問題一覧
1
アレクサンドロス王の後継者争い( )で分裂した( )朝シリアからBC255年( )建国
ディアドコイ戦争, セレウコス, バクトリア
2
バクトリアは( )川上流、( )人。都は( )。
アム, ギリシア, バクトラ
3
バクトリアは( )文化を伝えるため、( )に侵入→( )朝の( )文化へ
ヘレニズム, 西北インド, クシャーナ, ガンダーラ
4
バクトリアは最古の( )民族( )のトハラ人によって滅亡され( )に支配される
騎馬, スキタイ, 大月氏
5
セレウコス朝シリアからBC248( )が独立。建国地は( )海南東、民族は( )系( )民、都は( )
パルティア, カスピ, イラン, 遊牧, クテシフォン
6
パルティアは( )の全盛期の後( )と抗争、( )で( )を破った
ミトラダテス一世, ローマ, カルラエの戦い, クラッスス
7
ローマ五賢帝の( )帝以降、パルティアは劣勢となり( )朝ペルシアにより滅亡。
トラヤヌス, ササン
8
馬に乗って振り向きざまに矢を放つ( )を用いたパルティアは、西アジアにおける( )国家を成立させた
パルティアンショット, 騎馬民族
9
226年、( )を滅ぼし( )建国
パルティア, ササン朝ペルシャ
10
ササン朝ペルシャの建国地は( )、都は( )、建国者は( )
メソポタミア, クテシフォン, アルダシール一世
11
ササン朝2代皇帝( )はインドの( )を破り、260年( )でローマ皇帝( )を捕虜にした
シャープール一世, クシャーナ朝, エデッサ, ウァレリアヌス帝
12
ササン朝は( )の時代最盛期を迎え( )(=東ローマ帝国)皇帝( )と抗争し、( )を滅ぼす
ホスロー一世, ビザンツ, ユスティニアヌス帝, エフタル
13
ササン朝は( )を国教とした。 ササン朝-ビザンツ帝国間の戦争により活発化した正統派カリフ時代の( )により642年( )で滅ぼされる。
ゾロアスター教, イスラム, ニハーヴァンドの戦い
14
BC4頃、インドではシャイシュナーガ朝( )国がクシャーナ朝を凌駕する国力を手にし( )国を制圧、ガンジス川流域を支配
マガダ, コーサラ
15
マガダ国( )朝の時代、マケドニアの( )の侵入を受け衰退、北西部の氾濫により滅亡
ナンダ, アレクサンドロス大王
16
ナンダ朝を滅ぼし( )が建国。開祖は( )、都は( )。
マウリヤ朝, チャンドラグプタ, パータリプトラ
17
マウリヤ朝はインド初の( )
統一国家
18
マウリヤ朝は( )を撃退しアフガニスタンを獲得。降伏条件として( )を送る
セレウコス朝シリア, 象
19
マウリヤ朝最盛期の王( )は漢字で( )とも表記され、集権体型と( )王国支配を進める
アショーカ王, 阿育王, カリンガ
20
アショーカ王はカリンガ王国支配時の大虐殺を後悔し( )に帰依、保護政策を摂る
仏教
21
アショーカ王は仏教の教え(法)である( )に基づく政治(貧民救済など)( )・( )に詔勅を刻む ( )=仏塔を建立。( )の仏塔が世界最古
ダルマ, 磨崖碑, 石柱碑, ストゥーパ, サーンチー
22
アショーカ王は( )で釈迦の教えをまとめ、( )=スリランカやミャンマー、インドに仏教布教、各地で( )となり、戒律の厳しいこれらの宗派を( )という
第3回仏教結集, セイロン, 部派仏教, 上座部仏教
23
集権的なアショーカ王の死後、地方が自立し北インドは分裂、東北インドでは( )諸王国が興亡し後の( )へ、西北インドではギリシアの影響を受けた( )が建国
バラモン, ラージプート諸王朝, バクトリア
24
( )支配下の( )系( )族が独立しマウリヤ朝後の西北インドを支配、( )を開く
大月氏, イラン, クシャーナ, クシャーナ朝
25
クシャーナ朝の都は( )、最盛期は( )王の時代であり、これはローマ( )時代と重なり東西交通路が大幅に発達、それを利用し( )が漢に訪れるも党錮の禁で面会できず
プルシャブラ, カニシカ, 五賢帝, 大秦国王安敦
26
クシャーナ朝は第4回( )を行い仏教保護、( )美術=仏教仏像美術が発達しインド文化と( )文化が融合、
仏典結集, ガンダーラ, ヘレニズム
27
クシャーナ朝では仏教が発展し、従来の上座部仏教に対して全ての人々の救済をを目指す( )に基づく( )仏教が、( )=竜樹によって始められる
