問題一覧
1
女真の王朝である( )は、伝統的な( )を意識して周辺諸国の朝貢を受け入れた。
清, 華夷秩序
2
清の( )を正式に受けた国は朝鮮・琉球など数カ国にとどまった。
冊封
3
江戸時代の日本では、17世紀以来、キリスト教布教や外国人の入国、日本人の出入国が禁じられ、中国・オランダとの貿易は幕府の管理する( )に限定され、朝鮮・琉球・アイヌとの貿易はそれぞれ対馬藩・薩摩藩・松前藩にゆだねられた。この体制を一般的に( )とよぶ。
長崎, 鎖国
4
東南アジアの島々では、イスラーム王国が胡椒などの香辛料交易により栄えたが、18世紀には衰退した。内陸部では、米の輸出や中継貿易で繁栄していた( )が18世紀なかばに滅亡し、その後1782年に( )が開かれた。
アユタヤ朝, ラタナコーシン朝
5
南アジアでは16世紀以来、イスラーム王朝である( )が南インドを除く広い領域を支配していた。
ムガル帝国
6
ヒンドゥー教徒との融和により社会は安定し、( )文化が花開いた。
インド・イスラーム
7
西アジアでは、16世紀前半に最盛期をむかえた( )が、イスラームを支配理念として、キリスト教徒やユダヤ教徒に宗教共同体ごとの自治を与える形で諸宗派の共存をはかり、比較的安定した経済成長を続けた。ヨーロッパに対する力の優位を保つなか、いくつかの西欧諸国には帝国内での通商活動を認め、領事裁判権などの特権( )を与えた。
オスマン帝国, カピチュレーション
8
ヨーロッパ諸国は、アジア・ヨーロッパ間のみならずアジア域内の貿易にも参加していた。特にオランダは1602年に( )を設立すると、ポルトガルとイギリスを東南アジアから排除し、鎖国する日本からも貿易を求められて、( )(現在のジャカルタ)を本拠地としてアジア域内貿易で重要な役割を果たした。
東インド会社, バタヴィア
9
18世紀後半から19世紀初頭にかけて、イギリスでは( )の分野を中心に機械を用いた大規模な工場制生産が成立した。生産力は飛躍的に高まり、経済や社会は大きく変化した。このプロセスは( )とよばれている。
綿工業, 産業革命
10
産業革命の軸となったのは、機械化を中心とする技術革新であった。18世紀、( )の発明によって織物の生産が急増した。さらに多軸紡績機や水力紡績機の発明によって綿糸の大量生産が可能となり、それにうながされて力織機が導入された。( )の改良によって蒸気機関が動力源として利用されるようになると、機械制工業が本格的に発展した。
飛び杼, ワット
11
資本家が富を蓄積する一方で、労働者は低賃金のもとで貧困と生活難に苦しむ人々が多く、雇用も不安定であった。また( )への人口集中は公害や衛生問題を深刻化させた。これらは社会問題としてとらえられ、( )などが制定された。
都市, 工場法
12
産業革命を経て圧倒的な工業生産力をもったイギリスは、( )として世界各地を原料供給地や商品輸出市場としていった。アジア、アフリカやアメリカ大陸は、安価で大量に流入するイギリスの工業に原料を供給するために、原料の生産・輸出に特化する( )経済化が促進された。
世界の工場, モノカルチャー
13
世界市場の形成は世界的な金融の発展をうながした。また、シティにおける証券市場での取り引きを通じて世界各地への投資が行われ、世界市場の緊密化と発展を支えた。こうしてイギリスは( )としての国際金融市場における地位をきずいていった。1816年にイギリスで導入された( )は、やがて19世紀のうちに各国で採用されることになった。
世界の銀行, 金本位制
14
この図はイギリス・インド・清によって行われたアジア三角貿易を示したものである。空欄A・Bに当てはまる貿易品を答えなさい。
綿織物, アヘン
15
イギリスはアヘンを清に輸出していたが、清がアヘン貿易取りしまりの方針を打ち出したことに反発し、1840年、( )が勃発した。軍事力で優位に立つイギリスは、清軍を破り、1842年に英清間で( )が結ばれた。
アヘン戦争, 南京条約
16
1856年には、英・仏両国と清との間にふたたび戦争がおき『( )』、清は1858年の天津条約、1860年の( )で、開港場の増加と、公使の北京常駐、貿易の自由化、外国人の内地旅行などを認めた。
