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日本史探求
  • 山盛優舵

  • 問題数 100 • 10/30/2023

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    問題一覧

  • 1

    押領使・追捕使に任じられた中・下級貴族の中には、そのまま在庁官人などになって現地に残り( )となる物が現れた。

    武士

  • 2

    盗賊の追捕や内乱の鎮圧のために派遣されたもの( )( )

    押領使, 追捕使

  • 3

    任期満了後もそのまま任地に残った国司の子孫などを中心に大きな( )が成長し始めた。

    武士団

  • 4

    東国に早くから根を下ろした桓武平氏のうち、( )は下総と本拠地にして国司とも対立し、反乱を起こした。

    平将門

  • 5

    935年に起きた反乱。首謀者は同じ東国の武士である平貞盛、藤原秀郷らに討たれた。

    平将門の乱

  • 6

    平将門の乱で平将門は同じ東国の武士の(①)・(②)に討たれた。

    平貞盛, 藤原秀郷

  • 7

    将門が東国の大半を占領して自称した。

    新皇

  • 8

    もと伊予の国司であったが恩賞に対する不満から逆に海賊を率いて反乱を起こした。

    藤原純友

  • 9

    瀬戸内で起きた反乱。源基経らによって鎮圧された。

    藤原純友の乱

  • 10

    平将門の乱と藤原純友の乱を合わせた名称

    天慶の乱

  • 11

    源経基を祖とする清和源氏や平貞盛の子孫のような代々武名を継承する軍事貴族

    兵の家

  • 12

    貴族たちは彼らを( )として奉仕させた。

  • 13

    1028年上総で起こった。源氏の東国進出のきっかけを作った。

    平忠常の乱

  • 14

    母が皇族で、摂関家を外戚としない天皇。政治改革を始めた。

    後三条天皇

  • 15

    1069年後三条天皇が行った荘園を整理するための令

    延久の荘園整理令

  • 16

    政府に設けて荘園を審査した。基準に合わない荘園を停止した。

    記録荘園券契所

  • 17

    延久の荘園整理令で34箇所のうち13箇所の荘園が停止した。

    石清水八幡宮領

  • 18

    度量衡の統一を図るために後三条天皇が定めた。太閤検地直前まで使用された。

    宣旨枡

  • 19

    公領(国衙領)に設置された。( ・ ・ )

    郡・郷・保

  • 20

    郡・郷・保は公領( )に設置された。

    国衙領

  • 21

    荘園と公領が並立する体制

    荘園公領制

  • 22

    名の耕作・徴税を請け負った負名が権利を強化し、( )と呼ばれるようになる。

    名主

  • 23

    白河天皇は幼少の堀河天皇にくらいを譲ると自ら( )として院庁を開き、天皇の後見をしながら政治の実権を握った。

    院, 上皇

  • 24

    受領層など中下流貴族で構成された院の側近グループ

    院近臣

  • 25

    院政を布いた上皇直属の政務機関(①)。読み方は(②)

    院庁, いんのちょう

  • 26

    院庁から下される文書。

    院庁下文

  • 27

    上皇の命令を伝える文書。

    院宣

  • 28

    出家した上皇

    法皇

  • 29

    上皇が天皇を後見しながら政治の実権を握る政治。11世紀末から12世紀にかけて1世紀以上に渡って続いた。

    院政

  • 30

    院政は順に(①)→(②)→(③)と続いた。

    白河上皇, 鳥羽上皇, 後白河上皇

  • 31

    院の御所に組織し、源平の武士を側近にするなど院の権力を強化した。

    北面の武士

  • 32

    上級貴族に( )主として一国の支配権を与え、その国からの収益を取得させる制度( 制)

    知行国

  • 33

    上皇自身が知行国主となって収益を握る制度。

    院分国の制度

  • 34

    権力を握った院・天皇家に荘園の寄進が集中したため、天皇家は集まった荘園とこれらの荘園群にまとめた。のちに大覚寺統・持明院統の財政基盤となる。鳥羽上皇が伝えた( )と後白河上皇が寄進した( )

    八条院領, 長講堂領

  • 35

    院政期に天皇家により造営された「勝」のつく6寺。

    六勝寺

  • 36

    院の権威を象徴する寺。白河天皇が建てた。六勝寺のひとつ。

    法勝寺

  • 37

    上皇たちはしばしば紀伊に(①)・(②)を繰り返した。

    熊野詣, 高野詣

  • 38

    大寺院は多くの荘園を所有し、武装した僧兵を( )として組織した。

    僧兵

  • 39

    大寺院は僧兵などの軍事力を背景に( )を繰り返し、要求を通そうとした。

    強訴

  • 40

    春日神社の神木の榊を捧げて強訴した。( 寺)( )

