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西洋建築史
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  • 問題数 66 • 8/3/2024

    問題一覧

  • 1

    初期キリスト教の建築形式には( )式と( )式があり、以後のキリスト教建築でもこの形式が踏襲され、この二つの形式はキリスト教建築の原形式である。

    バシリカ, 集中堂

  • 2

    ( )式の建築はミサなどの集会儀礼をおこなう教会堂などに用いられ、( )の箱型空間である。

    バシリカ, 長方形

  • 3

    ( )式の建築は洗礼堂、教会堂、殉教者記念堂に用いられ、円形や正多角形の中央の空間にドームが架かり、堂の中心、ドームの頂点へ向かう( )なつくりをしている。

    集中堂, 求心的

  • 4

    初期ビザンツ建築である( )はバシリカ式の空間構成を持ちながら、身廊の中央に巨大なドームを乗せている。以後、ビザンツ建築ではドームに執着し、集中堂式の建築がつくられている。

    ハギア・ソフィア

  • 5

    ビザンツ建築のドームの工法には、矩形から円への移行がより滑らかな( )が多用された。

    ペンデンティヴ

  • 6

    初期キリスト建築にはバシリカ式と集中堂式の二つの基本形式がある、バシリカ式の平面構成は列柱で平行に分けられた(  )空間に特徴をもち、集中堂式の平面は(  )や(  )の平面をもつ。

    長軸, 円形, 正方形

  • 7

    初期ビザンツ建築である(  )はバシリカ式の空間構成をもちながら、身廊の中央に巨大なドームを乗せている。以後、ビザンツ建築ではドームに執着し、集中堂式の建築がつくられる。

    ハギア・ソフィア

  • 8

    ロマネスク建築の特徴の一つに身廊の天井全面に(  )が用いられたことが挙げられる。

    ヴォールト

  • 9

    カロリング朝が隆盛を極めたプレロマネスク建築の西側には(  )や独立したおおがかりな構造物が配され、西構えと呼ばれた。

    双塔

  • 10

    11世紀に建設されたクリュニー会修道院第2協会堂は会堂頭部が内陣中央のアプシスから両側へと(  )に後退していく特徴をもつ。12世紀初頭に作られたクリュニー会修道院第3教会堂には代祷をおこなうために多くの祭室が必要とされ、(  )を整備した。前者・後者ともにロマネスク教会堂の主要な定形の一つとなった。

    階段状, 放射状祭室

  • 11

    ロマネスク建築は修道院・巡礼路教会堂、地方ごとに多彩な類型を見せ、11世紀頃に建設されたロマネスク建築は(  )な教会堂も多く見られた。

    実験的

  • 12

    ロマネスク建築は天井にヴォールトを採用し、高い天井を実現した一方で、ヴォールトの荷重を受けるために、壁は(  )、開口部が(  )なっている。

    厚く, 小さく

  • 13

    ロマネスク建築の身廊形式は主に5つに分けることができ、それぞれ(  )の取り方が異なる。

    採光

  • 14

    ロマネスク建築は修道院を舞台として展開したのに対し、ゴシック建築は大聖堂が主役となり都市の(  )のための教会堂として発達した。

    一般民衆

  • 15

    ゴシック建築の線状要素のうちの最も重要な天井ヴォールトに添えられた(  )はヴォールトの推力をヴォールトを支える(  )に集中させるとともに、施工の難しい交差ヴォールトの型枠としても役に立ち、力の流れを視覚的に表現する機能をもった。

    リブ, ピア

  • 16

    1ベイを片側に3本ずつのピアで支持し、1ベイが6つのパネルに分割されるものを(  )という。

    六分交差リブヴォールト

  • 17

    ゴシック建築の特徴的な構造要素である(  )は側廊の屋根を飛び越えて身廊軒壁を支え、身廊の天井ヴォールトを(  )へと伝達する。

    飛梁, 控壁

  • 18

    ゴシック建築の西正面はロマネスクの(  )や(  )とは異なり、都市の民衆を直接身廊に導き、聖なる空間の超越性を印象付ける、身廊と一体化した空間である。

    西構え, ナルテクス

  • 19

    パリのノートルダム大聖堂はパリの都市軸上に位置し、パリの(  )的な機能を果たしている。

    象徴

  • 20

    (  )はフランス王の礼拝堂であり、堂全体を包み込むステンドグラスが特徴である。

    サント・シャペル

  • 21

    ゴシック建築がロマネスク建築を空間的に踏襲した点について2つ挙げなさい。

    ゴシック大聖堂の形態がバシリカ式の長堂形式である点, 円陣に円形周歩廊や放射状祭室を設けている点

  • 22

    ゴシック建築は司教区を管轄する長である司教のいる(  )を舞台に発展する。都市の(  )のための建築であり、その建築の外観や内部にキリスト教の宇宙観が表現された。

