問題一覧
1
〖〜参考〜〗 【618年】隋にかわって中国を統一した唐はアジアに大帝国を築く →東アジア諸国は唐と盛んに通交するように
OK
2
日本も唐と関わりたい! ○[①]が派遣されるように ※8世紀 ☆造船・航海の技術が未熟だったので、 新羅の沿岸を避ける航路だった ○特に帰国した[②]・[③]はのちに聖武天皇に重用され政界でも活躍!!
遣唐使, 吉備真備, 玄昉
3
朝鮮半島を統一した新羅とも結構通交した →日本が新羅を従わせようとした→新羅💢 ○【755~763年】新羅で安史の乱おこる →混乱に紛れて[①]が新羅攻撃を計画 →実現しなかった…
藤原仲麻呂
4
【727年】[①]の使節が国交を求めて来日 (唐・新羅と仲悪い同士仲良くしましょう) →日本は新羅と仲悪いので友好的になる
渤海
5
【710年】[①]天皇は藤原京から[②]に遷都※唐の[③]にならう →以降を[④]時代という
元明, 平城京, 長安, 奈良
6
【708年】武蔵国から銅が献上される →唐にならい[①]を鋳造 →流通目指して政府は[②]を発令 これをはじめに銅銭鋳造は12回行われる =「[③]」
和同開珎, 蓄銭叙位令, 本朝十二銭
7
奈良時代の中央と地方を結ぶ交通制度 ○七道の諸国にのびる官道が整備 →約16kmごとに[①]設ける※官吏が公用
駅家
8
7C~8Cの蝦夷対策 ○東北地方の蝦夷に対し7Cに[①]・[②]設ける →"斉明天皇時代"に[③]派遣 →【712年】"日本海側"に[④]おく →ついで[⑤]築く →"太平洋側"にも[⑥]築く それぞれが蝦夷対策の拠点に
渟足柵, 磐舟柵, 阿倍比羅夫, 出羽国, 秋田城, 多賀城
9
一方で南九州では[①]の抵抗を制圧 →8C初めに[②]ついで[③]がおかれる
隼人, 薩摩国, 大隅国
10
〇8C初めは皇族や貴族間で比較的均衡が 保たれていた →[①]が政界進出し律令制度の確立をはかる →[①]は娘の[②]をのちの[③]天皇に嫁がせ 天皇家と密接な関係を築く
藤原不比等, 光明子, 聖武
11
不比等の死後は皇族の[①]が権力掌握 →【729年】藤原4兄弟の策謀で自殺 ☆藤原4兄弟=[②]・[③]・[④]・[⑤] ※不比等の子供たち →光明子を皇后に立てることに成功!! →4人とも天然痘で病死→藤原氏一時後退
長屋王, 武智麻呂, 房前, 宇合, 麻呂
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○藤原四子 ・南家=[①] ・北家=[②] ・式家=[③] ・京家=[④]
武智麻呂, 房前, 宇合, 麻呂
13
〇藤原4兄弟にかわって皇族出身の[①]が政権を掌握 →唐から帰国した[②]・[③]が聖武天皇のもとで活躍 →【740年】[④]がこの2人の排除を求めて九州で大規模な反乱起こす=[④]の乱
橘諸兄, 吉備真備, 玄昉, 藤原広嗣
14
藤原広嗣の乱が起きてから数年のあいだ、 聖武天皇は都めっちゃ変える [①]→[②]→[③] ☆クニナシの聖武さん
恭仁京, 難波宮, 紫香楽宮
15
聖武「鎮護国家思想で国を安定させよう」 〇【741年】[①]※恭仁京で出す 〇【743年】[②]※紫香楽宮で出す ※【752年】[③]天皇の時に開眼供養
国分寺建立の詔, 大仏造立の詔, 孝謙
16
孝謙天皇時代のイザコザ 〇[①]が光明皇太后と結んで勢力伸ばす →橘諸兄の子[②]が倒そうとする →逆に滅ぼされる(=[②]の乱) 〇[①]は[③]天皇を擁立して即位させ、 [④]の名を賜り太政大臣までのぼる
藤原仲麻呂, 橘奈良麻呂, 淳仁, 恵美押勝
17
恵美押勝の後ろ盾の光明皇太后死去 →ひとりぼっちになる 〇[①]太上天皇が僧侶の[②]を寵愛して [③]天皇と対立→恵美押勝「まずい…」 →【764年】挙兵するが太上天皇側に敗北 (=恵美押勝の乱) →淳仁天皇は廃され[④]に流刑 〇その後、太上天皇が重祚して[⑤]天皇に
孝謙, 道鏡, 淳仁, 淡路, 称徳
18
〇道鏡は称徳天皇の指示を得て[①]・[②]に なって権力を握り仏教政治を行った →【769年】称徳天皇が道鏡に皇位までも 譲ろうとする事件(=[③])発生 →[④]が阻止する
太政大臣禅師, 法皇, 宇佐八幡神託事件, 和気清麻呂
19
〇称徳天皇が死去すると、後ろ盾を失った 道鏡は[①]の別当として追放され死去 →つぎの皇位には藤原式家の[②]の計らいで [③]天皇が即位した (☆長く続いた天武系→天智系の孫) →道鏡時代に混乱した社会を再建!!
