問題一覧
1
第二次世界大戦の開始はいつ?
1939年
2
第二次世界大戦勃発の背景は
ドイツがポーランド侵攻開始
3
ドイツもポーランド侵攻を開始したあと、( )もポーランド侵攻
ソ連
4
第二次世界大戦の経過において、( )併合と( )戦争がある
ソ連のバルト三国、ソ連=フィンランド
5
ソ連のバルト三国併合とソ連=フィンランド戦争によって( )はソ連を【除名】
国際連盟
6
大戦の拡大について、ドイツの( )・( )・( )・( )・( )侵攻
デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー、フランス
7
ドイツのデンマーク・ノルウェー・オランダ・ベルギー・フランス侵攻の際に、イギリスで( )が辞職→( )挙国一致内閣の成立
ネヴィル=チェンバレン内閣、チャーチル
8
大戦の経過について、ドイツ軍の( )占領→( )
パリ、フランス降伏
9
フランス降伏後、2つの勢力に分断し、あるひとつが( )を ( )派
自由フランス政府、抗戦
10
自由フランス政府により、仏( )将軍がロンドンに樹立→ドイツへの( )を指導
ド=ゴール、レジスタンス
11
フランス降伏から抗戦派ともう一つの派閥は( )で( )を唱えた
傀儡政権、ヴィシー政府
12
傀儡政権はフランスの( )将軍が南フランスに樹立した
ペタン
13
1940年6月に( )参戦
イタリア
14
1940年9月に( )の成立がある
日独伊三国同盟
15
1941年に( )がある
ドイツのバルカン侵攻
16
アメリカで( )法の成立
武器貸与
17
1941年4月にドイツの( )がある→( )の成立
バルカン制圧、日ソ中立条約
18
1941年6月に( )の開始がある
独ソ戦
19
1941年8月に( )で戦後の平和構想されてのはなに
大西洋憲章、大西洋上会談
20
大西洋上会談では( )で戦後構想の原則として確認された
連合国共同宣言
21
太平洋戦争の背景は
真珠湾攻撃
22
日本の真珠湾攻撃で最大の中立国( )参戦→( )
アメリカ、独伊の対米宣戦
23
太平洋戦線では1942年6月に日本がアメリカに( )したのはなに
敗北、ミッドウェー海戦
24
ミッドウェー海戦によって( )撤退
ガダルカナル島
25
1942年8月から1月にドイツ軍が( )に大敗してのはなに
ソ連軍、スターリングラードの戦い
26
連合国の( )上陸→( )、( )降伏(43.9)
シチリア島、ムッソリーニ失脚、イタリア
27
1943年11月に( )会談の開催→カイロ宣言で日本は( )・( )・( )を( )に返還、( )の独立
カイロ、満州、台湾、澎湖諸島、中国、朝鮮
28
1943年11月から12年に( )の開催→連合軍の( )を決定
テヘラン会談、北フランス上陸作戦
29
第二次世界大戦の終結について、( )上陸→44年8月に( )
ノルマンディー、パリ解放
30
1945年2月に( )会談の開催
ヤルタ
31
第二次世界大戦の終結について、ベルリン陥落→( )(45.5)
ドイツ降伏
32
1945年7月に( )会談の開催
ポツダム
33
1945年8月にアメリカが( )・( )に原爆投下
広島、長崎
34
日本のポツダム宣言受諾→( )(45.8月)
日本降伏
35
1940年7月に( )構想を発表
大東亜共栄圏
36
1940年9月に( )へ進駐→日中戦争が長期化していることの原因を( )だと考えた
北部フランス領インドシナ、援蔣ルート
37
1941年4月は( )の締結がある→ベトナム( )への軍隊派遣
日ソ中立条約、南部
38
( )の開始
真珠湾攻撃
39
日本軍が( )で敗北(1942年6月)
ミッドウェー海戦
40
南太平洋のソロモン諸島の( )をアメリカに奪われる
ガダルカナル島
41
第一次世界大戦後、日本の委任統治領となっていた地域である( )の陥落
サイパン島
42
ヤルタ会談によって( )+翌日に満州に攻め込んだ(8月8日)
ソ連が日本に宣戦
43
日本が無条件降伏の意思を示した→何月何日→( )を表明した
8月15日、ポツダム宣言の受諾
44
冷戦の概要として直接交戦することはなかったが( )、( )にそれぞれ代表される二つの世界があらゆる面で厳しく対立した第二次大戦後の世界情勢
西側=アメリカ合衆国、東側=ソ連
45
1946年( )演説byイギリス元首相( )→( )から( )まで【鉄のカーテン】が下りていると表した
鉄のカーテン、チャーチル、シュテッティン、トリエステ
46
1947年に( )の発表で( )と( )への援助→( )
トルーマン=ドクトリン、ギリシア、トルコ、共産主義の拡大阻止
47
1947年に( )発表がある→アメリカによる欧州への経済援助→( )
マーシャル=プラン、共産主義の増加阻止
48
( )(共産党情報局)の成立で( )・( )・( )・( )で結成
コミンフォルム、ソ連、東欧、仏、伊の共産党
49
1948年に( )がある→( )の成立→西側陣営に衝撃→( )・( )・( )は( )条約を締結
