問題一覧
1
古代ギリシアでは、ポリスができた。 アテネでは、A民主制が発達した。 世界の仕組みを神話で説明するB的世界観をホメロスやヘシオドスが作ると、次第にCが信頼を得るようになり、E的世界観が形成された。 身の回りの家事は奴隷が行うため、間暇があったことで、このように哲学を考える時間があったのである。
直接, 神話論, 理性
2
自然哲学は、アルケーを求める学問である。 ヘラクレイトスはAを(Bの名言で知られる)、アナクシメネスはCを求めた。ヘラクレイトスに対し、物事は変化しない(あるものにはある、あらぬ物にはあらぬ)と提唱したのが、Dである。 そのほか、DをEの例で支持したゼノンが有名。
火, 万物は流転する, 空気, パルメニデス, アキレスと亀
3
アテネでは、ソフィストが現れた。 有名なのは、人間は万物の尺度である、の名言で知られるプロタゴラス。彼は、相対主義的なA主義を唱えた。 また、人それぞれ判断が異なってしまうB主義を唱えたのがCである。彼らが絶対的な社会秩序を否定したことで、専制政治が台頭した。
人間中心, 懐疑, ゴルギアス
4
ソクラテスは、無知を自覚している。彼は、無知の知という点で他の人々より優れ、良き生き方とはなんなのか、善美の事柄(カロカガティア)とは?について研究した。 彼は、無知なふりをして相手の無知を暴くので、皮肉(エイロテイア)と呼ばれた。 ソフィストにとって知者から与えられるとされていた知恵は、彼にとっては生み出すものだった。 彼は、万物は徳(A)を宿すことによって本質を発揮できるとした。 人間にとっての徳とは、BやCやDなどであるとされ、身につけるにはEの世話が必要である。 良き生き方のために、徳とはどのようなものか知り(F)、良い行いをし(G)、そうして良き生き方ができる(H)のである。
アレテー, 美, 善, 正義, 魂, 知徳合一, 知行合一, 福徳一致
5
プラトンは、ソクラテスの弟子で、A主義者である。 彼は、イデアと呼ばれるB的世界観をとった。 完全な存在(イデア)を愛し求める心が、Cであり、それを探求するのが哲学者であるとし、イデアの中で最も優れているのがDのイデアであるとした。 理想国家には、Dのイデアを持つ統治者(哲学者がなるべき)であるとし、これをE政治と呼んだ。プラトンは、魂の三分説を唱え、F、G、Hをそれぞれ満たすべきだとした。(上から)
理想, 二元論, エロース, 善, 哲人, 理性, 気概, 欲望
6
アリストテレスは、A主義的観点からイデアロンを否定し、モノの内部に本質があるとした。 物質的な材料である質料と、モノの本質である形相があり、全てのものは形相の実現を目的していると考えるB的自然観だった。目的を達成する前のものが、Cであり、目的を達したものが現実態であるとした。 人間は、どのようなCであるかというと、最高善である幸福であるという。幸福とは、思慮と、観想、つまり目的達成の手段と客観的判断を組み合わせたD的徳。そして、習慣などによって身につき、中庸であるとするE的徳が求められる。 彼にとっての徳は、知ることだけのためにある知が至高であり、理性を行い物事を深く考えるF的生活が必要なのだ。
現実, 目的論, 可能態, 知性, 倫理, 観想
7
人間は、ポリス的動物である。 生きて行くには、A(フィリア)とBの徳が必要であるとされる。 Bとは、法に従うC的正義と、特定の場合によるD的正義がある。 D的正義においては、成果に応じて報酬を与えるE的正義と、社会の不正を調整するF的正義があるのだ。
友愛, 正義, 全体, 部分, 配分, 調整
8
キプロスのゼノンは、ストア派哲学者で、A主義を唱えた。 彼は、感情に振り回されないB心が理想であるとし、 内なる理性に従い、Cを抑えようとした。 そのためには、Dに従うことが必要である。
禁欲, 不動, 情念, 自然
9
エピクロスは、A主義を目指した。人生には苦痛はいらず、Bの平安こそが必要だとしたのだ。そのためには、世俗から離れ、Cにて隠れて生きることが必要とした。
快楽, 魂, エピクロスの園
10
和辻哲郎曰く、宗教にはA型、B型、C型があるという。
モンスーン, 砂漠, 牧場
11
モンスーン型の宗教であるのが、AやBである。人々は、忍耐的で受動的だ。
仏教, ヒンドゥー教
12
砂漠型の宗教であるのが、AやBだ。対抗的で戦闘的な特徴がある。
イスラーム教, ユダヤ教
13
牧場型の宗教であるのが、Aだ。自発的で合理的である。
キリスト教
14
セム族の宗教は、唯一神で全知全能、人間と同じように心を持つAである。死後の世界観としては、B思想である。
人格神, 終末
15
ユダヤ教において、神が下したAを守ることで、ダビデの子孫、Bが神によって遣わされるとされる。
律法, メシア
16