    司教座教会堂, 一般民衆

  • 23

    ゴシック建築ではキリスト教の宇宙観を表現するためにより多くの光を求め(  )や高いヴォールト天井をもつようになる。

    ステンドグラス

  • 24

    ゴシック建築では高い天井と大きい開口部を実現するために骨組み的な構造が採用された。例えば(  )は半円アーチと比較して水平推力が小さく、迫高の高いヴォールトが実現できるため採用された。交差ヴォールトには稜線に沿って(  )がつき、ヴォールトを化粧・強調するとともにヴォールトの仮枠としても機能し、施工性の向上に貢献した。飛梁は側廊の屋根を飛び越えて身廊軒壁を支え、身廊の天井ヴォールトを(  )へと伝達する機能をもち側廊の壁体を取り除くのに重要な役割を果たした。

    尖塔アーチ, リブ, 控壁

  • 25

    ゴシック建築もロマネスク建築と同様に西側が正面となっているが、ロマネスク建築のように西側には(  )や(  )が配置されていないため、都市住民は入口から直接身廊部に導かれる形式となっている。

    西構え, ナルテクス

  • 26

    古典期ゴシックにあたるゴシック建築の様式は(  )構成の身廊で(  )が架かることが特徴である。代表的な建築として(  )のノートルダム大聖堂が挙げられる。

    三層, 四分交差リブヴォールト, アミアン

  • 27

    フランス・レイヨナン芸術は他のヨーロッパの国々にも影響を与え、ドイツの(  )大聖堂はその影響を強く受けたと考えられている。

    ケルン

  • 28

    フランス王の礼拝堂として1248年に献堂された(  )は堂全体を包み込むステンドグラスを特徴にもつ。

    サント・シャペル

  • 29

    ゴシック建築の特徴の一つであるリブの装飾性はより複雑化し、イギリスの(  )大聖堂やドイツの(  )聖堂では網目状のリブを確認することができる。

    グロスター, ザンクト・ロレンツ

  • 30

    イタリアでは(  )を中心にゴシック様式が導入され、貧困層の集まる都市周縁部(=中世都市の城壁の外)に立地した。

    托鉢修道会

  • 31

    図は830年頃に描かれた西欧最古の建築図面である「ザンクト・ガレン修道院古図面」の計画図に室名を書き加えたものである。この計画図は実際に建設はされなかったが,修道院が備えるべきさまざまな施設が配され、当時の理想とされた修道院の姿をみることができる。 図に描かれた諸室の配置の特徴を四つ挙げたうえで、この時代に求められた修道院の機能がどのようなものだったのか説明しなさい。

    ほぼ中央に回廊をめぐらした中庭を設け、その北側に教会堂、東側に大寝室、南側に大食堂と厨房、西側に食料庫を置き、その周りに客舎、学校、作業場などがあることから、地方開発の拠点、また有能な行政官・知識人の養成所としての機能があった。

  • 32

    初期ゴシックであるパリのノートルダム大聖堂の身廊立面は(  )構成で、(  )がつくのが特徴である。

    四層, トリビューン

  • 33

    古典期ゴシックはトリビューンがなくなり(  )構成となり、身廊には(  )がかかる。フランスのゴシック建築で最大である(  )大聖堂は古典期ゴシックに分類される。

    三層, 四分交差リブヴォールト, アミアン

  • 34

    ルアンのサン=マクルー教会堂は繊細華麗で精巧なファサードをもち(  )の特徴をもつ。

    フランボワイヤン芸術

  • 35

    イギリスのゴシック建築の特徴の一つに交差廊と身廊の交差する部分に(  )を設けることがある。

  • 36

    ドイツではフランス・ゴシック期の(  )に影響を受け、リブ・ヴォールトの複雑化がおこり(  )状の天井をもつ聖堂が現れた。

    レイヨナン芸術, 網目

  • 37

    イタリアでは(  )を中心にゴシック建築が導入され、定着した。

    托鉢修道会

  • 38

    写真の建築が建てられた都市名と作品名を答えなさい。(都市名、作品名)

    パリ, サント・シャペル

  • 39

    写真の建築が建てられた都市名と作品名を答えなさい。

    グロスター, グロスター大聖堂

  • 40

    写真の建築が建てられた都市名と作品名を答えなさい。

    ウルム, ウルム大聖堂

  • 41

    写真の建築が建てられた都市名と作品名を答えなさい。

    フィレンツェ, サンタ・クローチェ教会

  • 42

    建築における近世とは、年代的には(  )のはじまる1420年頃から、歴史主義・折衷主義の建築が終焉を迎える19世紀のおわりごろまでと考えられている。

    イタリア・ルネサンス

  • 43

    ルネサンス建築の誕生する背景にはギリシア建築・ローマ建築の再生が理想として掲げられ、その建築原理には(  ・  ・  )があった。

    規則, 均整, 比例

  • 44

    ブルネッレスキはフィレンツェの(  )において最初のルネサンス建築を設計した。

    サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

  • 45

    マニエリスム建築では古典に則ったルネサンス建築から発展し、(  )な様相をみせるようになる。ヴェネツィアで活躍した(  )は古代の建築言語の正しい使用をしながら、比例と調和と均衡に根差す古典主義の理想を技巧的な意匠で追及した。

