問題一覧
1
ベトナムでは、1802年に阮福暎が( )人の協力のもとで阮朝を建てたが、フランスは、1858年にベトナム南部の( )を占領した。
フランス, サイゴン
2
オスマン帝国は、列強の学を排除して近代国家をめざすため、1839年に( )・( )・( )・( )・( )にわたる大規模な西欧化改革=(タンジマート)を開始したが、一方でヨーロッパ資本の進出が急速に進んだ。
司法, 行政, 財政, 軍事, 教育
3
ベトナムでは、1874年に劉永福が組織した( )がフランスに抵抗したため、フランスはベトナム北部と中部も支配した
黒旗軍
4
1887年にイギリスの( )がインド皇帝に即位し、イギリスの支配下でインド帝国が成立した
ヴィクトリア女王
5
イギリスは、1826年にペナン・マラッカ・シンガポールを( )とした。 また、1895年にはマレー連合州を結成させて保護国とし、錫やゴムの生産を拡大した
海峡植民地
6
インドは( )を輸出していたが、イギリスの産業革命後、19世紀前 半にはイギリスから( )などの工業製品を輸入して綿花や監などの原材料を輸出するようになった。 貿易赤字は、清への( )輸出などでおぎなわれた。
綿織物, 綿織物, アヘン
7
( )の軍がスペイン・ポルトガルに侵入し、両国の政治体制が大きく動揺したことが、ラテンアメリカの独立運動のきっかけとなった。スペインの植民地では、( )らが活躍した。
ナポレオン, ボリバル
8
清朝が広州に派遣した( )がイギリス商人のアヘンを没収すると、イギリスは1840年に損害賠償と通商条約の締結を求めて ( )をおこした。この戦争で清はイギリスに降伏し、1842年に( )が結ばれた
林則徐, アヘン戦争, 南京条約
9
( )(1812~14年)の際に( )との貿易がとだえたことで、アメリカ合衆国北部では産業革命を実現して( )が発達した。 一方、南部は奴隷制にもとづく( )の栽培を経済の柱とした。
アメリカ=イギリス戦争, イギリス, 綿工業, 綿花
10
オランダは、19世紀にインドネシア全域に植民地支配を拡大させ、コーヒーやサトウキビ、藍などの( )を導入して、莫大な利益をあげた
強制栽培制度
11
南京条約により清は広州や上海など5港を開港し、イギリスに( )を割譲し、賠償金を支払った。 また翌年、領事裁判権や一方的な ( )を認め、関税自主権がない不平等条約が結ばれた。 アメリカ合衆国、フランスとも同様の条約が結ばれた
香港島, 最恵国待遇
12
アメリカ合衆国は、( )からルイジアナ地域を購入した。 また、テキサスを編入したのち、アメリカニメキシコ(米墨)戦争(1846~48年)で ( )地域も獲得し、大陸を横断する国家となった。
フランス, カリフォルニア
13
スペインによって支配されていた( )は、自由貿易を求める欧米諸国の圧力により、1834年にマニラを正式に開港した。 その後、輸出向け商品作物の生産が広がり、( )の大土地所有制が成立した
フィリピン, プランテーション
14
中国の清は諸外国との外交関係を皇帝への朝貢として捉え、ヨーロッパの船の来航は恩恵的に( )に限って認めていた。
広州
15
アメリカ合来国では、南北戦争前後に( )が開通し、西部では( )が発達した。北部では( )がいっそう発展し、南部にも浸透した。
大陸横断鉄道, 農業, 工業
16
19世紀初めに( )がヨーロッパ各国で禁止されると、アメリカ大陸への移民はヨーロッパ系がほとんどを占めるようになった。19世紀には、18世紀までとは比較にならないほど多くの人々が大西洋を渡った
奴隷貿易
17
エジプトでは、ナポレオン遠征後の混乱期に( )がエジプト総督となって統治の実権を握り、( )や専売制を導入し、富国強兵と殖産興業の政策を進めた。 しかし、オスマン帝国とイギリスとの通商条約が属州のエジプトにも適用されたため、自立的な経済発展の道は閉ざされた。
ムハンマド=アリー, 徴兵制
18
インドでは、ムガル帝国の衰退が進む一方でヨーロッパ勢力の進出が進み、19世紀半ばまでには、イギリスの( )がインド全域を制圧しインドの植民地化を完成させた。
東インド会社
19
ベトナムでは、1802年に阮福暎がフランス人の協力のもとで( )を建てたが、フランスは、1858年にベトナム南部のサイゴンを占領した。
阮朝
20