キリスト教は、ユダヤ教がAの宗教であるのに対し、Bの宗教である。神は全人類に、無償の愛(C)を注いでいる。 凛人愛を実行することで、人にしてほしいことを自分も行う、Dの精神であることができる。 イエスは、愛を歌い、平等な社会、Eを目指した。
裁き, 愛, アガペー, 黄金律, 神の国
17
パウロは元々、律法を遵守するAのユダヤ教徒だったが、サウロ、なぜ私を迫害する?と言うイエスの言葉を聞き、回心。 彼は、人間は生まれながらに罪を負うB思想であるとし、イエスと神を信仰すべきであるとするC説を唱えた。
パリサイ派, 贖罪, 信仰義認
18
アウグスティヌスは、プロティノスの新プラトン主義に触れたことをきっかけに、キリスト教の三つの徳、A、B、Cを唱え、神の恩寵に頼るべきだとした。(Dは悪に流れる)
信仰, 希望, 愛, 自由意志
19
トマス=アクィナスは、スコラ哲学の研究者であり、万物の真理はAであるとするA論を唱えた。つまり、BとCによって明らかになるのだ。
二重真理, 理性, 信仰
20
イスラーム教は、622年、ヒジュラをおこなった。 イスラーム教の法典は、神が掲示したAと、ムハンマドが示した慣行、Bを記録したCがある。聖典は、D語で書かれている。
コーラン, スンナ, ハディース, アラビア
21
ウパニシャット哲学では、万物の根源がAであり、生まれ変わっても変わらない自己がBであるとし、輪廻から抜け出すためにCを唱えた。(一体となる) 次第にバラモン教が衰退すると、Dが現れた。
ブラフマン, アートマン, 梵我一如, 六師外道
22
シャカは、Aという事件を経て、苦しみから抜け出そうとした。 108個の煩悩が苦しみを生み、万物はさまざまな因縁で繋がっていた。(Bの教え)特に、貪り、怒り、愚かさの三つをCと呼ぶ。煩悩に気づけないから、無明に陥るのだ。 彼は、人生は苦しみに満ちている(D)を唱え、 四苦と呼ばれるE、F、G、Hを語った。
四門出遊, 縁起, 三毒, 一切皆苦, 生, 老, 病, 死
23
八苦には、好きなものと離れるA、 嫌いなものと会うB、欲するものから離れられないC、心と体を作るDがある。
愛別離苦, 怨憎会苦, 求不得苦, 五蘊盛苦
24
シャカが語った四つの真理、四法印は、A、B 、C、Dの四つだ。 初めて説法したのが、Eである。
一切皆苦, 諸行無常, 諸法無我, 涅槃寂静, 初転法輪
25
四諦とは、A、B、C、Dの四つである。 相手によって説法内容を変えるE説法、生きる物を慈しむFの精神、自分で修行し悟りを開くGの精神をシャカは唱え、Hを貫くことで中道を目指した。
苦諦, 集諦, 滅諦, 道諦, 対機, 慈悲, 自力救済, 八正道
26
仏教は、慈悲を重視するA部と保守的なB部に分かれた。 A部は北に伝わり、やってはいけないCを守った。全ての生き物(D)を救い、他のものを救うためD行という。悟りを開いたものが菩薩である。彼らはEに励んだ。 一方で、B部では、自分にとっての修行(F)を行い、悟りを得たものはGと呼ばれた。代表者竜樹は、全てのものを実態のないもの、Hであると発言し、アサンガヴァスパントゥ兄弟は、心だけには実態があるとするI論を提唱した。
大衆, 上座, 五戒, 一切衆生, 利他, 六波羅, 自利, 阿羅漢, 無自性, 唯識
27
諸子百家の時代以降、さまざまな思想家が学説を競いあうAの時代が訪れた。孔子は、一人一人の道徳を重視し、欲望を抑えて礼儀を守る、忠(B)とCが重要であるとし、欲望を抑えて礼儀を守ろうとした。 彼が目指したのが、道徳で統治されたD政治の社会である。 君子が徳を持つことで人々も徳を持つ、Eを目指した。
百家争鳴, 誠意, 思いやり, 徳治, 修己治人
28
孟子は、「孟子」という主著でも知られる。彼は性善説を唱え、悪いことをするのはAのことであるとした。また、人間の本質が元々善であることは前提に、Bことが重要であるとした。 彼がBことにしたのが、Cである。成長すると四徳となる。これを持って道徳的実践をしようとするのがDの気、これを持つ人がEと呼ばれる。彼が目指したのが、他者の不幸を見逃せない心であるFの心をGへと、悪を恥じるHの心をIへと、他者を尊重するJの心をKへと、善悪の判断をするLの心をMへと変える力だった。
一瞬, 育てる, 四端, 浩然, 大丈夫, 即隠, 仁, 羞悪, 義, 辞譲, 礼, 是非, 智
29
孟子は、より良い社会に必要な五倫を提唱した。 家族の間のA、君臣の間のB、夫婦の間のC、兄弟の間のD、友人の間のEである。
親, 義, 別, 序, 信
30
荀子は、弟子に李斯や韓非を持つ、A派の代表者である。 人間は生まれながらに自分のBを求めるため、性悪説を唱えた。 君子はそのため、場所や相手を選ばなければならず、国を統治するためには法律ではなくCが必要であるとした。 人に正しい道を歩ませる徳がDであって、教育によってDを身につけることが求められる。 彼曰く、教育などの努力(E)が必要らしい。
