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日本史⑤律令国家の形成と白鳳文化
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  • 問題数 38 • 7/17/2023

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  • 1

    厩戸王が亡くなった後に、蘇我馬子の子の蘇我蝦夷と、蘇我馬子の孫が実権を握った。 馬子の孫の名前は?

    蘇我入鹿

  • 2

    中国では、隋の滅亡後、618年に新しく国がおこった。この国は律令を基本法とする中央集権的な国家体制を充実させていた。この国の名前は?

    唐(トウ)

  • 3

    国内では、これまでの氏姓制度を改めて強力な中央集権的国歌をつくろうとする動きが高まった。645年、蘇我蝦夷・入鹿親子を倒し政権を握った『天皇家』の人物の名前は?

    中大兄皇子(ナカノオオエノオウジ)

  • 4

    中大兄皇子と共に蘇我蝦夷・入鹿を倒した人物は?(後に藤原の姓をもらいました😊)

    中臣鎌足(ナカトミノカマタリ)

  • 5

    中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我蝦夷・入鹿を倒して政権を握った事件の事をなんという?

    乙巳の変(イッシのヘン)

  • 6

    新政府は646年、4条からなる詔を発した。 『公地公民制、中央集権的な地方支配体制を整える、戸籍・計帳を作り班田収授法を行う、新しく統一的な税制を整える』 この詔をなんという?

    改新の詔(カイシンのミコトノリ)

  • 7

    改新の詔を発したことによる一連の政治改革の動きをなんという?

    大化の改新(タイカのカイシン)

  • 8

    660年、朝鮮では唐&新羅が百済を滅ぼした。中大兄皇子は百済を助けるために軍を送ったが、663年の戦いで唐新羅の軍に大敗し、日本は朝鮮半島から退いた。 663年のこの戦いをなんという?

    白村江の戦い

  • 9

    中大兄皇子は、唐新羅に対する防備を固めつつ、667年に都を大津に移し、翌年即位した。 中大兄皇子の天皇ネーム(?)はなんという?

    天智天皇(テンジテンノウ)

  • 10

    天智天皇は法令の編纂を試み、670年には【全国的な戸籍】をつくるなど、国力を強める改革に力を注いだ。 【】内の戸籍をなんという?

    庚午年籍(コウゴネンジャク)

  • 11

    天智天皇死後、皇位継承を巡り子の大友皇子と天智弟の大海人皇子との対立が激しくなった。 672年、大海人皇子は兵を集め大友皇子を倒した。 この出来事をなんという?

    壬申の乱(ジンシンのラン)

  • 12

    大海人皇子は壬申の乱の翌年、飛鳥浄御原宮で即位して天皇になった。 大海人皇子の天皇としての名はなんという?

    天武天皇(テンムテンノウ)

  • 13

    天武天皇は、新しく法を制定し天皇家を中心とする新しい身分秩序のもとに豪族を再編成した。 この法をなんという?

    八色の姓(ヤクサノカバネ)

  • 14

    天武天皇死後、皇后が天皇となり改革を引き継いだ。 この天皇の名は?

    持統天皇(ジトウテンノウ)

  • 15

    持統天皇が689年に施行した法令は?

    飛鳥浄御原令(アスカキヨミハラリョウ)

  • 16

    690年に、飛鳥浄御原令に基づく年籍が作られた。これをなんという?

    庚寅年籍(コウインネンジャク)

  • 17

    持統天皇は694年、どこに遷都した?

    藤原京(フジワラキョウ)

  • 18

    天武・持統天皇の時代には、宮廷を中心に清新で活気に満ちた文化がおこった。この文化をなんという?

    白鳳文化(ハクホウブンカ)

  • 19

    仏教は鎮護国家の力を持つものとして、朝廷の保護を受け、さまざまなら寺が建立された。 奈良の官立の大寺院(官寺)を答えよ。

    薬師寺(ヤクシジ)

  • 20

    701年、藤原鎌足の子と刑部親王によって新しい律令が完成した。 この藤原鎌足の子の名前をなんという?

    藤原不比等(フジワラノフヒト)

  • 21

    701年、藤原不比等と刑部親王により作られた律令をなんという?

    大宝律令(タイホウリツリョウ)

  • 22

    律令国家は、大和政権を構成していた畿内の有力豪族たちが、天皇を君主とし、中国から学んだ律令に基づいた制度で全国の豪族や人民を支配する国家であった。 この制度をなんという?

    律令制

  • 23

    豪族たちは高い位階を与えられ、高い官職についた。また、子や孫は父祖の位階に応じた一定の位階を与えられたので、その地位を世襲する貴族となった。 この制度をなんという?

    蔭位の制(オンイのセイ)

  • 24

    地方には国郡里の行政組織が整備され、2つの支配拠点が置かれた。 この2つの支配拠点をなんという?

    国府・郡家(コクフ・グウケ)

  • 25

    郡と地方の間には、約16kmごとにある物が置く道路が整備された。何が置かれた?

    駅家(うまや)

  • 26

    国には一定の任期で任じられた役職の人が中央から派遣された。 この役職をなんという?

    国司(こくし)

  • 27

    国司はとある役職の人を指示して律令に基づく新しい政治を行った。 国司の指揮に基づいて動く役職とは?

    郡司(ぐんじ)

  • 28

    律令制では、6年ごとにとある物を作成し、50戸を1里に編成した。 この作られたものとは何か?

    戸籍

  • 29

    調や庸や労役を取り立てるための台帳として毎年作られたものとは?

    計帳

  • 30

    戸籍に基づいて、6歳以上の男女にはとある物が班給された。 このとあるものとは?

    口分田

  • 31

    口分田は死ぬまで耕作できるが、売買は許されず、死者の口分田は6年ごとの班田の年に収公された。 この法をなんという?

    班田収授法

  • 32

    班田収授を実施するために、灌漑施設が整備され、田地は方形に区画された。 これをなんという?

    条里制

  • 33

    口分田を斑給された公民は、収穫の3パーセントにあたる○を負担した。 この○に入るものは?

  • 34

    成年男子には、都まで運んで収める2つの税があった。 さて、この税とは?

    調・庸

  • 35

    成年男子に課せられた、地方での年間60日以内の労役をなんという?

    雑徭

  • 36

    上京して都の警備にあたる負担をなんという?

    衛士(えじ)

  • 37

    北九州の防備に送られる負担をなんという?

    防人(さきもり)

  • 38

    春と夏に稲を貸し付け、秋に3〜5割の利息を加えて徴収する制度は?

    出挙(すいこ)