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世界史探究 イギリス革命
  • 諸星柊悟

  • 問題数 20 • 4/7/2024

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    問題一覧

  • 1

    1603( )死、( )断絶 ※( )(1542〜1587、スコットランド女王位1561〜1568) 幼少よりフランスで育ちフランソワ2世と結婚。死別後、帰国し女王となる。しかし、カトリック復活を図ったりしたため廃位されイングランドへ逃れた。そこでもエリザベス1世に19年間軟禁された後1587年に処刑された。

    エリザベス1世, テューダー朝, メアリ=ステュアート

  • 2

    1603〜1714( ) ・・・スコットランド王家(( ))

    ステュアート朝, イングランド=スコットランド同君連合

  • 3

    ・1603〜1625( )(1567〜スコットラ  ンド王) ・1625〜1649( ) ・・・ともに( )をとなえて議会を無視、  ( )の強制 ←→議会の富農・市民階級にカルヴァン派(=( ))多い  →彼らを弾圧(→1620( )新大陸へ)

    ジェームズ1世, チャールズ1世, 王権神授説, 国教会, ピューリタン, メイフラワー号

  • 4

    1628( )(Petition of Rights) ・・・議会が国王に提出  議会の承認なしでの課税は不可  法律によらずに国民を逮捕できない  →国王は議会解散(1640まで召集せず)

    権利の請願

  • 5

    1639( )・・・( )への強制に反抗

    スコットランド反乱, 国教会

  • 6

    1640 王は戦費調達のため議会を召集   ←→議会は王の失政批判    →王はただちに議会解散(( ))    1640〜1653しかし再び議会召集    (( )) 1641( )・・・議会が王に反省要求

    短期議会, 長期議会, 大諫奏

  • 7

    1642〜1649( ) ・・・内乱(The Civil War)始まる 王党派・・・貴族・特権的大商人など、( )     イングランド( )・( )     (中心都市( )) 議会派・・・独立自営農民・新興商工業者など     ( )     イングランド( )     (中心( )、北部( ))

    ピューリタン革命, 国教徒, 北部, 西部, ヨーク, ピューリタン, 東南部, ロンドン, マンチェスター

  • 8

    はじめ王党派優勢 議会派の内紛 ・( )・・・国王と妥協的、地主・大商人 ・( )・・・徹底抗戦主張、中産階級、指導      者( ) ・( )・・・( )以上に革命的、貧農・手      工業者

    長老派, 独立派, クロムウェル, 水平派, 独立派

  • 9

    1644( )・・・( )率いる( )の勝利      (生まれではなく才能で階級昇       進、命令・給与は議会から) 1645( )・・・王を捕虜とする

    マーストン=ムーアの戦い, クロムウェル, 鉄騎隊, ネーズビーの戦い

  • 10

    1649( )が( )と結び( )排除   ( )を処刑する   =英国史上唯一の( )時代   (Commonwealth、〜1660)   のち、( )を弾圧

    クロムウェル, 水平派, 長老派, チャールズ1世, 共和政, 水平派

  • 11

    クロムウェル執政時代 1649〜1650 ( )征服(農民から土地没収)、さらに( )へも侵攻

    アイルランド, スコットランド

  • 12

    1651( )制定 ・・・( )の中継貿易に打撃を与えるため 英国の輸入するヨーロッパ以外の地域の産物は英国の船で輸送する 英国が輸入するヨーロッパ産物は、英国、産出国、又は最初の積出国の船で輸送   ↓ 1652〜1654 第1次( ) (第2次1665〜1667、第3次1672〜1674) →イギリスの世界商業覇権確立

    航海法, オランダ, 英蘭戦争

  • 13

    1653( )が( )(Lord Protector)に   就任、議会を開かず軍事独裁 1658( )死、子の( )が( )就任    →独裁に対する反発、( )復活、    ( )と妥協

    クロムウェル, 護国卿, クロムウェル, リチャード, 護国卿, 長老派, 王党派

  • 14

    1660( ) 1660〜1685( )(チャールズ1世の子) フランスから帰国に際して( )を発し、議会もこれを承認 王と議会との和解の上に成り立つ王権になるはずだったが 議会・・・( )から( )に改宗し、国王と    協調を図るが     ↓↑ 国王・・・フランスの影響で( )の復活を図    り絶対主義

    王政復古, チャールズ2世, ブレダ宣言, ピューリタン, 国教会, カトリック

  • 15

    議会の王権への抵抗 1673( )(The Act) ・・・官吏・議員は( )に限る 1679( )(Habeas Corpus Act) ・・・不当な逮捕・投獄から国民を保護

    審査法, 国教徒, 人身保護法

  • 16

    王位継承問題と政党の形成  ( )に嫡子なく、カトリック教徒の弟( )が相続人に (→審査法で海軍総司令官解職)   ↓ ・( )  ・・・( )と同時にジェームズの王位継承   排斥法案提出 ・( )  ・・・王位継承排斥法案に反対(上院で否   決)、ジェームズ即位を擁護

    チャールズ2世, ジェームズ, ホイッグ党, 人身保護法, トーリ党

  • 17

    1685〜1688( )即位 ・・・( )復活、専制政治  第2王妃に王子出生、カトリック王家の存続が決定的になる

    ジェームズ2世, カトリック

  • 18

    1688( )(Glorious Revolution) ウィッグ・トーリー両党協調、第1王妃長女メアリと、夫オランダ総督オラニエ公ウィレムを招請 ウィレム&メアリ夫妻、英に上陸 ジェームズ2世はフランスに亡命 →( )達成

    名誉革命, 無血革命

  • 19

    1689/2月 議会が( )(Declaration of Rights)を議決 1689〜1720( )、1689〜1694( ) ・・・共同統治者として即位

    権利の宣言, ウィリアム3世, メアリ2世

  • 20

    1689/12月( )(Bill of Rights)を発布 正式名称「イギリス人民の権利と自由を宣言し並びに王位継承を定める法律」 ・13項にわたる「古来の権利と自由」の確  認 ・国王は必ず新教徒であること ※初め両党連立内閣を組織させたが、後、議会多数党が内閣を組織する政党内閣制へ ※イングランドとオランダの同君連合状態は、ウィリアムの死後解消

    権利の章典