アロー戦争, 北京条約
17
1851年から、民衆反乱である( )が清国内に広がった。
大平天国の乱
18
アメリカでは、捕鯨船の補給、遭難時の救助の必要に加え、西海岸領有をきっかけに、太平洋を横断する対清交易への期待が高まっていた。そこで、アメリカ政府は、ペリーを日本に派遣し、1854年に( )を締結した。
日米和親条約
19
アメリカ総領事ハリスは、1858年、( )の締結にこぎつけた。幕府はこれに続いてオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも条約を締結し『( )』、自由貿易がはじまった。
日米修好通商条約, 安政の五カ国条約
20
アメリカ合衆国では、19世紀より北東部で繊維産業を中心とする工業化が進展した。自由貿易を求める南部綿花栽培地域と、保護貿易を求める北部工業地域との対立が( )の原因となった。
南北戦争
21
産業革命とともに登場した鉄道と蒸気船は、世界の人や物資の移動を飛躍的に拡大させた。アメリカの( )やヨーロッパの鉄道網が整備され、蒸気船は技術革新によって大型化した。また1869年の( )開通は、ヨーロッパとアジア間の距離を短縮した。
大陸横断鉄道, スエズ運河
22
日本では、明治維新後に政府主導による殖産興業政策が行われ、外国技術を導入した官営工場の設立や技術教育などが推進された。1880年代に入ると株式会社設立ブームがおこり、日本は民間資本を中心とする産業発展の時代をむかえた。紡績業は、( )らが設立した大阪紡績会社の成功をきっかけに飛躍的に発展した。
渋沢栄一
23
日清戦争に勝利すると、政府は清からの賠償金をもとに官営( )を建設するとともに、1897年には金本位制を採用した。
八幡製鉄所
24
現在の世界では、すべての人が独立した自由な個人として法的に平等な権利をもつような社会のあり方、つまり市民社会の原理が理念として普及している。そのような市民社会原理の実現に向かう動きを( )とよぶ。
市民革命
25
17、18世紀に海外植民地の獲得を続けたイギリスは、北アメリカでも植民地をもつようになった。植民地側は1776年、( )を決議して、独立の意思を内外に示した。1783年に戦争は終結し、13の植民地の独立は達成された。その後、( )の原則をとる合衆国憲法が制定されて、1789年にはこの憲法にもとづくアメリカ合衆国政府が発足した。
独立宣言, 三権分立
26
18世紀のフランスでは、身分制、領主制など不平等な制度が維持されていた。1789年に憲法制定をめざす(")が成立し、同年7月にパリで民衆蜂起がおきると、(")に政治の主導権が移った。1799年には、クーデタによって総裁政府を打倒した軍人の( )が独裁的な権力を掌握した。
国民議会, ナポレオン・ボナパルト
27
ナポレオン・ボナパルトがロシア遠征に失敗して以降、フランスは急速に劣勢となり敗北、ナポレオンは追放され、フランスではブルボン朝の君主が復権することになった。『( )』このとき開催された( )において、国境が画定しなおされ、ナポレオン敗退後のヨーロッパ国際体制(ウィーン体制)が定められた。
復古王政, ウィーン会議
28
18世紀末の市民革命後、新しい国家形態があらわれた。国民国家の樹立をめざしたり、国民国家の強化をめざしたりする( )が出現した。立憲主義体制と、市民が代表を通じて政治参加する権利を保障するための機会制が追求されま。そのような政治制度を求める思想を( )とよぶ。
ナショナリズム, 自由主義
29
1830年前後には( )などの革命運動の波がおとずれ、ついで1848年には( )など、ヨーロッパの多くの部分で革命が起きた。
フランス七月革命, ドイツ三月革命
30
ロシアでは、クリミア戦争の敗戦後に皇帝政府による革命が始まり、近代国家への変革が進んだ。その中で廃止された制度として適するものを一つ選び答えなさい。
農奴制
31
オスマン帝国では、19世紀に入るとバルカンのキリスト教徒による民族運動が本格化し、ギリシアでは1829年に独立が実現しま。またエジプト総督として自立の動きをみせる( )は、1830年代に本国であるオスマン帝国政府と二度にわたる戦争を行い、総督行位の世襲を
あ, い