問題一覧
1
江戸幕府が、朝廷の監察と西国大名の監視のために置いた組織は次のうちどれか
京都所司代
2
徳川家光の時代には分地制限令が出され、土地の自由処分が禁止された。
✕
3
1637年に島原の乱が起こると、幕府はポルトガル船の来航を禁止しオランダ商館を長崎の出島に移した。オランダと清のほか、将軍の代替わりごとに朝鮮通信使が来日した。
〇
4
6代、7代将軍の時代に朱子学者の新井白石が政治を行った。 貨幣の質を元に戻すため正徳小判を製造したほか、財政立て直しのため海舶互市新令という輸出拡大策を行った結果、金銀が大量に海外へ流出した。
✕
5
8代将軍徳川吉宗による享保の改革では、上米の制によって参勤交代の期間を半減させたほか、税率の決定方法を(1)から(2)に変更した。
(1)検見法/(2)定免法
6
徳川吉宗は株仲間を公認し、商業統制を行った。
〇
7
徳川吉宗は江戸町奉行に大岡忠相を登用し、裁判や刑罰の基準を記載した判例集である〇〇を制定した。
公事方御定書
8
10代将軍時代の老中田沼意次は、新田開発を積極的に進めたほか、最上徳内を蝦夷地に派遣してロシア人との交易可能性を調査した。
〇
9
松平定信は、寛政の改革において、困窮する旗本や御家人を救うために米の売却をする札差に貸金を放棄させる〇〇を制定した。
棄捐令
10
寛政の改革では、1万石につき50石の米を蓄えさせる上げ米の制が出された。
✕
11
1840年からのアヘン戦争の結果を受け、幕府は異国船打払令を制定した。
✕
12
天保の改革を行った水野忠邦は、これまでで最も厳しい倹約令を出したほか、江戸や大阪周辺を直轄領にしようとした上知令を出したが反発を招き失脚した。
〇
13
江戸時代には、潮の干満を利用して塩田を作る〇〇が発達した。
入浜式塩田
14
江戸の海運業では、下関から大阪を経て江戸に至る西廻り航路が発達した。
✕
15
8代将軍徳川吉宗は、参勤交代期間を半減する代わりに1万石につき100石を臨時徴収する〇〇を出した。
上げ米の制
16
天保の改革では、江戸や大阪周辺を直轄地にしようとした〇〇が出された。
上知令
17
寛政の改革で松平定信は、旗本や御家人救済のため札差に債権の一部を放棄させる〇〇を制定した。
棄捐令
18
『上知令』を出したのは誰か
水野忠邦
19
棄捐令を出したのは誰か
松平定信
20
囲い米の令を出したのは誰か
松平定信
21
上げ米の制を出したのは誰か
徳川吉宗
22
徳川吉宗の享保の改革では、財政支出を減らしつつ有能な人材を確保するため、家禄が役職の役高に達しない者には在職中に限り役高と家禄の不足分を支給する『足高の制』が導入された。
○
23
相対済令は、札差からの借金を免除するものである。
✕
24
江戸時代初期は金や銀の採掘が盛んであったが、後半は銅の採掘が重視されるようになった。
○
25
鎖国では、幕府はスペインとポルトガルを対象に来航禁止措置をとった。
○
26
1858年の日米修好通商条約について、幕府は鎖国攘夷を唱えて反対したが、光明天皇ら朝廷側は締結はやむを得ないとして受け入れていた。
✕
27
鎖国明けの貿易開始当初は、日本の輸出品は(1)であり、(2)を輸入していた。 新興商人が台頭し、品物を問屋を通さずに直接運び入れたため既存の特権的流通機構は衰退していった。
(1)生糸やお茶/(2)毛織物や綿織物
28
○○は、天明の大飢饉をうけて農村の立て直しをはかった。
松平定信
29
農民の出稼ぎを禁じ、帰村を強制した「人返しの法」を出したのは誰か
水野忠邦
30
旧里帰農令を出したのは誰か。
松平定信