礼学, 利益, 道徳, 礼, 偽
31
朱熹は、理気二元論を唱えた。理は人間社会では、Aとして現れるのだ。彼は人間の本性は善であり、社会秩序に従うべきではないとBで唱え、知恵を見につけ、段階的に修己治人を目指すCを提唱した。
秩序, 性即理, 居敬窮理
32
王陽明は、万物をAで著した。善を判断するBによって、良い生き方、つまりCを目指すのだ。そのために行動も必要なため、Dを唱え、日常で自分を磨くEの良さを提唱した。
理一元論, 良知良能, 致良知, 知行合一, 事上磨錬
33
墨子は、A論の立場をとった。彼曰く、最も悪いのはBで、自らの利益追求ゆえだとした。そのためには、Cが必要であるとし、仁がDであるとして批判した。
非攻, 侵略戦争, 兼愛, 別愛
34
老子は、儒教をA廃れて仁義ありと批判した。 彼は、無為自然のほか自然の営みの根源となるタオを唱え、 自給自足を目指すB、他人と争わない生き方、Cを唱えた。 一方で荘子は、人間はもともと一つのものを知恵で判断するため、価値判断は相対的だとするD、それゆえ何にも束縛されないEを唱え、その状態に達したものをFとした。 老師との違いは、他社と社会を形成しない点である。
大道, 小国寡民, 柔弱謙下, 万物斉同, 逍遥遊, 真人
35
ピコ=デラ=ミランドラは、著書Aで知られる。彼は、人間はBで生き方を選べるとした。 マキァヴェリは、主著君主論で知られる。彼は、統治のためにはCが必要であるとするマキァヴェリズムを唱え、法による支配を行うDの道と、力による支配を行うEの道を目指した、リアリズムを持った人だった。
人間の尊厳について, 自由意志, 権謀術数, 人, 獣
36
ルターは、職業は神が与えた天職であるとするAや、信仰の中心をBにする考え、教会を省こうとするC主義、信仰義認説を唱えた。
職業召命観, 聖書, 万人司祭
37
モラルとは、ラテン語のモレス(A・B)が語源である。 モラリストとなったモンテーニュは、C戦争と向き合った。 彼の代表的な言葉が、自分の意見で述べようとするD(私は何を知るか)?である。
習俗, 規範, ユグノー, ク・セ・ジュ
38
自分を正しいのか判断するモラリストの考えは、パスカルに継承された。人は惨めな存在であるとし、偉大でもあるため、Aであるとした。ところが人間は考える時、ネガティブなことばかり考えてしまうため、Bの秩序、Cの秩序、Dの秩序に従わなければならなかった。
中間者, 愛, 精神, 身体
39
ガリレイは、Aの満ち欠けを証明した。ニュートンやケプラーも登場し、近代では、B論的自然観により自然が定義された。 こうして、イギリスのフランシス=ベーコンが新オルガヌム(日本語ではC)を出すと、Dという名言を残し、経験論が台頭した。
金星, 機械, 新機関, 知は力なり
40
経験論において気をつけなければならないのが、四つのAである。これは偏見や先入観のことで、人類という種には共通したBのA、個人特有のCのA、噂や聞き間違いによるDのA、権威に縋ってしまうEのAがあるとされる。 そのために、帰納法が使われるのだ。
イドラ, 種族, 洞窟, 市場, 劇場
41
ロックは、合理論が主張するA観念を否定し、人間はBであり、経験こそ重視すべきであるとした。 唯心論をといて、存在するとはCされていることとしたDは神を信じ、 主著人性論で知られるヒュームは、人間とは、Eの束であるとした。つまり、自分は存在しないのだ。彼は結果、F論に到達した。
生得, タブラ・ラサ, 知覚, バークリー, 知覚, 懐疑
42
デカルトは、A判明な原理を求めようと、方法的Bを行った。彼は我思う、ゆえに我ありを唱え、理性=Cは万人に与えられているとした。 彼が唱えたのが、Dである。精神が、身体から生じるパトスを抑えるのである。
明晰, 懐疑, 良識, 身心二元論
43
スピノザは、主著Aで、デカルトの身心二元論を発達させ、Bを唱えた。彼は、人間ほか全てが神であり、つまりCも神であるとした。 人間の幸福は、現象をDの相のもとにとらえ、神へのEを持つべきであるとした。
エチカ, 汎神論, 自然, 永遠, 知的愛
44
ライプニッツは、主著単子論でAが存在することを主張し、Aは神の言うとおり、つまりB的に動くとした。
モナド, 予定調和
45
カントは、A思想の完成者だ。主著B批判、C批判、D批判は三批判書として知られ、そのほかEを出している。 彼は理性は二つの働きを持つとした。まず、物事を認識するF理性、そしてそれを行動に移すG理性である。その中で、対立する二つの主張がどちらも正しく思えるH(I)が存在する。 彼はJで時間的に物事を認識し、Kを使って物事を枠組みに当てはめるとした。理性には限界があり、知りたい対象をなんでも理解することができるわけではなく、対象は認識に従うとする認識のL的転回を唱えた。なお、F理性(JとKのこと)自体は、生まれつき備わっている。(M)
