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10月 中間考査 歴史総合 完全対策
  • yuto

  • 問題数 26 • 9/27/2023

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  • 1

    話は戊辰戦争後から始まる。 1868年3月、①天皇は②を発布し、新政府の方針を示した。 そして、その方針に基づいて天皇を中心とする③な④の建設が目指されていく。 この近代化に向けての大きな動きのことを⑤という。 それでは、これから明治維新についてどんなことが行われていたのか解いていこう。 ⚠︎教科書と全く同じ漢字を用いて回答すること。

    明治, 五箇条の誓文, 中央集権的, 国民国家, 明治維新

  • 2

    準備はいいか?できたら○を押しなさい。

  • 3

    新政府は中央集権体制を確立するため、 ①ごとに独自の政治を行う(②)を廃止する必要があったのだ。 だから、五箇条の誓文を発布した翌年の③年に藩主が④(版)と⑤(籍)を天皇に返上する⑥を行って、さらに1871年には⑦を廃止して府・県を設置する⑧を行った。 この時、地方の政治では旧藩主の出番が無くなったため、中央から派遣された⑨や⑩が代わりに政治を行うようになった。 この時の府・県に農民から納められた年貢は全て⑪となった。

    藩, 幕藩体制, 1869, 領地, 領民, 版籍奉還, 藩, 廃藩置県, 府知事, 県令, 国の収入

  • 4

    この時の新政府で働いていた人達は、①・②の2藩を中心とする③の人達ばっかりだった。こいつらが集まった政府のことを④という。

    薩摩, 長州, 倒幕勢力, 藩閥政府

  • 5

    中央集権的な国を作っていくためには、これだけじゃ物足りない。 ということで、今まで身分の差が激しかった人々を同じ権利・義務を持つ「①」とすることにした。この時、新政府は「②」を原則として、すべての人が③を名乗ることが許され、④や⑤する場所の選択なども自由にした。 まだまだやった政策はある。 1871年、⑥を定めて⑦の編成を始めた。 1872年、⑧を交付して土地の所有権を明確にし、⑧所有者に⑨での納税(⑩)を義務付けることにした。 この⑧〜⑩の出来事を⑪(1873)という。 また、1872年には⑫歳以上の子供に教育を受けさせる義務が出来た。これを⑬という。 1873年、これまでは⑭という存在が国を守る役割であったが、平民も国防を行うことが義務化された。これを⑮という。 ここは、出来事があった年がかぶっている部分もあるため、しっかり理解しておくこと!

    日本国民, 四民平等, 名字, 職業, 居住, 戸籍法, 戸籍, 地券, 金銭, 地租, 地租改正, 6, 学制, 武士, 徴兵令

  • 6

    このような色々な政策をしたことで、新政府は「国が中央集権的な国になってきてるんじゃないか?」と思うようになる。 だから、新政府は①年に②を大使とし、大久保利通や木戸孝允らを③とする④を欧米に派遣した。 ☆なぜ欧米に使節を送ったのかの流れを説明。 1.新政府ができ上がる前から、欧米達と不平等な内容で条約を結んでいた。 2.昔に1度日本は 「いや〜もうさすがにこの条約とっぱらってくれません?」 と欧米にお願いをしたことがある。 その時、「いや、なんにも国がまとまってない国にそこまで甘くみてやるわけないじゃん。」と馬鹿にされた。 だから新政府は国をまとめようと明治維新を起こして、やれば出来ることを欧米に見せつけたかったのだ。 3.明治維新によってまぁまぁ国がまとまってきた日本。当然、「そろそろ不平等条約改正できるんじゃね?」と思うようになった。だから、使節を送って再びお願いをしに行くことにした。

