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仏教の伝来とその展開
  • オタミ.

  • 問題数 71 • 10/24/2023

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  • 1

    6世紀頃までに日本に仏教や儒教が伝来していたが、すでに根づいていた自然の〇〇の神への信仰と合わさって日本独特の重層的な文化が形成された

    八百万

  • 2

    推古天皇の摂政となった(1)は、飛鳥時代に仏教や儒教を積極的に受容し、(2)の制度や(3)の制定など仏教や儒教の精神を国づくりに取り込もうとした

    聖徳太子, 冠位十二階, 十七条憲法

  • 3

    聖徳太子の定めた冠位十二階では、〇〇の徳目である徳・仁・礼・信・義・智を基準に冠位を定めた

    儒教

  • 4

    十七条憲法には、為政者は仏・法・僧の(1)を敬うことや、 人間どうしの謙虚でなごやかな調和である(2)の精神の大切さが記されている

    三宝, 和

  • 5

    「和をもって貴しとし」で始まる〇〇の第一条は、利害にこだわって他者と衝突するのではなく、親和的関係を結んだ上で話し合いを続けることの大切さを強調している

    十七条憲法

  • 6

    十七条憲法では、役人に(1)を尊重することで、彼らの心を正そうとし、また「(2)」であることを自覚させることで心を正そうとした条文が記されている

    仏教, 凡夫

  • 7

    天寿国繍帳という刺繍の銘文の、(1)を儚いものとする 「世間虚仮唯仏是真」という言葉を残したとされるのは(2)である

    現世, 聖徳太子

  • 8

    法華経、勝鬘経、維摩経の3つの仏教経典に注釈を加えた書物は『〇〇』だが、これは聖徳太子によるものと伝えられており、その役割を国家から託されていた

    三経義疏

  • 9

    奈良時代の仏教は、世の災厄を鎮め国家の安寧を図る〇〇の思想が特徴的である

    鎮護国家

  • 10

    仏教により国家の安泰を図る鎮護国家に加え、現実の人生において神仏からの恵みを受ける〇〇の思想が奈良時代の仏教のおもな特徴である

    現世利益

  • 11

    8世紀前半、聖武天皇は鎮護国家のために全国各地に(1)や国分尼寺を、奈良の都には(2)を建立した

    国分寺, 東大寺大仏

  • 12

    中国唐代の高僧(1)は、度重なる困難の後に来日し、中国文化や医薬の知識などを日本へ紹介するとともに、律宗を伝え、後に(2)を建立した

    鑑真, 唐招提寺

  • 13

    奈良時代には中国から多くの経典がもたらされたため、経典の研究も盛んになる中で、仏教の教義を研究する〇〇と呼ばれる6つの学派が生まれた

    南都六宗

  • 14

    奈良時代に民衆の間で布教を行ったことで有名なのは〇〇である。事業や慈善事業を通じて、民間に慈悲の精神を広めた

    行基

  • 15

    唐に留学して(1)を学んだ平安時代の僧(2)は、すべての人は悟りを開き仏になる可能性を持っていると考えた。このように人々が平等に救われるという考え方を(3)と呼んだ

    天台宗, 最澄, 一乗思想

  • 16

    「法華経」における〇〇は、永遠の生命を持ち、はるかな過去にすでに悟りを開いていたが、仮に有限な人の姿をとってこの世に現れ、釈迦仏として人々のために説法したとされる

  • 17

    鎮護国家が仏教の目的とされ、朝廷の政治に介入し権力を振るう僧侶が現れたことに対して、(1)は権カから離れて純粋に仏教を追究しようとした。こうして(2)仏教がおこった

    最澄, 山岳

  • 18

    正式な僧侶の資格である戒を与える(1)と呼ばれる場所は、鑑真によって東大寺に設けられたが、それは上座部仏教の具足戒であったことから、最澄は延暦寺にもそれを設け、在家信者も大乗(2)をもって僧侶となれる制度の導入を朝廷に求めた

    戒壇, 菩薩戒

  • 19

    最澄は、菩薩戒を授けることで官僧を育成する制度を定め、また『〇〇』の教えとともに、密教や禅などの実践も説き示した

    法華経

  • 20

    最澄は『(1)』の中で、次のように述べている。「国宝とは何か。宝とは仏道を求める (2)である。道を求める(3)を持つ人を国宝としいう。 世の中の一隅を照らす人が国宝である」

    山家学生式, 心, 心

  • 21

    最澄とともに唐に渡った(1)は、(2)を学び、 (3)を開いた

    空海, 密教, 真言宗

  • 22

    空海は、仏教をさらに深く学ぶために唐に渡ったが、帰国の後それらを(1)として体系化し、宇宙の万物のあらわれである(2)と一体化することで即身成仏できると説いた

    真言密教, 大日如来

  • 23

    空海は、高野山に(1)を建立し、密教の教えの下、宇宙の根源を(2)とし、その姿と宇宙の秩序を(3)に表現した。

    金剛峯寺, 大日如来, 曼荼羅

  • 24

    密教では、 行者がその(1)(行為)と(2)(言葉)と(3)(真意)において大日如来と一体化する時、その救済力を他におよぼし得るとして、 除災や招福の加持祈藤を行った。