    興福寺, 南都

  • 41

    日吉神社の神輿を担いで強訴した。( 寺)( )

    延暦寺, 北嶺

  • 42

    私の意のままに動かないもの 鴨川の水、双六の賽、( ) By白河上皇

    山法師

  • 43

    北面の武士として登用された伊勢平氏の勢力が拡大した。(平 )→(平 )→(平 )

    平正盛, 平忠盛, 平清盛

  • 44

    11世紀半ば、陸奥北部で源頼義が子の頼家とともに東国の武士を率いて安倍氏と戦い出羽の豪族清原氏の助けを得て安倍氏を滅ぼした。

    前九年合戦

  • 45

    清原氏一族に内紛が起こり、陸奥守であった、源義家が藤原(清原)清衡を助け、内紛を制圧した。

    後三年合戦

  • 46

    鳥羽上皇の死後まもなく、天皇家の皇位継承をめぐる争い、摂関家の継承をめぐる争い、源平の相続をめぐる争いが激化し、戦乱へと発展した。

    保元の乱

  • 47

    保元の乱での皇位継承争いで後白河天皇に敗れ、讃岐に流された。

    崇徳上皇

  • 48

    保元の乱での崇徳上皇方(藤原 )(平 )(源 )

    藤原頼長, 平忠正, 源為義

  • 49

    保元の乱での後白河天皇方。(藤原 )(平 )(源 )

    藤原忠通, 平清盛, 源義朝

  • 50

    清盛と結ぶ通憲に反感を抱いた藤原信頼が源義朝と結んで兵をあげ、藤原通憲(信西)を自殺に追い込んだが武力に勝る平清盛によって信頼や義朝は滅ぼされ、義朝の子頼朝は伊豆に流された。

    平治の乱

  • 51

    院近臣で後白河天皇に進言し、武士を動員させ、上皇方を攻撃して破った。その後院政を始めた後白河上皇の近臣間の対立から藤原信頼に反感を持たれ、自殺に追い込まれた。

    藤原通憲

  • 52

    保元の乱・平治の乱の後、後白河上皇の信任を得て、しだいに権力を掌握した。

    平清盛

  • 53

    平清盛が1167年に武士として初めてついた。1位の官。

    太政大臣

  • 54

    藤原成親や僧の俊寛らが平氏打倒をはかり、失敗する事件。(1177年) そこで平清盛は武力で後白河天皇を鳥羽殿に幽閉して、多くの貴族を処罰し、国家権力を完全に掌握した。(1179年)

    鹿ヶ谷の陰謀

  • 55

    清盛の娘で高倉天皇の中宮になり、安徳天皇を産んだ。( )( 院)

    徳子, 建礼門院

  • 56

    平家は諸国のおよそ( )を知行国とした。

    半数

  • 57

    平氏は( )ヶ所を超える荘園を所有した。

    500

  • 58

    平氏は西日本を中心に、地方の武士たちと主従関係を結び、荘園などの( )に任命するなどして、武士たちを組織化した。

    地頭

  • 59

    (s (n ))との貿易に力を入れ、利益を上げた。(n )

    宋, 南宋, 日宋貿易

  • 60

    南宋から渡来する商人は主に北九州に渡来していたが彼らを都近くまで招き入れるため(①)(広島)、(②)(現神戸港)を修築した。

    音戸の瀬戸, 大輪田泊

  • 61

    日宋貿易では多くの珍宝や( )・書籍を輸入し、金や硫黄、刀剣などを輸出した。

    宋銭

  • 62

    平氏政権は一時大輪田泊の隣接地に( )を造営し、遷都(1180年)

    福原

  • 63

    摂関政治時代、1019年金の女真族が博多に来襲した。

    刀伊の入寇

  • 64

    寺院に所属しない(h )や(z )などと呼ばれた民間の布教者によって浄土宗の思想が全国に広がった。

    聖, 上人

  • 65

    阿弥陀如来を拝むための特殊な建築である( )が流行

    阿弥陀堂

  • 66

    藤原清衡によって平泉に建てられた。世界文化遺産。

    中尊寺金色堂

  • 67

    藤原秀衡の妹が福島に建てた。白水の名は「平泉」の泉の字を二分してつけられた。

    白水阿弥陀堂

  • 68

    大分県の国東半島に建てられた。九州最古の阿弥陀堂建築。

    富貴寺大堂

  • 69

    広島県の瀬戸内海航路の要に鎮座。平家一門の尊崇を集めた。

    厳島神社

  • 70

    鳥取県にある岩場に立つ柱が目を引く珍しい建築である。

    三仏寺投入堂

  • 71

    大和国の信貴山寺の建立にまつわる話を絵巻物化。

    信貴山縁起絵巻

  • 72

    866年の応天門の変を絵巻化。

    伴大納言絵巻

  • 73

    紫式部の名作を絵巻物化。(①)(②)