チェコスロヴァキア=クーデタ、共産主義政権、英、仏、ベネルクス3国、ブリュッセル
50
ブリュッセル条約は( )の西ヨーロッパ連合条約
反ソ軍事同盟
51
ベルリン封鎖の契機は西側占領地区( )
通貨改革
52
西側占領地区通貨改革でソ連が反発し( )を封鎖
西ベルリン
53
西側占領地区通貨化企画で米・英・仏は( )で対抗
ベルリン空輸
54
西ドイツは資本主義の国である( )で、初代党首は( )である
ドイツ連邦共和国、アデナウアー
55
東ドイツは( )国である
ドイツ民主共和
56
1949年に( )(NATO)の結成→( )(米中心)
北大西洋条約機構、反ソ軍事同盟
57
NATOに対して社会主義陣営は( )【東ヨーロッパ相互援助条約】(1955)で対抗
ワルシャワ条約機構
58
1949年に( )【コメコン】の成立→ソ連・東欧諸国の( )である
経済相互援助会議、経済協力
59
1950から53年に( )戦争で( )(共産主義)vs( )(資本主義)→( )の軍事境界線は南北分断
朝鮮、北朝鮮、韓国、北緯38度線
60
トルーマンの政策はなに
封じ込め政策
61
マーシャル=プランはアメリカ中心の( )である
ヨーロッパ復興援助計画
62
マーシャル=プランの結果として、西側諸国は受け入れ、( )が設立された
OEEC
63
OEECの正式名称は
ヨーロッパ経済協力機構
64
第二次世界大戦後、ドイツは( )に従い4か国に分割占領された
ポツダム協定
65
緊張緩和( )
雪解け
66
1953年に( )の死がある→第一書記に( )就任
スターリン、フルシチョフ
67
緊張緩和の時代、1955年に( )がある→( )の開始
ジュネーヴ4巨頭会談、雪どけ
68
ソ連共産党第20回大会→( )・( )提唱byフルシチョフ
スターリン批判、平和共存政策
69
1956年に( )解散がある
コミンフォルム
70
1959年に( )訪米がある→( )で( )(米)と会談
フルシチョフ、キャンプ=デーヴィッド、アイゼンハワー
71
スターリン批判で共産党の公式見解である( )がある
戦争不可避論
72
戦争不可避論で( )が打ち出された
平和共存路線
73
1954年に( )会談がある→( )の採択
ネルー・周恩来、平和五原則
74
アジア=アフリカ会議である( )で平和十原則の採択を行った
バンドン会議
75
1961年にユーゴスラヴィアのベオグラードで開催されたのは
非同盟諸国首脳会議
76
米偵察機がソ連上空で撃沈されたのはなに
U2型機事件
77
1962年の( )は( )後に、キューバが( )を宣言
キューバ危機、キューバ革命、社会主義
78
キューバ危機はなにをしたもの
ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設
79
キューバ危機でソ連がキューバに核ミサイル基地を建設をし、( )が非難し海上封鎖
ケネディ
80
地下以外での核実験の禁止を決めた1963年に( )が調印したのはなに条約b
米・英・ソ、部分的核実験禁止条約
81
部分的核実験禁止条約で( )と( )はこの条約に従わなかった
フランス、中国
82
多極化でなにがおきた
米・ソの指導力の低下
83
多極化の流れにおいて、( )政権の独自路線がある
ド=ゴール
84
ド=ゴール政権では( )(1964年)、NATOの( )から脱退がある
中国承認、軍事機構
85
米・ソに対抗する第三の経済圏は( )である
ヨーロッパ共同体
86
チェコ事件で( )をワルシャワ条約機構軍が弾圧
プラハの春
87
中ソ国境で武力衝突したのはなに
中ソ対立の激化
88
アメリカの威信低下と財政危機に陥ったのはなに
ベトナム戦争
89
1970年代は緊張緩和( )
デタント
90
( )によるデタント外交→( )の実現(1972年)→第一次( )【SALTⅠ】
ニクソン、ニクソン訪中、戦略兵器制限交渉
91
第二次冷戦ではソ連の【 】がある
アフガニスタン侵攻
92
第二次冷戦では( )(米)の( )→( )を提唱
レーガン、対ソ強硬路線、戦略防衛構想
93
レーガン大統領はソ連などの社会主義勢力に対抗するための( )を増大された
軍拡予算
94
レーガンの時代のアメリカは( )+( )を抱えていた
国家財政の赤字、貿易収支の赤字
95
ソ連はレーガンの軍拡に付き添い、アメリカ以上に経済は破綻→西側との交流の中で市場経済の導入を含む( )が求められた
抜本的な改革
96
冷戦の終結において、ソ連の書記長に( )就任→( )で米に接近
ゴルバチョフ、新思考外交
97
冷戦の終結において、1987年になにが締結された
中距離核戦力全廃条約
98
冷戦の終結において、ソ連が( )撤退
アフガニスタン
99
冷戦の終結において、東欧革命で( )と東欧諸国の( )の崩壊
ベルリンの壁開放、共産党独裁体制
100
冷戦の終結において、【1989年】に( )会談で( )と( )の会談→( )宣言
マルタ、ブッシュ、ゴルバチョフ、冷戦終結宣言