    身, 口, 心

  • 25

    真言宗においては、現世で仏の境地に至ることを目指す。手に(1)を結び、真言を唱え心に仏の姿を思い浮かべるという(2)により、生きたまま宇宙の生命と一体になり仏になることができるという。これを(3)と呼ぶ

    印, 三密, 即身成仏

  • 26

    空海は民衆のための学校である(1)を創設するなどの社会活動も広く行ったことから、死後には空海自身が信仰の対象となり、(2)とも呼ばれた

    綜芸種智院, 弘法大師

  • 27

    平安仏教の特徴は鎮護国家を継承しながらも、中国の唐から伝わった(1)仏教を政治利用されないように山岳仏教など民間信仰によって拡大した点にある。その代表的人物が「法華経」を中心とする天台宗を開いた(2)と、密教を重視し真言宗を開いた(3)である

    大乗, 最澄, 空海

  • 28

    平安時代末期は厄災が相次ぎ、人々の間には仏が廃れて世が乱れるという(1)が広まるとともに、 極楽への往生を願う(2)が急速に浸透した

    末法思想, 浄土信仰

  • 29

    平安時代の天台宗の僧(1)は、極楽と地獄の精密な描写によって衆生の極楽浄土への願いをかりたて、(2)思想とあいまって浄士信仰に結び付いていった

    源信, 末法

  • 30

    (1)は「往生要集」で、 仏の姿や(2)の様子に心を集中させ、それをありありと思い浮かべるという修行法である観想念仏を重視している

    源信, 浄土

  • 31

    「厭離穢土欣求浄土」とは、 源信が『〇〇』で主張した思想であり、この世を穢れた世として厭い極楽浄土に往生することを願うことを重視したものである

    往生要集

  • 32

    民間布教者は(1)と呼ばれたが、その代表的人物に平安時代中期の僧(2)がいる。 彼は、 阿弥陀仏の名を唱えながら、道路や井戸の整備に携わり、無縁の死骸を火葬するなどして、市中で人々を教化して(3)と呼ばれた

    聖, 空也, 市聖

  • 33

    浄土の教えに帰依し、時宗を開いた(1)は、念仏を唱えながら踊る(2)により時宗を広めた

    一遍, 踊念仏

  • 34

    踊念仏は、平安時代中期に空也が念仏を唱えながら踊ったことに始まるが、鎌倉時代には(1)の開いた時宗がこれを取り入れ、庶民に拡大していく。さらに、(2)などの民俗芸能につながった

    一遍, 盆踊り

  • 35

    一遍は、念仏を唱えれば信不信にかかわらず極楽浄土へ住生できることを人々に伝えるベく、日本各地を漂泊したことから『捨聖』『 〇〇上人』と呼ばれた。

    遊行

  • 36

    比叡山で学んだ(1)は、「南無阿弥陀仏」の念仏をひたすらに唱えることで、誰もが極楽浄土に生まれ変わることができるとする(2)の教えを説き、(3)を開いた

    法然, 専修念仏, 浄土宗

  • 37

    法然は、(1)の世に生まれて素質の劣る者は、他のすべての教えや修行を差し置いて、ただ(2)易行門を選び取るべきであると考えた

    末法, 他力

  • 38

    法然は、天台宗などの旧仏教勢力から迫害を受けたが、それは(1)に住生する手立てとして、他の様々な修行法によらずに、もっぱら(2)を唱えることを説いたためである

    浄土, 念仏

  • 39

    法然は、「知恵第一」と称されるほど学問や修行に励んでいたが、目指す悟りに到達できず苦しんだ。その末に(1)が説く浄土の教えを通じて、すべての衆生を救うという(2)に出会った

    善導, 阿弥陀仏

  • 40

    法然の教えを受け継いだ(1)は、自らを深く煩悩に悩む(2)と自覚した上で、 自らの努力では救済されることはないと悟り、(3)の思想を説いた

    親鸞, 凡夫, 絶対他力

  • 41

    いかに煩悩にさいなまれていても、自身の無力を自覚し仏の(1)にすがる気持ちの強い凡夫は救済されるという親鸞の思想を(2)という。これは、親鸞の弟子の唯門が記した『(3)』に記されている

    慈悲, 悪人正機, 歎異抄

  • 42

    『歎異抄』によると、(1)とは自力で善を行うことができると思っている人のことであり、(2)とは根深い煩悩を自覚し、どんなに善をなそうと努めても、それが不可能であると思っている人のことである

    善人, 悪人

  • 43

    「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という言葉は、善人ですら住生できるのだとすれば、真剣に仏の慈悲にすがり(1)を唱える悪人も当然に往生できるという意味で、(2)の真髄を示している