菩薩信仰, 大乗, ナーガールジュナ
28
Bc1頃インド南部に成立したアーンドラ朝とも呼ばれる( )は( )系アーンドラ族による国家で、( )教が盛んだったためカースト制度が確立した
サータヴァーハナ朝, ドラヴィダ, バラモン
29
南インドではインド最南の( )朝や、スマトラ島( )に侵略した( )が( )語を話した
パーンディヤ, シュリーヴィジャヤ, チョーラ
30
320年、インドの民族的反発運動により「インド人のインド」を目指し( )朝が成立。開祖は( )、都は( )
グプタ, チャンドラグプタ一世, パータリプトラ
31
グプタ朝は( )の時代領域最大。( )の僧( )が行きは( )、帰りは( )で訪れ( )を記録した
東晋, 法顕, 陸路, 海路, 仏国記
32
グプタ朝で仏教は後年衰退したが、( )僧院や( )石窟寺院などが建設され、仏教言語である( )による文学文化が発展した
ナーランダー, アジャンター, サンスクリット語
33
サンスクリット語文学は( )・( )の2大叙事詩や( )の( )などに代表される
マハーバーラタ, ラーマーヤナ, カーリダーサ, シャクンタラー
34
グプタ国王の保護により( )が国教化。保護神は( )、創造神は( )、破壊神は( )
ヒンドゥー教, ヴィシュヌ, ブラフマー, シヴァ
35
グプタ朝では( )様式を基調にした( )大仏などが作られたものの、ヒンドゥー教によって衰退してしまった
グプタ, バーミヤン
36
グプタ朝は( )の侵入により衰退し、( )=戒日王が( )朝を開く。
エフタル, ハルシャ・ヴァルダナ, ヴァルダナ
37
ヴァルダナ朝の都は( )、( )教と仏教を保護、( )朝と( )と修好した
カナウジ, ヒンドゥー, ササン, 唐
38
ササン朝( )とビザンツ帝国( )の戦いの中で( )路を利用した交易の発展によりアラブ諸国が急速に拡大し、( )教が( )によって開かれた
ホスロー一世, ユスティニアヌス帝, ヒジャーズ, イスラム, ムハンマド
39
イスラムの意味は「神に( )する」「絶対に( )する」
帰依, 服従
40
メッカを支配していたクライシュ族ハーシム家出身のムハンマドは610年自らを唯一神( )の言葉を預けられた( )だと自認し、都市( )で教えを説いた。しかし迫害され、( )へ( )=聖遷した
アッラー, 預言者, メッカ, メディナ, ヒジュラ
41
イスラム暦は( )年の( )を基準とする( )歴
622, ヒジュラ, 太陰
42
イスラム教では六つのものを信じる( )、五つの行い(信仰告白、礼拝、巡礼、喜捨、断食)を必ず遂行する( )が重んじられる
六信, 五行
43
630年ムハンマドはメッカを征服し、大きな影響力を持つイスラーム共同体( )を設立した
ウンマ
44
ムハンマドの死後、後継者=( )として( )が選出されたが、権力争いによって対立が広まり、4代目の後継者( )は暗殺されてしまった
カリフ, アブー・バクル, アリー
45
2代目正統カリフの( )は( )の戦いで( )朝を滅ぼし、征服地に( )を建設した
ウマル, ニハーヴァンド, ササン, ミスル
46
( )家出身の3代目正統カリフ( )は聖典( )を完成させた。聖戦( )の戦利品を分配から( )制に買えたが、反感を買い暗殺された
ウマイヤ, ウスマーン, ジハード, 俸給
47
4代目カリフのアリーが死んだことにより、対立していたシリア総督の( )は( )を首都に( )を開き、慣習を破って世襲政治を始めた
ムアーウィヤ, ダマスクス, ウマイヤ朝
48
アリーの血統を支持する人は( )、ウマイヤ朝を支持した人は後に( )とよばれるようになった
シーア派, スンニ派
49
初代カリフの( )、2代目の( )、3代目の( )、4代目の( )までの4人のカリフを、スンナ派は( )と呼ぶ
アブー・バクル, ウマル, ウスマーン, アリー, 正統カリフ
50
ウマイヤ朝はアジアやインド、北アフリカや( )王国を征服し、700年頃( )帝国(現フランス)へ進出したが、732年の( )の戦いに敗れ勢力拡大を停止した
西ゴート, フランク, トゥール・ポワティエ間
51
