メディア論
問題一覧
1
衣服, 文学, 話し言葉としての言語, テレビ, スマートフォン
2
メディアユーザー
3
技術決定論
4
伝達範囲に制限がある, 蓄積できない
5
マーシャル・マクルーハン
6
ヨハネス・グーテンベルク
7
初期近代
8
マルティン・ルター
9
カトリック教会
10
想像の共同体
11
市民階級
12
コーヒーハウス
13
ユルゲン・ハーバーマス
14
通信社の登場
15
エミール・ド・ジラルダン
16
イギリス
17
1850年頃からイギリスは、電信ケーブルの敷設に積極投資を行った。その結果、1887年には全世界の電信ケーブルの約70%はイギリス資本が占めるようになり、ロンドンに世界の情報がいちはやく集中した。, 電信の発達は人々の天候への関心の高まりの背景にもなったとされる。イギリスでは1854年に気象局が設立し、新聞に気象情報が掲載されるようになった。
18
グラハム・ベル
19
可能的様態
20
プライバシーの権利
21
正力松太郎
22
現在、日本におけるテレビの影響力は低下しており、2021年の東京オリンピックの開会式中継も20%程度の世帯視聴率にとどまり、テレビを媒介とする「国民的体験の同時性」はみられなかったといえる。, 日本においてカラーテレビの世帯普及率が白黒テレビの世帯普及率を逆転したのは東京オリンピックが開催された1964年である。, 日本において新聞とスポーツの関係性は密接で、新聞社が野球や駅伝の有名な大会を主催するなどしている一方で、テレビとスポーツの関係性は薄いことが特徴であると指摘されている。
23
リースマンは産業革命や市民革命などの産業構造・政治構造の転換がおこり、工業化がすすみ人口が増大するという急激な社会変化のなかで、第二次世界大戦後、人々は安定的な秩序を求めるようになり、社会的性格は伝統指向型に回帰したとしている。, リースマンは人々を社会化するメディアとして、前近代社会においては宗教儀式、市民社会においてはテレビ、大衆社会においてはインターネットであるとした。
24
テレビは冷蔵庫や洗濯機などの家電とは別ジャンルの通信機器として、日本では販売された。そのため、一部の知識層や大学などの組織から普及がすすみ、長らく放送される番組の種類やターゲットに大きな偏りがあった。
25
民主主義国家グループと共産・社会主義国家グループとの対立である東西冷戦は、第二次世界大戦後は長らく鎮静化していた。そのため、日本のマスメディアは国際政治状況に影響されることなく、第二次世界大戦後、急速に成長した。, 日本はポツダム宣言の受諾により第二次世界大戦後、連合国(実質的にはGHQ)による統治が行われたが、GHQは放送事業については大きな関心を払わなかったため、アメリカの影響はほとんど受けることなく、日本独自の放送事業が構想された。, 1950年に交付・施行され、改正等がなされながら現在も有効である、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とし、放送や放送事業者等についても定めている法律とは、電波法である。
26
日本のテレビ放送事業は国会が管轄する許認可事業(免許事業)であり、現在は5年ごとの免許更新が義務付けられている。, 日本の放送事業は現在も、全国あまねく放送する国営放送としてのNHKと地域的機能を果たすことを目的とする広告収入による民間放送の2元体制でおこなわれている。
27
国益の重視とプライバシーの保護, 効率的な放送事業のために競争原理を導入すること, 格差是正やコンプライアンスに配慮した番組制作をすること
28
1970年に始まった朝鮮戦争が長引くにつれ、アメリカ国内での反戦運動が高まり、カウンターカルチャーが西海岸の若者を中心に盛り上った。そのことが現在のアメリカ西海岸におけるベンチャービジネス興隆につながっているとされる。, 日本におけるインターネット元年と呼ばれる1995年は、Appleから初代Macが発売された年である。さらに、阪神淡路大震災ではインターネット通信の有用性が注目された。
29
メディア変容のなかで、双方向的な編集性が実現されたことにより、人々の情報リテラシーは飛躍的に向上し、フェイクニュースなどの問題はまったくおこなくなった。
30