    念仏, 悪人正機

  • 44

    すべてを仏のはからいに任せるという親鸞の絶対他力は、(1)の考えに立ち、後に(2)の開祖として仰がれるようになった

    自然法爾, 浄土真宗

  • 45

    親鸞は、念仏は自分の意志で唱えているのではなく、仏の慈悲が唱えさせているのであり、念仏は阿弥陀仏への感謝であると説いた。これを〇〇という

    報恩感謝の念仏

  • 46

    親鸞は、自らが浄土に往生することを(1)、 浄士から現世の穢土に戻ることを(2)とするが、いずれの場合も阿弥陀仏の「廻向」によることとした

    往相, 還相

  • 47

    室町時代の浄土真宗の僧侶〇〇は、御文(御文章)と呼ばれる平易な文章で、その教えを民衆に広めた

    蓮如

  • 48

    (1)は、瞑想による修行を重ねる(2)を学び日本に伝えた。 彼は(3)の開祖となった

    栄西, 坐禅, 臨済宗

  • 49

    臨済宗を開いた栄西は、(1)の時代であっても戒律を守り、(2)の修行に励み、国家に有為な人物を育成することが重要であると考えた

    末法, 坐禅

  • 50

    当初、旧仏教による弾圧にあった臨済宗は、後に鎌倉・室町幕府によって保護され、多くの公家や(1)が帰依した。また、 建築や絵画など文化にも影響を与え、金閣・銀閣や(2)による水墨画などを生み出した

    武士, 雪舟

  • 51

    栄西とともに日本に禅宗を伝えた(1)は、その著書『(2)』でよく知られている。坐禅により修行に打ち込むことそのものが悟りであるという(3)の考え方に立つ

    道元, 正法眼蔵, 修証一等

  • 52

    道元によると、 ひたすら坐禅に打ち込む(1)という行為を通じ、心身が一切の執着を捨て悟りの境地に至る(2)の状態になり、誰にでも仏性が現れる

    只管打坐, 身心脱落

  • 53

    道元の開いた(1)は、主に地方の(2)層に浸透していった

    曹洞宗, 武士

  • 54

    聖徳太子や最澄らによって古くから重んじられてきた仏教の経典は『(1)』であるが、鎌倉時代の僧(2)はこれを経典の中でも最も重要なものであると位置づけ、(3)を開いた

    法華経, 日蓮, 日蓮宗

  • 55

    日蓮は、「南無妙法連華経」の(1)を唱題することで(2)を得られると考えた

    題目, 現世利益

  • 56

    『法華経』では、永遠の真理としての仏を 〇〇と呼ぶ

    久遠実成の仏

  • 57

    日蓮は、「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」と述べたが、これを〇〇という

    四箇格言

  • 58

    日蓮は、個人の救済だけでなく、正しい〇〇に基づく政治の実現に向け、為政者に対する布教を行うことで現実社会を仏国土とすることを目指した

    仏法

  • 59

    日蓮は、「法華経」によって国を立て直すべきだと考え、『〇〇』を記した。

    立正安国論

  • 60

    明恵は鎌倉時代前期の〇〇の僧で、法然の説く専修念仏の主張を菩提心を軽んじるものであるとして批判した

    華厳宗

  • 61

    律宗の僧〇〇は、戒律を重んじて、それを厳格に守るとともに、病院や貧民を救済し、橋を修築するなど広く社会事業を行った

    叡尊

  • 62

    平安時代には、日本古来の神と仏教信仰とが融合した(1)の考え方が広まり、仏が人々を救うために神の姿となって現れる(2)説も受け入れられた

    神仏習合, 本地垂迹

  • 63

    仏教が伝来すると、神に対する信仰は仏に対する信仰と融合し、神の前で(1)が行われるようになり、平安時代になると、神は(2)の仮の姿であるとする(3)思想が生まれている

    読経, 仏, 権現

  • 64

    〇〇とは、神前で読経するなど、神に対して仏教のやり方での儀式を行うために神社の境内に建てられた寺である

    神宮寺

  • 65

    現世を生きる自己が抱える様々な苦悩や幸福は、前世からの自らの(1)が招いた結果であるという考え方を(2)と呼ぶ

    業, 因果応報

  • 66

    鴨長明は、随筆『〇〇』で仏教的な無常観から移りゆく世のはかなさを書き記した

    方丈記

  • 67

    吉田兼好は『(1)』を著し、世の中は無常であるがゆえに「(2)」があると唱えた

    徒然草, あはれ

  • 68

    (1)が大成した能楽は、「(2)」を理念としていた

    世阿弥, 幽玄

  • 69

    (1)とは、物事は常に移ろい儚く虚しいものであるという心情で、仏教の世界観の影響を受けている。(2)の『山家集』や(3)の『奥の細道』などの文学作品にはこうした心情がよく表れている

    無常観, 西行, 松尾芭蕉

  • 70

    安士桃山時代の茶人(1)は、(2)の儀礼を取り入れ、簡素で趣があることを指す(3)という言葉を生んだ。これは茶の湯の理想的な境地とされる

    千利休, 禅宗, わび

  • 71

    〇〇は、松尾芭蕉が俳句を詠む中で追求した、閑寂や枯淡の中に情趣を見出し安らぐ美意識を指す

    さび