    1871, 岩倉具視, 副使, 岩倉使節団

  • 7

    岩倉使節団は先程書いたように、不平等条約を改正することだけでなく、欧米がどんな政治をしているのか気になったから視察しに行く役割も持っていた。 そこで使節が欧米の視察をした時、そこの制度や習慣にレベルの違いがありすぎることに気づく。ここで性急に欧米の制度や習慣を取り入れる①を反省。 内政を重視した着実な②が必要だと実感していた。 ☆不平等条約は結局どうなったのか。 岩倉使節団は不平等条約を改正するために話をしに行ったが、結局またしても上手くいかなかった。理由には様々なものがある。 理由1.日本は、国として中央集権は出来ているが、憲法がないため国際的な関係を持つにはまだ早かったこと。 理由2. 身だしなみ。 代表である岩倉具視は、和服・ちょんまげ・下駄で交渉をしに行った。当然、欧米ではスーツなどを着る文化が根付いているため、和服が違和感でしかないし、ちょんまげもおかしいに決まっていた。「日本の代表がこんな格好ではね〜〜〜」と馬鹿にされたため交渉は不成立。

    文明開化, 国力増強

  • 8

    ということで交渉が失敗に終わって岩倉使節団が帰ってくる。 その時、使節団が日本に不在のため、日本の政治を代わりに任されていた①と財源を握る②が対立していたのだ。 ここで③と④らが主張する⑤をめぐって対立が最高潮に達する。 これにもちろん、帰ってきたばかりの岩倉達は 「もうそこらへんでやめとけ。今日本の中で争ってる場合じゃないんだぞ。」 とストップをかける。 すると、③達は岩倉達に逆ギレ。 ③や④などの有力な政治家が政治界から離脱していってしまった。

    急進派, 大蔵省, 西郷隆盛, 板垣退助, 征韓論

  • 9

    でももう国を強くしていくしかない。だから、岩倉使節団の1人である①を中心とする指導体制がスタートした。 ①は②の強化と③の拡充のため、④政策の推進をはかった。その時、日本各地で実践されている技術革新の試みを繋ぎ合わせ、さらなる産業の発展を促すため、⑤年に⑥が開かれた。

    大久保利通, 国内体制, 経済力, 殖産興業, 1877, 内国勧業博覧会

  • 10

    大久保利通達が殖産興業政策を行っていく中、やはり征韓論を唱えていたもの達は黙ってはいなかった。 そのため各地で①による反乱が相次いだ。1877年には、煽られた西郷隆盛がブチ切れ、②を起こした。だが、新政府は③による軍隊を組織していたため、すぐに②を鎮圧。 これにより、士族の反乱は収束した。 ただし、、 この頃、暴力で戦うのではなく、言論で戦うような流れに変わっていたのだ。それに乗っかって、④らは⑤をスタートし始める。

    不平士族, 西南戦争, 徴兵令, 板垣退助, 自由民権運動

  • 11

    ここで1シーズン終了。 次は先程出てきた自由民権運動と伊藤博文について詳しく出てくる。 準備はいいか?

    もちろんだ

  • 12

    征韓論を唱えていたもの達は政治から離れてしまい、新政府と西郷隆盛達で分裂した状態になってしまった。 ここで板垣退助は、人々が政治に参加することを求める自由民権運動をスタート。 この運動に対し新政府は、少し受け入れることを決定。徐々に①に移行するという方針を示して準備した。 だが運動を行っている人々は止まらない。 ちなみに、この人々のことを②と呼んでいた。 ②は③の創立や④を通じ、⑤や⑥の仕組みを広め続け、⑦の引き下げを求める有力農民なども運動に参加。 かなり大きい運動となった。 その後、板垣退助が結成した⑧をルーツとする⑨によって、⑩年に⑪が提出された。 これにより、国民の政治参加を求める声がさらに増え、⑫の起草を通じての民間での憲法議論が盛んになった。

    立憲体制, 民権派, 私立学校, 演説会, フランス人権思想, 欧米議会制度, 地租, 愛国社, 国会期成同盟, 1880, 国会開設請願書, 私擬憲法

  • 13

    さすがに困った新政府。 この時、新政府の代表であった①がついに動き出す。 1881年、新政府内で急進的に②を求める③らの意見を排除しつつ、1890年に議会を開設することを④の名で国民に約束した。 このことを⑤という。