1876年末、オスマン帝国は大宰相ミドハト=パシャの起草した( )(ミドハト憲法)を発布し、二院制議会を設けたが、議会の急進化を恐れたスルタンの( )は、ロシア=トルコ戦争を理由に1878年に議会を停会させた。
オスマン帝国憲法, アブデュルハミト2世
21
1876年末、オスマン帝国は大宰相ミドハト=パシャの起草したオスマン帝国憲法( )を発布し、二院制議会を設けたが、議会の急進化を恐れた( )のアブデュルハミト2世は、( )を理由に1878年に議会を停会させた。
ミドハト憲法, スルタン, ロシア=トルコ戦争
22
インドでは、1857年にインド人補兵=( )による反乱が、北インド全域に広がった。イギリスはこれを鎖すると、東インド会社を解散してインドの直接支配を始めた。
シパーヒー
23
ラテンアメリカでは、入植者の子孫で富裕な地主階層である( )が、本国から派遣される植民地官係や、本国の( )による貿易統制に不満をもち、本国からの独立をめざした。
クリオーリョ, 重商主義
24
ナポレオン戦争後のオスマン帝国の領域をめぐる国際紛争は、ヨーロッパでは 「( )」と呼ばれた。
東方問題
25
エジプトで、外国の支配に反抗して軍人の( )が「( )」をスローガンに立ちあがると、イギリスはエジプトを軍事占領して、保護下においた。
ウラービー, エジプト人のためのエジプト
26
19世紀初めから19世紀末にかけて、大量の移民などによりアメリカ合衆国の人口が約( )倍に増え、領土が拡張されていくにしたがって、先住民は居住地を奪われ、西部に( )させられた。
15, 強制移住
27
イラン出身の( )は、列強の帝国主義を鋭く批判するとともに、ムスリムの覚醒と連帯を訴えた=( )。
アフガーニー, パン=イスラーム主義
28
北部を中心とする奴隷制反対派が共和党を結成して( )を大統領に当選させると、南部諸州は( )を結成し、 ( )(1861~65年)が始まった。
リンカン, アメリカ連合国, 南北戦争
29
南北戦争は当初、( )が優勢であったが、リンカンが( )を発して国際世論に訴え、工業力にもすぐれていた( )が最終的に勝利した。
南部, 奴隷解放宣言, 北部
30
オスマン帝国は、列強の学を排除して近代国家をめざすため、1839年に司法・行政・財政・軍事・教育にわたる大規模な西欧化改革=( )を開始したが、一方でヨーロッパ資本の進出が急速に進んだ。
タンジマート
31
タイは、ラーマ4世の時代にイギリスとポーリング条約(1855年)を締結し、自由貿易を行うようになった。( )は、イギリスとフランスの勢力均衡策を利用してタイの独立を維持し、近代化を進めた
チェラロンコン
32
オランダは、19世紀にインドネシア全域に植民地支配を拡大させ、( )や( )、( )などの強制栽培制度を導入して、莫大な利益をあげた
コーヒー, サトウキビ, 藍
33
イギリスは、自由貿易のもとで輸出が増えることに期待を寄せて、ラテンアメリカ諸国の独立運動を支援した。一方、アメリカ合国は( )を発して、南北アメリカ大陸とヨーロッパの相互をとなえた
モンロー宣言
34
ベトナムの宗主権を主張する清とフランスとの間に、清仏戦争が起きたが、1885年の( )でベトナムはフランスの保護国となり、すでに保護国となっていたカンボジアと合わせて、1887年に( )が成立した
天津条約, フランス領インドシナ連邦
35
エジプトはフランス人の建設計画に許可を与えて( )を建設したが(1869年開通)、巨額の積務を負い、イギリス・フランスの財務管理下におかれ、内政の支配も受けるようになった。
スエズ運河
36
アメリカ合衆国は、フランスから( )地域を購入した。 また、( )を編入したのち、 ( )戦争(1846~48年)でカリフォルニア地域も獲得し、大陸を横断する国家となった。
ルイジアナ, テキサス, アメリカ=メキシコ(米墨)
37
「新大陸」発見から18世紀末まで、多数のヨーロッパ人がアメリカ大陸に入植したが、それよりもはるかに多数の奴隷が( )から送られた。
アフリカ
38
イギリスは中国からの茶の代価としてインド産のアヘンを中国に密輸し、インドにイギリス製綿織物を輸出する( )をおこなった。そのため、中国ではアヘンの中毒者が増え、アヘン輸入の拡大で、( )が流出するようになった
三角貿易, 銀