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  • Naoya Nishigaki

  • 問題数 42 • 5/21/2024

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    問題一覧

  • 1

    406、18代 履中天皇の弟。大阪・羽曳野に遷宮。宋書に倭王「珍」と記載。 生まれながらにして綺麗な歯並びであったので「瑞歯別」の名がある 兄弟継承をし、皇族の妃を娶らず、子孫も皇位につかなかった。

    反正天皇

  • 2

    572年、30代 崇仏・廃仏論争。自身は廃仏派であった 皇后にのちの推古天皇。 仏教禁止令

    敏達天皇

  • 3

    453、20代 天理に遷宮。皇后の連れ子に暗殺される。天皇の暗殺は史上初。 宋書に倭王「興」と記載。

    安康天皇

  • 4

    671年、39代 大友皇子が即位。  その治世は約半年。即位に関連する儀式を出来なかったため歴代天皇とみなされてはいなかったが、明治3年に追号。 壬申の乱で自害。

    弘文天皇

  • 5

    270、15代 新羅遠征の後に生まれた皇子。新羅からの渡来人受け入れ。 中世以降に軍神八幡神として信仰。 仁徳天皇皇統と継体天皇皇統の共通の男系祖先

    応神天皇

  • 6

    BC290、7代 奈良・黒田に遷宮。皇女が卑弥呼という説あり 大吉備津日子命と若建吉備津日子命による吉備平定、息子が桃太郎のモデルとされる

    孝霊天皇

  • 7

    629年、34代 敏達天皇の孫。温泉好き。 御名は母である糠手姫皇女から継承されたものである。 最初の遣唐使派遣

    舒明天皇

  • 8

    587年、32代 用明天皇の弟。世代内継承により即位。 臣下(蘇我馬子)により暗殺されたと正史に明記されている唯一の天皇。

    崇峻天皇

  • 9

    BC97、10代 武力で国内を平定。大和朝廷の実質的な創始者。 疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた。 鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神を皇居の外に移した。

    崇神天皇

  • 10

    大化・白雉 645年、36代 皇極天皇の弟、難波宮に遷宮。 大化の改新により即位。 後世その在位時期をその政策をなどを含めて難波朝。

    孝徳天皇

  • 11

    313、16代 難波・高津の遷宮、竈を見て課税を免除。 好色でも知られ、皇后の怒りを買う。 「聖帝」と称される。

    仁徳天皇

  • 12

    BC392、6代 孝昭天皇第二皇子。室秋津嶋に遷宮。 宝算は137歳、『古事記』では123歳という 漢風諡号は、8世紀後半に淡海三船によって撰進された名称とされる

    孝安天皇

  • 13

    192、14代 神功皇后が三韓征伐 神からの渡海遠征の宣託を無視して熊襲と戦い敗北

    仲哀天皇

  • 14

    131、13代 景行天皇の第四皇子。建内宿禰を大臣とする。 初めて行政区画を定めたとされる。 史上初めて皇后を立てなかった。

    成務天皇

  • 15

    498、25代 仁賢天皇の皇子。暴虐非道の天皇。桜井に遷宮。皇子なし。 皇后は存在が強く疑われている唯一の存在。

    武烈天皇

  • 16

    539年、29代 宣化天皇の弟。仏教伝来。蘇我氏の娘を妃に。 任那の滅亡、曽我・物部氏の二極体制。

    欽明天皇

  • 17

    585年、31代 欽明天皇の第四皇子。聖徳太子の父。 法隆寺建立は、元々天皇の病気平癒のためだとする説がある。 天然痘のため在位2年で崩御、明治3年までの最短記録。

    用明天皇

  • 18

    507、26代 応神天皇の五世孫。皇后は仁賢天皇の皇女。統治範囲を拡大。 「王朝交替説」がさかんに唱えられるようになった。 熟語の「継体持統」から名付けられた。

    継体天皇

  • 19

    大宝、慶雲 697年、42代 天武天皇の孫。竹取物語の帝のモデルとも。 初めて漢風諡号を贈られた天皇と見られる。 大宝律令、院政の形式成立、元号制度の整備

    文武天皇

  • 20

    480、22代 皇后、皇子共に無し。空位の間、飯豊王が統治。 後継者がいなかったところ、億計王・弘計王の兄弟が播磨で発見 御名の「白髪皇子」の通り生来白髪であった。