    源氏物語絵巻, 東屋一

  • 74

    動物の擬人化で貴族・僧の社会を風刺。詞書(ことばがき)がないため内容の詳細は不明。

    鳥獣戯画

  • 75

    平清盛は安芸の厳島神社を平家一門の氏神として、1164年に法華経などの写経を奉納した。

    厳島神社平家納経

  • 76

    扇紙に大和絵で当時の風俗を書き、これに経文を添えている。

    扇面古写経

  • 77

    摂関政治を批判的に描写した歴史物語。

    大鏡

  • 78

    摂関政治を肯定的に描写した歴史物語。赤染衛門によって書かれたと言われている。

    栄華物語

  • 79

    平将門の乱を描いた軍記物語。

    将門記

  • 80

    前九年合戦を描いた軍記物語。

    陸奥話記

  • 81

    インド・中国・日本の1000余りの説話を集めた説話物語。

    今昔物語集

  • 82

    民間の流行歌謡

    今様

  • 83

    後白河天皇が自ら民間の流行歌謡である今様を学んで編んだ。

    梁塵秘抄

  • 84

    以仁王と源頼政が平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかけるために諸国に伝えられた。

    以仁王の令旨

  • 85

    後白河法皇の皇子の(①)は(②)と平氏打倒の兵をあげ、全国に令旨を出した。

    以仁王, 源頼政

  • 86

    以仁王の令旨に応じて圓城寺(三井寺)や興福寺の兵が立ち上がり、続いて伊豆に流されていた源頼朝や信濃の木曽谷にいた源義仲らが挙兵し、内乱は全国的に広がり、5年に渡って争乱が続いた。

    治承・寿永の乱

  • 87

    (①)1180年平氏政権に対して反乱を起こした。平氏は都から追い落としたがその後後白河上皇と対立し、(②)・(③)らによって討たれた。

    源義仲, 源範頼, 源義経

  • 88

    1183年源義仲によって京都が占領され、平氏は都から追い落とされた。

    平氏の都落ち

  • 89

    後白河法皇は源頼朝に源義仲の討伐をうながし、その代償として頼朝は後白河法皇に( )を出させた。内容は東海道・東山道・東国における頼朝の支配権を公認するものであった。これにより頼朝は「反乱軍」扱いから脱する。

    寿永二年十月宣旨

  • 90

    (①)・(②)は西国の平氏勢力と対決し、平氏を滅した。

    源義経, 源範頼

  • 91

    1184年に現在の兵庫県であった源平の戦い。義経は崖からの奇襲で平氏を破った。

    一ノ谷の戦い

  • 92

    1184年に現在の香川県で起きた源平の戦い。義経は海を回り込んで島の陸側から攻め込んだ。

    屋島の戦い

  • 93

    1185年に現在の山口県で起きた源平の戦い。この戦いで平氏を滅ぼし、兵士が所有していた荘園500ヶ所余りを没収した。

    長門の壇ノ浦の戦い

  • 94

    後白河法皇は源頼朝と対立し、(①)に対して頼朝追討を命じた。

    源義経

  • 95

    義経の捜索と追討を口実に1185年源頼朝は諸国において(①)・(②)の設置を行う権限を得た。

    守護, 地頭

  • 96

    (①)は平氏を滅ぼしたが後白河法皇に(②)に任命されたことで兄頼朝と対立し、平泉に逃れ、(③)に殺された。

    源義経, 検非違使, 藤原泰衡

  • 97

    1189年義経を匿ったことを口実に源頼朝は東北地方に出兵し、(①)氏を滅ぼした。:(②)

    奥州藤原, 奥州合戦

  • 98

    1192年後白河法皇が亡くなり、後鳥羽上皇により頼朝は(①)に任命された。

    征夷大将軍

  • 99

    13世紀後半に成立した。鎌倉幕府の公式歴史書。

    吾妻鏡

  • 100

    朝廷の当時の有力者、九条兼実の日記。

    玉葉