問題一覧
1
〖〜参考〜〗 ○肥大化するアメリカとソ連の権威 ・アメリカは国際的な経済のリーダーとして 世界を牽引するような立場に ・ソ連は支配する小国を共産主義体制に組み込み 「衛星国」化を進めるように… ※イギリス「🇺🇸にリーダーとられた😭」
OK
2
○アメリカ「ソ連気になるなぁ…」 ・[①]大統領が封じ込め政策[②]を唱える →「ソ連と対抗するために軍も強くせな」 【1947年】[③]に基づく欧州の軍備増強の援助
トルーマン, トルーマン=ドクトリン, マーシャル=プラン
3
○本格的に対立!! ・[①]=西欧諸国の共同防衛組織 ・[②]=ソ連+東欧諸国の共同防衛組織 〜冷戦の時代へ〜
北大西洋条約機構, ワルシャワ条約機構
4
○冷戦下の中国 ・共産党がアメリカの協力を得た国民党に まさかの勝利! 【1949年】北京に[①]成立(首席:[②]) 敗れた国民党はというと… ・台湾で[③]を存続(総統:[④])
中華人民共和国, 毛沢東, 中華民国, 蒋介石
5
○冷戦下の朝鮮 【1948年】アメリカ・ソ連が支配 ・[①](首相:[②])=ソ連が占領 ・[③](大統領:[④])=アメリカが占領 〜南北分断!〜
朝鮮民主主義人民共和国, 金日成, 大韓民国, 李承晩
6
〖〜参考〜〗 ・アメリカは考えた 「冷戦になったからにはできる限り協力が 必要やけん日本をもっと強い国にしよっと」 ・過度経済力集中排除法による規制を緩和 ・公職追放は解除 ・労働運動の中核の官公庁の争議権剥奪 ※だから公務員には今も争議権がない "政令201号"によるもの
OK
7
○再び[①]が第二次内閣を組織 ※保守派 ・片山哲・芦田均内閣のもとで傾斜生産方式 →かなり効果はあったが赤字財政&インフレ ➡アメリカ「これだと日本強くならん。」
吉田茂
8
○GHQが第二次吉田内閣に命令 「経済の問題何とかして強くなれい。」 【1948年】[①]の実行を命令 【1949年】一連の施策を指示=[②] ※超徹底的な引き締め政策であった… ★根底にあるのは"冷戦に協力させるため 日本の経済を泥沼から生き返らせる"こと
経済安定九原則, ドッジ=ライン
9
○第三次吉田茂内閣=GHQの犬🐶ワンワン →経済安定九原則に従って引き締め政策開始 ・[①]を設定=1ドル→360円に ※国際経済と日本経済の足踏みを揃える
単一為替レート
10
○日本の税制にも問題がある そこで… 【1949年】[①]による税制改革 →"直接税"中心主義・累進所得税制が導入
シャウプ勧告
11
○あまりにも厳しい引き締め政策… ・ドッジ=ラインでインフレは収束したが 失業者⤴・中小企業倒産⤴︎︎︎ 労働者「ざけんじゃねぇよ!!!!」 〜しかし〜 ・[①]・[②]・[③]などあいつぐ怪死事件 ※GHQが黒幕か →労働者は口封じをされた…
下山事件, 三鷹事件, 松川事件
12
○朝鮮で大事件が! ・中国革命が成功 →北朝鮮「ワイらも行けるんじゃね?」 →韓国に突撃!! 【1950年】[①]が勃発
朝鮮戦争
13
○北朝鮮の突撃にアメリカブチ切れ 【1950年】[①]を転機に中国の国境に迫る ➡︎中国&北朝鮮VSアメリカ(国連軍) 【1953年】[②]で休戦協定が結ばれた
仁川上陸作戦, 板門店
14
○朝鮮戦争開戦後の日本 ・GHQの指令で[①]新設 →旧軍人の公職追放解除→軍人として働け。 朝鮮戦争="共産党との戦い"とも言えるから… →日本でも共産主義者追放=[②]by GHQ
警察予備隊, レッドパージ
15
○社会主義(左派)追放は労働組合にも… 【1950年】反産別派(反社会主義)=右派をGHQが 応援し[①](総評)結成 →労働組合は"右派"が中心に ※GHQの狙い通り ※実際はのちに社会主義と結びつき対米の 保守政治に反対する動きを見せた
日本労働組合総評議会
16
⚠️ここ難しい⚠️ ○朝鮮戦争の講和どうする? アメリカ「日本はこっち側につけないと」 "ソ連抜き"で日本と講和を結ぼうとした ※単独講和 〜日本国内では意見が分裂〜 ①「もう米・ソ・中のみんなと講和結んで 中立的な立場にいようよ…」 ②「アメリカの言う通り西側について ソ連とガッツリ対抗しようや!!」 ・①を唱えたのは[①]・[②]などの知識人や 日本社会党・日本共産党 ※当たり前 【1951年】日本社会党は[③]の批准めぐり 左右に分裂 ★アメリカにつくか中立的立場に立つか★ ※アメリカに着いた場合ソ連とは激突する かもしれないという危険性があった
南原繁, 大内兵衛, サンフランシスコ平和条約
17
○第三次吉田茂内閣が"講和問題"に決断 →「アメリカにつこう🐶ワンワン」 【1951年】[①]に調印 ➡占領が終了し日本はアメリカの友達へ ※これを機に日本の賠償責任を軽減したが 日本はちゃんと戦争被害国に賠償を支払った ↑エラい
サンフランシスコ平和条約
18
○サンフランシスコ平和条約の直後… ・アメリカ側に着いたが日本としては なるべく平和な立場にいたい… →色んな国と協定結ぶ! 「アメリカ側についたけどワイらは みんなと仲良くしたいんダヨ。」 ・【1952年】[①]=中華民国と友達に ・【1952年】[②]と平和協定 ・【1954年】[③]と平和協定 ★サンフランシスコ平和条約と同時に いくつかの国と平和協定を結んだ★
日華平和条約, インド, ビルマ
19
○賠償金は軽減してくれたが… 領土については超シビア! ・[①]の独立、[②]・[③]・[④]の放棄 ・南西諸島・[⑤]はアメリカの施政権下に ※一応【1953年】に[⑤]は日本に返還された
朝鮮, 台湾, 南樺太, 千島列島, 奄美諸島
20
○サンフランシスコ平和条約と"同じ日"に [①]が調印された →「極東の平和と安全」のためならば どんな地域でもアメリカの基地が置かれる… ・これに基づいて… 【1952年】[②]締結 →基地の提供と駐留費用の負担を分担
日米安全保障条約, 日米行政協定