下野薬師寺, 藤川百川, 光仁
20
律令政治が展開した8Cの民衆の生活 〇竪穴住居にかわって[①]住居 〇結婚の方式=[②](男性→女性宅)
掘立柱, 妻問婚
21
律令政治が展開した8Cの土地政策 〇政府口分田不足を補い税収を増やしたい →【722年】[①]立てる→無茶すぎて失敗 ※長屋王のとき →【743年】[②]施行※墾田は輸租田!! →[③]=開墾したら永年私有可 →貴族・寺院、豪族の私有地拡大に繋がる…
百万町歩の開墾計画, 三世一身法, 墾田永年私財法
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〇困窮した農民の中には口分田を捨てて他国に[①]したり都の造営工事現場から[②]するものもいた 〇勝手に僧侶となるもの(=[③])現れる 〇税収が不十分になった 〇兵士の弱体化が進む
浮浪, 逃亡, 私度僧
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【追加問題.2-3に追加してください】 ○恵美押勝の乱について詳しく ・淳仁&押勝「孝謙と道鏡の関係気に食わん」 ・孝謙「⤴︎︎の権力を奪いたい」 孝謙天皇側にはめちゃくちゃ頭がキレる 吉備真備がいた… →彼が押勝サイドの動きを全部先読みする つづく…
OK
24
【追加問題.2-3に追加してください】 ○吉備真備の策略で押勝から権力の象徴である"御璽"(ハンコね。)と"駅鈴"の2つを奪おうとする →奪うために派遣した者が捕らえられ失敗 ・押勝「やりおったな。進軍するぞ」 ・孝謙 「もう遅いよ。」 →既に孝謙天皇側の軍が迫っていた… →押勝は逆賊として都を追い出される… →朝廷軍から追われるも… ➡船の上で一族丸ごと殺害された 押勝こと"藤原仲麻呂"はわずか1週間で 天下人から逆賊まで落ちぶれ殺された。
OK
25
【追加問題.2-3追加してください】 ○天武系から天智系の天皇へ…って どういうこと?? ・2-3の問題の中に"藤川百川"が"光仁天皇"を推薦したことによって長く続いた"天武系天皇"から"天智系天皇"へと変わったという問題が入ってる。 (→よく調べて見たら結構大事だった) ○まず"天武系"、"天智系"って何? ・発端は"壬申の乱" →天智天皇の跡継ぎを巡る戦いだった ・天智サイドが"大友皇子" ・天武サイドが"大海人皇子" だった。 ➡大海人皇子(天武サイド)が勝った ーここから長年天武系が続いたー しかし ・聖武天皇(天武系)の鎮護国家思想… ・称徳天皇(天武系)が道鏡とイチャイチャ… ➡︎とにかく"仏教"との関わりが酷い!! 【問題】そうなってくると当時の人は…
仏教と天皇をなるべく遠ざけたい!
26
【追加問題.2-3に追加してください】 ○そこで"藤原百川"が、 仏教と関わりが薄い"天智系"の "光仁天皇"を推薦したってことです。 ➡︎つまり仏教と天皇を引き剥がす目的!! ※光仁天皇の次にあたる桓武天皇も "仏教の弊害を逃れるため"に平安京に 遷都したりしてる。繋がってる 〜光仁天皇の推薦の裏話〜飛ばしてもOK ・藤原百川「光仁天皇どうですか…?」 ・周りの公家「は?天智系やん…w」 →しかも光仁天皇はアル中の噂があった (実際は称徳天皇から賢いと思われて 殺されるのを避けるためにアル中のフリを してただけだそうです。) ・藤原百川「でもでも、称徳天皇から遺言 で 光仁天皇に引き継げって…」 ➡これ大嘘です。 ★光仁のアル中演技と百川の大嘘でなんとか 天智系にしたそうです。 天武系から天智系の話はこれでおわり。
OK
27
【追加問題.2-3に追加してください】 〖〜参考〜〗 ○山城国(山背国)は都オンパレード!! ・奈良時代:恭仁京 ・平安京遷都前:長岡京 →平安京遷都 計3回も都になった
OK