問題一覧
1
不平士族の不満を外征に向けるため、〈 〉が唱えられたが、1873年に否決され、征韓派は一斉に下野した。これを明治六年の政変という。
征韓論
2
不平士族の不満を外征に向けるため、征韓論が唱えられたが、1873年に否決され、征韓派は一斉に下野した。これを〈 〉という。
明治六年の政変
3
征韓論で下野した5人の参議とは、薩摩の〈 〉、土佐の〈 〉・〈 〉、肥前の〈 〉・〈 〉である。
西郷隆盛, 板垣退助, 後藤象二郎, 副島種臣, 江藤新平
4
征韓論で下野した5人の参議とは、〈 〉の西郷隆盛、〈 〉の板垣退助・後藤象二郎、〈 〉の副島種臣・江藤新平である。
薩摩, 土佐, 肥前
5
岩倉具視は、征韓派に〈 〉で襲撃された。
赤坂喰違
6
征韓論に敗れて下野した参議たちが、1874年に〈 〉を左院に提出した。
民撰議院設立の建白書
7
征韓論に敗れて下野した参議たちが、〈 〉年に民撰議院設立の建白書を〈 〉に提出した。
1874, 左院
8
民撰議院設立の建白書を提出した参議は、〈 〉・〈 〉・〈 〉・〈 〉である。
板垣退助, 後藤象二郎, 副島種臣, 江藤新平
9
征韓論で下野した参議のうち、〈 〉は民撰議院設立の建白書に参加していない。
西郷隆盛
10
民撰議院を求める人々は、反発的な政府高官による政治を〈 〉といって批判した。
有司専制
11
民撰議院設立の建白書の内容は、英国人ブラックが創刊した「〈 〉」紙上に掲載された。
日新真事誌
12
民撰議院設立の建白書の内容は、英国人〈 〉が創刊した「日新真事誌」紙上に掲載された。
ブラック
13
日本最初の政党は、1874年に形成された〈 〉であったが、その中心人物は、出身地の土佐に帰って〈 〉を設立した。
愛国公党, 立志社
14
日本最初の政党は、〈 〉年に形成された愛国公党であったが、その中心人物は、出身地の〈 〉に帰って立志社を設立した。
1874, 土佐
15
自由民権運動の高まりと共に、土佐の立志社をはじめ全国各地に多くの〈 〉が結成された。
政社
16
各地に自由民権主義を標榜する政社が生まれ、徳島には小室信夫らによる〈 〉、福島には河野広中らによる〈 〉が創立された。
自助社, 石陽社
17
1875年には、大阪で最初の全国的な政治結社である〈 〉が結成された。
愛国社
18
〈 〉年には、〈 〉で最初の全国的な政治結社である愛国社が結成された。
1875, 大阪
19
1875年はじめに〈 〉は、台湾出兵に反対して下野していた〈 〉と共に、板垣退助らに会った。いわゆる〈 〉である。
大久保利通, 木戸孝允, 大阪会議
20
〈 〉年はじめに大久保利通は、〈 〉に反対して下野していた木戸孝允と共に、板垣退助らに会った。いわゆる大阪会議である。
1875, 台湾出兵
21
大阪会議の結果、〈 〉が出され、立憲政治に進むことが示された。
漸次立憲政体樹立の詔
22
大阪会議の結果、立法諮問機関である〈 〉および司法権を行使する最高機関である〈 〉、府知事・県令からなる〈 〉が設置された。
元老院, 大審院, 地方官会議
23
〈 〉は、元老院で編纂された憲法草案で、政府首脳の意向に合わなかったため廃案となった。
日本国憲按
24
日本国憲按は、〈 〉らの反対で廃案となった。
岩倉具視
25
政府は1875年に、〈 〉や〈 〉を制定して自由民権運動をとりしまった。
讒謗律, 新聞紙条例
26
政府は〈 〉年に、讒謗律や新聞紙条例を制定して自由民権運動をとりしまった。
1875
27
讒謗律や新聞紙条例が制定された際、1869年に制定された〈 〉も改正された。
出版条例
28
征韓論で下野した参議の〈 〉が、1874年におこした反乱を〈 〉という。
江藤新平, 佐賀の乱
29
征韓論で下野した参議の江藤新平が、〈 〉年におこした反乱を佐賀の乱という。
1874
30
佐賀の乱の中心となった組織は〈 〉である。
征韓党
31
1876年の〈 〉と〈 〉を直接の契機として不平士族反乱がおこった。
廃刀令, 秩禄処分
32
〈 〉年の廃刀令と秩禄処分を直接の契機として〈 〉がおこった。
1876, 不平士族反乱
33
1876年の不平士族の反乱のうち、熊本でおこった反乱は〈 〉である。
敬神党の乱
34
