宝」と「幣帛」を奉られた。これは、平安時代中期から、御代替わりに伴い、神宮はじめ諸国の50社に大神宝などを奉献していたことに由来する。 両陛下は9時に皇大神宮(内宮)をご出発、約30分後に豊受大神宮(外宮)に到着された。10時30分頃、天皇陛下は立纓の御冠に【ウ】、御挿鞋というお姿に御笏を執られて外宮斎館を出発された。乗車されたのは【エ】である。 神宮禰宜2名の先導でゆっくりと参道を進まれていく。ご正宮の板垣南御門前で【エ】を降り、衣冠単姿の侍従が【オ】を奉持し、【カ】をさしかけられて陛下は雨儀廊の中を進まれた。屋根は板葺きで板垣南御門からご正殿まで板床張りで設けられている。その上に下薦重ねられ、さらに麻布が敷かれた【キ】を陛下は歩かれていく。宮内庁式部官長と長官が前を行き、侍従長と大礼委員なども随従した。次に修祓を受けられご神前へと進まれたが、ここから先は、様子を拝見することはかなわない。次第によると、これより先、両陛下からの神宝や幣物はご正殿内に奉られ、【ク】は殿内に、【ケ】は階下で天皇陛下をお待ちしていた。陛下はご正殿の御階を上られ、大床のご拝座に着かれた後、掌典長から進められた御玉串を捧げられて拝礼されたという。拝礼が終わると、御玉串を掌典長に渡され、掌典長はこれを殿内の【ク】に取り次ぎ、【ク】は御玉串案に奉奠して、陛下にご報告。天皇陛下は一礼の後、神前を下がられた。 問80 【ク】【ケ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選びなさい。
ク、祭主 ケ、大宮司・少宮司