    伊藤博文, 議院内閣制, 大隈重信, 天皇, 国会開設の勅諭

  • 14

    ということで、憲法を作るために動き出した伊藤博文。 早速、1882年に立憲制度を導入するため、①に渡った。 色々な調査をした伊藤博文は、1883年に帰国。 1885年には日本に②を導入させた。 これによって、③を首班とする政府の在り方が形作られた。 そしてついに憲法。 伊藤博文を中心に④が作成され、⑤年⑥月⑦日、天皇が定める憲法として⑧が発布。 宣言していた⑨の開設も予告通り1890年に行った。 欧米を除いて、当時唯一の⑩の始まりだった。 伊藤博文は達成感を得た。

    ヨーロッパ, 内閣制度, 内閣総理大臣, 憲法草案, 1889, 2, 11, 大日本帝国憲法, 帝国議会, 立憲政治

  • 15

    そしてこの後、①という選挙も行われていくことになるのだが、選挙権が②の③にしか与えられず、有権者は国民の④%程度しかいないという酷い事態だった。 しかも、⑤や⑥の人々には⑦がなく、国政に関わることが出来なかったのだ。 この頃、イギリスでは国民の約⑧%が選挙権を有していた。イギリスと比べると日本はかなり低く差があるが、イギリスも⑨であったため選挙権の拡大は各国が抱える問題となっていた。

    衆議院議員総選挙, 高額納税者, 成年男性, 1, 北海道, 沖縄県, 参政権, 19, 制限選挙

  • 16

    日本の民法については、①人の法学者②が起草した法典が1890年に公布されていたが、日本人の法学者から反対の意見が出て、結局③年に日本人の手によって新しい民法典が施行された。

    フランス, ボアソナード, 1898

  • 17

    ここからは領土の話になる。 近代国民国家では、①を有し、それを構成する②と①が及ぶ領土を持つ。 なので、新政府も近隣国との領土画定に努めたのだ。 まずはロシア。 幕府が結んでいた③によって④・⑤間の国境画定に続き、⑥を結んで日本は⑦を放棄して⑧を得た。 次は琉球。 琉球は日本と清の⑨であったが、琉球諸国の船が⑩に漂着した際、乗組員が殺害されるという事件が怒ってしまった。 これに日本は猛抗議。1874年に⑪を行った。この出来事に対して清は、事実上の賠償金を支払ったため罪を認めたと日本は感じた。つまり、琉球も日本側の領土になってもおかしくないだろうと判断した日本は、勝手に琉球を日本の領土にし、⑫を設置。 次は小笠原諸島。 幕末に幕府が英米両国へ「小笠原諸島は日本のものだぞ〜」と通告していたため、1876年、⑬に基づき領有が認められた。 これだけでは止まらない日本。 1895年には⑭を⑫に編入。 1905年には⑮を島根県への編入を閣議決定し、自国の領土とする意志を公式に示した。

    主権, 国民, 日露通好条約, 択捉島, 得撫島, 樺太・千島交換条約, 樺太, 千島列島, 両属関係, 台湾, 台湾出兵, 沖縄県, 国際法, 尖閣諸島, 竹島

  • 18

    次は産業についてだ。 明治時代になり、日本は国際商品である①(絹)と②(木綿)を輸出した。新政府は、殖産興業政策の中心に③と④を位置づけ、 ⑤(外国人技術者)を招いて欧米の技術や機械を取り入れ、近代的な産業に育てた。 ③では⑥の設立以降、多くの製紙工場が作られ、生産量が爆上がりした。 ④も1882年に⑦が⑧の機械を導入して、⑨を設立。その流れで民間の紡績会社が次々作られた。

    生糸, 綿糸, 製糸業, 紡績業, お雇い外国人, 富岡製糸場, 渋沢栄一, イギリス, 大阪紡績会社

  • 19

    この貿易の流れで得た利益(外貨)で、欧米から①を購入。目標としていた②を進めることが出来た。 後には絹織物でも③の④など、独自の技術革新も起こり、生産量が増えて輸出が始まった。こうして、日本は貿易にどハマり。 国際商品の市場を求めるようになった。