1876年の不平士族の反乱のうち、〈 〉でおこった反乱は敬神党の乱である。
熊本
35
敬神党の乱の別名
神風連の乱
36
1876年の不平士族の反乱のうち、山口でおこったのは〈 〉である。
萩の乱
37
1876年の不平士族の反乱のうち、福岡でおこったのは〈 〉である。
秋月の乱
38
萩の乱をおこした前参議は〈 〉である。
前原一誠
39
1877年の西郷隆盛を中心とする反乱を〈 〉という。
西南戦争
40
〈 〉年の〈 〉を中心とする反乱を西南戦争という。
1877, 西郷隆盛
41
西郷隆盛は、西南戦争をおこした当時、鹿児島に〈 〉を開いていた。
私学校
42
1878年、〈 〉は東京の紀尾井坂で不平士族に暗殺された。
大久保利通
43
1878年には、近衛兵が西南戦争の論功行賞をめぐって〈 〉をおこし、鎮定されたが、50人以上が死刑となった。
竹橋事件
44
西南戦争の勝敗がほぼ決した頃、立志社の〈 〉は一通の建白書を天皇に提出した。
片岡健吉
45
西南戦争の勝敗がほぼ決した頃、〈 〉の片岡健吉は一通の建白書を天皇に提出した。
立志社
46
1878年に再興された〈 〉は、1880年に大阪で大会を開き、組織名を〈 〉とした。
愛国社, 国会期成同盟
47
〈 〉年に再興された愛国社は、〈 〉年に大阪で大会を開き、組織名を国会期成同盟とした。
1878, 1880
48
政府は1880年に〈 〉を制定して、国会期成同盟を弾圧した。
集会条例
49
北海道開拓使の官有財産を当時の開拓使長官〈 〉が、同郷の薩摩出身の政商〈 〉に非常に有利な条件で払い下げようとした。
黒田清隆, 五代友厚
50
黒田清隆が五代友厚に北海道開拓使の官有財産を非常に有利な条件で払い下げようとしたことを〈 〉事件という。また、五代友厚は、〈 〉を経営していた。
開拓使官有物払下げ, 関西貿易社
51
明治十四年の政変で罷免された〈 〉は、国会の早期開設を主張し、時期尚早派であった〈 〉・〈 〉らと対立していた。
大隈重信, 伊藤博文, 岩倉具視
52
〈 〉で罷免された大隈重信は、国会の早期開設を主張し、時期尚早派であった伊藤博文・岩倉具視らと対立していた。
明治十四年の政変
53
1881年に政府は〈 〉を出して、〈 〉年後の国会開設を約束した。
国会開設の勅諭, 10
54
〈 〉年に政府は国会開設の勅諭を出して、10年後の国会開設を約束した。
1881
55
政府は国会開設の勅諭で〈 〉年までに国会を開設することを約束した。
1890
56
国会開設の勅諭を受けて、1881年に板垣退助を党首とした〈 〉、1882年に大隈重信を党首とした〈 〉が結成された。
自由党, 立憲改進党
57
国会開設の勅諭を受けて、〈 〉年に板垣退助を党首とした自由党、〈 〉年に大隈重信を党首とした立憲改進党が結成された。
1881, 1882
58
国会開設の勅諭を受けて、1881年に〈 〉を党首とした自由党、1882年に〈 〉を党首とした立憲改進党が結成された。
板垣退助, 大隈重信
59
〈 〉は1881年に自由党と改称した。
国会期成同盟
60
国会期成同盟は1881年に〈 〉と改称した。
自由党
61
自由党は〈 (国名)〉流急進論を唱え、立憲改進党は〈 (国名)〉流穏健論を唱えた。
フランス, イギリス
62
東京日日新聞の社長の〈 〉が1882年に結成した政党は〈 〉である。
福地源一郎, 立憲帝政党
63
〈 〉の社長の福地源一郎が1882年に結成した政党は立憲帝政党である。
東京日日新聞
64
立憲帝政党には〈 〉も参加した。
丸山作楽
65
明治前期の憲法私案のことを総称して〈 〉という。
私擬憲法
66
「日本憲法見込案」は〈 〉の私擬憲法である。
立志社
67
「〈 〉」は立志社の私擬憲法である。
日本憲法見込案
68
「私擬憲法案」は〈 〉の私擬憲法である。
交詢社
69
「〈 〉」は交詢社の私擬憲法である。
私擬憲法案
70
「東洋大日本国国憲按」の起草者は〈 〉である。
植木枝盛
71
「〈 〉」の起草者は植木枝盛である。
東洋大日本国国憲按
72
千葉卓三郎が起草した私擬憲法は「〈 〉」とよばれた。
五日市憲法
73
〈 〉が起草した私擬憲法は「五日市憲法」とよばれた。
千葉卓三郎
74
五日市憲法の別名
日本帝国憲法