ウマイヤ朝は非征服地から人頭税=( )と土地税=( )を徴収した。イスラームに改宗すれば免除されるはずだったが、実際には免除されなかった
ジズヤ, ハラージュ
52
被征服民族などに新しいイスラム教徒( )が増えると、彼らと古参のイスラム教徒との間に軋轢が生まれ、この対立に乗じムハンマドの系譜にある( )が750年反乱し、ウマイヤ朝を滅ぼしてスンナ派( )を開いた
マワーリー, アブー・アル・アッバース, アッバース朝
53
ウマイヤ朝2代カリフ( )は都を( )から円状の都市( )へ遷都した
マンスール, ダマスクス, バグダッド
54
アッバース朝では異教徒(非イスラム教徒)に人頭税が課され、農地を持つものには宗教を問わず土地税が課された。イスラム教徒の平等や交通整備が進められ、イスラム教徒の商人( )による貿易も発展し、アッバース朝は5代目カリフ( )の在位した700年後半から800年にかけて全盛期を迎えた
ムスリム商人, ハールーン・アル・ラシード
55
アッバース朝ではインド、イラン、ギリシャなど多地方の文化が融合され、アラビア数字が発明され、バグダードの知恵の館=( )を中心に学術文献が( )語に翻訳された
バイト・アルヒクマ, アラビア
56
アッバース朝では( )の哲学書がイスラーム神学に大きな影響を与え、数学では( )、医学では( )がよく知られる
アリストテレス, フワーリズミー, イブンシーナー
57
アッバース朝では聖典( )や伝承( )の研究が進み、伝承の収集家( )は年代記( )を編纂し、( )と呼ばれる法学者たちはムハンマドが示した生き方を定める( )を体系化した
コーラン, ハディース, タバリー, 預言者達と諸王の歴史, ウラマー, シャリーア
58
アッバース朝ではインド、イラン、アラビア、ギリシャに伝わる説話をまとめた( )や、植物や文字を文様化した建築技術の( )が発生した。この時期のイスラムを中心に多文化が融合した文化を( )と呼ぶ
千夜一夜物語, アラベスク, イスラーム文化
59
アッバース朝は10世紀頃トルコ系の奴隷軍人( )の台頭でカリフの権力が弱まり、混乱に乗じてシーア派のイラン系軍事政権( )に乗っ取られ、イスラム世界におけるアッバース朝の支配は形骸化していた
マムルーク, ブワイフ朝
60
ウマイヤ朝の地方軍の幹部( )達は崩壊後イベリア半島に移動し、( )にスンナ派( )を開いた
アミール, コルドバ, 後ウマイヤ朝
61
過激シーア派の( )朝はエジプト地域を支配し、首都を( )に置き最古の大学( )を創設したが、1171年( )により滅ぼされた
ファーティマ, カイロ, アズハル学院, サラディン
62
後ウマイヤ朝8代カリフ( )、アッバース朝、ファーティマ朝などは、それぞれがカリフを名乗り対立した。
アブド・アッラフマーン3世
63
ウマイヤ朝のアミールはイラン地域で自立し( )朝を建国した。都はソグド人の住むアム川とシル川の間の( )
サーマーン, ブハラ
64
サーマーン朝はトルコ系の居住地( )とイラン系ソグド人( )の居住地の被る地点に位置したため、トルコ人のイスラム化が進行した(現在のウズベキスタン、カザフスタン)
トルキスタン, ソグディアナ
65
シーア派の軍事政権( )はイラン南部に建国され、946年( )が( )に入城。アッバース朝より( )に任命されアッバース朝を事実上支配した
ブワイフ朝, アフマド, バグダッド, 大アミール
66
ブワイフ朝は"初めて"( )と呼ばれるイスラム圏の封建制度を始めた。各地の軍人、官僚に( )を与え、今までの給料性( )から財産体制を変更した
イクター制, 徴税券, アター制
67
黒海とエーゲ海(地中海)を結ぶ海峡のうちイスタンブールに近い( )とオリエントとギリシャの間にある( )はその地理的重要さから度々登場する
ボスフォラス海峡, ダーダネルス海峡
68
ゲルマン人は現住地( )半島・( )半島から拡大
スカンディナヴィア, ユトランド
69
ゲルマン人は( )でローマと抗争し勝利
トイトブルク森の戦い
70
ローマ分裂の( )年前、( )年から568年にかけて( )
20, 375, ゲルマン人の大移動
71
ゲルマン人の大移動は人口増加による農地不足と( )人の西進が原因
フン
72
フン人はダキアから( )に大帝国を建設し、5世紀頃( )の代に全盛期