    個性的, パッラーディオ

  • 46

    中世の都市では商工業が発達することで経済の担い手である商人や手工業者たちは市民の自治と既存権力からの治外法権を獲得した。そうした背景のなかで現れた(  )は諸芸術のパトロンとなり、都市邸宅([  ])/都市建設/聖堂を中心にルネサンス建築が形づくられる。

    都市貴族, パラッツォ

  • 47

    ルネサンス建築では「(  ・  ・  )」を建築思想の原理とした。

    規則, 均整, 比例

  • 48

    ルネサンス建築を形づくった建築家たちはウィトルウィウスの『建築書』や(  )を参照し、古代の建築を学び、そこから得た知見から(  )を記した。

    古代の遺構, 建築書

  • 49

    写真の建築を建てた設計者名と作品名を答えなさい。(設計者名、作品名)

    ブルネッレスキ, サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂交差部ドーム

  • 50

    写真の建築を建てた設計者名と作品名を答えなさい。(設計者名、作品名)

    ブラマンテ, テンピエット

  • 51

    写真の建築を建てた設計者名と作品名を答えなさい。(設計者名、作品名)

    ミケランジェロ, カンピドリオ広場

  • 52

    写真の建築を建てた設計者名と作品名を答えなさい。(設計者名、作品名)

    パッラーディオ, ヴィラ・ロトンダ

  • 53

    マニエリスム建築の特徴について、代表的な建築家の名前を挙げながら説明しなさい。

    マニエリスム建築は1530年から16世紀末に現れた建築様式で、古代建築言語を個性的に用いたことが特徴に挙げられる。ブラマンテやラファエロの「マニエラ」を範にする傾向、ミケランジェロ等が見せた独創的な個人の「マニエラ」を主張する傾向がある。

  • 54

    ヨーロッパ諸国においてルネサンス建築が受容していく過程は二つの段階があり、まず軍事侵攻や建築書を通じてイタリアの建築を知り(  )を色濃く残しながら展開する。次に、建築家たちがイタリアで学び、建物全体が(  )となり、同時に(  )的な建築家の在り方も導入された。

    中世的伝統, 古典主義, 芸術家

  • 55

    イギリスやドイツといったヨーロッパの北部地方のルネサンス建築は(  )からの影響がつよくみられた。

    ネーデルラント

  • 56

    15世紀末のスペインでは「プラテレスコ(金細工様式)」と呼ばれる(   )を持つ建築が流行していた。スペインのルネサンス黎明期はプラテレスコの中に展開する。その後、イタリアで学んだ建築家が登場し、マドリード近郊に建築された(  )では修道院と宮殿が正方形の平面の中に整然と配置された建築が現れる。

    細密な装飾, エル・エスコリアル修道院

  • 57

    フランスのルネサンス期の宗教建築はサン=ティエンヌ=デュモン教会に代表されるようにファサードだけは(  )様式、建物本体は(  )様式のものもあった。

    古典主義, ゴシック

  • 58

    イギリスやドイツといったヨーロッパの北部地方のルネサンス建築は建築書や技術者を通じて、ネーデルラントからの影響を強く受けた。特に(  )の装飾図案集は北方地域の装飾を伝えた。

    コルネリス・フロリス

  • 59

    イタリア建築を受容する段階は二つあり、第一に自国の(  )のなかにイタリアの要素が入り込む段階、第二に(  )が古典主義の建築になる段階である。

    後期ゴシック建築, 建物全体

  • 60

    バロック建築では絶対主義王政や対抗宗教改革を背景にクライアントである人物や組織の威光を現前化することが求められ、都市では(  )機能を演出するために君主の宮殿と教会堂が壮麗な道路で結ばれ,広場や噴水、記念碑が配され、権力を象徴する装置として機能した。

    祝祭

  • 61

    「規則・均整・比例」を建築原理としたルネサンス建築と比較するとバロック建築は動的で感覚的な効果が重視され、それを演出する要素として透視図法的錯覚や古典モチーフの(  )用法が採用された。

    変則的な

  • 62

    ヴァチカン宮殿の(  )は先に進むにつれて幅と高さを減じ、パースペクティブを強調することで実際以上の奥行を見るものに感じさせ、教皇の元へと向かう壮麗なる道のりが演出されている。

    スカラ・レジア

  • 63

    フランスのルイ14世は王権の強大さを示すモニュメントとして(  )を建設したが、その建築の根幹は(  )的な解釈によって建設されている。

    ヴェルサイユ宮殿, 古典主義

  • 64

    バロック建築の受容のされ方はヨーロッパにおいても各国で異なり、強大な権力が不在であった(  )においては、18世紀にむしろ古典主義的な(  )主義が復権した。

    イギリス, パッラーディオ

  • 65

    (  )建築は優雅な装飾様式として確立し、室内の様式として発達する。とりわけ岩や貝殻などをモチーフとした独創的な装飾を(  )と呼び、ロココ様式の語源となった。

    ロココ, ロカイユ装飾

  • 66

    スペインでは17世紀半ばに国民性に合致した(   )にあふれる建築が主導権を握る。サン・フェルナンド施療院の正面のダイナミックな彫刻装飾には、当時導入されつつあった(  )の影響が示され、背後の重苦しさを著しく柔らかい計画にしている。

    過剰な装飾性, ロココ