問題一覧
1
世界恐慌の勃発何年
1929年
2
世界恐慌の理由として、アメリカで作った工業製品・農業製品を( )して利益を出していた→好景気の中で、( )の世の中へと変化した
ヨーロッパへ販売、大量生産・大量消費
3
世界恐慌前の問題として、( )が生じ、商品の売れ残りが生じていた
過剰な生産による流通過多
4
最終的には何年何月何日にどこのニューヨーク証券取引所で何が起こった
1929年10月24日にウォール街で株価が大暴落した
5
恐慌の背景として、( )の不振があり、農家に大きなダメージを与え、( )させた
アメリカ農業、消費意欲を減退
6
恐慌の背景として、( )の不振がある、労働力のあるアジアでは安い商品を作りやすく、アメリカ商品の( )が悪化した
工業、売り上げ
7
恐慌の背景として、農家・労働者が困窮し、( )した
国内市場が縮小化
8
世界恐慌の広がりについて、アメリカは( )になっていたため、世界各地へと恐慌が拡大した
世界最大の債権国
9
アメリカの1929年から33年まで( )党の( )が大統領に就いていた
共和、フーヴァー
10
フーヴァーの時代の出来事として、大恐慌の発生→ヨーロッパ諸国に恐慌波及( )除く→世界恐慌へ
ソ連
11
【独の賠償・英仏の戦債支払いを一年間猶予】したものを( )という
フーヴァー=モラトリアム
12
フーヴァーのあとに就いた( )党の人物はだれ
民主、フランクリン=ローズヴェルト
13
フランクリン=ローズヴェルトの政策として、( )の実施がある
ニューディール政策
14
ニューディール政策とは?
国家が経済に介入・統制を行う修正資本主義
15
ニューディール政策の修正資本主義はイギリスの( )を採用
ケインズ
16
フランクリン=ローズヴェルトの政策として、政府が( )する政策である( )がある→( )判決
農業生産を調整、農業調整法、違憲
17
農業調整法の別名は?
AAA
18
ニューディール政策の一環として政府が( )を調整したのはなに?→( )判決
企業の生産、全国産業復興法、違憲
19
全国産業復興法の別名は?
NIRA
20
1933年に制定されたニューディール政策の一環である政府企業による総合開発と( )の( )がある
失業者救済、テネシー川流域開発
21
テネシー川流域開発の別名は?
TVA
22
ニューディール政策の一環である、( )・( )→( )(CIO)成立があるのはなに
労働者の団結権、団体交渉権保証、産業別組織会議
23
ニューディール政策の一環である、1935年に失業保険・退職金・老年年金支給の保証はなに
社会保障法
24
フランクリン=ローズヴェルトの政策として、( )の実施がある
善隣外交
25
善隣外交とは高圧的な( )から改め、( )を模索したもの
カリブ海政策、ラテンアメリカ地域との友好関係
26
善隣外交によって【1934年】に( )の承認を行った=( )の破棄
キューバ独立、プラット条項
27
フランクリン=ローズヴェルトは【1933年】に( )の承認を行った
ソ連
28
フランクリン=ローズヴェルトは【1933年】に( )の停止をした
金本位制
29
ニューディール政策について、政府が積極的に( )・( )を行い、恐慌対策を行った
生産調整、市場拡大
30
善隣外交の理由として、恐慌時に( )することを防ごうとしたから
ラテンアメリカ諸国が社会主義化
31
金本位制を停止することで、どのような変化があるのか
ドルの流出が防止される、紙幣の増刷が可能になる
32
イギリスの第二次( )【労働党内閣】は恐慌の対策としての( )で労働党の反対を受け総辞職
マクドナルド、失業保険削減問題
33
1931から35年に【保守党・自由党を連携した】( )ができる
マクドナルド挙国一致内閣
34
マクドナルド挙国一致内閣では【1931年】に( )の停止をしている
金本位制
35
マクドナルド挙国一致内閣では【1931年に】( )の制定をしている→( )の成立
ウェストミンスター憲章、イギリス連邦
36
マクドナルド挙国一致内閣において、1932年に( )の開催がある→( )の採用→( )形成
オタワ連邦会議、ブロック経済、スターリング=ブロック
37
フランスの植民地経済会議において、( )の採用により( )を形成
ブロック経済、フラン=ブロック
38
世界恐慌下のフランスにおいて、( )の進出に対抗したのは( )条約である
ナチス、仏ソ相互援助
39
世界恐慌下のフランスにおいて、1935年に( )・( )・( )の協力で( )が成立
社会党、急進社会党、共産党、フランス人民戦線
40
フランス人民戦線の首相は
ブルム
41
ソ連の承認と人民戦線について( )の実施が背景にある
再軍備
42
ソ連の承認と人民戦線の成立において、1935年の( )で世界共産主義運動の方針として( )をとることを決定
コミンテルン第7回大会、反ファシズム人民戦術
43
ナチスの活動の背景は?