啓蒙, 純粋理性, 実践理性, 判断力, 世界平和のために, 理論, 実践, 二律背反, アンチノミー, 感性, 悟性, コペルニクス, ア・プリオリ
46
カントは、自由に生きている人をAと呼び、自由とは、B法則と、個人が決めたルール(C)が一致した状態であるとした。 B法則は、〜ならば。というわけではなく、Dで発されるとし、善意志が動機の場合、それらは価値を持つとするE説を唱えた。 彼が目指したのが、お互いを尊重し合うFの王国だ。
人格, 道徳, 格率, 定言命法, 動機, 目的
47
フィヒテは、カントの哲学を発展させ、Aこそが全てを包み込む無限存在であるとした。 シェリングはB哲学を提唱した。 ヘーゲルは、ナポレオンの姿にCを見たことで、世界の万物を成り立たせる精神を働かせる意義を語った。鏡に映すように外部のものに自己を表現することが、Dである。 彼は、君主制、民主制や貴族制の末に、万人が自由になるE制があるとした。 Cはどのような方法で自由を実現するかというと、ある人物を背後から動かす理性のFによると彼は考え、自由の発達は弁証法に従うとした。 弁証法とは、テーゼとアンチテーゼをアウフヘーベンし、Gを作るものである。
自我, 同一, 絶対精神, 自己外化, 立憲君主, 狡知, ジンテーゼ
48
ヘーゲルの弁証法においては、内面の自由を尊重するAと、秩序を維持するためのBとが止揚することで、Cが実現するとされる。 そのような社会では、独立性に欠けるDと、個人の意識が独立したEとが止揚し、国家が形成される。
道徳, 法, 人倫, 家族, 市民社会
49
18世紀、資本主義が成立した。 アダム=スミスはレッセ=フェールを主張した。 一方で、ベンサムはAとBという二つを念頭に置き、人間においてはAは幸福によってもたらされるとした。 そのために、どれだけの人が幸福になるかを考えるCの原理を提唱した。快楽は、計算によって実現可能なため、彼はD主義者であったと言える。 もし追求しすぎた結果争いが起きたら大変なので、彼は四つの制裁(E)を主張した。 F的制裁、G的制裁、H的制裁、I的制裁である。 その後登場したJ SミルはJの重要性を求めた、K主義者である。 彼は他人の幸福によって得られる快楽こそ至上であるとし、他者に害を与えない限り良いとするL原則を主張し、制裁は良心に苦痛を与えるM的制裁のみで構わないとした。
快楽, 苦痛, 功利, 量的功利, サンクション, 自然, 法律, 道徳, 宗教, 女性参政権, 質的功利, 他者危害, 内
50
コントは、A主義者である。彼は、革命後フランスを生きた。 BとCを合言葉に、D学などを創始したことでも知られ、晩年は恋人を亡くしたことで、科学的な考えから離れEを創始した。 全盛期の彼が目指したのは、悪い事態を観察によって予防する方法だった。人間の思考は、神話にまとわりつくF的段階、観察しないG的段階、そして探求するH的段階の3段階であるとし、社会も人間が人間を支配するI的段階、法が人間を支配するJ的段階、産業家が支配するK的段階に分かれるとした。
実証, 秩序, 進歩, 社会, 人間教, 神学, 形而上学, 実証, 軍事, 法律, 産業
51
ダーウィンは、主著Aで自然淘汰によるBを唱えた。 コントと共に社会学を創始したスペンサーは、人間社会を生物有機体ととらえるC説を主張し、分業なども社会という身体を構成するものであるとした。のちに、彼は最新文明までを叙述し、個別科学をD哲学へと押し上げた。
種の起源, 適者生存, 社会有機体, 統合
52
功利主義からアメリカで生じたプラグマティズムは、当時のアメリカが独立戦争やゴールドラッシュを経ていたことから成立した。 形而上クラブの設立者Aは、対象についての知識を行動と結果に結びつけ、知識は検証可能であるとした。彼は、B主義を唱え、真理は間違えうるが経験によって更新されるとした。 彼が提唱した、仮説と検証を通して新しい知識を得ようとする方法がCである。 その後は、Dが実用主義へと発展させ、生活に役立つものを真理とした。つまり、真理は人によって異なる。(E的真理) その後、F主義を唱えたGが、有用性を第一とし、試行錯誤こそ重要であるとした。(専門家が証明した、補償付きの言明可能性こそ正しい)
パース, 可謬, アブダクション, ジェームズ, 相対, 道具, デューイ
53
哲学がテーマとしてきたものは全て言葉であり、言語論的転回を行ったのがA哲学である。代表者はBで、言語は科学的命題の集まりであり、事実と命題が対応するC理論を唱えた。 哲学の役割は境界の確定であるとしたが、 しかしBは、のちにDの分析こそ大事だと自説を撤回。Dは時と場合によって変わる、Eを提唱した。 その後登場したのが、意味を持つ命題がそれぞれ干渉し合うとするF論(G)を展開したHである。彼は翻訳の不確実性を指摘した。
