問題一覧
1
1880年代ドイツの動き (1)外交⇒(2)を孤立させロシアと接近 (3)年 奥、伊と共に(4)を結成 (5)年皇帝(6)との対立から(1)が辞任⇒世界政策の展開
ビスマルク, フランス, 1882, 三国同盟, 1890, ヴィルヘルム二世
2
孤立を続けていたイギリスの対応 1891〜94年()1904年()1907年()により、ドイツを包囲する()が成立
露仏同盟, 英仏協商, 英露協商, 三国協商
3
スラヴ系民族の統一を目指す()とゲルマン系民族の統一を目指す()が対立
パン・スラブ主義, パン・ゲルマン主義
4
パン・スラブ主義は、()が支持 セルビアを通じてスラヴ系民族への影響力大をねらう。 パン・ゲルマン主義は()が支持。バルカン支配をねらうオーストリアを後押し。
ロシア, ドイツ
5
第一次バルカン戦争では、ロシアの仲介で結ばれた()がオスマン帝国に()
バルカン同盟, 勝利
6
第2次バルカン戦争では、獲得した領土の分配をめぐり(1)と他のバルカン同盟諸国が対立⇒敗れた(1)は領土を縮小されオスマンドイツオーストリアに接近⇒ヨーロッパの緊張が高まる⬇ よーろっぱの()。
ブルガリア, 火薬庫
7
1914年(1)の皇位継承者夫妻が(2)のサラエボで(3)人青年によって暗殺される⇒(1)が(3)に宣戦布告
オーストリア, ボスニア, セルビア
8
オーストリアがセルビアに宣戦布告 三国同盟を理由に()が仏、露に宣戦布告⇒()がドイツに宣戦布告⇒日本は()を理由に三国協商側に参戦⇒世界各国を巻き込んだ()へと拡大。
ドイツ, イギリス, 日英同盟, 第一次世界大戦
9
第一次世界大戦の戦争の経過 1914年8月 独が露を破り、()占領() 1914年9月 仏軍が独を阻止()⇒()が続くなかで戦争は長期化 1914年11月()が()で参戦。 1915年年()が()側で参戦。
ポーランド, 東部戦線, 西部戦線, 塹壕戦, オスマン帝国, 三国同盟, イタリア, 三国協商
10
戦争の転機 1917年 ドイツが中立国の艦船も攻撃する()を開始。⇒()が()側で参戦し優勢となる。
無制限潜水艦作戦, アメリカ, 連合国
11
日清戦争で敗れた清では(1)らが(2)のような西洋技術の導入に偏る近代化だけでなく、日本のように(3)を摂るべきだと主張。⇒(4)は(1)と共に、1898年に清の近代化に向けて改革を実施⇒しかし、(5)を中心とする保守派が弾圧⇒わずか100日で元に戻る=(6)
康有為, 洋務運動, 立憲君主政, 光緒帝, 西太后, 戊戌の政変
12
義和団事件 ヨーロッパ諸国は中国各地に()を設け、清を植民地化。この過程で布教が進められていた()は、清の伝統や習慣と対立して排外運動の標的となる。⇒このことより、()が()を唱え勢力を拡大 1990年には北京の外国公使館を包囲。清の()はこれを利用し、外国勢力に宣戦布告した。⇒結果、日本、ロシアを主力とした8カ国連合に敗れ、清は多額の賠償金の支払いを認める()に調印。
租借地, キリスト教, 義和団, 扶清滅洋, 保守派, 北京議定書
13
日露戦争 ロシアを警戒した日本は、英と1902年に()を締結。1904年()スタート 日本側には同盟国の英と、門戸解放を唱え中国への進出を狙う()が支援。ロシア側には()、()が付く。⇒両方ボロボロ⇒日本海海戦での日本勝利を機にアメリカの調停で()年()を結び講和。
日英同盟, 日露戦争, アメリカ, フランス, ドイツ, 1905, ポーツマス条約
14
ポーツマス条約の内容は、南樺太の讓渡、遼東半島南部の租借権、南満州鉄道の利権の讓渡をロシアから得る⇒賠償金は、得られず、⇒不満を持った民衆が()などの暴動を起こす。
日比谷焼打事件
15