ポストメディア的状況においては、新しい技術の登場が社会の変化を牽引する技術決定論的立場が妥当であるとされる。
31
レフ・マノヴィッチ
32
メディアのオーディエンスは、送り手がコード化(符号化)したメッセージをそのまま受け取る受動的な存在であり、デコーディングのプロセスは気にする必要はない。, ホールの「エンコーディング/デコーディング理論」はオーディエンスの読みを重視しすぎるという批判が多く、現在のメディア研究にはほとんど影響を与えていない。
33
新たなコンテンツを作ったり広めたりするところへ能動的に参加するよう人々をいざなう文化を「コンテンツ文化」とした。
34
ホドキンソン(2011)はメディアは社会の諸相を反映するものであり、情報技術が社会に与える影響はないとする。, 話し言葉としての「言語」は技術的な要素が含まれていないので、メディアとはいえない。
35
日本のテレビ放送事業は、全国あまねく放送する国営放送としてのNHKと、地域的機能を果たすことを目的とする民間放送の「放送の2元体制」で行われている。, 1950年に交付・施行された電波三法とは、「放送法」「電波法」「電波監理委員会設置法」であり、いずれの法律も現在もまだ有効である。, NHKの予算については、管轄省である総務省の承認を受けることが放送法で規定されている。
36
活版印刷術は、安土桃山時代ごろに日本に伝わり、江戸時代には急速に普及し、日本でも瓦版と呼ばれる新聞が活版印刷で数多く発行された。, アメリカでベルが特許を取得して開発された電話は、日本にはなかなか伝わらず、実用化されたのは大正時代に入ってからのことである。, 1920年代には欧米各地で、テレビの実験放送が行われていたが、日本でブラウン管を用いての映像映出に成功したのは第二次世界大戦後である。
37
プライベートな領域の事柄であるため、家事などについて扱った家庭向けの書籍などは発売されることはなく、家庭内での性別役割分業についての考え方は、産業革命後に影響力が増大したマスメディアの影響はほとんど受けなかった。, 市民革命や産業革命によって、社会や産業構造が急激に変化し、人々の価値観も大きく変化した。その一つが男女平等に関する意識の高まりである。
38
活版印刷術の開発による西洋における情報革命は、科学の発展や大航海時代の幕開けに影響を与えたとされているが、宗教改革に与えた影響については否定されている。, 市民革命や産業革命を経て、ヨーロッパ社会は大きく変化し、人々のニュースへのニーズが高まった。それに応えるべく17世紀に登場したメディアがテレビである。
39
コンピュータの開発は第二次世界大戦前後に民間主導で進められたため、IBMなどアメリカ企業が戦後いち早く商用化し、国の機関よりも大企業などの民間企業での導入が先行した。
40
近年、スポーツ大会等で実施されるパブリックビューイングのような視聴形態は、メディアのパーソナル化の典型的な事例であるといえる。, 1990年以降のメディア変容の特徴の一つとしてあげられるのが、メディアの身体化と脱場所化である。この事例として、MM808実習室に設置されているデスクトップコンピュータがあげられる。
41
全国紙5紙を中核して系列化され、世論に大きな影響力を保ちつづけている日本のマスメディアのありよう(体制)は、第二次世界大戦後の日本の政党政治の構図を模して「日本のマスメディアの『45年体制』」と呼ばれることがある。, 日本はポツダム宣言の受諾により第二次世界大戦後、連合国(実質的にはGHQ)による統治が行われたが、GHQは放送事業については大きな関心を払わなかったため、アメリカの影響はほとんど受けることなく、日本独自の放送事業が構想された。, 民主主義国家グループと共産・社会主義国家グループとの対立である東西冷戦は、第二次世界大戦後、2022年のロシアのウクライナへの軍事侵攻によって初めて激化した。そのため、日本のマスメディアは国際政治状況に影響されることなく、第二次世界大戦後、急速に成長した。, 1950年に交付・施行され、改正等がなされながら現在も有効である、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とし、放送や放送事業者等についても定めている法律とは、電波法である。
42