分析, ウィトゲンシュタイン, 写像, 日常会話, 言語ゲーム, 全体, ホーリズム, クワイン
54
科学哲学者として有名なのが、科学は思考の転換によって解釈が変わってゆくとしたA論を唱えたB、科学と非科学の境目はC可能性にある、科学の複雑性を指摘したDである。
パラダイム, クーン, 反証, ポパー
55
功利主義から広まった幸福至上主義を、個人平等の観点から批判したのが、A論を唱えたBだ。彼は公正な正義を目指し、平等な自由との原理と不平等は強者が弱者を支えれば良いとする格差原理、皆が権利を持っているとする機会均等原理を主張した。 彼曰く、現在はCに覆われている。 その後現れたアマルティア=Dは、福祉に必要なのは、機能とEであり、貧困はEの向上によって解決するため、人間のFの考えを生み出した。
正義, ロールズ, 無知のヴェール, セン, 潜在能力, 安全保障
56
現象学とは、現象認識をしようとする学問だ。 事象そのものへをモットーに活躍したAは、人間は主観あるゆえに客観視することはできないとし、物事を一旦疑ってみるBという方法を用いることで、知覚直感と本質直感を使うことができるとした。 メルロ・Cは、Aに反対し、身体は主体と客体のどちらもがあり、自我を形成できるのだとした。
フッサール, エポケー, ポンティ
57
実存主義者、キルケゴールは主著A、死に至る病で知られる。 B的実存、C的実存、D的実存を目指し、単独者として神と対話しようとした。 その後、ツァラトゥストラはかく語りき、や力への意志で知られるEがF論を展開し、ニヒリズムが到来した。彼曰く、歴史は永遠に反復するGとなるらしい。キリスト教は、強者を認めるため、彼はH道徳に走り、人間はIを持っているため克服できるとした。
あれかこれか, 美, 倫理, 宗教, ニーチェ, 無神, 永劫回帰, 奴隷, 力への意志
58
ニーチェは、受動的ニヒリズムと能動的ニヒリズムを述べた。 自分の人生を肯定的に受け入れるA愛を体得することで、超人になれるとした。 そのためには、謙虚さや忍従を担うBの姿、それまで信じていたものを疑い自由を勝ち取るCの姿、新しい価値観をこうして創造していくDの姿になっていかなければならないとした。
運命, ラクダ, 獅子, 幼児
59
実存主義者、Aは妻がユダヤ人であったため弾圧を受け、限界状況に立たされた時、その悲しみを包み込むBの存在に気がつくことが必要であるとした。そのためには真の自分を同状況の他者とぶつけ合う、実存的交わり、すなわちCながらの闘争を求めた。
ヤスパース, 包括者, 愛し
60
フッサールから現象学を学んだ実存主義者、Aは主著Bにおいて、人間と動物の違いは、この世界は人間の解釈によって作られている、という点にあるとし、死は避けられないとした。 死の不安から目を背けるC(ダス・マン)ではなく、死と向き合う死への存在であることが重要であるとした。 晩年には、技術に振り回される人々をDの喪失状態とした。
ハイデガー, 存在と時間, 世人, 故郷
61
サルトルは、ナチスの捕虜となった実存主義者で、ものがあらかじめ決まっているA存在であるのに対し、人間は自分で本質を決めるB的存在であるとした。彼曰く、Cは本質に先立ち、人間は自分の選択に責任を背負うため、Dの刑に処せられているという。 彼は自分の在り方を選択する中で、社会参加している。 彼と結婚したのが、第2の性で知られるEである。
即自, 投企, 実存, 自由, ボーヴォワール
62
カミュは、主著異邦人、ペストなどで知られるが、Aの神話でも有名だ。彼は実存主義者として、Aの姿から実存のあり方を見出し、生きることの無意味さというBに立ち向かう、Bの哲学を求めた。
シーシュポス, 不条理
63
1920年代、フランクフルト大学を中心にフランクフルト学派が登場した。 AとBは、共同で出版したCの弁証法が有名で教育のあり方が、正解を与えてしまうものであるとして批判。本来の理性は懐疑的なD的理性だったのに、E的理性に退廃してしまったとした。E的理性は内面を空洞化させ、人をFへと退行させた。
ホルクハイマー, アドルノ, 啓蒙, 批判, 道具, 野蛮
64
フランクフルト学派のAは、主著Bからの逃走にて、権威主義的性格がファシズムを生み出したとした。 Cは、理性がコミュニケーション能力を持つことに着目し、Dの構造転換がジャーナリズムからマスコミへと移したとした。彼は、現代社会では生活世界のE化が起こっていると語った。これは、経済や政治が公共を害するというものだった。これをどうにかするには、F的理性が必要だともした。
フロム, 自由, ハーバーマス, 公共性, 植民地, 対話
65
個人よりも全体を優先する全体主義について、ハンナ=Aは、ドイツ系ユダヤ人であったが、彼女は人間が行うB、C、Dのうち最も重要なはずのDが蔑ろにされたことで全体主義が起こったとした。 同じくユダヤ人だったEは、人間は自我の解明に固執しているとし、自己の中に暴力的なFをうみ、脱出できなくなっているため自分とは異質な他者=Gとの出会いを求めた。