不平等条約の改正 ()年()の撤廃⇒ロシアの南下政策の危機により()が讓渡 ()年()の完全回復⇒()により達成
1899, 領事裁判権, イギリス, 1911, 関税自主権, 小村寿太郎
16
日露戦争勝利の影響 日本は(1)に大きな影響を与える⇒イランでは日本に触発される形で(2)が起こった。 ロシアは極東進出を取りやめ再び(3)進出を狙う。同じく(3)を狙う(4)に対抗するためイギリスと(5)を締結。
民族独立, イラン立憲革命, バルカン半島, ドイツ, 英露協商
17
日本の対外進出 日本は大韓民国と()度の()を結ぶ。1910年()を強行し()を設置。初代大統領は()。 日本は更に南満州鉄道や()を支配。その後()の締結。日本は()をロシアは()を勢力範囲とすることを認める。
3, 日韓協約, 日韓併合, 朝鮮総督府, 伊藤博文, 関東州, 日露協約, 南満州, 北満洲
18
日露戦争後中国各地で清朝打倒を目指す結社が武力闘争を起こす。1905年、革命家の人々が(1)を結成。指導者は(2)。(2)は民族主義、民権主義、民生主義の(3)を主張。清朝が鉄道を固有化し、敷設資金を海外から借りようと画策。1911年に四川省で暴動が起きる()が始まる。1912年に()成立。14省が清から独立。臨時大統領(2)。
中国同盟会, 孫文, 三民主義, 辛亥革命, 中華民国
19
分裂の続く中国 ()の登用。清朝の軍の実権を握っており、革命派の鎮圧を図る⇒しかし革命派と取り引きをし、()に代わり自分が臨時大統領に就くことを条件に()を退位させた。⇒清朝が滅び、中国はアジア初の()となる。
袁世凱, 孫文, 溥儀, 共和国
20
袁世凱は、革命派が結成した政党である()を解散させ、国会の停止、自身の強化を行う。袁世凱は、自身を皇帝とする帝政の復活を行ったが、国内や諸外国の反対にあい断念。列強の支援を受けた()が各地に乱立⇒中国は事実上の分裂状態が続く。
国民党, 軍閥
21
第一次世界大戦と日本 日本は()を中国の袁世凱政府に強要。⇒青島などを含む()権益を承認させた⇒日中関係の悪化⇒()ボイコット運動。日本はドイツが所有していた()を占領。
二十一か条の要求, 山東省, 対日, 南洋諸島
22
日本の外交 日本は戦争中に連合国側を支援⇒英米は日本との協力関係を強化。日米間で()を結ぶ。中国における日本の利益を承認
石井・ランシング協定
23
総力戦の特色 女性などを労働力として動員し軍需生産を行う仕組みが作られた⇒社会的、政治的地位の向上。()、()、飛行機、潜水艦などの新兵器を導入。⇒大量の戦死者、非戦闘員の犠牲を出すことになった。
毒ガス, 戦車
24
ロシア国内 1905年、ロシアの首都()で()が発生⇒皇帝()は国会の開設に同意=皇帝の権限に制限
サンクトペテルブルク, 血の日曜日事件, ニコライ二世
25
ロシア 第一次世界大戦中に首都で食糧危機が発生⇒怒った市民が()ロシア歴()をした。帝政が倒され、()が樹立された。 その後ポリシェヴィキの指導者()は労働者、兵士による()が社会主義革命を起こす必要性を解く。その後()ロシア歴()が起こり、臨時政府を倒して()を樹立 平和に関する布告⇒無併合、無償金、()を原則のする講和 土地に関する布告⇒()全ての土地を()
三月革命, 二月革命, 臨時政府, レーニン, ソヴィエト, 十一月革命, 十月革命, ソヴィエト政権, 民族自決, 国内, 固有化
26
1918年、ポリシェヴィキが武力により議会を解散⇒()を固める。 ドイツと()を結んで第一次世界大戦から離脱。
一党独裁体制, プレストリトフスク条約
27
ドイツの敗北 ⇒キール軍港の()から革命運動拡大 ⇒ヴィルヘルム二世退位 ⬇ 全部合わして()
水平反乱, ドイツ革命