リースマンは産業革命や市民革命などの産業構造・政治構造の転換がおこり、工業化がすすみ人口が増大するという急激な社会変化のなかで、人々は安定的な秩序を求めるようになり、社会的性格は伝統指向型に回帰したとしている。, デヴィッド・リースマンは『世論と群衆』を著し、ある集団の大部分の人たちに共通している性格構造である社会的性格が社会情勢の変化にともない、変化したことを指摘した。, リースマンは人々を社会化するメディアとして、前近代社会においては宗教儀式、市民社会においてはテレビ、大衆社会においてはインターネットであるとした。
43
ル・ボンの群衆、タルドの公衆、ホルクハイマーらの大衆、それぞれを象徴するメディアは、群衆が新聞、公衆がラジオ、大衆がテレビである。, ル・ボンの群衆とホルクハイマーらの大衆は、物理的に人々が密集している状況を前提としているが、タルドの公衆は物理的に離れていても情報共有ができるネットワークとしてとらえられている。
44
グラハム・ベル, ウィリアム・フォザーギル・クック
45
通信社の登場
46
大量複製
47
グーテンベルク
48
コミュニケーションをなかだちする事物
49
メディアユーザー
50
技術決定論
51
蓄積できない
52
マーシャル・マクルーハン
53
初期近代
54
ルター
55
カトリック教会
56
想像の共同体
57
市民階級
58
コーヒーハウス
59
ユルゲン・ハーバーマス
60
エミール・ド・ジラルダン
61
イギリス
62
1850年頃からイギリスは、電信ケーブルの敷設に積極投資を行った。その結果、1887年には全世界の電信ケーブルの約70%はイギリス資本が占めるようになり、ロンドンに世界の情報がいちはやく集中した。, 電信の発達は人々の天候への関心の高まりの背景にもなったとされる。イギリスでは1854年に気象局が設立し、新聞に気象情報が掲載されるようになった。
63
可能的様態
64
私的
65
プライバシーの権利
66
正力松太郎
67
現在、日本におけるテレビの影響力は低下しており、2021年の東京オリンピックの開会式中継も20%程度の世帯視聴率にとどまり、テレビを媒介とする「国民的体験の同時性」はみられなかったといえる。, 日本においてカラーテレビの世帯普及率が白黒テレビの世帯普及率を逆転したのは東京オリンピックが開催された1964年である。
68
洗濯機、冷蔵庫とともに「三種の神器」と呼ばれたテレビは、第二次世界大戦後の現代的で民主的な日本の家庭生活のシンボルとして普及がすすんだ。, 1980年代に家庭用ビデオ装置や家庭用テレビゲームが発売されるようになり、テレビ視聴の個人化や細分化など視聴スタイルに変化がおき、メディアリテラシーについての関心が高まった。, 1970年代にはテレビは日本の家庭の日常生活の一部となり、国民は同じ理解水準と感覚水準をテレビを通じて共有するようになったとされる。テレビは日本において「一億総中流意識」を形成したメディアと評されている。
69
日本のテレビ放送事業は、1952年に日本の主権が回復される以前から電波三法など関連する法律等が準備されていた。, 日本のテレビ放送事業は総務省管轄の許認可事業(免許事業)であり、現在は5年ごとの免許更新が義務付けられている。, 日本のテレビ放送事業は当初、ハード(放送設備)とソフト(番組制作)の一致が原則とされていたが、2011年に完全施行された改正放送法によって、ハードとソフトの分離も可能になった。
70
日本のテレビ放送事業は、放送の自由を確保するために、独立機関である電波監理委員会によって管轄されている。, 日本のマスメディアの系列化は、第二次世界大戦後に急成長した東京のテレビ局が、地方のテレビ局や新聞社などを、経済的な目的で買収を繰り返した結果であり、政治的要因は全く関係がない。, 放送法では、民主主義的な価値観が重視されている一方で、政府のコントロールができるよう、表現の自由については制約されうるとしている。
71
政治経済的な秩序関係と関わりが強く、変化のスピードが海外にくらべると遅い。, 国民メディア文化の鋳型として機能しており、他国に比べると文化や民族の多様性が意識されていない。, 東京一極集中とメディアの系列化がすすみ、限定的な多様性となっている。
72
NHKと系列化された民間放送グループによる情報寡占が問題視される一方で、少数の広告代理店の肥大化などはおこらなかった。