アーレント, 労働, 仕事, 活動, レヴィナス, イリヤ, 顔
66
構造主義とは、人間の思考はその根底にある社会構造に支配するとする考えだ。 主著Aの思考を著したレヴィ=Bは、西洋社会がCの思考で、未開社会がDの思考で成立しているとした。未開社会では、設計意図はなく有り合わせの材料を使いまわす器用仕事(E)が重視されるとした。
野生, ストロース, 文明, 野生, ブリコラージュ
67
構造主義者Aは、過去の文献や資料を分析する知のBを主張し、狂気などを排除することを目的とする近代社会のスローガン、自由なCを批判した。
フーコー, 考古学, 主体
68
構造主義を批判的に受け継ぎ、ポスト構造主義を語ったAは、自らの立場を脱構築であるとした。西洋思想は全てBで構成されているとした。彼曰く、既存のCによる思考では、どこかで見聞きした言葉のコピーが散見され、前を重視するBでは追いつかない。そのため、西洋でのD中心主義(=文字コピー主義)を改めるべきであるとした。
デリダ, 二項対立, 言葉, 音声
69
ポスト構造主義者Aは、欲望は絶えず増殖するとし、それによって動かされる世界をB機械とよんだ。人間もまた欲望のために動くべきだが抑圧装置によりそれが阻害され、アイデンティティは他人の評価を気にしながら生きるC状態になると語った。 アイデンティティを持たない状態であることが、遊牧民(D)の生き方であるとした。
ドゥルーズ, 欲望, パラノイア, ノマド
70
人道主義(ヒューマニズム)を唱えたのが、密林の聖者と呼ばれたA(生命へのBをとなえた)、非暴力主義を唱えたガンディーである。 ガンディーは、根本思想にCを把握するサティヤーグラハ、Dを禁止するアヒンサー、自己欲望を制御する自己E、蓄えを求めないFを添えた。そのほかには、キング牧師やマザーテレサ、ロマン=ロランやアインシュタインと宣言を出したラッセルがいる。
シュヴァイツァー, 畏敬, 真理, 殺生, 浄化, 無所有
71
日本の風土はA型で、四季が特徴だ。 古来、日本では自然信仰=Bが信じられてきた。そのため、C信仰やD信仰が行われた。 神秘的な力や不可思議存在を神格化しEとして崇拝。その原型は、民俗学者Fによると、山中に潜むG、民俗学者Hによると、常世の国から村を訪れもてなしを受け取るIであるとされる。
モンスーン, アニミズム, 祖霊, 御霊, 八百万の神, 柳田國男, 他界, 折口信夫, まれびと
72
538年、百済から伝わったとされる仏教は、当初Aと呼ばれ、現世利益が求められた。 のち、聖徳太子がB、C、Dの3津を敬えと教えた。 彼は仏のみを真とするE、この世を全て嘘だとするFを唱え、遺言とした。(諸行無常の精神)
蕃神, 仏, 法, 僧, 唯物是真, 世間虚版
73
奈良時代、A国家思想が整うと、 法相宗のBがCを広めた。
鎮護, 行基, 南都六宗
74
平安時代、呪術的なAと融合した仏教は、日本古来の神と混ざり合い(B)、のちには仏が真、神が仮の姿だというC説が唱えられた。
修験道, 神仏習合, 本地垂迹
75
天台宗の祖、AはB思想によって、全ての仏教は平等であると考えた。彼は世俗を離れるCを推奨したが、徳一が彼を批判。Dを語った。
最澄, 一乗, 山家山学, 三乗真実
76
空海は、真言宗(A)の祖である。 如来がサンスクリットで語った秘密の教えであるB、 それを人々にわかる言葉で説いたCを第一とし、 真言を理解するにはDという修行が必要だとした。 修行によって仏の力が保たれ、E状態になるとF成仏できるとした。 が、後期には彼の教えはFに入ると考えられ、死後はG信仰に希望を見出した。
東密, 密教, 顕教, 三密, 三密加持, 即身, 末法, 浄土
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仏教においては、ブッダの入滅後、A、B、Cの順番で衰退すると考えられた。
正法, 像法, 末法
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Aは、各地を巡り道路や橋の建設をした平安時代の僧である。 南無阿弥陀仏を口で唱えるB、踊りながら唱えるCを推奨した。
空也, 口称念仏, 踊念仏
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法然に影響を与えた天台宗の僧侶、Aは主著、Bにて、C、の思想から浄土を求めた。彼は一心に念ずるD念仏、仏の名を唱えるE念仏を奨励した。
源信, 往生要集, 厭離穢土, 観想, 称名