パンノニア, アッティラ
73
フン人は( )の戦いでローマの( )に敗北
カタラウヌム, レオ一世
74
西ゴート人は375年に移動し、( )年にローマに侵入し、( )の戦いでローマに勝利
376, アドリアノープル
75
西ゴート人は( )半島に( )王国を建国、後にイスラム( )朝に敗れる
イベリア, 西ゴート, ウマイヤ
76
ヴァンダル人はオーデル川上流から大きく移動し( )に建国。534年にビザンツに敗れる
北アフリカ
77
現ブルゴーニュ地方に( )王国が建国されたが、後に( )王国により征服される
ブルグンド, フランク
78
( )・( )族はデンマークの( )に移動した後、( )=へプターキーを建国。ジュート人と同化
アングル, サクソン, ブリタニア, アングロサクソン七王国
79
イタリアの現( )には( )が建国され、ビザンツからイタリアを奪った
ロンバルディア, ランゴバルド
80
( )年にテオドシウス帝が死亡しローマ帝国が分裂した後、ゲルマン人の( )によって西ローマ帝国が( )年に崩壊
395, オドアケル, 476
81
481年、( )は( )王国( )朝を開き、ゲルマン人国家を創立した
クローヴィス, フランク, メロヴィング
82
( )かつ( )的に移動したフランクは他のゲルマン人王国に比べて長期間存続した
近距離, 膨張
83
クローヴィスは多くのゲルマン人が( )を信仰していたにも関わらず国教を( )へ改宗した
アリウス派, アタナシウス派
84
東ゴートの( )は( )に侵入してオドアケルを倒し( )王国を建設
テオドリック王, イタリア, 東ゴート王国
85
東ローマ帝国の( )は( )を編纂し、( )を建立し、芸術様式としての( )を始めた
ユスティニアヌス, ローマ法大全, ハギアソフィア大聖堂, ビザンツ様式
86
東ローマ帝国の( )は726年( )を発行し、聖像崇拝論争が勃発。1054年にローマ教皇とコンスタンティノープル総大主教は互いに破門し、西ローマを中心とする( )と東ローマ帝国を中心とする( )に分裂した
レオン3世, 聖像禁止令, カトリック教徒, 東方正教会
87
732年、( )の戦いで宮宰(マヨルドムス)の( )が、ウマイヤ朝を激隊
トゥール・ポワティエ間, カール・マルテル
88
751年、( )が( )朝を起こしメロヴィング朝は滅びる
ピピン, カロリング
89
ピピンはローマ教皇に統治権を認められたため、イタリア上部の( )地方を教皇に寄進した=( )
ラヴェンナ, ピピンの寄進
90
768-800年の間、フランク王国最盛期の国王( )による統治が行われ、この時期世界は西ヨーロッパ中心となった
カール大帝
91
カール大帝は( )の代表的人物( )を招き、ザクセン人や( )人やムスリムを撃退し、教皇( )よりローマ皇帝を帝冠し、( )を派遣して各地の( )を監視した
カロリング・ルネサンス, アルクイン, アヴァール, レオ3世, 巡察使, 伯
92
431年、( )公会議で( )は異端とされた
エフェソス, ネストリウス派
93
1095年、( )はイスラムからのエルサレム奪還を大義名分にローマ皇帝に救援を要請し( )を派遣
アレクシオス1世, 十字軍
94
第4回十字軍の主導権は完全に西ローマ帝国側に移っていたが、軍は資金難に陥り同じキリスト教国家の街を襲撃しローマ教皇から破門された。その後軍はビザンツ帝国の首都( )へ侵略してしまい( )が建国された
コンスタンティノープル, ラテン帝国
95
1261年、各地に亡命していたビザンツ帝国の生き残りははラテン帝国を滅ぼしビザンツを再興したが、1453年に( )の( )によって首都に侵攻され滅亡した
オスマン帝国, メフメト二世
96
カール大帝の死後王国は内紛へ突入し843年の( )と870年の( )によって帝国は東西フランクと( )に分裂した
ヴェルダン条約, メルセン条約, イタリア
97
東フランク=( )ではザクセン家の( )がウラル語系の( )人やスラヴ人を退け、926年にローマ皇帝を戴冠し( )を建国した
ドイツ, オットー1世, マジャール人, 神聖ローマ帝国
98
西フランク=( )ではパリ泊の( )が王位について( )朝を開いたが、支配域は小さく権力は弱かった
フランス, ユーグ・カペー, カペー