問題一覧
1
衣服, 文学, 話し言葉としての言語, テレビ, スマートフォン
2
メディアユーザー
3
技術決定論
4
伝達範囲に制限がある, 蓄積できない
5
マーシャル・マクルーハン
6
ヨハネス・グーテンベルク
7
初期近代
8
マルティン・ルター
9
カトリック教会
10
想像の共同体
11
市民階級
12
コーヒーハウス
13
ユルゲン・ハーバーマス
14
通信社の登場
15
エミール・ド・ジラルダン
16
イギリス
17
1850年頃からイギリスは、電信ケーブルの敷設に積極投資を行った。その結果、1887年には全世界の電信ケーブルの約70%はイギリス資本が占めるようになり、ロンドンに世界の情報がいちはやく集中した。, 電信の発達は人々の天候への関心の高まりの背景にもなったとされる。イギリスでは1854年に気象局が設立し、新聞に気象情報が掲載されるようになった。
18
グラハム・ベル
19
可能的様態
20
プライバシーの権利
21
正力松太郎
22
現在、日本におけるテレビの影響力は低下しており、2021年の東京オリンピックの開会式中継も20%程度の世帯視聴率にとどまり、テレビを媒介とする「国民的体験の同時性」はみられなかったといえる。, 日本においてカラーテレビの世帯普及率が白黒テレビの世帯普及率を逆転したのは東京オリンピックが開催された1964年である。, 日本において新聞とスポーツの関係性は密接で、新聞社が野球や駅伝の有名な大会を主催するなどしている一方で、テレビとスポーツの関係性は薄いことが特徴であると指摘されている。
23
リースマンは産業革命や市民革命などの産業構造・政治構造の転換がおこり、工業化がすすみ人口が増大するという急激な社会変化のなかで、第二次世界大戦後、人々は安定的な秩序を求めるようになり、社会的性格は伝統指向型に回帰したとしている。, リースマンは人々を社会化するメディアとして、前近代社会においては宗教儀式、市民社会においてはテレビ、大衆社会においてはインターネットであるとした。
24
テレビは冷蔵庫や洗濯機などの家電とは別ジャンルの通信機器として、日本では販売された。そのため、一部の知識層や大学などの組織から普及がすすみ、長らく放送される番組の種類やターゲットに大きな偏りがあった。
25
民主主義国家グループと共産・社会主義国家グループとの対立である東西冷戦は、第二次世界大戦後は長らく鎮静化していた。そのため、日本のマスメディアは国際政治状況に影響されることなく、第二次世界大戦後、急速に成長した。, 日本はポツダム宣言の受諾により第二次世界大戦後、連合国(実質的にはGHQ)による統治が行われたが、GHQは放送事業については大きな関心を払わなかったため、アメリカの影響はほとんど受けることなく、日本独自の放送事業が構想された。, 1950年に交付・施行され、改正等がなされながら現在も有効である、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とし、放送や放送事業者等についても定めている法律とは、電波法である。
26
日本のテレビ放送事業は国会が管轄する許認可事業(免許事業)であり、現在は5年ごとの免許更新が義務付けられている。, 日本の放送事業は現在も、全国あまねく放送する国営放送としてのNHKと地域的機能を果たすことを目的とする広告収入による民間放送の2元体制でおこなわれている。
27
国益の重視とプライバシーの保護, 効率的な放送事業のために競争原理を導入すること, 格差是正やコンプライアンスに配慮した番組制作をすること
28
1970年に始まった朝鮮戦争が長引くにつれ、アメリカ国内での反戦運動が高まり、カウンターカルチャーが西海岸の若者を中心に盛り上った。そのことが現在のアメリカ西海岸におけるベンチャービジネス興隆につながっているとされる。, 日本におけるインターネット元年と呼ばれる1995年は、Appleから初代Macが発売された年である。さらに、阪神淡路大震災ではインターネット通信の有用性が注目された。
29
メディア変容のなかで、双方向的な編集性が実現されたことにより、人々の情報リテラシーは飛躍的に向上し、フェイクニュースなどの問題はまったくおこなくなった。
30
ポストメディア的状況においては、新しい技術の登場が社会の変化を牽引する技術決定論的立場が妥当であるとされる。