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鎌倉仏教でも、現世利益を求めるところは共通だった。 浄土宗のAはB念仏に取り組み、南無阿弥陀仏を唱えるべきだとした。彼は仏に縋るCを掲げた。 浄土真宗のDは、主著Eにて、同じくCを提唱し、念仏とは阿弥陀が唱えさせている自然Fであるとした。弟子との言行録、Gが有名だ。 (Cを実践できるのは、必ずHであるため、救いの対象は本来Hなのである。が、ならば悪を成せば良いという誤解を、Iと批判した)
法然, 専修, 絶対他力, 親鸞, 教行信証, 法爾, 歎異抄, 悪人, 本願ぼこり
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時宗の僧侶、Aは踊念仏を行った。彼は念仏を唱えたものに念仏札を渡した。 禅宗の栄西は、宋を訪れBを伝えたが、彼は禅問答(C)を行ったことで知られる。 曹洞宗のDは、人々皆Eの器なりとかたり、ひたすら座禅するFに取り組んだ。(境地に入ることができることをGと、座禅は悟りそのものであることをHと語った) また、日蓮はIを覚悟で立ち向かい、釈迦如来はJの本仏であるとすることで、法華経のKこそ最善であるとした。彼はKをしない他宗派をLと批判し、浄土宗に対してはMと、禅宗に対してはNと、真言宗に対してはOと、律宗に対してはPと批判した。これを、Q格言という。
一遍, 臨済宗, 公衆, 道元, 仏法, 只管打坐, 心身脱落, 修証一等, 法難, 久遠実成, 唱題, 折伏, 念仏無間, 禅天魔, 真言亡国, 律国賊, 四箇
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江戸時代、朱子学の大義名分論が伝わり、Aが京学を行った。彼は朱子学における本来の心とは、Bであると述べた。 その門人、Cは徳川家康に仕え朱子学を官学化。湯島にD学問所を建設した。(現在の湯島聖堂) 彼が語ったのが、Eの理、その実践のために敬を身につけるF、敬を身につけることで天と合体できるGだった。
藤原惺窩, 誠, 林羅山, 昌平坂, 上下定分, 存心持敬, 天人合一
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Aで起こった南学は、京学を批判した。 Bは道徳としての朱子学を重視し、のちに神道と融合したC神道を唱えた。彼の思想が尊王攘夷運動に影響を与えた。 その他著名な朱子学者に、主著西洋Dで知られる新井白石がいる。
土佐, 山崎闇斎, 垂加, 新聞
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陽明学派として活躍した日本人、Aは人を愛し合う心全般を指すBの重視を行い、そのために実践すべきC、D、Eを見極めるべきであるとした。
中江藤樹, 孝, 時, 処, 位
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陽明学派の石田梅岩は、Aを大成し、性別や年齢関係なく、商人の倍利は士の禄に同じと言った。 彼は正当な商業活動は、それぞれの役割に安んじるBと、正直、倹約に他ならないとした。 同じく陽明学派の安藤昌益は、理想として万人Cの自給自足社会、Dを求めたが、現実はEであるとした。それは、武士がFの徒であったからだと述べた。
石門心学, 知足安分, 直耕, 自然世, 法世, 不幸貪食
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二宮尊徳は、陽明学派の一人で、A思想という他者の徳を尊重する思想に傾き、農業はBの大本であると述べた。そのために、自然の動きであるCと欠点を克服するDとが必要であるとのべ、Dには分をわきまえた分度と、推譲とがあるとした。
報徳, 万業, 天道, 人道
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山鹿素行は、Aと呼ばれる派閥を形成した。孔子などの教えをBなしで学ぶことを第一にし、武士こそが三民のCであるとした。そのために武士は人格者であらねばならず、それがDであるといった。 一方で伊藤仁斎は、Eを提唱した。論語、そしてその注釈書たるFを熟読する考え方で、本来の儒学は日常道徳であるGの道であり、その核心は相互愛たるHにあるとした。彼は、真実無偽の誠を求め、そのために忠信を行った。 荻生徂徠は、これとも異なったIを開き、儒教を公のJへと考え直した。なぜなら、儒教とはKの道であるからだ。 為政者はLの道を目指したため、儀礼、音楽、刑罰、政治のMを制度化し、最終的に世を治めて民を救うNこそ必要になると語った。
聖学, 注釈, 師表, 士道, 古義学, 孟子, 人倫日用, 仁愛, 古文辞学, 秩序, 先王, 安天下, 礼楽刑政, 経世済民