第一次世界大戦にドイツは敗北
44
ナチスの活動について、屈辱的な講和条約を結ぶも、右派は( )であると【反発】
押し付けられたもの
45
ナチスの活動の流れについて、1919年に( )の結成→( )が入党
ドイツ労働者党、ヒトラー
46
ナチスの活動の流れについて、1920年に( )【ナチ党】と改称
国民社会主義ドイツ労働者党
47
ナチスの活動の流れについて、25か条綱領の採択がある→( )・( )・( )・( )を提唱
ヴェルサイユ条約破棄、ドイツ民族の優越、植民地再分割、ユダヤ人排斥
48
ナチスの活動の流れについて、ヒトラーが党首に就任→( )・( )の創設
突撃隊、親衛隊
49
ナチスの活動の流れについて、1923年に( )があった
ミュンヘン一揆
50
ミュンヘン一揆の契機は( )による( )の進展→ヴァイマル政府の打倒をめざす→失敗し( )
ルール占領、ハイパーインフレーション、ヒトラー逮捕
51
ナチスの活動の流れについて、ヒトラーは獄中で( )を口述筆記
わが闘争
52
1925年からまでついていた大統領はだれ
ヒンデンブルク
53
ヒンデンブルク大統領の時に( )の発生がある
世界恐慌
54
( )の発動によって少数派内閣が短命で交代→ナチ党・共産党の台頭
大統領緊急令
55
ナチ党はどんな人で構成されていた
革命を恐れた都市の中産階級、大資本家
56
ドイツ共産党はどんな人々で構成されていた
労働者階級
57
【1932年】に( )が【第一党に】
ナチ党
58
ヒトラー内閣の成立において、1933年に( )がおきる
国会議事堂放火事件
59
国会議事堂放火事件によってどうなった
共産党を非合法化・解散
60
1933年に( )法でヒトラー政府に( )=( )
全権委任、立法権、ヴァイマル憲法停止
61
全権委任法で( )の成立がある
第三帝国
62
1933年に秘密警察( )の創設by( )
ゲシュタポ、ゲーリング
63
1934年にヒトラーの( )就任
総統
64
ヒトラーの総統就任の背景において、( )の死後、大統領権限を合わせて独裁体制を確立
ヒンデンブルク
65
ヒトラー総統就任後の経済政策において、( )→高速道路( )の建設がある
失業者救済、アウトバーン
66
ヒトラー総統就任後の経済政策において、1936年から( )の実施がある
四ヵ年計画
67
ヒトラー総統就任後にユダヤ人迫害が始まり、1935年の( )で市民権はく奪→( )でユダヤ人商店を破壊
ニュルンベルク法、水晶の夜
68
強制収容所の設置において、ポーランドの( )などがある→( )を行い大量殺戮
アウシュヴィッツ、ホロコースト
69
ヒトラーのユダヤ人迫害によって、( )・( )・( )らが亡命
アインシュタイン、トーマス=マン、ヘルマン=ヘッセ
70
社会民主党をファシズムと同様にとらえた思想をなんという
社会ファシズム論
71
社会ファシズム論で社会主義勢力が( )をとることは、【資本協力していると断定】
社会民主主義路線
72
暴力革命を否定し、議会制民主主義の枠内での政権獲得による社会改良を目指す路線を何という
社会民主主義路線
73
ニュルンベルク法では都市の中に( )を設定した
ユダヤ人強制移住地域ゲットー
74
ナチス=ドイツは【1933年】に( )を脱退
国際連盟
75
1934年に( )が国際連盟に加盟
ソ連
76
ナチス=ドイツの強硬外交について、【住民投票】( )編入
ザール地方
77
ナチス=ドイツの強硬外交について、1935年に( )→( )復活→( )
再軍備宣言、徴兵制、ヴェルサイユ条約の破棄
78
ナチス=ドイツの強硬外交について、1936年に( )がある→( )で非武装で決まっていたドイツとフランスの国境地域
ラインラント進駐、ロカルノ条約
79
1931年にスペイン内政の勃発により→( )の成立
共和政
80
スペインの共和政成立の背景において、( )の開催がある→スペインで( )の成立がある→自由主義者( )の指導
コミンテルン第七回大会、人民戦線内閣、アサーニャ
81
スペイン内戦の勃発において、右派軍人( )将軍の反乱→内戦へ( )と( )は【不干渉】
フランコ、イギリス、フランス
82
フランコ側は( )と( )の支援→( )
ドイツ、イタリア、ファシズム
83
政府側は( )・( )の支援→( )
ソ連、国際義勇軍、反ファシズム
84
スペイン内戦の結果は
フランコ反乱軍の勝利
85
国際義勇軍の参加において、( )などがいる
ヘミングウェイ
86
ヘミングウェイの代表作
誰がために鐘は鳴る
87
スペイン内乱をテーマに( )が【ゲルニカ】を描いた
ピカソ
88
ヨーロッパ諸国の動きについて、ナチス=ドイツの脅威に対抗したのは1935年に制定された( )である→ドイツの( )を警戒 ※( )破棄の動き
仏ソ相互援助条約、ラインラント進駐、ロカルノ条約
89
ナチス=ドイツの再軍備を容認したのはなに→( )政策
英独海軍協定、対ドイツ宥和
90
1935年にイタリアの( )侵攻により、( )の成立
エチオピア、ベルリン=ローマ枢軸
91
満州事変により、【1933年】に日本が( )を脱退 →ドイツと日本の接近→【1936年】に( )を締結
国際連盟、日独防共協定
92
1937年に( )の成立がある→同年に( )の【国際連盟脱退】
三国防共協定、イタリア
93
ナチス=ドイツの東欧侵略において、【1938年】に( )を併合している
オーストリア
94
ナチス=ドイツの東欧侵略において、1938年に( )で( )の【割譲要求】の承認
ミュンヘン会談、スデーテン地方
95
1939年に( )解体によりポーランドへ( )・( )の割譲要求
チェコスロヴァキア、ダンツィヒ、ポーランド回廊
96
ドイツとソ連の利害は一致したのはなに条約
独ソ不可侵条約
97
ミュンヘン会談では( )・( )・( )・( )が集まった
ドイツ、イタリア、イギリス、フランス
98
なぜソ連は敵であるドイツと条約を結んだのか
イギリス・フランス・ソ連に挟み撃ちにされる可能性を考えたから
99
スターリンはなぜヒトラーと手を結んだのか
ソ連もドイツと日本との間で、挟み撃ちになるのを恐れていたから
100
独ソ不可侵条約で何が決められた
ポーランドは分割して支配することが決められた