31
レフ・マノヴィッチ
32
メディアのオーディエンスは、送り手がコード化(符号化)したメッセージをそのまま受け取る受動的な存在であり、デコーディングのプロセスは気にする必要はない。, ホールの「エンコーディング/デコーディング理論」はオーディエンスの読みを重視しすぎるという批判が多く、現在のメディア研究にはほとんど影響を与えていない。
33
新たなコンテンツを作ったり広めたりするところへ能動的に参加するよう人々をいざなう文化を「コンテンツ文化」とした。
34
ホドキンソン(2011)はメディアは社会の諸相を反映するものであり、情報技術が社会に与える影響はないとする。, 話し言葉としての「言語」は技術的な要素が含まれていないので、メディアとはいえない。
35
日本のテレビ放送事業は、全国あまねく放送する国営放送としてのNHKと、地域的機能を果たすことを目的とする民間放送の「放送の2元体制」で行われている。, 1950年に交付・施行された電波三法とは、「放送法」「電波法」「電波監理委員会設置法」であり、いずれの法律も現在もまだ有効である。, NHKの予算については、管轄省である総務省の承認を受けることが放送法で規定されている。
36
活版印刷術は、安土桃山時代ごろに日本に伝わり、江戸時代には急速に普及し、日本でも瓦版と呼ばれる新聞が活版印刷で数多く発行された。, アメリカでベルが特許を取得して開発された電話は、日本にはなかなか伝わらず、実用化されたのは大正時代に入ってからのことである。, 1920年代には欧米各地で、テレビの実験放送が行われていたが、日本でブラウン管を用いての映像映出に成功したのは第二次世界大戦後である。
37
プライベートな領域の事柄であるため、家事などについて扱った家庭向けの書籍などは発売されることはなく、家庭内での性別役割分業についての考え方は、産業革命後に影響力が増大したマスメディアの影響はほとんど受けなかった。, 市民革命や産業革命によって、社会や産業構造が急激に変化し、人々の価値観も大きく変化した。その一つが男女平等に関する意識の高まりである。
38
活版印刷術の開発による西洋における情報革命は、科学の発展や大航海時代の幕開けに影響を与えたとされているが、宗教改革に与えた影響については否定されている。, 市民革命や産業革命を経て、ヨーロッパ社会は大きく変化し、人々のニュースへのニーズが高まった。それに応えるべく17世紀に登場したメディアがテレビである。
39
コンピュータの開発は第二次世界大戦前後に民間主導で進められたため、IBMなどアメリカ企業が戦後いち早く商用化し、国の機関よりも大企業などの民間企業での導入が先行した。
40
近年、スポーツ大会等で実施されるパブリックビューイングのような視聴形態は、メディアのパーソナル化の典型的な事例であるといえる。, 1990年以降のメディア変容の特徴の一つとしてあげられるのが、メディアの身体化と脱場所化である。この事例として、MM808実習室に設置されているデスクトップコンピュータがあげられる。
41
全国紙5紙を中核して系列化され、世論に大きな影響力を保ちつづけている日本のマスメディアのありよう(体制)は、第二次世界大戦後の日本の政党政治の構図を模して「日本のマスメディアの『45年体制』」と呼ばれることがある。, 日本はポツダム宣言の受諾により第二次世界大戦後、連合国(実質的にはGHQ)による統治が行われたが、GHQは放送事業については大きな関心を払わなかったため、アメリカの影響はほとんど受けることなく、日本独自の放送事業が構想された。, 民主主義国家グループと共産・社会主義国家グループとの対立である東西冷戦は、第二次世界大戦後、2022年のロシアのウクライナへの軍事侵攻によって初めて激化した。そのため、日本のマスメディアは国際政治状況に影響されることなく、第二次世界大戦後、急速に成長した。, 1950年に交付・施行され、改正等がなされながら現在も有効である、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とし、放送や放送事業者等についても定めている法律とは、電波法である。
42