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国学は、万葉集を研究し、Aの発露を見極め理屈っぽいBとは異なるとしたC以降発達した。本居宣長は、D研究を行い、神々のEの道こそが当時の人々に流れていたFなのではないかと考えた。その核となる真心(G心)の大切さを見極め、感情の動きこそがHであるとし、これがわかる人をIと呼んだ。 直、彼は古今集においては、Jが特徴と、源氏物語においてもHが大事だとした。 最終的に、門下生だったKが引き継ぎ、L神道を唱えた。
ますらをぶり, からくにぶり, 賀茂真淵, 古事記, 惟神, 古道, 大和, もののあはれ, 心ある人, たをやめぶり, 平田篤胤, 復古
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幕末になると、蘭学が発展した。 合わせて三つの著、Aを著した三浦梅園が有名で、その後、志筑忠雄や、解体新書で有名なBがあらわれた。その後、江戸の蘭学者グループ、Cを結成したD、Eが有名である。
三語, 前野良沢, 尚歯会, 高野長英, 渡辺崋山
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洋学を学んだAは、アヘン戦争以降、東洋の道徳と西洋のBの共存を望んだ和魂洋才の男である。その他横井Cが有名である。
佐久間象山, 芸術, 小楠
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ナショナリズムの伝道師、吉田松陰は全ての日本人がAの精神のもと天皇に忠誠を尽くす、Bに基づく思想Cを唱えた。水戸藩士だった会沢Dも活躍した。
至誠, 陽明学, 一君万民論, 安
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福沢諭吉は、A制度が親の仇とかたり、権利を互いに尊重すべきという権利通義を唱えた。彼は独立Bの精神を磨こうとし、そのためには人間が平等であるという、C人権の精神が必要であると語り、現在の日本には足りない考え方だと強調した。 実際、日本には合理性を育むDが欠けていた。なお、彼は自由民権運動を批判したが、その立役者となったのが、東洋のルソーと呼ばれたEである。彼は日本にF無し、の主張を行った。
門閥, 自尊, 天賦, 実学, 中江兆民, 哲学
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1873年以降、キリシタンが受容されると、高崎藩の武士の子であったAはキリスト教徒になった。彼はキリストと日本に仕える「B」の精神を持ち、C主義をとった。そして、非戦論に立ったことでも知られる。
内村鑑三, 二つのJ, 無教会
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徳富蘇峰は、A主義で知られる西洋化改革を求めた人物であったが、のちにB主義に傾いた。B主義とは、Cが説いたもので、雑誌日本にて扱われた。その他、雑誌日本人にて三宅、志賀が唱えたD主義も近代化政策として知られる。
平民, 国民, 陸羯南, 国粋
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Aが、文学とは内部生命を表現するためにあるとしたことで、近代的自我が目覚めた。夏目漱石は、B的な開化を求め、日本人が他人本位であるから、自己本位にすべきだと求めた。彼はエゴイズムとの葛藤の末、Cにたどり着いた。 森鴎外は、置かれた立場に納得するD(E)の境地に至った。
北村透谷, 外発, 則天去私, 諦念, レジグナチオン
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Aなどらのキリスト教的観念から、社会主義運動が勃発した日本では、しかし、1910年、B事件以降はAは海外から支援を行った。Cは、非戦論を唱えつつ社会主義運動を展開。
片山潜, 大逆, 幸徳秋水
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1916年、論文において、A(B主義)を起こした吉野Cは、Dの天皇機関説と対立した。
大正デモクラシー, 民本, 作造, 美濃部達吉
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日本の哲学者、Aは主著善の研究で知られる。 彼は西洋哲学は本質である客観と私自身である主観の分析が前提にあることを批判し、本質とは純粋経験にあると述べた。 純粋経験は、物我一体、あるいは主客Bの状態であり、善と悪を繰り返すことでCの域に達するとした。(絶対矛盾的自己同一)そしてそのためには、Dが必要であるとした。 また、西洋の個人主義は孤立をもたらすと批判したのが、人間はE的存在であるとしたFである。
西田幾多郎, 未分, 絶対無, 座禅, 間柄, 和辻哲郎