    清寧天皇

  • 21

    BC214、8代 奈良・堺原に遷宮。武内宿祢の曾祖父 長子の大彦命は阿倍臣,膳臣,阿閉臣,狭狭城山君,筑紫国造,越国造,伊賀臣ら7氏族の始祖となったと伝えられる

    孝元天皇

  • 22

    642年、35代 舒明天皇の皇后。蘇我入鹿が執政。 はじめ用明天皇の孫と結婚。 乙巳の変

    皇極天皇

  • 23

    412、19代 仁徳天皇の皇子。飛鳥に遷宮。氏姓制度を制定。宋書に 倭王「済」と記載。 病気を理由に再三辞退して空位が続いたが、強い要請を受け即位

    允恭天皇

  • 24

    BC549、3代 綏靖天皇の第一皇子。母は大国主命の娘 漢風諡号は、8世紀後半に淡海三船によって撰進された名称とされる

    安寧天皇

  • 25

    400、17代 奈良・桜井に遷宮。宋書に倭王「讃」と記載。 兄に反乱を受けるが弟に誅殺させる。 国史や内蔵の制度を整える。

    履中天皇

  • 26

    朱鳥 673年、40代 天智天皇の弟、大海人皇子。 白鳳文化、氏姓制度再編、天皇を称号とし日本を国号とした。 古事記編纂、律令制度。

    天武天皇

  • 27

    485、23代 履中天皇の孫。飛鳥に遷宮。 雄略天皇陵を破壊しようとする。 史上唯一、皇太子が天皇の兄であった。

    顯宗天皇

  • 28

    592年、33代 崇峻天皇の妹。初めての女帝。聖徳太子による統治。 冠位十二階、十七条憲法制定、遣唐使派遣。

    推古天皇

  • 29

    71、12代 皇子の日本武尊が熊襲、東国、蝦夷を平定。 計80人の御子がいたとされる。 多くの場所で地名由来説話が残されている。

    景行天皇

  • 30

    BC158、9代 奈良・率川に遷宮。孝元天皇の后を皇后にする 仲哀天皇の皇后(神功皇后)の5代祖

    開化天皇

  • 31

    BC29、11代 奈良・玉垣に遷宮。16 人の皇子・女を設ける 殉死に代わる風習として、埴輪の起源が誕生 皇后に暗殺未遂、兄共々城を焼き討ち

    垂仁天皇

  • 32

    690年、41代 天智天皇の皇女、天武天皇の皇后。 前代から編纂事業が続いていた飛鳥浄御原令を制定・施行、双六を禁止。 藤原宮に遷都、律令制度 百人一首第2番

    持統天皇

  • 33

    655年、37代 皇極天皇が重祚。中大兄皇子が執政。 元年には高句麗、百済、新羅が使を遣わして朝貢してきた。蝦夷と隼人も朝献した 白村江の戦い

    斉明天皇

  • 34

    535、28代 安閑天皇の弟。皇后は仁賢天皇の皇女。 即位元年に蘇我稲目が大臣となり、蘇我氏の全盛の礎が築かれる

    宣化天皇

  • 35

    456、21代 奈良・桜井に遷宮。日本国内最初期の死罪 宋書に倭王「武」と記載。 発掘品からワカタケル大王と考えられる。

    雄略天皇

  • 36

    668年、38代 近江大津宮に遷宮。 冠位もそれまでの十九階から二十六階へ拡大、漏刻を作り時報を開始。 大化の改新、戸籍制度、壬申の乱。 百人一首第1番

    天智天皇

  • 37

    BC581、2代 奈良・高岡に遷宮。神武天皇の第三皇子 食人の趣味がありペルシアの叙事詩に登場する暴君ザッハークとの共通性も指摘。

    綏靖天皇

  • 38

    488、24代 履中天皇の孫。天理に遷宮。皇后は雄略天皇の皇女 国中が良く治まり、「天下は仁に帰し、民はその生業に安んじている」と評された。

    仁賢天皇

  • 39

    531、27代 継体天皇の皇子。皇后は仁賢天皇の皇女。 神仏習合の教説で蔵王権現と同一視されたた。 即位時に辛亥の変説が唱えられる。

    安閑天皇

  • 40

    BC510、4代 安寧天皇の第二皇子。奈良・軽曲峡に遷都 出雲に行幸して、スサノオに出会うという逸話がある

    懿徳天皇

  • 41

    BC475、5代 懿徳天皇の第一皇子。掖上に遷宮。 宝算は114歳、『古事記』では93歳という

    孝昭天皇

  • 42

    BC660、初代 高千穂から東征し、畝傍橿原宮に大和朝廷を創始 大正時代に津田左右吉は本格的な文献批判を行い「皇室の尊厳を冒瀆した」とし、出版法違反で有罪判決を受けた(津田事件)

    神武天皇