リースマンは産業革命や市民革命などの産業構造・政治構造の転換がおこり、工業化がすすみ人口が増大するという急激な社会変化のなかで、人々は安定的な秩序を求めるようになり、社会的性格は伝統指向型に回帰したとしている。, デヴィッド・リースマンは『世論と群衆』を著し、ある集団の大部分の人たちに共通している性格構造である社会的性格が社会情勢の変化にともない、変化したことを指摘した。, リースマンは人々を社会化するメディアとして、前近代社会においては宗教儀式、市民社会においてはテレビ、大衆社会においてはインターネットであるとした。
43
ル・ボンの群衆、タルドの公衆、ホルクハイマーらの大衆、それぞれを象徴するメディアは、群衆が新聞、公衆がラジオ、大衆がテレビである。, ル・ボンの群衆とホルクハイマーらの大衆は、物理的に人々が密集している状況を前提としているが、タルドの公衆は物理的に離れていても情報共有ができるネットワークとしてとらえられている。
44
グラハム・ベル, ウィリアム・フォザーギル・クック
45
通信社の登場
46
大量複製
47
グーテンベルク
48
コミュニケーションをなかだちする事物
49
メディアユーザー
50
技術決定論
51
蓄積できない
52
マーシャル・マクルーハン
53
初期近代
54
ルター
55
カトリック教会
56
想像の共同体
57
市民階級
58
コーヒーハウス
59
ユルゲン・ハーバーマス
60
エミール・ド・ジラルダン
61
イギリス
62
1850年頃からイギリスは、電信ケーブルの敷設に積極投資を行った。その結果、1887年には全世界の電信ケーブルの約70%はイギリス資本が占めるようになり、ロンドンに世界の情報がいちはやく集中した。, 電信の発達は人々の天候への関心の高まりの背景にもなったとされる。イギリスでは1854年に気象局が設立し、新聞に気象情報が掲載されるようになった。
63
可能的様態
64
私的
65
プライバシーの権利
66
正力松太郎
67
現在、日本におけるテレビの影響力は低下しており、2021年の東京オリンピックの開会式中継も20%程度の世帯視聴率にとどまり、テレビを媒介とする「国民的体験の同時性」はみられなかったといえる。, 日本においてカラーテレビの世帯普及率が白黒テレビの世帯普及率を逆転したのは東京オリンピックが開催された1964年である。
68
洗濯機、冷蔵庫とともに「三種の神器」と呼ばれたテレビは、第二次世界大戦後の現代的で民主的な日本の家庭生活のシンボルとして普及がすすんだ。, 1980年代に家庭用ビデオ装置や家庭用テレビゲームが発売されるようになり、テレビ視聴の個人化や細分化など視聴スタイルに変化がおき、メディアリテラシーについての関心が高まった。, 1970年代にはテレビは日本の家庭の日常生活の一部となり、国民は同じ理解水準と感覚水準をテレビを通じて共有するようになったとされる。テレビは日本において「一億総中流意識」を形成したメディアと評されている。
69
日本のテレビ放送事業は、1952年に日本の主権が回復される以前から電波三法など関連する法律等が準備されていた。, 日本のテレビ放送事業は総務省管轄の許認可事業(免許事業)であり、現在は5年ごとの免許更新が義務付けられている。, 日本のテレビ放送事業は当初、ハード(放送設備)とソフト(番組制作)の一致が原則とされていたが、2011年に完全施行された改正放送法によって、ハードとソフトの分離も可能になった。
70
日本のテレビ放送事業は、放送の自由を確保するために、独立機関である電波監理委員会によって管轄されている。, 日本のマスメディアの系列化は、第二次世界大戦後に急成長した東京のテレビ局が、地方のテレビ局や新聞社などを、経済的な目的で買収を繰り返した結果であり、政治的要因は全く関係がない。, 放送法では、民主主義的な価値観が重視されている一方で、政府のコントロールができるよう、表現の自由については制約されうるとしている。
71
政治経済的な秩序関係と関わりが強く、変化のスピードが海外にくらべると遅い。, 国民メディア文化の鋳型として機能しており、他国に比べると文化や民族の多様性が意識されていない。, 東京一極集中とメディアの系列化がすすみ、限定的な多様性となっている。
72
NHKと系列化された民間放送グループによる情報寡占が問題視される一方で、少数の広告代理店の肥大化などはおこらなかった。