    戦艦, 富国強兵, 豊田佐吉, 自動織機

  • 20

    日本は貿易にどハマりしている中、 清では、①を鎮圧した後に日本と平等な②を締結し、国内外の安定を回復させていた。 ③以降、清は欧米的な外交体制に組み込まれそうになっていたが、従来の④に基づいて、朝鮮らを事実上の⑤と見なしていた。 前に起こった⑥によって清は軍事力の無さを痛感していたため、⑦ら官僚が中心となって、西洋技術を導入した⑧や⑨、⑩などの建設を求めていた。 この動きを⑪という。 西洋技術を使った運動によって清は、世界市場に参加。開港場である⑫などの都市が新たに発展。清の⑪は成功に終わったのだ。

    太平天国, 日清修好条規, アヘン戦争, 冊封関係, 属国, アロー戦争, 李鴻章, 兵器工場, 造船所, 紡績工場, 洋務運動, 上海

  • 21

    一方、ヨーロッパの近代的思想や政治制度は清の既存の政治体制に適するかを検討し、①・②に導入が図られた。 そのため、洋務運動における③は、主に旧来の体制下で進められた。

    選択的, 段階的, 富国強兵策

  • 22

    このような流れで日本や清が開国する中、朝鮮は清の属国として貿易統制を続けていた。 だから、朝鮮を支配しようとしていた日本の新政府は、新しい①の樹立を朝鮮に認めさせようとしたが、言うことを聞いてくれない。これに腹が立ったため、1875年に日本は②で挑発的な軍事演習を行った。 もちろんこれに朝鮮は砲撃。日本は「お前らを攻めるつもりはなかったのに、、、やったな??」という考えで、③年に不平等である④を結んで朝鮮を強制的に開国させた。 先程の砲撃演習に朝鮮が砲撃をしてきた出来事を⑤と呼ぶ。

    国家体制, 朝鮮沿岸, 1876, 日朝修好条規, 江華島事件

  • 23

    清と日本の両方の言うことを聞くことになっていた朝鮮。 国の中ではもちろん、日本にならって近代化を進めようとする①と清に従おうとする②で意見が真っ二つ。 ここで先に行動を起こしたのは②。 ②の軍人が③を支持し、①の④らを襲うという事件を起こした。 この争いを⑤という。 たが、行動を起こしたのは②だけではない。 ①の⑥が日本と手を組み、クーデターを起こそうとする⑦を起こしたのだ。

    開化派, 保守派, 大院君, 閔妃, 壬午軍乱, 金玉均, 甲申政変

  • 24

    さらに、開国によって日本から外国商品が流入。 これにより経済が大悪化。 もちろんこれに農民は大反対し、①を起こした。

    甲午農民戦争

  • 25

    甲午農民戦争がかなり大きい反対運動であったため、 「たのむ。この動き沈めてくれ。」と清に助けを求めた。 だが、日本が黙ってはいない。このままでは清に朝鮮が取られてしまうため、日本は強制的に「いいよ。俺らも助けてやるわ。」 と朝鮮に突入。 清と日本。互いに、朝鮮を奪おうという考えを持っていたため、朝鮮内でこの2国が衝突。この戦いを①という。 この結果は日本の圧勝。②年に③を結んだ。 条約の内容 ・④ ・⑤、⑥などの割譲 ・多額の⑦ ・清の開港場で⑧を経営する権利を日本に 認める。 完全に日本は調子に乗っていた。

    日清戦争, 1895, 下関条約, 朝鮮の独立, 遼東半島, 台湾, 賠償金, 製造業

  • 26

    これを見ていた露・独・仏は、「日本調子乗りすぎじゃね?潰すか。」と意見を固め、①を行った。これによって日本から②が返還。 悔しかった日本は、清から得た賠償金で③と④を図った。 また、清が属国とみなしていた⑤・⑥を失ったことと、日清戦争により朝鮮の独立を認めたことで、⑦などの東アジアの伝統的な⑧は完全に崩壊。 そしてついに日本領となった台湾では、⑨が起こったが、日本は軍隊を派遣して鎮圧。⑩を置いて警察や学校などの⑪を整備した。これにより、東アジア唯一の⑫として、日本の対外進出が始まった。 ごくろうさん。これで終わり。

    三国干渉, 遼東半島, 産業の発展, 国内整備, 琉球, ベトナム, 冊封関係, 国際秩序, 住民の抵抗, 台湾総督府, 行政制度, 植民地帝国